埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八回)

  第二十一話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その4〉  仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編〜


 【21−2】

【金色の仏像と木の文化】 〜飛鳥の金色仏と藤原の金色仏〜

 法隆寺夢殿救世観音像は、クスノキの一木彫の金色像。
 聖徳太子現身の像と伝えられるが、表情に不気味ささえ漂わせる異貌の像。永年秘仏であっただけに、当初の金色が見事に残されている。
 
法 隆寺夢殿 救世観音像
 拝してみると、クスノキという用材の硬質感からか、左右相称の固い線の造型表現からか、木彫でありながら金銅仏のような印象を受ける。
 それも、異国将来の金銅仏という感じだ。
 この救世観音像に限らず、飛鳥時代の木彫仏からは、なべてそんな印象を受ける。
 飛鳥時代の木彫仏を見ていると、渡来の金銅仏に似せて、金属質の質感を木彫で造るかに腐心、注力しているかのごとくに思えてくる。
 用材も、金属的質感の出るクスノキという硬質材を用いている。(広隆寺弥勒菩薩だけはアカマツ)

 話は全く変わるが、ふとこんなことを思い出してしまう。
 中国の陶磁器の造型である。
 
漢  緑釉壷          宋 均窯青磁 
 古来青銅器が祭器として珍重、至上とされたことからか、青銅器に似せた陶磁器が盛んに作られた。
 漢時代の緑釉陶器も青銅器に似せて造られている。
 宋時代の青磁も、鼎や尊といった青銅祭器に似せて作った多くの名品が残されている。
 本来金属材で作られるものに、あえて形や質感を似せて造るという話は、中国陶磁の世界も、飛鳥時代の木彫の世界にも、似たものがあるということであろう か?


 そんな意味では、飛鳥時代の木彫仏は、日本の「木の文化」の特質や伝統を体現するというよりは、木(クスノキ)という材を用いて、中国の「金属の文化、 石の文化」の仏像を、ちょっと無理をして表現しようとしたのではないかと思えてくる。



平 等院阿弥陀如来像
 時代は下って、宇治、平等院の定朝作阿弥陀如来像。
 数ある藤原時代の、金色阿弥陀如来坐像を代表する仏像。
 眼前に拝すると、「温和」「優美」という形容が、そのままあてはまる像容で「穏やかな美しさ」を感じる。
 平安王朝文学が創造した、「もののあわれ」といわれる幽玄、静寂、安息といった日本的美に通じるようで、佛教の無常観と相俟って、「造型におけるものの あわれ」を表出しているようだ。

 この定朝様の仏像は、造立当時、「尊容ハ満月ノ如シ」とか「天下是ヲ以テ仏ノ本様トナス」と称され、現代においては「和様彫刻」と呼ばれる。

 平等院鳳凰堂の前に佇み、この阿弥陀如来を拝していると、飛雲に乗った雲中供養菩薩に囲まれて、極楽浄土から静かに軽やかに舞い下り、堂中に温和さをた たえて座している仏様に出会った気持ちになる。

平 等院 阿弥陀如来像頭部
 金色の仏像ではあるが、軽やかさやまろやかさを感じこそすれ、そこには金属質の硬さや、重量感・塊量感は、微塵も感じられない。
 それは、ヒノキの寄木造という技法が、なせる技によるに違いない。

 寄木造りという新技法は、一木彫に比べて、「分業化による短期制作・大量生産を可能にした」という面もあるが、
「ヒノキという材の繊細・柔軟な特質を活かして、軽やかで、自由な曲線・曲面の表現を可能にした」という、新たな質感と美しさの創造という面に、大きな意 味があるのではないかと感じるのである。


 野間清六は、
平安彫刻について、「木のもつ独特の軟らかさを活かす工夫をした」ことに説き及んで、
「木彫の造形感覚は他の国の木彫 には見られないもので、やはりヒノキという素材と、この平安中期における感覚(日本的情趣)とに密接な関係を もつものといえよう」(日本美術大系U・彫刻)

