埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百二十三回)
第二十話 仏像を科学する本、技法についての本
〈その5〉 仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編〜
【20−10】
(2) 鉈彫り
私が鉈彫りの仏像を始めて観たのは、昭和46年秋のこと。
東京国立博物館で開催された「平安彫刻展」で、日向薬師、宝城坊薬師三尊像をみたときであった。
顔だけは、つるりとなめらかに仕上げられているが、至るところに鑿の痕が鮮明に残っていて、縞目が入っているように見える。
両脇侍などは、全身横縞目そのものだ。
素木で荒彫り、見た目もアンバランスで決して彫技や造形が優れているとは思わない。
しかし、像から発する一種不可思議な魅力というか、磁力のようなものを感じた。
きっと、この像はお堂の中の厨子に祀られたところで拝すると、もっともっと強くあやしく惹きつける魔力を発するに違いないと感じた。
程なく、神奈川・弘明寺十一面観音像、岩手・天台寺聖観音像、藤里毘沙門堂毘沙門天像などを、立て続けに拝することが出来た。
「鉈彫りというものは、ゴツゴツして荒っぽい仕上げの粗野な造形なのだが、不可思議な霊力とかオーラのようなものを発して惹きつける仏像だな」
と、ますます感じたことを覚えている。
【弘明寺十一面観音像】【天台寺聖観音立像】【藤里毘沙門堂毘沙門天立像】 久野健は、
「鉈彫りの仏像には不思議な魔力がある。ひとたび鉈彫りに魅惑された人は、熱病にでもかかったように、次から次に鉈彫りを見て回らないことには、おさまら
ないようになる。
ただ漠然と仏像が好きな人々でも、この鉈彫りに魅入られると、こぎれいに仕上げをした仏像はいっこう面白くなくなり、ゴツゴツと鑿目を残した鉈彫りだけを
見てまわるようになる。」
と、その魅力を語っている。
この不思議な魅力の鉈彫り仏、10〜12Cに造られた像が最も多いと考えられている。
そして、佛教彫刻史の世界では、次のようなテーマのが、「鉈彫りの謎」として従来から議論されてきた。
*鉈彫りの仏像は、未完成の仏像なのか、完成品なのか?
*完成仏だとすれば、こんな鑿目を残した鉈彫りが、何故作られたのだろうか?
*鉈彫りが、東日本に集中的に残されているのは、何故なのだろうか?
鉈彫り像が未完成像であるといわれるのは、その姿が、木彫像の製作過程である、「荒彫」「小作り」の段階そのものであるからだ。
木彫像を造るには、まず造る像の大きさに適した材を切り出し(木取り)、大体の形を墨書きしながら、大まかに彫り出す(荒彫)。次に徐々に鑿を小さくし
ていき、細かい部分まで造り出す(小作り)。最後に、像の表面を平滑に仕上げる(仕上げ)。これに彩色や金箔を施して表面の仕上げをするのである。
当時の「完成・未完成論争」を、「未完成論:A氏」と「完成論:B氏」とが議論していたとすると、きっとこんな感じのやり取りになったのではないだろう
か。
勝手に仮想再現してみた。
A氏:「鉈彫り像といわれる仏像は、製作途中のものが未完成のまま残されたものに決まっているじゃないですか。
仏像彫刻の制作関係者であれば、ちょっと見ただけで、日向薬師にしても弘明寺観音にしても、小作りの段階で止めたものだということは、すぐにわかります
よ。」
B氏:「ちょっと待ってください。弘明寺観音が未完成だとすると、あの鑿目の稜(かど)を仕上げの段階で取り除いてしまったら、きわめて細身のスリムに
なってしまい、どう見ても痩せ過ぎのおかしな像になってしまうと思いますよ。
それに弘明寺観音や天台寺観音は、背面も平らに仕上げているじゃないですか。この程度に全面平らに仕上げてから後に、意識的に横縞目を丸鑿でつけたこと
は明らかですよ。」
【弘明寺十一面観音立像】側面 【天台寺聖観音・弘明寺十一面観音両像の背面】 A氏:「それは、小作りで全面が縞目で覆われる仏像を見たことがないからだよ。
そもそも、仏像は荘厳を加え、開眼してこそ完成とするものだ。鑿痕が残り、彩色も無く、書き立ての墨書きも残っている仏像は、宗教的理由からも未完成と
見るべきだよ。
|
【日向薬師・顔面の髭の墨書き】 |
現実には、仏師が制作途上、何らかの事情で現場を去らねばならぬことは十分想像できるし、文献にも例がある。辺鄙なところでは、未完成のまま安置せざる
を得なかったという事情も間々生じたのじゃないのかな。」
B氏:「確かに、未完成品の鉈彫り(風)像もあったのかもしれないけれど、多くの鉈彫り像は、完成品というはっきりした意識で造られたと考えざるを得な
いのじゃないでしょうか?
