W 昭 和・平 成 編

〈その 2-6〉






【 目 次 】



1.「昭和・平成の美術史書」から、近代日本の仏像評価の変遷、特徴を見る

(1)採り上げ仏像をみてみた、昭和・平成の美術史書、仏像本

(2)近現代(明治〜平成)を通じての、主要美術史書における採り上げ仏像〜一覧リスト

(3)一覧リストの仏像の顔ぶれからみる、近代仏像評価の変遷
〜明治期と昭和以降との比較を中心に

@昭和以降美術史書、90年余の間に登場する仏像の顔ぶれを見る

A明治期以降現代まで、一貫して高評価の仏像は?〜100年定番仏像〜

B昭和以降になってから高評価を獲得した仏像
〜昭和・平成に、新たに定番仏像に登場の顔ぶれ
C昭和以降に初登場となる仏像〜明治期、採り上げ無し

D昭和以降の仏像評価の変化の特徴〜明治期との比較、対比

E戦後(昭和20年代以降)、平安前期仏像、一躍高評価獲得への軌跡を振り返る

F昭和期以降、姿を消した主要仏像〜明治期、複数美術書が採り上げ

(4)近代通期(明治〜平成)の主要美術史書の時代別ラインアップ件数、シェアから「仏像評価の変遷」を見る


2.「国宝指定」の仏像の顔ぶれと、美術史書採り上げ仏像を比較してみる


3.明治以来、近代仏像評価の変遷と、時代精神の投影を振り返る





(2)近現代(明治〜平成)を通じての、主要美術史書における採り上げ仏像〜一覧リスト



昭和以降の代表的な日本美術史概説書4冊(「昭和以降主要美術史概説書」と呼ぶこととします)、戦後以降に発刊された人気の仏像、魅力ある仏像を選んだ本、4冊「人気、魅力仏像書」と呼ぶこととします)に採り上げられている仏像のリストを作ってみました。

「明治期の4大美術史書」の採り上げ仏像とも比較しやすいように、これを含めての一覧リストにしてみました。


別ページに、


として、掲載させていただきました。


300件ほどの数多い仏像が羅列された一覧リストになっていますので、ご覧いただいても、なかなかわかりにくいのではないかと思います。



【明治中期から平成まで、近代百年余の採り上げ仏像の変遷を通覧できるリスト】


このリストをじっくりご覧いただけると、

「昭和以降主要美術史概説書」では、美術史的に評価された仏像の昭和初期から平成まで、年代を追っての評価された仏像の推移や、

「人気、魅力仏像書」に採り上げられた人気仏像の顔ぶれと、「昭和以降主要美術史概説書」採り上げの美術史的評価仏像の顔ぶれの違いなど、

興味深くみていただけるのではないでしょうか。

また、「明治期の4大美術史書」採り上げ仏像を含めてご覧いただくことによって、明治から平成までの近現代の仏像評価の変遷を、年代を追ってその推移を通観していただけるものと思います。


各仏像のインデックスとなるセルに色付けをして、

・明治以来、継続して高評価の定番仏像(8書の美術史書のうち7書以上で採り上げ)
・昭和以降に初登場となる仏像
・昭和以降に姿を消す仏像

を、判別できるようにしてみましたので、参考にしていただければと思います。




(3)一覧リストの仏像の顔ぶれからみる、近代仏像評価の変遷
〜明治期と昭和以降との比較を中心に



この一覧リストから見て取れるもの、その特徴や変遷についてみてみたいと思います。



@昭和以降美術史書、90年余の間に登場する仏像の顔ぶれを見る



【昭和以降、年代による大きな顔ぶれ変化見られず
〜特記されるのは、戦後、地方仏の登場】


まず「昭和以降主要美術史概説書」に登場する仏像の顔ぶれを見て、昭和初期から平成までの90年余の中で、年代が進むにつれて、その顔ぶれに変化があるのかを考えてみましたが、取り立てての大きな変化の特徴は、特段みられませんでした。

敢えて変化をさがすとすれば、戦後に、いわゆる地方仏の傑作像が新たに登場してくるといった処でしょうか。

福島勝常寺・薬師如来像、岩手黒石寺・薬師如来像、神奈川箱根神社・万巻上人像、広島古保利薬師堂・薬師如来像、香川正花寺・菩薩像、徳島井戸寺・十一面観音像

といった地方仏です。




(左)岩手黒石寺・薬師如来像



その他には、運慶銘の発見で知られる静岡願成就院像のような、新発見仏像がいくつか登場するといった処でした。


明治から大正にかけては、仏像の美術史的評価について、時代の流れとともに変化や揺れが結構みられました。

昭和初期以降になると、戦前戦後で一つの節目はみられるのですが、「美術史上の評価」は、それなりに安定してきたようです。
芸術的な評価、魅力とか人気という面では、昭和初期から現代に至るまでに、まだまだ「仏像を見る眼のうつろい」はあるのですが、「美術史上重要な仏像」という意味では、その評価は、比較的定まったものがあったと思われます。


一方で、明治期の採り上げ仏像と、昭和以降の採り上げ仏像とを比較してみると、なかなか特徴的で興味深い仏像評価の変化が見て取れました。



A明治期以降現代まで、一貫して高評価の仏像は?〜100年定番仏像〜


まず、明治期から昭和以降現代まで、一貫して採り上げられ、高評価を維持してきた仏像にはどのようなものがあるでしょうか。


 



