埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百五十七回)

   第二十七話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その4>奈良の仏像写真家たちと、その先駆者

(2-10)


【目次】


はじめに

1.仏像写真の先駆者たち

・横山松三郎と古社寺・仏像写真
・仏像美術写真の始まり〜松崎晋二
・明治の写真家の最重鎮〜小川一眞
・仏像写真の先駆者たちに関する本

2.奈良の仏像写真家たち

(1)精華苑 工藤利三郎

・私の工藤精華についての思い出
・工藤精華・人物伝
・工藤精華についてふれた本

(2)飛鳥園 小川晴暘

・小川晴暘・人物伝
・その後の「飛鳥園」
・小川晴暘と飛鳥園についての本

(3)松岡 光夢

(4)入江泰吉

・入江泰吉・人物伝
・入江泰吉の写真集、著作

(5)佐保山 堯海

(6)鹿鳴荘 永野太造

(7)井上 博道




(3)明治の写真家の最重鎮〜小川一眞


興福寺北円堂「無着像」の写真。

小川一眞 興福寺北円堂・無着像

小川一眞(おがわかずまさ)の仏像写真と云えば、「国華」創刊號(明治22年10月)に掲載されたこの写真が、まず採り上げられ、語られる。
明治21年(1888)、岡倉天心等が行った「近畿地方古社寺宝物調査」の時に撮影した写真だ。

上半身斜め上からのクローズアップ写真で、大変美しく撮られている。
これこそ、「美術写真」としての仏像写真を強く意識されて撮影された写真であろう。
現代の仏像写真と云っても、何とか通用する写真と云っても良いと思う。

この写真を見ていると、仏像を彫刻作品として如何に美しく見せるかを、撮影者・小川一眞の主観的な美意識によって、アングルやライティング、空間などに工夫を凝らして撮影している。

小川一眞 東大寺三月堂・月光菩薩

もう一枚、小川の仏像写真の美しさを際立たせた写真と云えば、東大寺三月堂の月光菩薩の写真だろう。


フランス・パリで出版された「Historie de l’Art du Japan」に掲載された写真だ。
暗がりの中から浮かび上がるライティングで、単なる被写体の記録といった世界を超えた、一枚の写真としての強い魅力を感じさせる。

被写体を見るための媒介にすぎなかったはずの(仏像)写真が、日本の美術の素晴らしさを体現する新たな美術品となっているのである。


また、小川一眞は自らの撮影写真を、当時の新技術であるコロタイプ印刷で写真複製をした。
コロタイプ印刷は、手間ヒマはかかるが、連続階調によるなめらかで深みのある質感が表現され、耐久性が強いのが特徴。

小川の独自のアングル・ライティングの写真は、このコロタイプ印刷と相まって、「小川調」と呼ばれ、この「視点」がその後の古美術の見方の定番を築いたのではないかといわれている。
言い換えれば、古美術の見方が、写真を見ることによって形成され、それが美術品を鑑賞する人々の視点になったといえる。

そうした意味で、小川一眞の仏像写真が、仏像という美術作品を見る眼を形づくっていったともいえ、またその後の写真家たちの仏像写真撮影に多大な影響を与えた。
その意義と功績は、本当に大きいものがあるだろう。



小川が仏像写真を撮影したのは、どのようないきさつからであったのだろうか?

明治21年(1888)年、政府による本格的な古社寺宝物調査、「近畿地方古社寺宝物調査」が実施される。
九鬼隆一、岡倉天心、フェノロサらが参加し、7か月間かけて、6万1千点以上の古器物を実見、調査するという、大々的宝物調査であった。 この古社寺宝物調査の記録撮影者に任命され、調査に随行したのが、写真師・小川一眞であった。

現在、小川が撮影した仏像写真として知られる数多くの古写真のほとんどすべてが、この「近畿地方古社寺宝物調査」の時に撮影されたものだ。

小川は、古美術写真や仏像写真の専門家ではなく、多方面な分野にマルチな写真家として活躍した人物であった。
奈良・京都の仏像写真については、多分この時にしか撮っていないのではないかと思われる。
この時撮影された古美術品の写真は、膨大な数にのぼるものであったらしく、現在、その多くが東京国立博物館に所蔵されている。
東博・古写真データベースで閲覧できる小川一眞の古美術写真だけでも、なんと約3900枚に及んでいる。


