第6話・興福寺・仏頭(山田寺旧仏)発見物語〈その2ー2〉


		【第6話】　　興福寺・仏頭(山田寺旧仏)　　発見物語〈その2ー2〉【目　　次】 1.「世紀の大発見！」興福寺・仏頭の発見～昭和12年(1937) 2.仏頭発見時の有様を振り返る (1)発見者の一人、黒田曻義氏の思い出話・発見記 (2)大きく採り上げられた新聞報道 3.仏頭の来歴～興福寺東金堂衆が奪取した山田寺旧仏(天武14年・685制作) 4.発見当時、諸説あった制作年代議論～山田寺旧仏が定説に３.仏頭の来歴～興福寺東金堂衆が奪取した山田寺旧仏 (天武14年・685制作) 【仏頭は応永年間火災前の東金堂本尊～台座内部に残された由緒書き】さて、この仏頭は、如何なる来歴の仏像であったのでしょうか？仏頭の発見された台座の内部の篏板に、墨書が残され、仏頭の由緒がしたためられていました。漢文で書かれた墨書ですが、その大意は、次のようなものでした。「応永18年(1411)閏10月15日に、春日の東塔の雷火の災を蒙って、東金堂および廻廊などが焼失した。この際、諸尊秘仏六躰は悉く取出すことができたが、本尊は大綱がなくて取出すことを断念した。しかし幸いに、災後その御首だけが残っていた。よって、その御首を据え奉るために台座を造営した。堂宇および本尊か再建、再鋳されたならば、この台座をその本尊の御座の下に置いて、御首の久住とせよ。」興福寺東金堂・薬師像の台座の内部篏板に残されていた墨書この墨書により、この仏頭が、応永18年(1411)の火災の際に東金堂の本尊であった仏像の頭部であることが判るのです。現在の東金堂の本尊は、応水18年の火災後間もなく、応永22年(1415)に河内鋳師により新鋳された薬師如来像です。その台座の下に、この旧本尊の御首を、正面をむけて安置されていたわけですから、東金堂に参拝する人は、現代に至るまでの長きに亘って、知らず知らずにこの仏頭を拝んでいたのでした。【仏頭は山田寺旧仏か？～興福寺東金堂衆が文治3年に強引に奪取】それでは、この仏頭は、いつの頃に造られたものなのでしょうか？即座に思い出されるのが、興福寺・東金堂衆によって奪い取られた山田寺旧仏が、これにあたるのではないかということです。鎌倉時代に山田寺の仏頭が奪われた事件は、今更ここで語る必要もないほどに、よく知られた話です。そのエッセンスにだけふれておきます。山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により造営された寺院です。桜井市山田にある山田寺址その後、石川麻呂が讒言によって誅殺され、寺の造営も中断しますが、天武朝時代に名誉回復が図られ、造営が再開されます。石川麻呂の孫娘にあたる天武天皇妃、後の持統天皇の力に負うことが大きかったと考えられています。山田寺の丈六金銅仏は、不幸な死を遂げた蘇我倉山田石川麻呂を追福して造立されました。法王帝説によれば、この仏像は天武14年(685)に開眼されています。この薬師三尊像を、文治3年(1187)、興福寺・東金堂衆が山田寺から無理やり奪い取り、東金堂の本尊として安置してしまうのです。興福寺の東金堂は、治承4年(1180)の平重衡の兵火に炎上し、その後、文治元年(1185)にお堂だけは再建されたが、本尊像の制作までは力及はず、いつ出来るという見込みさえつかない状況でした。このことに業を煮やした東金堂衆が、強引に山田寺の丈六薬師三尊像を移安し、本尊に据えようとはかったのでした。この出来事は、九条兼実の日記「玉葉」に、そのいきさつが書き残されています。九条兼実は、藤原氏の氏長者で当時、摂政(のちに関白)の地位にあった最高級貴族です。兼実は、この事件が起きた時には、困り果てていたようですが、文治5年(1189)に興福寺を訪れた時には、「当時はいろいろ問題になったけれども、いま拝してみると、はなはだこの堂の本尊にふさわしい姿で、これも何かの機縁だろうか」と記しており、事件を追認し、満足していたようです。台座から発見された墨書きの由緒を素直に信じて読むと、この山田寺旧仏・薬師三尊像の中尊の頭部が、応永18年(1411)の火災で焼け落ち、台座の中に収められた仏頭ということになろうかと思います。興福寺に、仏頭発見当時の事務所日誌が残されており、2013年の「興福寺仏頭展」に際し、その内容が確認されたそうです。 