埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二十七回)

  第七話 近代法隆寺の歴史とその周辺をたどる本

《その2》再建非再建論争をめぐって(4/5)

【7−4】

3.論争に登場した人々やその周辺の本

 ここで、再建非再建論争の主役となった人々の、自説が載った本、エピソードを語った本などの紹介に入りたい。
 これらの人々は、数多くの著作を残しているが、ここでは法隆寺再建非再建論争に関するものに限って、紹介することとしたい。

 【伊東 忠太】 1867〜1954

 日本建築史の研究は、伊東忠太により始められた。
 伊東は、最初の研究対象に法隆寺西院伽藍を選び、明治26年、「法隆寺建築論」を発表、法隆寺研究の道を拓いた。
 伊東は、法隆寺建築を推古式であることを強調、これが様式論の立場からの「非再建論」に展開していくこととなる。

 伊東の法隆寺論については、

 「法隆寺」伊東忠太著(S15)創元社刊

 で、平易に知ることが出来る。

 伊東の評伝的出版は、直弟子・岸田日出刀によるものが興味深い。

 「建築学者 伊東忠太」岸田日出刀著 (S20)乾元社刊

 本書は、伊東の文化勲章受勲を機に、出版された。敗戦2ヶ月前の出版、よく出せたものと思う
 評伝と共に、「法隆寺建築論」「法隆寺再建非再建論」という項立てもされ、伊東の見解を解説している。
 書中、「法隆寺建築論」は、伊東の学位請求論文であったが、明治31年提出後、審査に3年も要した。その事由は、日本建築の研究は、伊東が始めて手をつけたもので、これを審査できる教官が誰もいなかったからだ、という面白いエピソードも紹介されている。

  

 【平子 鐸嶺】 1877〜1911

 平子鐸嶺は、35歳の若さで喀血、早逝した。
 非再建論の記念碑的論文として今も語られる、「法隆寺草創考」を発表し、干支一運説の論陣を張ったのは、明治38年、なんと弱冠29歳のことであった。
 それから約1年の間に、喜田貞吉の再建論に対抗、反駁する論文を、なんと12本も研究誌に発表している。

 平子の主要論文を収録した論文集は、


 「増訂 佛教藝術の研究」平子鐸嶺著(S51)国書刊行会刊 〈復刻〉
 元版は(T12)三星堂刊

 平子の法隆寺非再建論を始め、主要論文は本書に収録されている。
 平子は東京美術学校日本画科・洋画科を卒業し、出版社・金港堂入社後、帝室博物館嘱託に転じた。
 本書、付録追悼文には「美術家に史学に素養あるもの稀なり。君は美術家より出でて考古歴史の学界に入る。君は殆んど我が藝術史家として世に出でたる天才なりしなり」記されている。

 今更ながらに、あまりに若くして惜しい研究者が逝ってしまったという感がする。
 今は法隆寺境内片隅に、平子供養塔が建てられ、冥福が祈られていることは、先に記したとおりである。

 

 【関野 貞】 1867〜1935

 関野は東京帝大助教授就任前の5年間、技師として奈良に在り、この間、古建築調査に専念、実証的建築年代判定に携わった。
 そして、その成果をもとに、非再建論を唱え、法隆寺が飛鳥様式建築であることを強く主張し続けた。

 その主要論文を収録した本は、

 「日本の建築と芸術 上・下」(H11)関野貞著 岩波書店刊
 上巻元版は(S15)岩波書店刊

 昭和11年、前年急逝した関野の業績を顕彰すべく、関野博士記念事業会が設立され、論文集全4冊(中国・朝鮮・日本〈上下〉の建築と芸術)が刊行されることとなった。
 内3冊は次々刊行されたが、本書「下巻」にあたる4冊目は、ついに刊行に至らなかった。
 この「下巻」を、既刊の「上巻」と共に、没後60余年にして漸く出版されたのが本書。
 「法隆寺金堂塔婆及中門非再建論」は、「下巻」に収録されている。

  

 【喜田 貞吉】 1871〜1939

 非再建論の関野、平子、足立を向うに回して、一貫して再建論を貫き、信念と執念で再建論を貫いた喜田貞吉。
 再建論主張のきっかけなどは、先に記したとおりだが、法隆寺再建に関する論文を30篇程発表している。
 その殆んどの論文を収録したのが

 「喜田貞吉著作集7 法隆寺再建論」(S57)平凡社刊

 喜田の法隆寺関係論文集は、没後すぐ「法隆寺論攷」(S15刊)として論文21編を収録、発刊された。それに数編を追加して纏められたのが本書。
 論文の題名を見ると、「関野・平子二氏の法隆寺非再建論を駁す」「法隆寺の罹災を立証して一部藝術史家の研究方法を疑う」「平子君の法隆寺非再建論を駁して、その単に妄想に過ぎざるを明らかにす」「見損なっていた故関野博士と法隆寺二寺説」といったもので、『こんなに相手を誹謗するような題をつけても良いのかしらん?』という感じ。その舌鋒の鋭さと、激しき執念を伺わせる。

 喜田の自伝・評伝は、数冊ある。

 「喜田貞吉著作集14 六十年の回顧・日誌」(S57)平凡社刊

 この自伝「六十年の回顧」のなかで、「法隆寺再建論」という項が立てられ、恩師・小杉榲邨の顔を何とか立てようと、「再建論」の論陣を張ったきっかけ、いきさつなどが、思い出と共に率直に綴られている。
 喜田は、直情・信念の人だったようで、婉曲・穏便に軋轢を避けるということは出来ない人だったようだ。
 これが災いしたのだろうか、明治43年、いわゆる「南北朝正閏問題」に巻き込まれる。
 喜田貞吉といえば、近代史の世界では、むしろこっちの問題で有名な人物。
 喜田は、自ら編纂に携わった国定教科書の南北朝の記述・解説が、皇朝の正当性を惑わす云々というようなことで、政治問題化し、文部省を休職となった。東大を辞し京都大学に移り、その後教授となるのである。

