埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百九回)

  第二十一話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その4〉  仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編〜


 【21−3】

【平安初期木彫〜一木彫・素木像の魅力】〜木と神仏のふれあい〜

 「木彫仏のなかで、あなたが一番魅力を感じる仏像は? 惹きつけられる仏像は?」
と尋ねられたなら、私は、躊躇なくこう答える。
 「神護寺薬師如来像が、なんといっても一番」
 誰からも同じ答えが返ってくるわけではないだろうが、多くの人がこの仏像の持つ魅力に、強く惹きつけられるに違いない。

 神護寺薬師如来像は、「一木彫のもつ、一木彫らしさ」が象徴的に表出された平安初期彫刻であろう。
  
神護寺 薬師如来像       顔面部に残る鑿痕       鋭く彫り込まれた衣文 


 木彫は、鋭い鑿で一度彫り込むと、もう元に戻せない。まさに一刀入魂、深く鎬立つほどに思い切って彫り込む。
 神護寺薬師像の前に立つと、そんなヒリヒリとした緊張感が漂ってくる。
 唇の朱と眼、螺髪に彩色を入れる以外は、素木、白木で、木肌そのままの仏像だ。
 そして、威圧的でデモーニッシュな迫力、強烈なインパクトに、思わず後ずさりしてしまいそうになる。
 いわゆる平安初期彫刻の代名詞である、「森厳、異貌、デフォルメ、迫力」などの言葉を、そのまま体現したような仏像彫刻である。
 あきれるほどの鑿の切れ味で深く彫り込まれた衣文は、シャープに鎬立ち、手が切れそうだし、目鼻や口は研ぎ澄ました刀で切りつけたように鋭い。顔面には細かな鑿跡まで残している。
 この強烈な迫力や、森厳さは、単に「顔かたちや身体表現」によってのみ生じているのではなく、
「カヤという用材を、鋭い鑿で彫りこんで彫成した、一木彫であるからこそ表現できるものだ。一度彫り込んだらやり直しの聞かない鑿を、思い切って鋭く深くふるっていく一木彫ならではの造型表現の象徴」
 と、強く感じるのである。

  
神護寺 薬師如来像 顔面部と足部


 今更、云うまでもないが、「平安初期」といわれる時代に入ると、突然といって良い程に「純粋木彫(一木彫)の時代」が始まる。
 天平時代の、乾漆像・塑像を中心とした捻塑的技法による、古典的写実・理想美といわれる優美平明な表現から、素木・白木の純粋木彫・一木彫という彫刻的技法による、反古典的デフォルメというデモーニッシュ・森厳表現に転換、変革する。

 小原二郎、町田甲一は、「純粋木彫への転換」「デフォルメ・森厳表現への転換」と、神護寺薬師像の魅力について、それぞれ、このように表現している。

  「貞観期の特色を材料的にみると、木材の美しさ、特にヒノキの材質の 美しさを遺憾なく発揮させた時代である、ということができる。この時代の特徴である翻波式衣紋の鋭いしのぎは、ヒノキのねばり強い材質と、 よく切れる刃物と、冴えた腕の三拍子がそろうことによって、はじめて 生み出すことのできた結晶である。さきにあげた京都神護寺の薬師如来像の顔面を見る人は、あの美しいノミあとに、刃物の切れ味を楽しみながら彫ったであろ う仏師の姿を想像することができる。」(小原二郎「日本人と木の文化」)
 (注記:貞観期木彫の用材のほとんどは、ヒノキではなくカヤであったことがその後の研究で判明している。)

「(貞 観木彫は)ギリシャの彫刻や天平盛期の仏像のような、解剖学的正確さや視覚的な外形の美や古典的調和の美などを、潔く犠牲として、見る人の内奥の精神に直 接強く感銘を与えるような、そのためには大胆な誇張とデフォルメをともなった、強い主観的表現を求めたのである。・・・・・・・・
 (神護寺薬師 如来像は)そのすぐれた造形的才能は、解剖学的正確さを求める合理的見地からすれば許しがたい歪形をも、見る人に不自然な感じを与えることなく、むしろ一 種形容しがたい『強さ』をもって、眼に見えざる内奥の力を視覚的にあらわす表現として、力強い効果をあげている。・・・・
 衣文の彫出も深く力強 く、ダイナミックな律動感をもって、内部の充実感を強調して、デモーニッシュな面貌の表現とともに、内奥の力強い充実した生命観、威力、さらに見る人を威 圧するような強い宗教的威圧感を、視覚的造形的に遺憾なく表出している。」(町田甲一「日本彫刻史概説」)

 神護寺薬師像に限らず、平安初期彫刻、所謂貞観木彫は、強く人を惹きつける不思議な魅力がある。心の底に渦巻く美的感性の魂に、強く訴えかけてくるようだ。
 仏像愛好者の多くは、数多くの仏像の名品を拝していくうちに、知らず知らずのうちに、平安初期〜前期の一木彫の、魂をゆさぶるような迫力や美しさに魅入られてしまうようである。
 私自身も、そのとおりで、平安初期とか前期の仏像といわれると、つい身を乗り出してしまい、飛鳥白鳳、天平仏よりも、強い魅力を感じている一人である。

 しかし、この貞観木彫は、戦前には、さほどに認められていなかったようだ。
 そのころは、明治以降の伝統であったクラッシック的な美観による天平の古典的写実表現を理想美とする考えが基調になっていた。
 唐招提寺講堂木彫群や神護寺薬師、新薬師寺薬師など平安初期彫刻に連なる仏像が、高い評価を得て、その芸術的価値を大いに認められるようになって来たのは、戦後になってからのようだ。

 和辻哲郎は「古寺巡礼」で、大安寺の木彫、唐招提寺講堂木彫について、このように厳しい評価の印象を語っている。

「大安寺の諸作は、右の諸作(興福寺八部衆・十大弟子)ほど特異な才能を印象しはしない。もっとふっくりした所もあり、また正面から大問題にぶつかっていく大きい態度も認められる。しかし写実がやや表面に流れているという非難は避けることができない。・・・・・
唐 招提寺の破損した木彫は、・・・・・・・不幸にして新来の彫刻家は、気宇の大なるわりに技巧が拙かった。大自在といい釈迦(伝薬師のこと)といい、豊かで はあっても力が足りない。ことに釈迦は、大体が著しく太く衣が肌に密着している新しい様式のものであるが、どうも弛緩した感じを伴っているように思われ る。」

  
大安寺 楊柳観音像     唐招提寺 伝大自在天菩薩像      伝薬師如来像

 貞観木彫(平安初期彫刻)に、現代人が、強く惹かれ、魅力を感じるようになったのは、「美の価値基準・ものさし」が、明治以降の時代の流れとともに、移ろい多様化してきたことによるものだろう。
 和辻の頃【綺麗、写実、理想美〜古典美〜】が、〈ものさし〉だったとすれば、現代人は【迫力、大胆、緊張感〜精神美〜】などという要素を、強く求めるようになってきたのではないだろうか。


 われわれは、モディリアーニ、ゴーギャン、ピカソなど、特異な表現ながら、その内なる魂の大胆な表現、破綻を恐れぬ感性表現に、大いなる感動を覚える。
  近世日本美術の世界でも、それまでエキセントリック、グロテスクといわれ、美術史ではあまり評価されていなかった岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆 雪などといった画家が、昭和45年に辻惟雄の著書「奇想の系譜」で紹介・再評価されて以来、大ブームになっていることなどを見ても、そのように感じるので ある。
 
伊東若沖 紫陽花双鶏図                長沢芦雪 虎図      


 


       

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