墨書きの瓔珞、髯などの線は、書立彫の線だといわれるけれども、日輪寺十一面観音の旨に書かれた瓔珞の墨書きなどは、とてもこれを、あたりの線として
彫っていけるほど肉は残っていないじゃないですか。
意識的な横縞目もそうだけれど、胸の瓔珞の墨書きも、素朴ながら像の一荘厳として整えられ、これをもって完成とされたものに違いないですよ。
武士が勃興してきたような東国では、このような荒々しく粗野な中にも精神性のある鉈彫り表現が、意識的に好まれたということなのじゃないでしょうか。」
A氏:「確かに東国を中心に、鉈彫りといわれる未完成像が多く残されているのは事実だが、これは仏像を造るのには大変な金がかかることと関係しているの
だよ。
豊かであった奈良や京都の寺には、鉈彫りなんか一体も残されていないじゃないか。
経済的に恵まれない地方であればこそ、荒彫りとか小作り段階で中止せざるを得なかったこともありうることだよ。」
B氏:「そうはおっしゃいますが、関東・東北の鉈彫り像の用材をみると、カツラ等の硬材を使ったものばかりですよ。
単純に制作途上の未完成像だというのなら、ヒノキやカヤなどの針葉樹材の仏像も沢山あるのに、鉈彫りだけはカツラが多い、というのも変じゃないですか。
カツラは逆目がたたず、丸鑿を使いやすい像だといいます。仏師は、鉈彫り像を造ることを予想して、材を選択したのだと考えるほうが、自然じゃないのでしょ
うか。」
こうしたやり取りを聞いていたとしたら、皆さんは鉈彫り像を、完成像、未完成像、どちらであろうと考えられたであろうか。
現在では、鉈彫り像を制作途上で中止された像と考えることは無く、木彫仏の意識的造像表現の一形式として「鉈彫り像」が、位置づけられている。
完成像説の勝利ということかというと、全面勝利ということでもないのだろう。
その意味は、完成像か未完成像かという、黒白をつけるような単純な議論ではなく、鉈彫り像という造像表現の宗教的意図をどのように考え捉えるかといった
議論に展開してきているということだと思う。
しつこくなるが、「鉈彫り像の位置づけ」を論じている、いくつかの考え方を紹介したい。
それぞれ、なかなか興味深い考え方だ。
完成論説を展開した久野健は、このように論じている。
鉈彫り像は、藤原時代から鎌倉時代にかけて、東国一体に流行した一様式と考えるのが自然である。
平安初期純粋木彫は、天平時代からの民間の造仏の流れを汲むものがあるが、こうしたノミ痕を残すような素木像系の木彫様式が、遊行の僧や仏師などにより
東国に伝えられ、東国人の荒々しい気性から、いっそう鑿痕が誇張されて鉈彫り像は生まれたものだと考えられる。(鉈彫り)
中野忠明は、鉈彫り仏を山岳神祇信仰の系譜にある仏像と捉え、このように記している。
ナタボリ仏は、特定の信仰によって造られた像である。
往古の神木崇拝は、神が山岳の霊木に降臨される依り代であったが、神仏習合によって、神木は神の本地仏が宿っておられる立ち木仏に転化した。一方、山の
神を現す山岳形の神像は荒彫り系の簡素式彫像で、荒彫り仏と同じ造像概念に基づいている。
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【鉈彫の横縞目<弘明寺十一面観音像>】 |
簡素式神像や荒彫り仏と同じ信仰、同じ概念によって造られたナタボリ仏は、立ち木仏の一変形であって、神や仏が神木に宿っておられるお姿を現したのでは
なかろうか。丸鑿の縞目を殊更に誇示する技法は、それが生まの樹木であることを表示するものではないか。鑿痕や縞目は、生まの木肌を表現する手法であっ
て、神木に神仏が宿っておられるお姿を現していると思う。
クスノキやスギの巨木を見上げると、巨木の表皮が縞目のような様相を呈している壮観に目を奪われる。これを仏像に刻み、しかもその樹相を如実に表現した
ならば、如何に神秘な霊性を顕すことであろう。
これこそナタボリ仏の本質を語るものと感じた。(日本彫刻史論〜山岳神祇信仰の仏像)
霊木化現仏という造仏概念を主張する井上正の場合は、こうだ。
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【弘明寺十一面観音像】 |
等身大以上の仏像を一木から彫成する場合、料材は霊木であった。
通常の仏像は、完好な形を表現することが要求されるが、霊木からそこに宿る仏の姿を彫り出すには、朧ろな形象から始まって全容を現す過程を何らかの形で