 「歴史家 喜田貞吉」山田野理夫著(S51)宝文館刊
 「古代史の先駆者 喜田貞吉」山田野理夫著(S56)農村文化協会刊

 喜田の生涯と歴史学者としての偉大な功績を、丁寧に追った評伝・好著。著者は歴史家であり作家、読みやすく面白い伝記。

 

 【小野 玄妙】 1883〜1939

 小野は、浄土宗の僧職で仏教学者。佛教・仏教美術の多大な著作を残したほか、「大正新脩、大蔵経」全百巻を編集長として完成させたことでも知られる。
 小野の、皇極2年焼失論「法隆寺堂塔造建年代私考」は、次の本に収録されている。

 「大乗佛教藝術史之研究」小野玄妙著(S2)金尾文淵堂刊

 

 【会津 八一】 1881〜1957

 会津八一、その人については、歌人として、書家として、学者として、それぞれにあまりに著名。著作、評伝、評論も数多く出版されており、今さら紹介するまでもない人物。
 ここでは、法隆寺関係論文所収の論集を紹介するにとどめたい。

 「会津八一全集 第1〜3巻 研究・上中下」(S33〜34)中央公論社刊

 所収の学位論文「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」は、昭和8年「東洋文庫論叢」第17〈2冊本〉として刊行されたもの。
 他に、法隆寺関係論文が約10編収録されている。

 

 【足立 康】 1896〜1941

 新二寺説とも言われる、非再建論をはなばなしく展開した足立康。
 その非再建主要論文を収録した本は、

 「法隆寺再建非再建論争史」足立康編(S16)龍吟社刊

 本書の内容は、先に紹介したとおり。
 足立本人の主要論文は全て本書に収録されており、足立執筆の論争概説、論文解説も載っている。

 「足立康著作集 全3巻」(S61〜62)中央公論美術出版刊

 単行本化されなかった、足立の論文を収録・刊行された本。
 第2巻「古代建築の研究・下」に、会津八一説への批判論文、「法隆寺推古天皇十五年焼失説の疑い」など4編が収録されている。

 足立康は、大正13年東大工学部造兵学科を卒業後、文学部美術史学科、工学部建築学科大学院と経て、建築史、美術史の研究に没入した。
 43歳で早逝するまでに、10年余で300編余りの膨大な論文を発表。薬師寺建築の研究でも名高い。
 足立は、実家が資産家であったこともあり、終生勤務することなく、研究に専念、あらゆる文献史料を蔵書し、どこよりも自宅の方が、詳しく史料にあたることが出来たという。
 それが、膨大な論文発表を可能とした所以であろう。
 こうした環境に身を置けたからか、足立は「論客」と呼ばれた。
 「正論を振りかざし、寡兵よく敵側に立って、他の欠点と、誤認と、因襲と、・・・・を、真っ向から両断していった」(角南隆)「足立君は論客であった。・・・・・・考証は該博で、透徹し、論争となれば、鋭く急所を突き、毅然として一歩も引かない。法隆寺再建非再建論争問題の如きは、そのうちの花々しいもので、・・・・・・・」(藤掛静也)
 と、その人が語られている。

 この「論客」足立と、「信念」の人・喜田貞吉とが、再建非再建問題の激しい公開論戦を行っている。先に記したように、昭和14年3月東大・山上御殿で夕刻行われたが、その「論戦速記と諸家の批判」という本が出版されている。

 「喜田・足立博士 法隆寺論争」歴史地理臨時増刊(S14)日本歴史地理学会刊

 双方、二度三度と登壇して、自説の主張、弁明を行っており、さぞや、鎬を削っての白熱した立会い論戦であったのだろうと、伺える。

 

 【石田 茂作】 1894〜1977

 佛教考古学者として、著名な石田茂作。
 古代寺院の発掘に基づく研究の基礎を築いた。発掘成果に基づく、伽藍配置、瓦、仏具の先覚的研究の功績は名高く、聖徳太子奉賛会研究員としての調査成果をまとめた「飛鳥時代寺院阯の研究」が代表的著作。

 石田は、法隆寺論争に直接参加することはさけていたが、昭和14年12月、末永雅雄と若草伽藍址の発掘調査を行い、二寺並存の可能性を否定したのは先に述べたとおり。
 その発掘報告「法隆寺若草伽藍の発掘」が収録されているのは、

 「法隆寺雑記帖」石田茂作著(S44)学生社刊

 本書は、石田が、雑誌・研究誌に発表した法隆寺関係の文章を、まとめて収録したもの。
 法隆寺論争についての感想や、五重塔心礎空洞の舎利容器調査、石田流法隆寺七不思議など、やさしく愉しめるものも多く、お薦めの本。

 石田の自伝的本は、文化功労者受賞を記念して出版された、

 「随筆 二つの感謝」石田茂作著(S49)東京美術刊

 

 ここまで、再建非再建論争に登場した学者達を紹介したが、これらの人々の功績、足跡、その人となりを知ることが出来る本を紹介しておきたい。

 「建築史の先達たち」太田博太郎著(S58)彰国社刊

 太田博太郎が、我が国建築史学史の一人の生き証人として、先達から学び教えられた経験を踏まえて、建築史学者達を語ったもの。
 伊東忠太、関野貞、天沼俊一、足立康、浅野清等について、先輩研究者への愛着を込めて、やさしく描かれており、それぞれの人間性も伺われ興味深い。必読の書。

 

      

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