埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百十五回)
第二十二話 仏像を科学する本、技法についての本
〈その5〉 仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編(続編)〜
【22−2】木彫技法の基礎知識
【内刳り】
| 元興寺 薬師如来立像 |
奈良国立博物館に常時展示されている、元興寺薬師如来立像。 平安初期一木彫を代表する優作である。 この像を背中のほうから見ると、肩から脚のほうまで長方形の穴がぽっかりと開いていて、像の内側が空洞になっているのが、はっきりと見て取ることが出来る。 背板という蓋が失われている故であるが、この空洞を「内刳り」と呼んでいる。
この内刳りは、何のために行われるのだろうか?
大きな像の重さを軽くする為と思う人も多いのだろうが、内刳りという技法が始められた事由は、その為だけではなかったようだ。 内刳りが行なわれた事由については、次のように言われている。
*用材の干割れを防ぐ為に行なう。(一木造りの場合、この事由が最重要といえる) *巨像の場合、大幅に重量を軽くすることが出来、移動を容易にすることが出来る。 *像の制作中に、用材の乾燥を早め、早く材を枯らして安定させるのにも役立つ。
丸太の材木が年月を経て乾燥すると、表面に割れが生ずるのは良くご存知だろう。 木心部分と、表面部分の収縮率が違うことにより生ずる割れで、これを「干割れ」と呼んでいる。 一木彫像のなかには、顔や胸に無残な割れが大きく生じている像に出会うことも間々あり、唐招提寺木彫群と呼ばれているなかの如来形頭部、菩薩形頭部などに大きな干割れがあるのを眼にした方も多いだろう。
唐招提寺 講堂菩薩像頭部 唐招提寺 講堂梵天立像 共に、大きな干割れが生じている
| 背割りを入れた丸柱 |
日本建築では、この干割れを防ぐ為、客間に用いられる丸柱などには、前もって木心に達するようなクサビ状の切り込み(背割り)を入れ、壁に隠すようにして用いることによって、表面に干割れが生じるのを防いでいる。 仏像の場合、そんな「背割り」を表面に施すことが許されるものではなく、そこで用いられたのが「内刳り」という技法なのである。 仏像の背面に大きく穴を開けて、そこから内部を刳り、できるだけ木心を取り除いて、材が乾燥したとき、干割れが生じないようにしてやるのである。
一木彫像の多くは、後頭部や背面から刳るので「背刳り」とも呼ぶ。 この穴をふさぐ為に、背板を矧ぎ付けて、外からは内刳りがわからないように仕上げる。 寄木造りの仏像の場合は、干割れ防止よりも、像を軽量化する、用材の乾燥を早めて安定させることのために、しっかりと行き届いた内刳りが行なわれることが多い。
すべての仏像に内刳りが施されているかというと、必ずしもそうではない。 小型の仏像は、木心をはずして木取りされていることが多く、干割れの懸念が少ない為、内刳りがない仏像が多い。 平安前期に見られる小型の檀像(風)仏像は、内刳りがほとんど無い。 等身以上の仏像を見ると、平安中期以降時代が下がる像は、内刳りを施されているのが通例であるが、平安初期までの一木彫像には、内刳りの無い仏像も結構多い。
飛鳥時代から平安時代前期までの、等身以上の代表的一木彫像の【内刳りの有無】を見てみてみると、次のとおりである。
主要一木彫像の〈内刳りの有無〉の一覧
時代 | 内刳り無し | 内刳りあり | 飛鳥時代 | 法隆寺夢殿救世観音像 | 法隆寺百済観音像 | 法隆寺金堂四天王像 | 広隆寺弥勒菩薩像 | 奈良時代 | 唐招提寺講堂薬師如来像 | 唐招提寺金堂梵天帝釈天像 | 唐招提寺講堂獅子吼・衆宝王菩薩像 | 唐招提寺金堂四天王像 | 唐招提寺講堂増長・持国天像 | | 大安寺聖観音像 | 大安寺楊柳観音像 | 大安寺不空羂索観音像 | 大安寺十一面観音像 | | 大安寺千手観音像 | 平安時代前期 (9世紀まで) | 神護寺薬師如来像 | 元興寺薬師如来像 | 法華寺十一面観音像 | 勝常寺薬師如来像 | 法隆寺地蔵菩薩像(旧大御輪寺) | 室生寺釈迦如来像 | 橘寺日羅像 | 東寺講堂諸像(除く四天王像) | 融念寺地蔵菩薩像 | 観心寺如意輪観音像 | 宝菩提院菩薩半跏像 | 醍醐寺薬師如来像 | 園城寺千手観音像 | | 東寺講堂四天王像 | |
〜内刳を施さない、平安前期一木彫の仏像〜 神護寺 薬師如来立像 法隆寺 地蔵菩薩立像 橘寺 日羅立像 法華寺 十一面観音立像 園城寺 千手観音立像 こうしてみると、時代や様式による流れのようなものがあるようには思えないが、精神性や緊張感の強い造形の仏像の方が、内刳りのない像が多いようだ。 霊木用材の神聖性を保つ為、極力内刳りを施さずに仕上げようとしたのだろうか? 「平安仏で内刳り無し」と聞くと、「これは古い平安前期仏ではないか?」とつい思ってしまうのであるが、「内刳り有り」と「無し」の像に特別の区分けがあったようには思われず、どちらの方が時代が古いということは無いようだ。 そうはいっても、平安前期までの仏像に「内刳り無し」の仏像が多く、迫力と緊張感がある仏像が多いのは事実のように思える。
仏像の内部を、修理時や像底などから見た写真を見ていると、内刳りの状況が良く判る。 同じ内刳りでも、平安前期の一木彫のものと、藤原期の寄木造りのものとは、ずいぶん違っている。 元興寺薬師像や醍醐寺薬師像などの一木彫像は、内刳りをした後の材の厚みは相当分厚く遺されているが、平等院や法金剛院阿弥陀像などの寄木造りの像は、材の厚みは4〜5センチしかない。内刳りで徹底的に材が薄くなるまで浚って刳っている。
平等院 阿弥陀如来坐像とその像底から見た内部 材が薄くなるまで浚えた内刳が施されている 【割矧ぎ造り】
| 勝常寺 薬師如来坐像 |
平安前期の地方仏の名作、会津・勝常寺の薬師如来像の像底から見た写真を見てみると、一木彫の内刳りが、背中からではなく、像底から刳りが入っており、一木の用材が一度前後に二つに割られて、鎹(かすがい)で留めてあるのが良く判る。 この造像技法を「割り矧ぎ造り」と呼んでいる。 一木から彫刻する像の工程の途中で、頭躰部を通して材の縦目に沿って左右、または前後にいったん割り離し、この割れ面からそれぞれ内刳りを施して、再び矧ぎ合わせる技法である。
前後矧の場合は、耳の後ろの線で縦に割られていることが最も多いようだ。 同じ一木造りであっても、背中から窓を開けて不自由な内刳りを行なうより簡単で、十分な内刳りが出来る進歩した技法といわれている。
勝常寺 薬師如来坐像 像底から見た写真 勝常寺 薬師如来 構造図(西川) 「一木造り」から「寄木造り」へ展開していく、中間的技法ともいえるもので、「一木式寄木造り」とか「一木割り矧ぎ造り」とも呼ばれているケースもある。 この一木割り矧ぎの像は、寄木造りの全盛期の平安後期や鎌倉時代においても、各地に数多く残されており、等身以下の像では時代が下がっても多用された技法のようである。
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