埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百五十八回)

   第二十七話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その4>奈良の仏像写真家たちと、その先駆者

(3-10)


【目次】


はじめに

1.仏像写真の先駆者たち

・横山松三郎と古社寺・仏像写真
・仏像美術写真の始まり〜松崎晋二
・明治の写真家の最重鎮〜小川一眞
・仏像写真の先駆者たちに関する本

2.奈良の仏像写真家たち

(1)精華苑 工藤利三郎

・私の工藤精華についての思い出
・工藤精華・人物伝
・工藤精華についてふれた本

(2)飛鳥園 小川晴暘

・小川晴暘・人物伝
・その後の「飛鳥園」
・小川晴暘と飛鳥園についての本

(3)松岡 光夢

(4)入江泰吉

・入江泰吉・人物伝
・入江泰吉の写真集、著作

(5)佐保山 堯海

(6)鹿鳴荘 永野太造

(7)井上 博道




2.奈良の仏像写真家たち


前段はこれくらいにして、そろそろ本題の奈良在住で活躍した仏像写真家の話に入っていきたい。

奈良に在住した仏像写真家には、精華苑・工藤利三郎、飛鳥園・小川晴暘、松崎光夢、入江泰吉、佐保山堯海、鹿鳴荘・永野大造の名を挙げることができる。

まず最初は、奈良で初めて古美術・仏像写真専門の写真家として活躍した、工藤利三郎の話から始めたい。



(1) 精華苑 工藤利三郎

工藤利三郎は、奈良の地で仏像写真の専門家として、はじめて古美術写真を撮影し営業した人物である。

工藤利三郎を描いた似顔絵(水木要太郎筆)
工藤は自身の写真を一切撮らなかった。工藤
を偲ぶ姿はこの似顔絵しか残されていない。


阿波徳島の人だが、明治26年(1893)、45歳の時奈良に移り、写真師としての仕事を始めている。

工藤精華(利三郎)の名が、今日まで知られているのは、豪華古美術写真集「日本精華」全11輯を発刊したことによる。
明治41年(1908)から大正15年(1926)まで、18年間にわたり個人出版により刊行された、大事業であった。

日本精華に収録されている、奈良の古仏像の写真は、現在では誠に貴重なもので、写真そのものの魅力もさることながら、仏像たちが修理を受ける前の当時のありのままの姿を今に伝える資料としても重要なものになっている。
残されたガラス乾板(1025点)は、2008年、国登録有形文化財に登録された。


【私の工藤精華についての思い出】

私が初めて、「工藤精華」という名前を知ったのは、学生の頃、昭和45年(1970)の頃だった。

「南都逍遥」という安藤更生著の奈良随筆本が出たので買ってみた。
安藤更生の遺作随筆集のような本で、奈良美術研究外史とでもいえる、こぼれ話や思い出話が沢山収録されている。
この中に、「工藤精華」と題する短文が、2ページほど載っていたのだ。
「南都逍遥」所載の工藤精華の項

「登大路の氷室神社の傍らには、奈良の古美術写真の元祖の工藤精華(本名利三郎)という爺さんがいた。 明治40年頃には、猿沢の池の五十二段の下のところに店を持っていたが、酒飲みの奇人だった。」

という文で始まる。

本当に、大酒のみの奇人であったらしく、交友のあった会津八一は

「うちの娘は美人だから、養子の婿になれ」

としつこく進められ閉口した話とか、
世の推移についていけず時代遅れ気味になり、会津が小川晴暘に肩入れするようになると、すねて口も利かなくなったといったエピソードが語られている。

文末は、安藤の追悼文で締めくくられている。

「工藤利三郎氏は・・・・・去る(昭和4年)7月11日逝去した。 氏は実に我が国古美術写真の草分けとも云うべき人で、・・・・・・生来甚だ酒を好み、酔えば眼中怖るるものなく、今日古美術研究にたずさわる者にして、翁の奇矯なる一喝を被らざるはなきほどである。・・・・・・・
晩年はその功業の割には寂しかった。
その主著『日本精華』は業績の精髄にして、名著として知らぬものはない。」


私は、この短文を読んで、工藤精華・利三郎という奇人と呼ばれた「親父」に、何とも言えぬ人間味と親しみを覚え、
どのような生涯を送った人物なのだろうか?
どんな仏像写真を撮影したのだろうか?
興味津々になってきた。

工藤精華について書いた本や、「日本精華」掲載写真が載っている本はないのだろうか?
と思っていると、同じ安藤更生著の「奈良美術研究」(昭和37年刊)という本に「古代彫刻の写真作家たち」という短編が載せられているのを見つけた。

そこに、工藤精華撮影の仏像写真が2枚掲載されていたのだ。
ただ正面から撮影したという感じで、仏像写真の美しさという魅力はあまり感じなかったが、「貴重な古写真なのだろう。日本精華という写真集を、一度は見てみたいもの」との興味が高まってきた。