小川は、当時の日本でまだほとんど普及していなかった新技術、乾板を使用して撮影した。
それまでは湿板写真術を用いていたので、湿っているうちに撮影し、すぐに現像する必要があった。
乾板は、感度が高いだけでなく、長時間の貯蔵が可能であったので、すぐ現像する必要がなく、大量の撮影も可能となったと思われる。


小川の撮影した仏像写真の画像は、大きく2種類に分けらる。

ひとつは、資料写真、記録写真として、正面全身像や側面・背面を撮影した写真である。

    


       
小川一眞の資料的写真(正面・側面写真) 上段:夢殿・救世観音、下段:法華寺・十一面観音


もう一つは、いわゆる「小川調」の、美術写真、芸術写真とでもいうものである。
上半身のクローズアップや、斜めからのアングルで、ライティング、空間などにも工夫を加え、仏像を美しく撮ることを、強く意識した写真だ。


小川一眞の美術的写真  東大寺三月堂・月光菩薩

       
新薬師寺・十二神将                  薬師寺東院堂・聖観音


小川は仏像の撮影にあたって、政府の調査資料として記録写真撮影の職責を果たすことと、彫刻作品としての仏像の美を引き出す写真を撮り、写真家としてのオリジナリティを出すことに、共に取組んでいる。

岡倉天心やフェノロサが、仏像を美術作品として高く評価し、「古器古物を観る眼」ではなく「美術を見る眼」で、この古社寺調査に臨んでいたことも、小川に記録写真だけでなく、このような美術写真を撮らせる大きな力になったに違いなかろう。


小川一眞が撮影した古美術写真は、「国華」、「真美大観」、「Historie de l’Art du Japan」に掲載される。

「国華」は明治22年(1889)創刊、御存じのとおり現在も発刊中で、日本を代表する美術研究誌。
「真美大観」は、明治22年から20冊刊行された、日本美術全集。
「Historie de l’Art du Japan」は、明治33年(1900)パリ万博に出品された、日本美術史本。

いずれも、明治期を代表すると云って良い,当時の最高レベルの高価で贅沢な美術出版物であった。
コロタイプ写真印刷も、小川が請け負っている。

    
国華 創刊号                  真美大観


この3冊に掲載の仏像写真を見てみよう。

日本美術全集という内容の「真美大観」には、記録・資料写真としての全身正面写真や側面写真が掲載されている。

一方で、大いに注目すべきは、「国華」、「Historie de l’Art du Japan」に掲載された写真だ。

いずれも、小川が極めて主観的に撮影した、美しい美術写真、芸術写真ばかりが用いられている。
無着像、三月堂月光菩薩像の写真などは、その典型と云える。

このような美術写真が選ばれたのは、国華の編集主幹であった岡倉天心の意向も及んでいると思われる。
そして「小川調」と呼ばれる写真の視点、美的感覚が、その後の日本の古美術の規範的な見方を形成していくことになったのではないだろうか。

現代に至る「美しい仏像写真」の原点が小川一眞の仏像写真にある、といっても過言ではないのであろう。



最後に、明治期の写真界の最重鎮、大家となった小川一真の経歴を、簡単にふりかえっておこう。


小川一眞は、万延元年(1860)、忍旛(現在の埼玉県行田市)に生まれている。

熊谷の写真館で写真術を学んだあと、志を抱き明治15年(1882)に渡米する。
渡米時の小川一眞(右端)

船員扱いとして米国船に乗船し、何とか渡米したと云う。
米国で写真印刷術や、写真乾板製造法などを学び明治17年(1884年)帰国。

明治18年に「玉潤館」という営業写真館を東京麹町に開設する。
明治21年(1888)に、近畿地方古社寺宝物調査の撮影を委嘱される。
この時28歳。

翌年、日本で初めてのコロタイプ写真製版印刷を開始すると共に、乾板の国産化をめざして築地乾板製造所を設立。
また、日露戦争開戦に伴い、戦地写真の製版・印刷・発行の業務を嘱託されたりもした。