10月29日の日誌に仏頭発見についてこのように記されています。仏頭発見を記す興福寺事務所日誌(S12.10.29付)～2013年に確認された「目下修繕工事足場取付中ノ東金堂本尊台座下ヨリ旧本尊ノ御首并ニ御首ノ台中唐櫃ノ中ヨリ一尺五寸位ノ銀ノ御手ヲ発見ス御首ハ何時代ノ鋳造ナリヤ不明ナレトモ文献ヲ綜合スルニ治承四年災焼ノ折東金堂堂衆ニ依テ山田寺ヨリ持チ来リシモノナラン東金堂本尊ハ山田寺ノモノナリトハ諸処ニ散見スル所ナリ山田寺最初ノ本尊トスレハ天武天皇ノ御願ニ依リ石川麿追福ノ為に鋳造セラレシモノ也…」これを見ると、興福寺では、仏頭が東金堂台座内から発見されたその日に、この仏頭は治承4年に「山田寺ヨリ持チ来タリシ」山田寺旧仏であろうとみていたことが判ります。４.発見当時、諸説あった制作年代議論～山田寺旧仏が定説に【発見当時は、諸説紛々の仏頭制作年代】ところが、専門家、研究者の間では、そうすんなり話は運ばなかったようです。簡単に山田寺旧仏と即断するということにはならず、仏頭制作年代の見解は、随分別れていたようなのです。なんと白鳳時代の制作から、鎌倉時代の擬古作まで、各人各様の意見が出されました。仏頭発見後の新聞報道を追ってみると、仏頭の制作年代に、いろいろな見方や観測がなされているという記事が、続報されています。大阪朝日新聞の「見出しと記事内容」を追ってみると、こんな具合です。 *「興福寺山田寺の仏像争奪　　事件解明の謎？　藤原時代説も有力」(11/3付)* 大阪朝日新聞　　昭和12年(1937)11月3日付記事 *「足立博士と金森氏　二つの考証を聞く　　新発見の『東金堂』仏頭問題」(11/4付)* 大阪朝日新聞　　昭和12年(1937)11月4日付記事 *「仏頭の謎　愈よ深し　　鎌倉初期に興福寺で作ったもの　　岸技師が意見発表」(11/6付)* 大阪朝日新聞　　昭和12年(1937)11月6日付記事 *「謎の仏頭　薬師像の首　　白鳳期の作　　明珍氏ら研究」(11/9付)* 大阪朝日新聞　　昭和12年(1937)11月9日付記事【研究者の、様々な意見を紹介すると‥‥】この辺の制作年代議論は、黒田氏の「発見記」が掲載された東洋美術25号に、まとめられています。「古美術界雑記」という記事があり、この仏頭の制作年代についての、それぞれの研究者の第一印象のような見解が載せられています。当初は、多様な意見が出されていたことを垣間見ることが出来ますので、ご紹介してみたいと思います。まさに、諸説紛々といってよい、混沌とした状況です。・足立康氏「文献的には、この考へ(山田寺旧仏という考え)が最も妥当の様であるが、然し実際の御首は金森氏がいはれる如く白鳳時代のものでなく、天平のものとすれば、忽ち矛盾に逢着する。・・・・・・私の実物を拝見した時の考へをいへば、この首は決して白鳳時代のものでないと信ずる。それでは何時代かと問われれば困るが、非白鳳説である事は動かし難い。今暫く慎重にその断定を避けようと思ふ。」・明珍恒男氏「形式及び様式の上から白鳳時代であるとして間違はない。奈良中期又は末期とするのは一理はあるが、初期の白鳳に作られたものとするのが最も無理がないと思ふ。」・源豊宗氏「実物をまだ見せてもらはないのでよく解らないが、写真を見た処では和銅前後の製作であり、奈良前期様式の末期に置かれるものだと思ふ。」・金森遵氏「様式上和銅以後の奈良時代初期だと云ふ事が出来るが、まだ釈然としない点がある。」　・岸熊吉氏「仏頭と両脇侍の手法が違うことは、もし脇侍が山田寺から奪ったものに相違ないとすれば、この仏頭を持った仏像は、元暦年間東金堂が再興された際、興福寺で作られたものではなからうか。」・望月信成氏「この仏頭が鎌倉時代だと云ふのはお気の毒です。一見白鳳ではありませんか。斜めから見ても横から見ても実に出来のよい彫刻で、どこにも鎌倉時代らしい所はない。奈良時代でよいではありませんか。」まとめると、・明珍恒夫、望月信成の両氏が、白鳳時代説。・足立康、源豊宗、金森遵の三氏が、天平(奈良)時代説。・岸熊吉氏が、鎌倉時代擬古作説。ということになるのでしょうか？現在では、興福寺の仏頭は、「山田寺旧仏に間違いなく、天武14年(685)の制作、白鳳彫刻を代表する基準作例」ということに、誰も異論がない常識になっていますが、発見当初には、これだけ多様な見方がされていたことは、本当に驚きです。