と述べている。

 定朝仏を代表とする藤原阿弥陀仏彫刻を見ていると、金色ではあるけれども、金属的硬質感を感じさせない。
 白木や木目といった素木の魅力は封じているが、ヒノキという材の特性を存分に生かした彫成、入念に施された内刳りが、柔らかで軽やかな金色の世界、まさ に日本文化らしい「木質の金色の美」を実現している。
 飛鳥から藤原へといたる木彫史の歴史の中で、異国の「金色の金属の文化」から、日本の「金色の木の文化」を育んでいったのだ、と感じる次第だ。
 これも、藤原文化が和風文化、藤原仏が和様彫刻と呼ばれる所以のひとつであろうか?

 平等院を訪れ、阿弥陀如来像を拝していると、この仏像の美しさ、魅力を実感するにはこの仏像本体だけを鑑賞しているだけでは、叶うものではないことに気 づく。
 藤原頼道が、西方極楽浄土をこの地に再現しようとしたといわれるごとく、「浄土式庭園、鳳凰堂建築、堂内の雲中供養菩薩などと本尊阿弥陀如来像」、これ らをワンセットで拝し、鑑賞して初めて実感、体感できる、という気持ちになる。

平等院 鳳凰堂

「藤原彫刻の特質は、仏像だけを 観察するのではなく、これに付属する光背や台座、厨子はもとより、これを安置する堂の建築意匠や荘厳のすべてを、総合して観察することによって諒解され る」(「藤原時代の彫刻」S9岩波歴史講座)

 と、丸尾彰三郎が説いた如くである。


中尊寺 金色堂内陣
 また、中野忠明は、このように述べている。
「たとえば中尊寺金色堂に見られ るように、堂の中心に安置されている本尊像さえも、上代の仏像がもっていた強力な主体性を失って、それ自身を仮象として現わすものになり、周囲の装飾的事 物と均合のとれる美的装飾体に転化している。そこでの主宰者は、もはや仏像ではなく、堂の建築ぐるみの装飾的世界である」(「日本彫刻史論」)

 そして「堂の建築ぐるみの装飾的世界」は、建築から荘厳、本尊、侍仏にいたるまで、そのほとんどすべてが木(ヒノキ中心)で造られ、金色、極彩色に彩ら れ、木質感をしっかり活かした金色や彩色の美しさを発散している。

 ついでの話しながら、
 極楽浄土を地上に再現しようとする「堂の建築ぐるみの金色、彩色の装飾的世界」
その効果への配意は、周囲の景観、陽光などにまで及んでいる。
 平等院阿弥陀堂は、「鳳凰舞い下りた如くのお堂」を外から、本尊阿弥陀仏とともに全体で拝む形をとっている。
 落日の夕陽を背にしてシルエットとなり、阿弥陀来迎を思わせる堂の全体を十分に予想して造られ、そして陽が落ちて堂内に燈明がともる時、堂内の輝きは堂 のシルエットをいっそう引き立たせたに違いない。

 
夜間 燈明に生える鳳凰堂阿弥陀如来像    夕陽が後光を発するが如くの浄土寺阿弥陀三尊像

 快慶作阿弥陀三尊像が祀られる浄土寺浄土堂。
 阿弥陀来迎を疑似体験させようとする意図については、よく知られているとおりである。
 巨大な金色阿弥陀三尊立像の蓮華座には、雲が表され、西方極楽浄土から飛雲に乗って来迎する情景を表現している。
 そして、浄土堂は境内の西、すなわち極楽浄土の 位置する側に建てられ、阿弥陀三尊は東向きに立つ。堂の背後の蔀戸を開け放つと、後光を発するが如くに西日が入るようになっている。晴れた日の夕刻には堂 内全体が朱赤に深く輝くように染まり、雲座の上に位置する三尊像が浮かびあがって来迎の風景を現すという、劇的な光の演出効果を見事につくり上げているの である。

 「金色彩色の異文化と、木の文化と、日本の和様文化との調和的融合」
 少々無理筋なのかもしれないが、私には、そんな思いが頭の中をめぐってくる。



       

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