明治43年(1910年)には帝室技芸員、大正10年(1921)には従六位を叙位されている。
写真家としては、大変な栄達である。
小川一眞の写真界、写真印刷界に果たした功績の大きさを物語っていると云えよう。

昭和4年(1929)、70歳で没した。



(4)仏像写真の先駆者たちに関する本


ここで、明治の仏像写真の先駆者たち、横山松三郎、松崎晋二、小川一眞について取り上げた本と紹介したい。


「写された国宝」(H12)東京都写真美術館企画監修 【173P】

平成12年(2000)、東京都写真美術館で開催された展覧会の図録。


この展覧会は、明治初年の横山松三郎から現代に至るまでの代表的仏像写真作家達を時系列で振り返る画期的な写真展であった。
誠に興味深い展覧会で、なんとしても観に行かねばと出かけたが、期待に違わぬ充実した展覧会であった。

この稿に登場する写真作家たちの写真は皆展示されており、それぞれの作家たちの特色や魅力を堪能することができた。
本図録には、「写された国宝〜日本における文化財写真の系譜」(岡崎章子)と題する、充実した解説・論考が載せられている。
明治初期からの文化財写真の歴史とその系譜を知るには必携の必読本。


「月刊文化財517号〜特集・写真と文化財」 文化庁文化財部監修 (H18) 第一法規刊 【50P】 734円

本号は、丸々一冊「写真と文化財」という特集テーマだけで、編集されたもので、文化財写真、仏像写真の歴史と現在に関心のある者には、大変ありがたい興味深い本。


12のテーマについて、それぞれの執筆者が論じているが、次の2テーマの論考により、明治期の先駆者たちの業績を判りやすく知ることができる。

*「壬申検査と写真」(佐々木利和):
壬申検査の記録写真を撮影した、横山松三郎とその支援者・蜷川式胤について述べられている。
*「小川一眞の近畿宝物調査写真〜日本美術のへの視点をつくった写真」(岡崎章子):
副題にもみられるように、小川一眞の業績と、その美術写真が果たした日本美術への視点への意義が述べられ、大変興味深い。


「横山松三郎〜140年前の江戸城を撮った男」 岡塚章子編 (H23) 東京都江戸東京博物館刊 【74P】


明治の写真師、横山松三郎をテーマとした、珍しい展覧会の図録。

壬申検査の古器古物写真だけではなく、横山松三郎が撮影した多方面の古写真や、横山の写真油絵、使用した写真器などの珍しい写真が、豊富に掲載されている。
眺めているだけでも、愉しく興味深い。
「近代の視覚と技術の探究者・横山松三郎」(岡塚章子)と題する、詳しい業績解説も所収。


「中橋和泉町・松崎晋二写真場」 森田峰子著 (H14) 朝日新聞社刊 【293P】  2500円


忘れられた写真師、松崎晋二について採り上げられた唯一の本だと思う。
「お雇い写真師、戦争・探偵・博覧会をゆく」という副題が付けられている。

知られていない松崎の足跡を丁寧に追いかけた、充実した本。
日本の写真師の夜明けの頃、忽然と現れまた姿を消してしまう写真師・松崎の軌跡をたどる評伝として、面白く読める本。
松崎の「美術写真、仏像写真」という観点で綴られた処はないが、内国勧業博覧会や観古美術会の展示写真を撮影販売したことなどが語られている。


「写真界の先覚 小川一眞の生涯」 小澤清著 (H6) 近代文芸社刊 【208P】 1800円



小川一眞の評伝書。

評伝単行本は、この本だけであろう。

小川の生いたちから晩年にいたるまで、その人生と功績が丁寧に追いかけられている。
年表付き。


「百年前にみた日本〜小川一眞と幕末・明治の写真」 (H12) 行田市郷土博物館刊 



小川一眞の郷土である、埼玉県行田市の行田市郷土博物館が、開催した企画展の図録解説書。


詳細な年表の他に、小川が自ら語った回顧談「小川一眞翁経歴談」が、18ページにわたり掲載されている。

平易な語り口で自らの人生と、仕事を振り返った談話は興味深く、小川の生涯を知るには最適。



 


       

inserted by FC2 system