埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第八十三回)

  第十八話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その1〉  仏像を科学する


 【18−2】
【X線、γ線による仏像研究の本】

 X線による仏像の内部構造透視の研究は、昭和初年ごろ美術研究所の中根勝によって始められ、戦後、文化財研究所の久野健等により、本格的なX線撮影調査 が進められた。
 昭和28年以降には、金属を透視するγ線撮影手法が開発導入されて、金銅仏の内部構造透視が可能になり、四十八体仏をはじめとする小金銅仏の透視調査が 行われるようになった。
 このことについては、先に記したとおり。

 この頃の有様を、久野健の著作などから窺うと、なかなか面白い。

 

 携帯の出来るX線撮影装置が制作されたのは、昭和24年(1949)のこと。
 久野は設計者の中山秀太郎とともに、精力的に古代仏像のX線撮影に取り組む。
 相当数の、木彫、塑像、乾漆像を奈良、京都に赴き撮影したようで、「昭和30年までに我国木心乾漆像の八割を撮影した」そうだ。
 撮影用の大荷物を、自動車の入らない寺の奥の堂まで運ぶのは大仕事であったし、また短時間にたくさんの仏像を撮影したため、白血球が著しく減ってしまう こともあったという。まさに身を挺した調査であったようだ。
 その甲斐あって、今まで知られていなかった古彫刻の内部構造や後世の補修などを明らかに出来たという大きな成果を上げることができた。

 そして、久野は、木心乾漆像のX線撮影の成果を踏まえ、「平安初期木彫の誕生」に関して、次のような考え方を明らかにする。
 「平安初期木彫誕生の謎」については諸説ある。
 その一つに、「天平後半期から流行した木心乾漆像の乾漆が次第に薄くなり、平安初期の一木彫が生まれた」
 という説があった。
 しかし、これまで良くわからなかった木心乾漆像の木心部の状況が、X線撮影で判明すると、そのようには考えられないことが明らかになる。
 即ち、


聖林寺十一面観音X線撮影
 「聖林寺十一面観音のような古い木心乾漆像の木心は、一木で大体の形が作られているが、天平末期の作品になるほど、内部の木心が寄木式になり、その木部 に目鼻口などの造作を彫ることもない」

 のである。
 このことから、「木心乾漆の木心の発展型に一木彫があるとは考えられない」というものである。
 久野は、こうした研究の成果などを踏まえ、平安初期木彫誕生の事由について、新説を発表する

「奈良時代、日本霊異記に見られ るような行者や私度僧の民間造仏が行われており、これらの仏像は経費のかからぬ木彫であった。この伝統が平安初期の神護寺薬師像のような平安初期木彫の作 風を生んだのに違いない」(「大仏以後」美術史26〜昭和32)

 という新説で、学界を大いに驚かすことになった。


 こうしてX撮影により、木彫、塑像、乾漆像の透過撮影が進められたが、残念なことに、X線では、金属製の金銅仏の透過撮影が出来ないことが大きな問題で あった。
 X線で撮影してみても、白いカゲをフィルムに残すだけなのであった。


γ線による小金銅仏撮影映像

 昭和27年に文化財研究所に入所した登石健三は、放射性同位元素(アイソトープ)を利用すれば、金銅仏の透視撮影が可能と提唱する。
 昭和28年、放射性同位元素のコバルト60が輸入され、駒込の科学研究所に小金銅仏を持ち込み、撮影実験が行われた。
 コバルト60のγ線を15分ほど照射し、フィルムを現像すると、そこには見事に金銅仏の体内の様子が浮かび上がってきたのであった。
 この成功の後、昭和28年中に、法隆寺献納四十八体仏をはじめ、薬師寺金堂薬師三尊、講堂薬師三尊、東院堂聖観音、東大寺誕生仏など、次々とγ線撮影が 行われ、金銅仏の内部構造、鉄心や型持ちの様子が明らかになっていった。

 こうした久野健等の懸命な努力による、仏像のX線、γ線による透過撮影の調査研究成果の集大成は、先に紹介した、「光学的方法による古美術品の研究」の 【彫刻】の項に、60ページ余の調査研究論文と45ページの透過撮影写真が収録されている。
 是非一度は、じっくり読んでみたい。


 さて、「光学的方法による古美術品の研究」の出版後、
 【仏像のX線、γ線撮影による調査研究】について採り上げた本をみてみたい。


 「運慶の彫 刻」 久野健著 (S49) 平凡社刊 202P 18000円

 古彫刻のX線透過撮影研究による「大発見」として知られるのは、浄楽寺、願成就院の阿弥陀如来像以下の諸像が、「東国に於ける運慶作品」であることを実 証したことである。
 これは、昭和30年代後半に久野健等によって行われた、浄楽寺、願成就院諸像の調査で明らかにされた。
 浄楽寺・毘沙門天像から発見された運慶の月輪形銘札と同様のものが、願成就院の衿羯羅・制タカ2童子の胎内に残されていることがX線撮影によって判明、 運慶作品であることの大きな決め手になったのであった。

