W 昭 和・平 成 編

〈その 5-6〉






【 目 次 】



1.「昭和・平成の美術史書」から、近代日本の仏像評価の変遷、特徴を見る

(1)採り上げ仏像をみてみた、昭和・平成の美術史書、仏像本

(2)近現代(明治〜平成)を通じての、主要美術史書における採り上げ仏像〜一覧リスト

(3)一覧リストの仏像の顔ぶれからみる、近代仏像評価の変遷
〜明治期と昭和以降との比較を中心に

@昭和以降美術史書、90年余の間に登場する仏像の顔ぶれを見る

A明治期以降現代まで、一貫して高評価の仏像は?〜100年定番仏像〜

B昭和以降になってから高評価を獲得した仏像
〜昭和・平成に、新たに定番仏像に登場の顔ぶれ
C昭和以降に初登場となる仏像〜明治期、採り上げ無し

D昭和以降の仏像評価の変化の特徴〜明治期との比較、対比

E戦後(昭和20年代以降)、平安前期仏像、一躍高評価獲得への軌跡を振り返る

F昭和期以降、姿を消した主要仏像〜明治期、複数美術書が採り上げ

(4)近代通期(明治〜平成)の主要美術史書の時代別ラインアップ件数、シェアから「仏像評価の変遷」を見る


2.「国宝指定」の仏像の顔ぶれと、美術史書採り上げ仏像を比較してみる


3.明治以来、近代仏像評価の変遷と、時代精神の投影を振り返る




(4)近代通期(明治〜平成)の主要美術史書の時代別ラインアップ件数、シェアから「仏像評価の変遷」を見る



ここまで見てきた、明治〜昭和・平成時代の主要な美術史書に採り上げられた仏像の、各時代別の採り上げ件数とシェアを一覧表とグラフにして、その特徴と変遷を見ておきたいと思います。

件数一覧とグラフは、次のとおりです。


【採り上げ件数一覧】


 


 


 




【採り上げシェア%一覧】


 


 


 




【採り上げシェア〜棒グラフ】


 


 


 



この推移一覧表、グラフをご覧いただくと、前章 <その2-6〜4-6>


のところで、採り上げ仏像の顔ぶれをみながらたどってきた、仏像評価の変遷の特徴的なトレンドを、具体的な数字の推移で、実感いただけるのではないかと思います。



【昭和以降では、時代別件数、シェアに特徴的変化は見られず】


まず、昭和以降主要美術史書の時代別採り上げ件数シェアの推移を見てみると、昭和初期から平成に至るまで、特記するほどの特徴的な変化がありません。

飛鳥、白鳳時代のシェアにデコボコがありますが、「概説日本美術史」は、飛鳥彫刻の採り上げ件数が多く、「カラー版日本美術史」では、一般に飛鳥彫刻といわれる仏像の多くを白鳳時代彫刻と考えていることによるようです。

昭和初期以降は、仏像評価の時代別ウエイト付けに、大きな変化がなく、安定的に維持されています。


明治期から昭和、平成までの近現代通期で見てみるとどうでしょうか?



【明治中期は、飛鳥〜奈良彫刻シェア5割以上〜天平彫刻至上主義】


これまでもふれたように、明治中期を中心とした3書では、飛鳥〜奈良時代彫刻のシェアが50%以上を占め、なかでも奈良時代、天平彫刻が大きなウエイトを占めています。

天平彫刻至上主義的な評価観が見て取れます。



【明治末年(国宝帖)には、平安時代シェアが一気に急増〜約5割】


明治末年(明治44年・1910)の「国宝帖」において、この時代別シェアは、劇的に変化します。

平安時代の採り上げシェアが、過大とも思われるほどに増加します。
それまで50%以上あった飛鳥〜奈良時代彫刻のシェアが、30%に減少する一方で、平安彫刻のシェアは一気に約半分、47%に急増します。

