埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百六十九回)

   第二十八話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その5>仏像の戦争疎開とウォーナー伝説

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【目次】


1.仏像・文化財の戦争疎開

(1)東京帝室博物館の文化財疎開

(2)正倉院と奈良帝室博物館の宝物疎開

(3)博物館と正倉院の宝物疎開・移送について書かれた本

(4)奈良の仏像疎開

・興福寺の仏像疎開
・東大寺の仏像疎開
・法隆寺の仏像疎開

(5)奈良の仏像疎開について書かれた本

2. ウォーナー伝説をめぐって

(1)ウォーナー伝説の始まりと、その拡がり

(2)ラングトン・ウォーナーという人

(3)「ウォーナー伝説」真実の解明




(2)正倉院と奈良帝室博物館の宝物疎開

さて、東京帝室博物館からの疎開受け入れ側であった奈良帝室博物館の方は、どのような状況だったのだろうか?

正倉院宝物(奈良帝室博物館管理)の戦災対策は、どのようにされていたのだろうか?


奈良帝室博物館
奈良帝室博物館には、先に述べたように、昭和16年(1941)8月から11月、東京帝室博物館の館蔵宝物が疎開移送された。
疎開されたのは、御物法隆寺献納宝物108点と最優秀館蔵品227点であった。

このように、奈良は安全ということで、東京から宝物疎開してくるというようなことであったので、正倉院や奈良博物館では、この奈良の地でいかに安全に保管するかという対策が行われた。
奈良から遠隔地への疎開ということは、余り検討されなかったようだ。


正倉院と奈良博物館での宝物の保管管理の有様について、振り返ってみたい。

正倉院
昭和16年、帝室博物館では東京、奈良などの宝物の疎開移送対策などが計画されたが、奈良の博物館と正倉院については、次のような対策を実施する計画となった。

・正倉院御物収納のため、東大寺東方の少丘に横穴式地下室を建設する

・奈良帝室博物館の付属倉庫に移送保管する

・旧関西線トンネル(元正元明天皇陵参道となっている)内に、防湿装置を施して保管する。

しかし、横穴式地下室建設と旧関西線トンネル内保管の案は、地質脆弱や湿気の問題で不適当との結論となる。


その後、現実的対応策として、

・正倉院構内の鉄筋コンクリート造りの事務所を補強改造して正倉院御物を収納すること。

・奈良帝室博物館付属倉庫に移送保管すること。

により、正倉院御物の保管対策を行うこととなった。

  

正倉院御物が保管された正倉院事務所(改装前) 正倉院御物が移送された奈良帝室博物館・収蔵庫



昭和16年秋、曝涼のため勅封を開封した際に、移送に備えての宝物梱包が行われた。
現実、移送保管には、事務所を補強改造の完成を待つなどの時間を要し、移送が行われたのは、昭和18年秋の開封の時でであった。
この年の10月、宝庫御物の一部は改装事務所に、仮庫御物の一部は奈良博物館収蔵庫に移納された。
奈良博物館の収蔵庫には、社寺の出陳国宝什宝が収納してあるので、倉庫の東側に間仕切りを設けて、御物の格納庫としたそうだ。

奈良博物館への移送にあたっては、なんといっても国の宝とも云える正倉院御物の移送ということで、慎重にも慎重を期したと云う。
東大寺から登大路の博物館までは、なるべく振動を与えないように牛車によって運ばれた。
徐行して輸送中の振動を少なくし、宝物の破損を未然に防ぐ細心の注意が払われたそうだ。


一方、奈良博物館のほうでは、東京帝室博物館からの宝物受入れ、正倉院御物の受け入れなどにより、収蔵庫が手狭になったこともあり、またリスク分散の意味もあって、各社寺からの寄託品の返還を急ぐことになる。


大阪大空襲後の大阪城近隣
昭和20年に入ると、3月から終戦の8月にかけて、大阪も大空襲の連続に見舞われる。

奈良帝室博物館も7月10日、閉館となった。(東京帝室博物館は3月10日閉館)

正倉院でも、7月15日より、宝庫に残置の御物全部を改装事務所と奈良博収蔵庫に移送し、8月3日、移送を完了する。


さらには、戦局激化するなか、奈良の地も安心ではいられないと、更に適当な場所に疎開格納する準備に入った。
京都府山国村の常照皇寺(東京帝室博物館宝物を疎開させていた場所)や浄瑠璃寺が、疎開場所に選ばれた。

8月15日から9月3日の予定で、これらの地に疎開輸送すべく梱包作業中の処、8月15日、終戦を迎えたのであった。



終戦の翌年には、これまで公開されることのなかった「正倉院展」が開催される。

奈良帝室博物館・第1回正倉院展目録
画期的な出来事であった。

昭和21年(1946)の10〜11月に奈良博物館で公開展示されたのであった。

正倉院御物は、皇紀2600年記念で、昭和15年、初めて東京帝室博物館で一部公開されたが、通常一般に公開されることはなかった。
毎秋の曝涼の際、宝物を拝観できるのは、従五位以上の有力者及びその夫人と特に学術・技量に優れたと認定されたものに限られていた。

