埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百十七回)

  第二十二話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その5〉  仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編(続編)〜


 【22−3】木彫技法の展開


 木彫は、飛鳥時代から今日現在に至るまで、仏像の素材の主流として、脈々と生き続けている。
 その技法や内部構造などは、時代の変遷とともに変化し、発展を続けてきた。
時代の変遷と木彫技法の展開を追って話を進めて行きたいところだが、これを網羅的に語るのは、あまりに骨が折れ、また私には荷が重い。
 ここでは、飛鳥時代から鎌倉時代に至るなかでの、木彫技法や内部構造などについて、日ごろから私の関心、興味のある問題や疑問などにテーマを絞って、ダイジェスト的に採り上げて見たい。



(1)飛鳥・白鳳時代の木彫仏


【金銅仏を写したような金属質な木彫仏】

 飛鳥白鳳時代は、何といっても「金銅仏の時代」というイメージであるが、木彫仏像もいくつかが残されている。
 しかし飛鳥時代の木彫仏を観ていると、木彫の特質を活かした仏像の表現という感じはしない。金銅仏の表現を、木彫で表現しようとしているように感じる。
 用材も金属的質感の出るクスノキという硬質材を用いている。(広隆寺弥勒菩薩だけはアカマツ)

 現存する飛鳥白鳳木彫といわれるものは、次のとおりだ。

飛鳥白鳳期の木彫作品一覧

法隆寺夢殿救世観音像法輪寺薬師如来像
法隆寺百済観音像法輪寺伝虚空蔵菩薩像
法隆寺金堂四天王像中宮寺弥勒半跏像
法隆寺金堂天蓋付属飛天坐像広隆寺弥勒半跏像
法隆寺宝蔵六観音像法隆寺献納伎楽面 17面

 このなかでも、法隆寺救世観音像は、最も金銅仏のような印象を受ける表現だ。

 
【法隆寺夢殿救世観音立像】クスノキで造られ、金銅仏の硬質感を感じさせる


 また、広隆寺弥勒像、中宮寺弥勒像は像底から見ると、ともに深くて丁寧な内刳りが施されており、「金銅仏の中型を見るような趣がある」という専門家もいる。

  
        【広隆寺宝冠菩薩半跏像】          【中宮寺菩薩半跏像】    【御物金銅仏菩薩半跏像】
   下:像底からみた写真                       下:像底からみた写真         下:像底からみた写真

  

 中宮寺弥勒像などは、

「鋳造仏を造る為につくられた木型かもしれない。完成品の鋳造仏に至る制作途上の状態である可能性もありうるのでは」

という意見まである(辻本干也「仏像再見」)

 西川杏太郎は、

「こ れらの諸像の中には、・・・・・木肌をあらわとした像も多く、それらは一見して木彫像とわかるが、その硬く謹直な衣文の折り畳みや、・・・・・・・固さの 目立つ姿には、何か純粋の木彫像というよりは、大陸から伝えられた金銅仏や石仏の表現をどのまま木彫に写し変えた感じの強いものが多いようである。」(一 木造と寄木造)

 と述べている。
 飛鳥時代の木彫仏を見ていると、クスノキという硬質材で、渡来の金銅仏に似せて、金属質の質感を木彫で造るかに腐心、注力しているかのごとくに思えてくるのである。


【不思議な木寄せの仏像たち】

 清純な乙女の微笑を思い起こさせる中宮寺・弥勒菩薩像。
 飛鳥白鳳期を代表する、人気の仏像だ。

 中宮寺の本堂では、正面からしか拝することが出来ないが、H17年に東京国立博物館本館に特別展示されたときには、360度ビューであらゆる角度から観ることができた。
 弥勒菩薩像の側面に回ってじっくり眼を凝らすと、頭部には耳の後ろのあたりに縦の線がくっきりと入っているのに気がつく。
腰から下の懸け裳のところは、誰が見てもわかる階段のようなジグザグの線が、ひびが入ったように入っている。
 実は、この線は部材を寄せた、矧ぎ目の痕だ。
 「中宮寺弥勒菩薩像は、一木造ではなかったのだ」
 ということを、はっきりと目の当たりに納得することが出来たのであった。

 

【中宮寺菩薩半跏像】側面からみると、はっきりと木寄せの剥ぎ目が見える

 飛鳥白鳳期の木彫像は、原則的には一木造で造られている。
 そうではない例外は、この弥勒像と法輪寺薬師如来像の2躰だけなのである。

 中宮寺弥勒菩薩像は、どのように部材を寄せて造っているのだろうか。
 模式図を見ても明らかなように、不規則に部材を寄せ合わせて造られている。
 どうして、こんな無理をしたような特異な木寄せまでして造ったのだろうか?
 一木で造ることが出来るぐらいの木(クスノキ)なら、充分調達可能であったろうに。
 素直に浮かぶ疑問だ。

 たぶん、この像は、「謂れのある霊木」といった材を用いて彫られており、その材の制約からこのような無理をした寄せ木にせざるを得なかったのではないか、といわれている。
 仏像修理・修復の専門家である美術院にいた辻本干也は、

この弥勒像の木寄せの研究を行い、木目のつながりを考えて、彫刻する前の部材を組んでみると、一本のクスノキの角材を、次の図のような木取りをして作ったに違いない、

 と述べている。(南都の匠〜仏像の再発見)

 

【中宮寺菩薩半跏像】木寄せ構造模型図       【中宮寺菩薩半跏像の木取りの想像図】    
 辻本干他「南都の匠」より転載   一本の角材(クスノキ)から、上記のような木取りを行ったと想定

 法輪寺の薬師如来坐像も、特異な木寄せで造られている。
 木寄せの模式図は、像のとおりだ。
 頭躰部の中心材は不整な台形で、あとの部材は「適宜必要に応じ」といった言葉が相応しいような、木寄せの仕方で作られている。
 最初から計画的に木寄せしたのではなく、制作途上で、まさに随意に足りない部分を「現場合わせ」で必要に応じ矧ぎつけたという感じだ。

 
【法輪寺薬師如来坐像】              木寄せ構造模式図

 飛鳥白鳳時代の木彫像の構造などから、次のような事が云えるのかもしれない。
 この時代、原則的には、クスノキの一木造りで制作され、金銅仏をなぞらえて金属的な質感を出すことに意が用いられた。
 そして、霊木等の謂れのある材を使って仏像を彫る、ということもなされていた。
 ただ、霊木で造像することへの意味づけは大きいものであっても、一木(霊木)からそのまま丸々仏像を掘り起こす、即ち「一木のままへのこだわり」は、それほどまでは見られず、材の大きさ等の制約の中で、自由に部材を寄せて造っていくということも行われていた。
 そのような時代であったように感じる。

 


       

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