埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第四十八回)

  第十二話 地方佛〜その魅力にふれる本〜

《その4》各地の地方佛ガイドあれこれ  【中部編】
 【12-2】
 ここからは、それぞれの地方別に、 地方佛ガイド・解説書を紹介して行くこととしよう。

 甲信地方の仏像

  甲州・信州、即ち山梨・長野県の地方佛で、私の頭に浮かんだり、心に残ったりする仏像といえば、山梨では大善寺・薬師如来像、福光園寺・吉祥天坐像、塩沢 薬師堂・鉈彫薬師坐像あたりになる。
 長野では、松代、保科の両清水寺の諸仏、知識寺の立木十一面観音像、福満寺、中禅寺の薬師如来 坐像、大法寺・十一面観音像、覚音寺・千手観音像といったところになろうか。

 平安前期を伺うかというのは、大 善寺薬師、松代清水寺諸仏くらいで、これらを含めても穏やかな仏像が割りと多い。

                    大善寺・薬師如来像

  甲信の仏像の解説書としては、

 「仏像を旅する〜中央線〜」田 中義恭編 (H2) 至文堂刊 【278P】

 「地方と中央を結ぶ仏像たち〈田中義 恭〉」「信濃の仏像〈下平正樹〉」「甲斐の国の仏像〈守屋正樹〉」「岐阜県の仏像〈平光明彦〉」といったテーマで、充実した解説が掲載されている。


  【山梨県の仏像】

 山梨県の仏像をテーマにした本は、手元にはこの1冊しかない。

 「甲斐みほとけの国」矢野建彦 写真 清雲俊元・辰繁存 文 (S63) 佼成出版社刊 【150P】

 「フォトマ ンダラ」という副題がついている山梨県の仏像写真集。
 写真は入江泰吉に師事した矢野建彦。ソフトなライティングで、くっきり渋く仏 像の美しさを引き出している。


 【長野県の仏像】

 「信濃の仏像」 信濃毎日新聞 社編・龍野咲人 文(S53) 信濃毎日新聞社刊 【197P】

 県内の仏像が網羅 された本は、これぐらいではないかと思う。
 長野県の古仏、93体が掲載されている。
 信濃毎日新聞・文化欄に 約2年間に亘って連載された「佛像をたずねて」を、単行本化したもの。写真図版と、県在住の作家・詩人、龍野咲人の紀行・随筆文で構成されている。
 
      信濃の仏像          松代清水寺聖観観音立像    

  本書の図版ページをめくり、長野の仏像を眺めていくと、やはり一番私の眼を惹くのは「松代・清水寺」の諸仏。
 信濃一番の古仏で、貞 観の余風を色濃く残す平安中期の像。
 なかでも聖観音像を観ていると、生々しい量感・迫力を感じて、ちょっと引いてしまう。目鼻の造 りが大きくアクの強い顔、肩・胸を張って胴を極端に細く絞った、誇張したモデリングなどが特徴的。
 松代・清水寺は小さな集落の中に ほとんど目立つことなく在る。
 ひっそりと建つコンクリート造りの本堂兼収蔵庫が開かれると、眼前に諸仏が一列に立ち並び、仏像たち から、ちょっと「違和感ある迫力」が伝わってくる。
信濃の地方仏師の強い自己主張の声が聞こえるようで、何故か不思議な魅力を感じ る。


松代・清 水寺諸像 

 同じ清水寺でも、「保科・清水寺」の諸仏の写真ページを開くと、本尊千手 観音をはじめとして、大変穏やかでやさしい。
 藤原仏の静かなエレガントさや、都ぶりを感じさせる仏像たちだ。
  それもそのはず。
 保科清水寺の諸仏は、奈良・石位寺から移されのだそうだ。
 大正5年、清水寺は大火に遭い全 山焼失、石位寺から本尊千手観音像ほか10余体を移安したという。

 石位寺というのは、あの有名な白鳳・薬師三 尊倚像石仏がある奈良桜井市忍坂の寺。
 松本楢重著「奈良物語」によると、
 当時石位寺は、お堂が傷んでいても 修理費の見込みが立たない。やむなくお堂の中にあった仏たちを処分する事になり、磯城郡長の斡旋で長野・清水寺に売却した。
金額にし て7千円で、この金をお堂の改修費、お寺の維持管理費に充てることしたそうだ。

 あの石位寺から、当時どんなふ うにして十数体の仏像が、遠路長野の地まで運ばれてきたのだろうか?
 山腹の観音堂にある千手観音坐像の、清楚で穏やかな姿を拝して いると、こんな由来物語とは関わり無く、この信濃の地に、昔からずっと祀られてきたかのようにしっくりなじんで見えてくる。
 
保科・清水寺千手観音立像         奈良桜井・石位寺      



保科・清水寺観音

  「遠く離れた地に、他の社寺からはるばる仏像を迎えて、本尊としてお祀りする」という話には、ヘェーそんな事もあるのかと驚きもするが、この清水寺のよう な話は、他にも古来、結構あたりまえにある。

