【第10話】  般若寺・伝阿弥陀如来小金銅仏像 発見物語


〈その2ー2〉




【目   次】


1.般若寺のシンボル・十三重石塔から発見された、白鳳の小金銅仏


2.般若寺・十三重石塔の建立・修復の歴史をたどる


3.十三重石塔の解体修理と白鳳・小金銅仏の発見〜昭和39年(1964)






3.十三重石塔の解体修理と白鳳・小金銅仏の発見〜昭和39年(1964)



【石塔解体修理のはじまり】


昭和39年(1964年)に至り、この十三重石塔の解体修理が行われることになりました。

この石塔は、積み重ねられた各層(重)の石と石との間にホゾが入っていないため、地震などでずれてしまって弓なりとなっており、大きいところで20pのひずみが出て危険な状態になっていました。
また風化により、軸石に描かれた線仏の傷みが激しいことから、解体修理に踏み切られたのでした。

この解体修理によって、石塔内から納入品が発見されるであろうと、期待されていました。

一方、巷のうわさには、明治初年の暴徒による石塔破壊の時に、納入品は殆ど散逸したかとも伝えられ、解体修理、調査にあたった人たちは、本当に納入物がおさめられているのだろうかと半信半疑の状態であったということでした。

石塔の解体調査は、4月27日から始められました。

調査員の人々は、一層、一層がクレーンで順に吊り降ろさるのを、かたずをのんで見守ったことと思います。




クレーンを使って行われる石塔解体修理の有様




【石塔内から続々納入物発見〜新聞各紙も大きく報道】


果たして、納入品は、各層から出現したのでした。

4月28日、五重目から、白鳳時代と思われる小金銅仏が発見されました。
元禄時代修理の時「閻浮檀金阿弥陀如来」と称されていた仏像です。




発見された「閻浮檀金阿弥陀如来」と称される伝阿弥陀像



5月4日には、初層から、鎌倉時代の五輪塔型舎利容器6基が発見されました。
その他の各層からも、種々の納入品が発見されたのです。







初層に納入されていた五輪塔型舎利容器



これら納入品の発見は、ある程度予想されていたとはいえ、大発見でありました。

新聞各紙は、十三重石塔の解体から始まって、白鳳小金銅仏の発見、舎利容器の発見を、大きな見出しでスペースを割いて報じています。
ご覧ください。





毎日新聞・大阪本社版1964.4.27朝刊




毎日新聞・大阪本社版1964.4.29朝刊




朝日新聞・大阪本社版1964.4.29朝刊




毎日新聞・大阪本社版1964.5.5朝刊



4月29日付の小金銅仏像発見報道の内容を、少しご紹介してみましょう。

「穴から絶品の金銅仏〜奈良般若寺の十三重石塔」>

という見出しの朝日新聞は、このように報じています。

「天平時代、聖武天皇の創建と伝えられる奈良・般若寺にある十三重塔(重要文化財)は、さる26日から奈良県教委で解体修理しているが、28日、下から五重目の石をくり抜いた穴の中からキリの箱に入った金銅仏が見つかった。

奈良国立文化財研究所小林剛所長の話では、約1250年前白鳳時代を下らない仏像で、旧御物の法隆寺四十八体仏(現東京国立博物館)とよく似た貴重なもの。

衣のひだから台座に至るまで克明にタガネのきざみが図案化された様式は他の例がなく、同所長は『絶品の金銅仏』と折紙を付けた。

・・・・・・・・・・・・・・

五重目の穴は直径30p、深さ45p、この中に『明治3年修理した際に元からあった仏像を納めた』と書かれた箱があり、中から高さ40.9cm、右手を上、左手をさげた仏像が出てきたもので、阿弥陀如来らしいという。

・・・・・・・・・・・・・」



【五重目軸石内から発見された白鳳金銅仏像〜納入品発見の状況】


この小金銅仏のほかに、各層から様々な納入品が発見されたのですが、この図をご覧いただければ、その概要をお判りいただけるのではないかと思います。




十三重石塔・納入物の一覧図



この図は、般若寺で春秋に開かれている、「秘仏秘宝特別公開」の時に、いただける説明書です。
各層からどのような納入物が発見されたのかが、一覧で大変わかりやすくまとめられています。
ご覧のように、数々の納入物がおさめられていました。

「赤マル」のところが、白鳳小金銅仏が発見された、第五重の処です。

納入物は、明治の破却修復時に記された寺蔵の「般若寺十三重宝塔修理明治三年記」の「塔内霊仏目録」にあった納入品が、そのまま残されていました。
幸いにして、廃仏毀釈の時に石塔が壊された時に、巷間云われたような「納入品の散逸」は無かったのでした。