捉えることが要求された。
それは、完成を目前にした未完成のかたちを持って、完成とすることにあった。
化現仏の表現の一つの定めとして、表現のかたちが絞られていったのが鉈彫り像だと思う。
従来完成・未完成の両説があった鉈彫り像論争も、化現仏の一表現として「未完」の完成を意図したものとして捉えれば、両説はいっそうその距離を縮めるこ
とになろう。(古密教系彫像研究序説)
H18開催された「一木彫展 仏像〜一木にこめられた祈り〜」の図録解説は、霊木化現の考え方をベースに、次のように記している。
| 【西住寺宝誌和尚立像】 |
平安時代の10世紀から鎌倉時代前半にかけて、表面に鑿目を留める不思議な一木彫が出現する。 鉈彫りは「小作り」の段階を意識した表現で、荒彫りからノミを一刀施すごとに、次第に木から仏像が姿を顕す過程が意識されている。
鉈彫りはこのプロセスを意識し、仏像出現の演出効果を狙ったのであろう。
また鉈彫りは、仏像だけでなく神像彫刻にも例があること、京都西住寺の宝誌和尚立像のように、和尚の顔を破って観音が出現するという特異な姿の化現像に
も見られることが注目される。
最後に、田中恵の鉈彫り論を紹介しておこう。
| 【射水神社男神坐像】 |
東国の鉈彫り像を見るときに感じる意志の強さや仏教像に感じにくいアクの強い霊性は、神と仏の間にある相違を感じ、それを表現しようとした作者とそれを
支持した拝む人のあいだで生まれたものであろう。
強さを神に求めた東国の風土が、鉈彫りを特に好んだとすることもできよう。
ここに、鑿痕を残す仕上げ方法は、既に完成未完成の領域を超えて、それが「単なる仏像ではないこと」を示すシンボルとなったことが理解できるのである。
その意味では、現世の利益を表現するために日本で生まれた新しい方法として平安時代の鉈彫りを重視せねばならない。
(鉈彫り・荒彫り〜日本の仏像の意味をめぐって)
ずいぶん長く、鉈彫りについて書いてしまった。
鉈彫りという仏像は、何なのだろうか?
仏像彫刻史の中で、どのように位置づけ、理解したらよいのだろうか?
考えれば考えるほどに、鉈彫り出現の謎や表現形式の特異性、内在する精神性や宗教的意味のようなものに、深入りしてしまいそうだ。
それほどに、興味深く惹きつけるものがある。
そこには、霊木信仰、霊木化現、ノミ目への美意識、東国の風土性など、諸々の要素が絡み合っているようで、それがまた特異で不可思議な魅力や磁力を発す
るのであろう。
ついついしつこくこだわって、くどくなってしまったが、最後に、鉈彫りをテーマにした本を2冊、紹介しておきたい。
「鉈彫」 久野健著・田枝幹宏写真 (S51) 六興出版刊 【185P】 38000円
鉈彫りについての本格的研究書、写真集として、初めて出された豪華本。
東国の19ヶ寺の鉈彫り像のグラビア写真図版が豊富に掲載されている。
久野健の鉈彫り研究論考が、100頁にわたり収録されており、鉈彫り完成・未完成論や、久野健の完成論、年代考証などが綿密に論じられている。
久野健著「仏像」(S36学生社刊)には、この論考を一般読者向けにやさしく語った「ナタ彫りの話」が収録されている。こちらの方が、気楽に読みやす
く、久野の考えが良く判る。
「鉈彫 荒彫」藤森武写真集 田中恵:本文 (H13) 玉川大学出版部刊 【153P】 16000円
鉈彫りに惚れた写真家、藤森武が、日本全国の鉈彫りを網羅して撮影した写真集。
土門拳の直弟子、藤森の写真らしく、魅力的で迫力にあふれた鉈彫り写真が私たちを惹きつける。
東国に限らず、新たに見出された像も含めて、全国40ヶ寺の鉈彫り像の写真が収録されている。
田中恵の「鉈彫り・荒彫り〜日本の仏像の意味をめぐって」という論考が収録されている。
5.おわりに
延々と書き綴ってきた、木彫仏の用材と技法の話。
ようやく終えることができるようになったが、つくづく「木彫仏の世界」は、奥が深い。
単に、用材のバリエーションや構造技法が、時代とともに変化、進化していくことを知ることが、知識として興味深いといったものではなく、
そこに流れる宗教的な観念と造形表現上の特質とが、密接、複雑に絡み合ってきているという奥深さを、つくづく思い知らされる。
わが国の木彫仏の造形精神には、「太古からの民衆の霊木への信仰」という意識が、通奏低音のように、脈々と流れている。