ご覧のとおりです。

これらの仏像が、明治中期以降、約100年間を通じての「定番高評価仏像」と云って良い仏像です。



【やはり飛鳥〜奈良時代彫刻、就中、天平の古典的写実彫刻が、100年定番仏像の主役】


この顔ぶれを見ると、明治中期の重点高評価仏像をそのまま見ているようです。

「飛鳥〜奈良時代の古代彫刻重視、天平時代の古典的写実理想美至上主義」といわれた明治中期の「美のモノサシ」のとおりに近いものがあります。


全部で21件がラインアップされましたが、平安時代以降の仏像は、そのうちたった5件(実質は4件〜明治期には法華寺・十一面観音は奈良時代と考えられていた)しかありませんでした。

青色に塗りつぶしていない無地の仏像は、昭和以降の全ての美術史書が採り上げ、明治期の4大美術史書が1書だけ採り上げていない仏像です。
法隆寺・橘夫人阿弥陀三尊像(天心・日本美術史が採り上げず)、新薬師寺・十二神将像(国宝帖が採り上げず)、平等院・阿弥陀如来像(真美大観が採り上げず)の3件を除くと、残りの6件は、稿本帝国日本美術略史が採り上げていませんでした。


一方で、明治期4大美術書全てが採り上げている仏像で、昭和期以降美術史書が全て採り上げていない仏像が1件だけありました。

興福寺東金堂・文殊菩薩像です。
興福寺東金堂・維摩文殊両像は、明治中期まで運慶作の仏像だとみられていましたが、明治34年(1901)に、維摩像の方から定慶作銘が発見されました。
運慶作ではなかったことと、文殊菩薩像の方には銘が見つからなかったことが、昭和期美術史書の全てで採り上げられなかった訳だと思います。



【明治期高評価の仏像は、昭和以降も高評価維持
〜昭和以降、採り上げ減るのはごくわずか】


いずれにせよ、明治期に高評価を得ていた仏像のほとんどは、昭和期以降も継続して高評価されていたということが出来るでしょう。
明治期の高評価仏像の「美のモノサシ」は、昭和以降になっても変わることがなかったと思われます。

念のため、明治期相対的高評価の仏像(4書のうち3書で採り上げている仏像)の中で、昭和期以降には一部の美術史書でしか採り上げられていない仏像、即ち、高評価を維持できていない仏像をチェックしてみると3件だけありました。

東寺・トバツ毘沙門天像、東寺御影堂・不動明王像、法金剛院・十一面観音像

でした。

東寺・トバツ毘沙門像は中国製像、東寺御影堂・不動明王像は絶対秘仏という理由だと思います。
法金剛院・十一面観音像の明治期の高評価だけは、現代の感覚では、ちょっと首をかしげてしなうというのが実感です。




B昭和以降になってから高評価を獲得した仏像
〜昭和・平成に、新たに定番仏像に登場の顔ぶれ


それでは、昭和時代になってから高評価を獲得した仏像には、どのようなものがあるでしょうか?

先ほどリストにした明治以来継続高評価の仏像(百年超高評価定番仏像)に含まれていない仏像で、昭和以降美術史書で重点採り上げとなっている仏像(3書以上で採り上げ仏像)を、リストアップしてみました。


 



ご覧のとおりです。

これらの仏像が、昭和以降になってから重点的に取り上げられ、高評価を獲得した仏像ということになります。

結構、数多くて、60件ありました。

昭和以降の美術史書の採り上げ仏像の件数が、100〜146件と数が多く、明治4大美術史書での採り上げ件数が、39〜96件と随分少ないことが、昭和以降高評価獲得仏像件数が多くなった理由だと思われます。

ただ、その顔ぶれを見てみると、大変興味深いものがあります。



【時代の偏りなくなり、平安、鎌倉時代の仏像が大幅増加】


時代別の件数を見てみると、各時代、万遍ない件数になっていることに気づきます。

とりわけ、平安時代前期、後期、鎌倉時代の件数が多くなっていることが特徴的です。

先にラインアップした明治以降高評価定番仏像が、圧倒的に飛鳥〜奈良時代に傾斜し、天平彫刻至上主義的であったのとは、大きく様変わりです。

昭和期に入って以降、平安〜鎌倉時代の傑作、優作が、しっかりと評価されるように変わってきたことを物語っています。



【奈良時代の乾漆像が一気に登場するのは特徴的
〜明治期は、塑像の方が高い評価】



仏像の顔ぶれを、時代別にみていきましょう。


飛鳥〜白鳳時代では、
人気の高い、法隆寺・百済観音像、夢違観音像が登場します。


興福寺(山田寺)・仏頭(昭和12年発見)と野中寺・弥勒半跏像(大正7年発見)は、大正以降の新発見仏像です。


奈良時代では、
大変、興味深い特徴が見て取れます。
14件がラインアップされたのですが、そのうち11件が乾漆造り(脱活乾漆・木心乾漆)の仏像なのです。


塑像の仏像は2件しかありません。

明治以降高評価定番仏像では、奈良時代7件のうち5件が塑像の仏像でした。
明治時代には、東大寺法華堂・執金剛神像、日光月光菩薩像、戒壇院・四天王像のような、「塑像の古典的写実表現の仏像」が、とりわけ評価されていたことが判ります。

乾漆造りの仏像は、技法上どうしても造形表現が少し甘くなったり、マイルドな感じが出ます。
ギリシャローマの古典彫刻への意識が高かった明治期には、リアルな表現の塑像の方が高く評価され、昭和期以降になってから、奈良時代の乾漆造りの造形表現の仏像も高評価の定評を獲得していったことが判ります。
人気の阿修羅像(興福寺・八部衆像)も、ここで登場します。


平安時代〜鎌倉時代については、
明治期と様変わりに、時代時代の優品仏像がしっかり採り上げられ、続々登場しますが、その顔ぶれの特徴については、この後の「その他の昭和期初登場の仏像」と一緒にみてみたほうが判りやすいので、そこでふれてみたいと思います。


【2019.2.23】


                



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