 本書は、こうした運慶彫刻調査研究の集大成として出版された本。
 浄楽寺、願成就院諸像のX撮影写真のほか、運慶作品間違いなしといわれている金剛峯寺不動堂八大童子のX線透過写真も収録されており、月輪形銘札が胎内 に納められている様子が良くわかる。

 この「東国における運慶の発見」のいきさつについては、
 本連載「地方佛〜その魅力にふれる本〜【中部編】」に掲載したが、ここに再録しておきたい。

 三浦芦名の浄楽寺、伊豆韮山の願成就院諸像が、運慶作であることが実証されたいきさつには、次のようなドラマチックな物語がある。


願成就院阿弥陀如来像
 願成就院には、古来2枚の塔婆銘札が残されている。
 銘札には、文治2年に「檀越平朝臣(北条)時政」発願の仏像を「巧師勾当運慶」が造り始めたという墨書が残されている。
 この2枚の銘札は、不動明王像、毘沙門天像の胎内から出たもので、これまでは、銘札は真正で本物だが、当初像はその後失われてしまったと考えられてい た。
 即ち、現在の仏像は、阿弥陀如来像も含め「鎌倉期の作だが、運慶の作品ではない」とされてきたのだ。
 運慶作ではないとされた理由は、運慶作の円城寺大日如来像や興福寺北円堂弥勒像などの作風に比べると、男性的で「都らしからぬ様子」を感じさせるからで あった。

 昭和34年4月、久野健は、三浦半島にある芦名・浄楽寺の諸像を調査する。
 調査中に、毘沙門天像の頭部が首から抜け、胎内に月輪形銘札が納入されているのを発見した。
 その銘札には、なんと、文治五年に、「平(和田)義盛」を願主に「大仏師興福寺内相応院勾当運慶」が造った、と記されていた。
 
浄楽寺阿弥陀如来像・毘沙門天像

 そうは云っても、これだけで、この毘沙門天像が、銘札どおりの運慶作の像だという確証にはならない。しかしながら、この墨書は明らかに鎌倉時代の墨跡 で、しかも阿弥陀如来像の胎内背面に一面に記されている梵字と、同筆である事が確認された。
 もともと、この阿弥陀如来の胎内にも、後筆が明らかな「文治5年勾当運慶作」の銘札が収められている事が、知られていたが、胎内墨書と毘沙門銘札が同筆 という事などから、阿弥陀如来像も毘沙門天も、間違いなく「運慶作」とみられることとなった。
 不動明王像は、そのとき首が抜けなかったが、X線撮影で、月輪形銘札が納められている事がわかり、その後の修理の際、毘沙門天像と同文の銘札が取り出さ れ確認された。
 
浄楽寺毘沙門天像胎内銘札          阿弥陀如来胎内銘    

 この調査により、浄楽寺阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像が運慶作に間違いないと確認されたが、実は、願成就院の諸像、即ち阿弥陀如来像、毘沙門天 像、不動三尊像が、その顔立ち、モデリング、衣文の様式などが、浄楽寺諸像のそれと、酷似しているのであった。
 そうなってくると、願成就院諸像も運慶作の可能性は極めて高いということになってくる。
 その後の、願成就院像の調査で、不動三尊像をX線調査した処、古来伝わる不動明王像の銘札釘跡と、X線調査による胎内の釘跡とが一致する事や、衿羯羅・ 制タカ2童子の胎内にも、塔婆形銘札がそれぞれ納入されている事が確認されるなどのことが明らかになり、今では、願成就院諸像は運慶の代表作のひとつとし て、認識されるに至ったのである。
 
  願成就院不動明王像       矜羯羅童子X線写真

 この東国の運慶作諸像の発見は、仏教彫刻史上においては、大変大きな意義を持つものであった。
 所謂、運慶様式を考えるうえで、従来知られていた運慶作品の系譜と異なる、男性的で剛健とも云える運慶作品が出現し、青年期の円成寺大日像と、老年期の 興福寺北円堂諸像(弥勒如来、無着世親像)との空白を埋める壮年期の作品を、知ることができることになった。
 また、これらの東国武士好みともいえる諸仏像を、運慶は東国に下向して作ったのか、南都に在ったままで作ったのかという、「下向・非下向の論争」に熱が 入る事となった。


 この「東国における運慶の発見」により、運慶作品には胎内に月輪形銘札が納められていることが多いことが明らかになる。
 その後、運慶作の伝来のあった高野山金剛峰寺の八大童子像を、久野がX線撮影したところ、この像にも月輪形銘札が胎内に納められていることが判明、運慶 作間違いなしといわれるようになった。
 近年では、栃木・光得寺の大日如来坐像や、同じく栃木・樺崎寺旧蔵の個人蔵大日如来坐像が、伝来、作風から運慶作の可能性が云われ、X線透過撮影をした ところ、月輪形銘札などが胎内に納められ、運慶独特の像内納入品と共通点が多いことが判明、「運慶作品の新発見」と、新聞紙上を大いに賑わしたことは、記 憶に新しい。

            


       

inserted by FC2 system