日本独自の固有文化を良しとする国粋的意識の投影のように思われます。



【昭和以降は、各時代バランスの取れたシェアに安定】


昭和期以降の美術史書の時代別採り上げシェアを見ると、「国宝帖」で過大感のあった平安彫刻、とりわけ平安後期彫刻のウエイトが是正され、その後は安定的なシェアで推移するようです。

飛鳥白鳳、奈良、平安前期、鎌倉の各時代が、20%強、平安後期が15%強というバランス感でしょうか。



【魅力、人気の仏像本では、藤原彫刻が極端に少ない〜写真映えせず人気出ず】


これらの美術史書とはべつに、人気・魅力盛り込み仏像本の採り上げシェアを見ると、随分と違いがあるのに驚かせられます。

平安後期、いわゆる藤原彫刻の採り上げが、極端に少ないのです。
3〜8%しかありませんから、美術史書の3〜4分の1以下しかありません。
その分、天平彫刻や白鳳彫刻のウエイトが高まっています。

定朝様の阿弥陀如来像に代表されるように、
「藤原時代の仏像は、どれも同じように見えてしまう。」
という話を、耳にすることがあります。

やはり「現代の日本人の本音」から言うと「藤原彫刻は人気がない」ということなのでしょうか。
藤原彫刻は、どれも同じスタイルで、バリエーションなく写真映えしないので、こうした仏像本には、平等院・阿弥陀如来像のような代表選手だけが掲載されるだけになってしまうということなのかもしれません。

仏像彫刻の世界も、「美術史的評価の重要性」と「好み、魅力、人気」とは、必ずしも一致しないというのが実感です。




2.「国宝指定」の仏像の顔ぶれと、美術史書採り上げ仏像を比較してみる



ここまでずっと、美術史書の採り上げ仏像についてみてきましたが、最後に、現在国宝に指定されている仏像の顔ぶれの特徴は、どのようになっているのかを見ておきたいと思います。

現在、国宝に指定されている彫刻(仏像)は、140件あります。
(文化庁の発表では、現在(2019年2月)国宝の彫刻は136件になっています。
1件の数え方の違いだと思われますが、付け合せも大変なので、ご容赦ください。)

時代別の件数とシェアを一覧にすると、次のとおりです。


 


 




【平安前期彫刻の「国宝指定シェア」が、格段と高いのが特徴
〜戦後の平安前期彫刻評価上昇を物語る?】


一見して気が付くのは、平安前期の件数シェアが、昭和以降主要美術史書のシェアの較べて高いことです。
主要美術史書のシェアが20%前後なのに対して、33%もあります。

飛鳥〜白鳳時代のシェアは低くなっていますが、この時代の仏像の数には限りがありますので、国宝指定の仏像が増えるにつれてシェアーダウンするのは仕方ないことでしょう。

これだけ平安前期の仏像シェアが高くなっているのは、昭和26年(1951)に新国宝に新たに指定された仏像(彫刻)は24件だけですから、その後、現在まで、平安前期の仏像が相対的に数多く国宝に指定されたことになります。

仏像の国宝指定というのは、各時代別の指定バランスも十二分に考慮して指定されるものだと思いますので、やはり、戦後における平安前期彫刻の評価の高まり、人気の上昇を物語っているように思えます。



【主要美術史書に採り上げ無い仏像にも、いくつもの名品国宝仏像が】


国宝に指定されている仏像なのに、いずれの美術史書にも採り上げられていない仏像にはどのようなものがあるでしょうか?
顔ぶれは、ご覧のとおりです。


 




やはり、平安前期の仏像が数多く登場します。
また、たいへん有名で、素晴らしい出来の優作像が、美術史書に採り上げられていないのにちょっとびっくりしました。


獅子窟寺・薬師像、慈尊院・弥勒像、法性寺・千手観音像などの名品の名前が、ここに挙がってきたのには、意外感がありましたが、美術史書では、採り上げ件数に限りがある中で、時代時代の基準作例、傑作に絞り込むと、このようになるのでしょう。



【2019.3.23】


                



inserted by FC2 system