 私の頭に、ちょっと浮かんでくるものだけでも、いくつもある。
  古くは、地方の脱乾漆・天平仏で有名な岐阜美江寺・十一面観音像は、伊賀国名張郡伊賀寺に安置されていたのを、美濃本巣郡美江寺の里に移したものと伝えら れているし、白鳳仏の白眉、興福寺金銅仏頭は、鎌倉時代に興福寺僧兵が山田寺から奪い取り、東金堂の本尊として祀った。
 上野寛永寺 にも、平安時代の薬師三尊木彫仏が祀られているが、薬師如来像は近江の石津寺から、両脇侍像は出羽の立石寺から、近世に移されたものである。
明 治の廃仏毀釈の時期には、数多くの神社の本地仏が寺院に移されたり、売却されたりしたが、そのなかでも天平の乾漆仏・聖林寺十一面観音像や法隆寺の貞観木 彫・地蔵菩薩像が、三輪大社の大御輪寺から移されたものであることは、あまりにも有名な話である。


  もうひとつ、眼を惹く仏像は、上山田町の「立木仏」知識寺・十一面観音立像。

 ケヤキの立木に直彫りした、3 メートルを越える「立木仏」だ。
 木立ちに佇む、萱葺きの寄せ棟造りの大御堂のなかの、厨子に安置されている。
豪 快だが、ずんどうのような彫りの巨像が、大御堂の床をえぐりぬいた一段と低いところから、自然木に近い岩座を踏まえ、厨子一杯に立ち上がっている(当初は 地面に石組の土壇を築き立っていた)。
 いかにも、立木が、そのまま真直ぐすくっと伸びているような、荒削りの素木像で、この地の素 朴な信仰を集める像に相応しい。

知識寺・大御堂        知識寺・十一面観音立像   

  「立木仏」というのは、

  「本来、山上にひときわ高く立つ霊木や、雷が落ち内部が空洞になりながら生きつづけているような巨木に、わずかにノミをいれ、頭部や胴身部を刻み出し、そ れに仏性を吹き込んだ像をいう。そのため、はじめは根のついたままの生木であったのが始まりである」

  と、久野健が述べている。(日曜関東古寺めぐり「西光院」の章)

 知識寺の十一面観音には、根がついていない が、山から移されたのかも知れない。
立ち木仏として有名な、日光中禅寺の千手観音像も、男体山の中腹にあったのを移した像と云われ、 根はついていないが、地付き部には自然の根を矧ぎつけ、立木仏の感じを出している。
 茨城・西光院の立木仏・十一面観音像も、地付き 部に自然木の根を矧ぎつけて台座へしていたそうだ。(現在は蓮華座に変っている)

 本当に、根のついたままの立 ち木仏もある。
 久野健によれば、根のついたままの立木仏は2体あった。
 大津市・安養寺の聖観音像と広島市・ 福王寺の不動明王立像。
 ただこれも、安養寺像は近年根の部分の腐食が激しく、根の上の部分より切断したというし、福王寺像は落雷で 焼けてしまったそうだ。

「今 日では、全く本来の姿の古代の立木仏はのこっていないであろう。」

 と、久野は述べて いる。(〈根のある仏像の話〉久野健著「秘仏」所収ほか)

 つけたりながら、会津・恵隆寺の千手観音像も立ち木 仏として知られているが、久野健は、「すでに位置も変っているし、立木のままではない」としている。
 一方、寺の案内書や氏平裕明著 「東国の古寺巡礼」では、(正式な調査報告は無いが)現在も床下に根のある立木仏と記している。
 いずれが、正しいのか、ちょっと興 味深い。

  
西光院・立木仏    福王寺・不動明王像   会津恵隆寺・千手観音 立像

 それにしても、立木仏は、人里離れた山中にあることが多く、樹に精霊を求める霊 木崇拝の顕れそのもの。
 彫刻としての出来の良し悪しより、信仰の深さから来る霊気のようなものを感じさせ、惹きつけられるものがあ る。


 話が長くなってしまったが、長野の仏像についての所蔵本は、他にはこの2冊。

 「郷土の文化財 仏像」 (S58) 上田市立博物館刊 【92P】

 上田市にある仏像の、写真解説書。
  小冊子ながら、大変レベルの高い解説文で、実査記録的な内容も盛り込まれている。
 平安古仏の大法寺十一面観音像、中禅寺薬師如来像 の、解説も詳細。
 市文化財調査委員長・遠藤憲三の執筆。初版はS45年で、その後都度増補改訂が重ねられ、私の所蔵本は第6版。現 在でも博物館で販売している。

 「牛伏寺」牛伏寺誌編纂委員会 編 (S58) 牛伏寺刊 【215P】

 本書は、宗祖弘法大師1150年御遠忌な らびに吉例33年目ご本尊ご開帳法要を記念して、出版された。
 寺史と文化財、行事等についての解説と写真図版で構成。
  牛伏寺には、秘仏本尊十一面観音をはじめ重要文化財の平安末の仏像が8体あるが、その写真と解説が掲載されている。
 
   大法寺・十一面観音立 像    牛伏寺・十一面観観音立像

郷土の文化財他

 


       

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