昭和21年春になると、正倉院宝物を一般に公開して欲しいという声が高まり、公開展観されることになったのだった。

第1回正倉院展・入場券
出陳御物は、ちょうど奈良帝室博物館収蔵庫に分散疎開中のものから、33点が選定された。
終戦後すぐに、勅封正倉院御物が一般公開されるに至ったのは、奈良博物館に正倉院宝物が分散疎開されていたということの副産物という側面もあるのかもしれない。

「正倉院展」は、終戦後の混乱期にも拘らず、奈良博物館開設以来の盛況で、期間中観覧者14万7千人、入館待ちの人々が大仏殿南大門前に至る長蛇の列をなしたと云う。

      

第1回正倉院展展示・白瑠璃碗                      墨絵菩薩像


この正倉院展が、奈良国立博物館の秋の恒例イベントとして今も絶大な人気の「奈良博・正倉院展」の始まりである。
昨年(2012)、正倉院展は第64回を迎えたが、昭和21年以降、毎年欠かさず開催され、現在に至っている。


ここまでの、正倉院と奈良帝室博物館の宝物保管に関する出来事を時系列で一表にして、この稿のまとめとしたい。







(3)博物館と正倉院の宝物疎開・移送について書かれた本


ここで、二つの帝室博物館と正倉院の戦災対応と疎開移送について採り上げられた本を紹介しておきたい。


「日本の宝物疎開〜東京帝室博物館の苦心」 辻本直男 歴史と人物137号所収 (S57)


これは単行本ではなく、「歴史と人物」という雑誌に掲載された小論だが、太平洋戦争のさなかの博物館の館蔵品の安全保管、疎開移送についてのいきさつや有様が、大変コンパクトにまとめられている。
筆者は、元文化庁の主任文化財調査官。
この文章を読んでみると、東京帝室博物館の館蔵品疎開移送、正倉院の御物宝物・移送保管がどのようになされていくのかが、時間を追って書かれており、大変よくわかる。

私の話も、この小論を骨子にして、綴らせてもらった。


「東京国立博物館百年史 本編・資料編」 東京国立博物館編集発行 (S48)  【799・709P】


題名通りの本で、大著。
東京国立博物館の歴史が、詳細かつ学術的に記されている。
「太平洋戦争と博物館」という項立てが設けられており、20ページにわたって、当時の東京帝室博物館の戦災対策と館蔵品疎開移送について、詳細に述べられている。
但し、本書の性格上、読み物というより、記録資料として淡々と詳細に記述されている。


「奈良国立博物館百年の歩み」 奈良東京国立博物館編集・発行 (H7) 【167P】




「戦時下の奈良帝室博物館」という項が設けられているが、奈良博自体の館蔵品については疎開などが行われていないこともあり、東京帝室博物館館蔵品の受け入れ、正倉院宝物の受け入れ、奈良の仏像の疎開移送などについて、2ページほどに簡単に述べられているにとどまっている。




「近代日本と博物館〜戦争と文化財保護〜」 椎名仙卓著 (H24) 雄山閣刊 【290P】 4410円



まさに題名通りの内容の本。

「博物館施設と防空対策」という章が設けられ、〜研究誌「博物館研究」に紹介された疎開〜という副題が付けられている。

概説的な内容ではあるが、30ページにわたり、東京・奈良帝室博物館の戦争疎開について述べられているほか、京都、大阪地区の宝物疎開についても触れられているのが興味深い。


「博物館の思い出」 東京国立博物館編集発行 (S47) 【377P】


東京国立博物館創立百周年を記念して、博物館に勤務した先人などの「それぞれの思い出」を文集にした私刊本。
上野直昭を筆頭に、研究者、事務職員など88名が、それぞれの時代の博物館の思い出を綴っている。

戦争疎開に関するものとしては、
「正倉院の疎開問題」(園田敬男)
「大東亜戦争と博物館」(河野勝彦)
「戦中戦後」(有本利三郎)
「戦争末期私記」(中村元雄)
「美術品疎開中の思い出」(小島忠二)
「疎開の頃」(藤田進)
「戦中戦後の思い出」(西川新次)
といった、思い出話が載せられている。

現実に、疎開問題に直面した人々が綴った文章だけに、生々しくまた思いの込められたものばかりで、感慨深いものがある。


「正倉院よもやま話」 松島順正著 (H1) 学生社刊 【243P】 1730円


著者・松島順正は、大正14年、帝室博物館に勤務以来、長らく正倉院の研究・管理など一筋で、昭和20年からは正倉院事務所保存課長を務めた仁。

本書には、正倉院にまつわる話が満載されているが、「終戦前後の正倉院」という章が設けられ、約10ページを割いて、当時の宝物移送疎開の経緯や有様が詳述されている。

正倉院宝物の戦争疎開について記されたものでは、これが最も詳しく書かれたものだと思う。


「正倉院展60回のあゆみ」 奈良国立博物館編集発行 (H20) 【284P】



奈良国立博物館での「正倉院展」開催60回を記念して発刊された。

各回のポスター・入場券などの写真や、出品目録、展示作品写真などが掲載された図録。

「昭和21年の正倉院特別展観」(西山厚)という小文が掲載されており、その中で戦後すぐの「正倉院展」開催に至るいきさつや展観の有様などが語られている。




 


       

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