伝阿弥陀如来金銅仏の発見状況などについて、もう少し詳しくご紹介したいと思います。

伝阿弥陀如来小金銅仏は、第5重軸石内から発見されました。
発見時の納入状況などの写真をご覧ください。




五重軸石内に奉納されていた木箱
箱書きがされ伝阿弥陀金銅仏等が収められていた




木箱の蓋を開けた状況




取り出された伝阿弥陀金銅仏〜赤地錦の裂に包まれていた



軸石の中央に円筒形の納入孔が穿たれ、その中に桐箱がおさめられていました。
縦横約20p、高さ43センチの桐箱でした。
箱の表裏には、このような墨書きがありました。




桐箱に遺されていた墨書



この箱は、明治3年の石塔修造の時に新造して納められたようです。
箱を開けると、中には赤地錦の裂に包まれた如来形金銅仏が納められ、その周囲に刷仏が詰め物として入れられ、舎利、般若心経の一包が添えられていました。




木箱に詰め物として入れられていた「閻浮檀金阿弥陀如来」の刷仏



箱書きにある、御腹仏は、文字通りの胎内仏で、伝阿弥陀如来金銅仏の台座裏の空間に紙に包んで納入されていたのでした。




伝阿弥陀如来の胎内納入仏



さて、新発見の伝阿弥陀如来金銅仏は、いつの時に、この石塔に納入されたものなのでしょうか?

金銅仏は、間違いなく白鳳仏ですので、この十三重石塔が建造された鎌倉時代に納入されたと考えるのが、素直なところのように思えます。
軸石にも、相応しい納入孔が穿たれています。

ただ、記録を遡ってみると、元禄年間、明治年の目録に、はっきりと「閻浮檀金阿弥陀如来」と指摘され、法量も一致することから、納入の下限が元禄年間であることは間違いありません。
記録上は、これ以上さかのぼることが出来ないので、鎌倉時代建立時の納入とは断言できないということになるそうです。

胎内仏の方はどうでしょうか?


胎内仏は、像高5〜11pの小仏で、共に鎌倉時代の制作とされています。
この3躯の胎内仏については、明治目録には記載されていますが、元禄目録には記載されていません。

修理報告書には、

「包紙その他底面に入れられた刷仏の状況からは、明治修理時に納めたか、又は元禄修理時に納めたものを、明治修理時に納めなおしたものと想像されるものである。」
(「重要文化財・般若寺塔婆修理工事報告書」奈良県文化財保存事務所編・1965刊)

と述べられています。
これもまた、推定がなかなか難しいようです。


いずれにせよ、昭和39年(1964)の十三重石塔の解体修理で、新たな白鳳の小金銅仏が、我々の眼前によみがえったのでした。
何度もの層塔の積替え修理があったにも関わらず、よくぞ取り出されずに、石塔内に奉納し続けられたものだと思います。
これも、信仰の力なのでしょうか。

もし、いずれの時代かに、この小金銅仏が取り出されてしまっていたらば、散逸してしまったり、明治の廃仏毀釈の時に売り払われてしまっていたかもしれません。


今も、白鳳のやさしさ、清明さを伝える、金銅仏を拝することが出来ることは、本当に嬉しいことです。



【春秋・特別公開されている伝阿弥陀如来金銅仏などの納入物】


この伝阿弥陀如来金銅仏をはじめとする、十三重石塔から発見された納入物の数々は、発見から3年後の昭和42年(1967)6月に、 「大和般若寺石造十三重塔内納置品」 という呼称で、一括して重要文化財に指定されました。

現在は、般若寺の宝蔵堂に安置、保管されています。

昭和46年(1971)10月には、奈良県文化会館で「般若寺名宝展」と題した展覧会が開催され、十三重石塔から取り出された納入物の数々が一般展観されました。
もちろん、伝阿弥陀如来金銅仏も展示されました。

現在は「大和般若寺石造十三重塔内納置品」は、常時は公開されていませんが、春秋には「白鳳秘仏特別公開」と称して宝蔵堂が開かれ、拝見することが出来ます。


 

.      「般若寺名宝展」図録          春秋の「白鳳秘仏特別公開」パンフレット




今回は、般若寺の伝阿弥陀如来金銅仏の発見物語と、小金銅仏が奉納されていた般若寺のシンボル、十三重石塔の歴史を振り返ってみました。





【ご参考〜追 記】


この般若寺十三重石塔の建立、修復の歴史や、納入品の発見などの詳しい話は、次の資料に詳しく記されています。

@「重要文化財・般若寺塔婆修理工事報告書」  奈良県文化財保存事務所編・1965刊

A「般若寺石造十三重塔」  奈良県教育委員会(元田長次郎・村野浩) 月刊文化財14号・1964.11刊

B「大和古寺大観・第3巻」 (般若寺の解説部分)  岩波書店1977.6刊

特に、@の「重要文化財・般若寺塔婆修理工事報告書」には、石塔の解体修理と納入品発見の詳細な報告、写真が掲載されているとともに、般若寺十三重石塔の歴史についての詳しい論考、解説が収録されています。

ご関心のある方は、一度、ご覧になってみていただけると、ご参考になると思います。





【2017.12.16】


                


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