「奈良美術研究」所載の「日本精華」掲載写真


ほかには、工藤精華のこと採り上げた本はないのだろうか?
ところが、今や「忘れられた人物」なのか、どんな本にも書かれていなくて、なかなか見当たらない。

その後、古本屋で、高田十郎著「奈良百題」(昭和18年刊)という本をたまたま見つけ、そこに工藤精華のことが紹介されているのを見つけ、早速買ってみた。
「古美術写真草分けの翁」と題する小文で、工藤精華の生い立ちと人柄、行状などが、簡単ではあるが、面白可笑しく描かれている。

「奈良百題」所載
「古美術写真の草分けの翁」の項

やはり、
生来の世渡り下手で酒好き、へそ曲がりだが気のいい爺さん、立派な古美術写真集出版という大事業を成したのだが、貧乏で寂しく没した、
という話が語られていた。

「日本精華」については、このように記されている。

「明治41年から、其写真(撮り貯めた仏像古美術写真)の出版を思い立ち、『日本精華』と題して、大版コロタイプい一輯百枚づつ、毎輯飛鳥時代乃至江戸時代を取り合わせ、初めは定価十円づつ、後々は体裁も少々かえ、物価一般の騰貴につれて、二十五円から三十五円ぐらいまであげていたと記憶する。 精華の号もこれに因んだものであった。」


それからは、工藤精華の写真に巡り合うこともなく、「日本精華」のことも段々と記憶から薄れてしまっていた。


長らく年数が経ち、平成5〜6年の頃であったと思う。
奈良市写真美術館で「工藤精華の古美術写真展」が開催されるというニュースを見つけた。
奈良市写真美術館

積年の念願と、喜び勇んで、新薬師寺の傍ら高畑にある奈良市写真美術館を訪ねた。

会場には、工藤撮影の仏像写真の数々が、大判に引き伸ばされて、大量に展示されていた。
そこには、手がいくつも欠けた興福寺阿修羅像の写真など、修理が施される前の仏像の姿の写真が並べられていた。
写真そのものは、芸術性を追求した美しい写真というものではない。
仏像写真は、像全体を写した正面写真ばかりであった。
克明には撮れているが、クローズアップなどという写真はなく、主観的解釈を極力排除した、記録性、資料性重視というような写真だ。
現代人の眼からすると、ちょっと「古くさい写真」という感じがする。
同時代の、小川一真の写真のような芸術性、美的感性を主張するようなものはない。

      
興福寺 阿修羅像                  中宮寺 弥勒像


     
戒壇院 持国天像                  新薬師寺 香薬師像

しかし、これらの写真を眺めていると、明治年間中頃から、奈良の古美術写真に生涯をかけ撮影し続けた工藤精華の、執着心、執念のようなものを、ジーンと肌に感じる思いがしたのを覚えている。
へそ曲がりで、頑固で一本気の親父が、時流の変化にかかわりなく、工藤流の仏像の撮り方に頑なにこだわって撮り続けた仏像写真、そんな気がした。

私は、工藤精華という人物を知ってから30年を経て、やっとのことで、その撮影写真に対面することが出来たのであった。


この工藤精華写真展は、工藤が遺した写真ガラス乾板1025点が、奈良市写真美術館に収蔵されることになったことから開催されたものであった。
昭和42年(1967)に、これらのガラス乾板と紙焼数万枚が、奈良市教育委員会に遺族から寄贈され、十数年をかけてフィルム化などの整理保存作業が行われたとのことだ。


展覧会会場には、参考資料として豪華本「酔夢現影〜工藤利三郎写真集」が置かれていた。

「日本精華」掲載の工藤の古美術写真が満載された、176ページに及ぶ立派な装丁の大判本。
開いてみると、この本の刊行経緯が書かれていた。
奈良市では、工藤の写真資料の整理保存を機に、工藤利三郎の遺作の復元出版が企画され、平成2年(1990)「写真が語る近代奈良の歴史研究会」が発足、平成4年に「酔夢現影〜工藤利三郎写真集」が刊行されたと、記されていた。

この本は、「是非とも入手せねば」と意気込んだが、非売品。
奈良市教育委員会では、一般には一切頒布はしていないということで、残念ながら入手できなかった。
この本「酔夢現影」を、古書店から入手できたのは、それから数年後の事であった。

  
奈良市教育委員会刊「酔夢現影」


工藤利三郎という人物と業績の再発掘という意味では、この「酔夢現影」の出版と、「工藤利三郎古美術写真展」の開催が寄与するところもあったのだろう。
その後奈良市写真美術館では、たまにではあるが工藤利三郎の写真展示が行われるようになったし、2006年には、工藤の評伝「明治の国宝を写した男・工藤利三郎」(中田義明著)という単行本も出版され、工藤の生い立ちとその業績や人柄などを、詳しく知ることができるようになった。


写真展を観て以来、「日本精華」という写真集そのものを何とか入手できないものだろうかと、古書店で探すようになった。

ところがこの本、古書店主も「見かけたことがない」という話ばかり。
古書目録や古書展で見かけることがあったら何とか入手と気にかけ、十数年かけて、1冊、2冊と集めて、やっとのことで現在6冊を手元にすることが出来た。

11輯全部を揃えることができるようになるのは何時の事だろうか?
まず無理だろうと、あきらめ気分という処。




 


 
所蔵「日本精華」6冊とその内容



 


       

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