神への信仰、神が依り憑き給う神木に、異国の神の信仰である仏が依り憑く。
「神の依代」としての、巨樹や霹靂木(へきれきぼく)を、仏像を彫り出す用材に用いる、そのことが仏像表現の宗教性、精神性を高めることに繋がってい
る。
いつの時代の仏像も、このことが脈々とベースとして受け継がれつつ、それぞれの時代の感性が求める宗教表現に合致するような造形が、いろいろな用材、技
法で表現されてきた。
そのように、感じるのである。
造形表現についてみれば、
飛鳥白鳳時代は金属的な硬質表現を、
奈良後期〜平安前期は緻密な塊量感ある表現を、
平安後期には柔軟、軽快な優美表現を、
それぞれに求められた。
そして、その表現に相応しき用材として、クスノキ、カヤ、ヒノキが代表格に選ばれた。
構造技法も、一木造りにこだわらぬ時代、純粋一木彫へのこだわりの時代、寄木造りによる技巧化の時代、へと展開する。
わが国の古代木彫史が、こんなに単純、単線なものでないことは、言わずもがなではあるが、
そのような考え方を基軸に、時代時代のさまざまな木彫仏の表現や、技法の変化、バリエーションに思いをめぐらせていくと、なんとも深淵で興味深く、魅力
的な「木彫仏の世界」が、そこに在る。
ますます、惹き込まれて行くような思いに駆られるのである。
了
参 考
第
二十二話 仏像を科学する技法についての本
〈その5〉仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編(続編)〜
〜関連本リスト〜
書名
|
著者名
|
出版社
|
発行年
|
定価(円)
|
一木造と寄木造(日本の美術202号) |
西川杏太郎 |
至文堂 |
S58 |
1300 |
南都の匠 仏像再見 |
辻本干也・青山茂 |
徳間書房 |
S54 |
3500 |
仏像の秘密を読む |
山崎隆之 |
東方出版 |
H19 |
1800 |
佛像彫刻 |
明珍恒夫 |
大八州出版 |
S11 |
85 |
仏像の再発見・鑑定への道〜 |
西村公朝 |
吉川弘文館 |
S51 |
4800 |
仏像彫刻技法〜造像法・木割法・寄木法・一木法〜 |
太田古朴 |
綜芸社 |
S48 |
3000 |
日本美術院彫刻等修理記録T〜Z(図解編解説編計14冊) |
|
奈良国立文化財研究所 |
S50〜55 |
|
日本彫刻史基礎資料集成 平安時代(造像銘記編8巻・重要作品篇5巻) |
|
中央公論美術出版 |
S41〜H9 |
126000 |
日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代(造像銘記編既刊7巻) |
|
中央公論美術出版 |
出版継続中 |
|
仁王像大修理 |
東大寺南大門仁王尊像修理委員会編 |
朝日新聞社 |
H9 |
3000 |
日本仏教彫刻史の研究 「寄木造りの形成」所収 |
毛利久 |
法蔵館 |
S45 |
5500 |
日本彫刻史論〜様式の史的展開 「寄木造り彫刻の性質」所収 |
中野忠明 |
木耳社 |
S53 |
1600 |
日本仏像彫刻史の研究 「寄木造りについて」所収 |
久野健 |
吉川弘文館 |
S59 |
20000 |
平安彫刻史の研究 「寄木造りと藤原様式」所収 |
清水善三 |
中央公論美術出版 |
H8 |
30900 |
木の文化と科学 「日本の木彫像の造像技法(―木割矧造りと寄木造りを中心に)根立研介 |
伊藤隆夫編 |
海青社 |
H20 |
1800 |
東京国立博物館紀要 第24号 「古代木彫史論序説(田中義恭)」所収 |
|
東京国立博物館 |
H1 |
|
檀像(日本の美術253号) |
井上正 |
至文堂 |
S62 |
1800 |
論叢仏教美術史 「古密教系彫像研究序説〜檀像を中心に〜(井上正)」所収 |
町田甲一古希記念会編 |
吉川弘文館 |
S61 |
9800 |
特別展 檀像 〜白檀仏から日本の木彫仏へ〜 |
奈良国立博物館編 |
|
H3 |
|
日本仏教彫刻史の研究 「平安時代の檀像について(毛利久)」所収 |
|
法蔵館 |
S45 |
5500 |
平安初期彫刻史の研究 「檀像様彫刻の系譜」所収 |
|
吉川弘文館 |
S49 |
43000 |
鉈彫 |
久野健・田枝幹宏 |
六興出版 |
S51 |
38000 |
鉈彫・荒彫 |
藤森武・田中恵 |
玉川大学出版部 |
H13 |
16000 |
|