埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第七十七回)



  第十七話 中国三大石窟を巡る人々をたどる本
〈その2〉雲岡・龍門石窟編


 【17−4】


 ここで、伊東忠太「雲岡石窟の発見」の関連本の紹介をしておきたい。

 「東洋建築の研究 上・下」 伊東忠太著 (S18) 龍吟社刊 【594P・500P】 100円

 伊東の中国、インド、イスラム建築に関する論文を収録した本。
 「雲岡石窟の発見」の報告論文となった「北清建築調査報告」が、上巻に収録されている。
 この報告論文は、あくまでも河北、山西省一帯の建築に関する報告であり、「大同の石佛寺」と題する章には、7ページ余が割かれているに過ぎない。
 伊東は結語で、

「要 するに石佛寺の大部分は拓跋魏の遺物たること疑いを容れず。しからば即ちこれ1450年前の遺跡にして、わが法隆寺に先立つこと150年なり。思うに所謂 推古式なる芸術が三韓より伝来せるは疑いなし。三韓これを何処より得たるか、これ吾人の切に知らんと欲して未だ知らざるを得ざりし大疑問にてありしな り。」

 と、述べている。


 「建築学者 伊東忠太」 岸田日出刀著 (S20) 乾元社刊 【272P】 5.5円

 本書は、伊東の文化勲章受勲を機に、伊東の弟子である建築学者で東大教授の岸田日出人が執筆、出版されたもの。
 伊東の評伝となっており、「博士と東洋建築」の章に、「雲岡石窟の発見」の項が設けられ、伊東が東洋留学行に出かけるときや、雲岡石窟を偶々訪れ発見したときのいきさつやエピソードなどが、面白く語られている。
 古書店でもあまり見かけない本だが、伊東の業績と人間を知るには、この本が一番。


 「伊東忠太を知っていますか」 鈴木博之編著 (H15) 王国社刊 【242P】 2200円

 H12、ワタリウム美術館で開催された同名の展覧会の開催を記念して出版された。
建築学関係の研究者が、伊東忠太について多面的な観点から、それぞれ執筆・対談している。
 「伊東忠太の大旅行をめぐって、そして建築史家としての評価」「伊東忠太の世界旅行」という章で、雲崗を発見したアジア大旅行について、詳しく解説されている。
 この大旅行は、中国華北から華南に丸1年、ビルマ、インド、セイロンを経て、エジプト、イスラエル、トルコ、ギリシャ、そしてヨーロッパ各国の文化遺産を探訪して、ロンドンから米国を横断してバンクーバーから横浜へ帰国している。
 まさに3年間にわたる、世界文化史蹟、建築探訪の未曾有の大旅行であったことに驚嘆する。




 【天龍山石窟の発見】


天龍山石窟遠望

 天龍山石窟は、山西省の省都・太原の西南約40キロの天龍山の山上にある。
 雲岡のある大同から、南へ約250キロのところだ。
 石窟の開鑿は、北魏の雲岡石窟の後をうけ、東魏(534〜550)の高歓の時に始まり、北斉・隋・唐・五代のほぼ5世紀にわたり造営された。
 斉隋様・唐様の秀麗な石像が多く存することで知られ、24の石窟、1500余の石仏が残されていた貴重な石窟寺である。


 この天龍山石窟を発見したのが、建築史学者・関野貞である。


関野 貞

 1918年(T7)、関野は中国史蹟探訪に赴く。それまでも、雲岡・龍門・鞏県石窟などを訪れたことはあったが、今回は約半年にわたって雲崗から南下、太原、洛陽、天津、上海、南京、寧波方面の古寺を調査するなどの大旅行であった。
 この時、太原郊外で天龍山石窟を発見するのである。
  この発見も、伊東の雲岡発見と同じく、偶然とも称すべきものであった。関野は太原付近の史跡について古誌などで予備知識を得ていたが、見当をつけていた寺 址について聞き込み調査をしていて天龍山の存在を知る。山上に聖壽寺が存すると聞き、石窟の有無にかかわらず、馬に徒歩を継ぎ4時間半を費やして辿り着い たという。
 「この断崖は・・・・・・急峻なるを以って崩壊せる岩片流砂の如く足を留むべからず。石窟に達するは極めて困難の事なり。」
 と、関野は記している。


天龍山石窟石仏

 そして、思いがけず北斉初唐期のいくつもの石窟を発見、「驚喜措くこと能ず」、急遽現地で一泊しその調査を行ったという。
 その調査結果を、「西遊雑信(上)」(建築雑誌384・1918)、「天龍山石窟」(国華375・1921)に発表、天龍山石窟発見者として名を残すこととなった。

 ただし、記録によるとワシントンにあるフーリア美術館で知られる、蒐集家チャールズ・フーリアが、関野が発見する8年前、この天龍山石窟を訪れている。
 この天龍山石窟は、その後、20世紀前半、欲しいままに盗鑿され、無残にもほとんどの仏頭、藻井、飛天が国外、特に日本や欧米諸国に散出してしまい、現在では余りに痛々しい姿で残されているということだ。


 関野貞の、天龍山石窟発見についての関連本は以下のとおり。

 「支那の建築と芸術」 関野貞著 (S13)岩波書店刊 【816P】 6.5円

 本書は、昭和11年、前年急逝した関野の業績を顕彰すべく、刊行された論文集の一冊。
 天龍山石窟の発見を報告した「西遊雑信(上)」、調査研究論文「天龍山石窟」が収録されている。


 「関野貞 アジア踏査」 藤井恵介他編 (H17) 東京大学出版会刊 【416P】 6500円


関野貞の石仏スケッチ(龍門賓陽洞仏)

 東京大学総合研究博物館で開催された「関野貞アジア踏査展」を機に、関野の研究業績の全貌を浮き彫りにする書として、本書が刊行された。
 23名の研究者が、多面的側面から関野の業績を回顧、解説しており、偉大な建築史研究者、関野貞の全貌を深く知ることが出来る、充実した貴重な本。
 「日本建築史研究について、韓国古跡調査と研究について、中国古跡調査と研究について」の三部構成となっており、中国の部には、「関野貞の中国彫刻史研究と石窟調査」(肥田路美)という解説文が収録され、天龍山石窟発見について詳しく述べられている。


 「雲岡石窟と天龍山石窟の発見」 勝木言一郎 アジア遊学45号「特集・山西省」所載 (H14) 勉誠出版刊 【191P】 1800円

 雑誌・アジア遊学の「山西省特集」に、掲載されている。
 筆者は、東京文化財研究所の主任研究官。
 文章の副題に「伊東忠太・関野貞による発見、評価、その解説」と記されており、表題どおりのテーマがコンパクトな解説にまとめられており判り易い。

 

 


      

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