昭和12年当時の日本彫刻史の様式研究のレベルが未熟な面があったということなのでしょうか？明治時代のことならまだしも、この頃になると、飛鳥～奈良時代の仏像彫刻の様式展開などについての研究は、随分進んでいたように思うのですが・・・・・・「様式から仏像の製作年代を割り出す」ということの難しさを、物語っているようにも思えます。【仏頭は「山田寺旧仏、白鳳彫刻の基準作例」が定説に】このように、仏頭が発見されて間もない頃には、種々の意見がありましたが、時が経つにつれ鎌倉擬古作説、天平説は次第に淘汰され、白鳳説が定説化していきました。足立康氏も、昭和15年に発表した「白鳳彫刻に関する基礎的問題」ならびに「薬師寺東院堂聖観音像」の2論文では、この仏頭を天武14年完成の旧山田寺像として認める立場をとるようになりました。天平説をとっていた金森氏も、昭和17年に「美術研究125号」に発表した「白鳳彫刻私考」という論文の中では、この仏頭を天平14年開眼の山田寺旧仏として　白鳳時代の基準作例の一つに数えるようになりました。以降、仏頭は天武14年（685）完成の基準作例として広く認知されていくことになり、戦後は、白鳳説が定説化していきました。現在、興福寺・仏頭が山田寺旧仏であることを疑う説は、全く無いのではないかと思います。【彫刻史研究にインパクトを与えた仏頭発見～薬師寺論争にも大きな影響が】興福寺仏頭の発見は、その後の日本彫刻史の研究に、大きなインパクトを与えることになります。制作年代がしっかりと確定できる、数少ない白鳳時代の第一級仏像が、世に顕れたわけですから、それだけでも大変なことです。それにもまして、薬師寺金堂・薬師三尊像の制作年代論争に大きな影響を与えることになりました。現在の西ノ京・薬師寺金堂の薬師三尊像が、藤原京の本薬師寺で造られたものの移坐なのか、平城京の薬師寺で新鋳されたものなのかという大論争です。興福寺仏頭が山田寺において造られた時期、即ち天武14年(685)が、丁度、本薬師寺建立の頃にあたることから、この論争に大きなインパクトを与えたわけです。薬師寺金堂の薬師三尊像が、白鳳時代の制作で、藤原京・本薬師寺から移坐されたとする説は、持統2年(688)、もしくは持統11年(697)に、この仏像が制作されたと考えられています。一方、平城京の薬師寺で新鋳された天平時代制作の仏像と考える見方では、養老年間以降(718～)に制作されたこととなります。薬師寺三尊像が持統年間に造られたとすると、興福寺(旧山田寺)仏頭の制作年、天武14年(685)と、大変近い時期に制作されたことになります。ところが、新発見の興福寺仏頭の造形表現、様式と、薬師寺金堂・薬師三尊とを比較すると、誰が見ても、薬師寺像の方がはるかに成熟、発展したものになっているのです。白鳳から天平への様式展開、発展論の中で考えると、両像が、ほぼ同時期に制作されたものとは考えにくいとされ、興福寺仏頭発見当時から戦後しばらくの間は、薬師寺・薬師三尊像を天平時代、平城京新鋳とみる考え方が、大変、有力なものとなったのではないかと思います。しかしながら、その後、単に造形表現の差を制作年代の差とみるべきではなく、諸々の観点から研究、考証を進めると、薬師寺三尊像は白鳳時代、本薬師寺で制作されたものと見るべきであるという説も展開されています。現在の処は、薬種時論争は、引き続き、いずれとも決し難い、美術史上の大きな論争となっているのでしょう。この薬師寺論争の話にふれると、大変ややこしいことになりますので、これ以上は触れないでおきたいと思います。焼け落ちて首だけになり、大きくゆがんだ痛々しい姿であるにもかかわらず「白鳳の貴公子」と呼ばれ、清楚で秀麗な造形で人々の心を魅了する、興福寺仏頭。台座の中に秘められ続け、まさに想定外の驚きの発見だったのですが、日本彫刻史の研究に、大きなインパクトを与える「世紀の大発見」になりました。今回は、その「世紀の大発見」のいきさつや、数奇な仏頭の運命、その後の議論の顛末をたどってみました。【追　記～仏頭発見について書かれた出版物】仏頭発見のいきさつなどが詳しく書かれた出版物には、次のようなものがあります。ご関心のある方は、ご覧になってみていただければと思います。「興福寺東金堂佛頭佛手発見記」(黒田曻義) 「古美術界雑記」(小川晴暘執筆か？）共に東洋美術25号(1937年12月刊)所収「白鳳時代に光を与えた仏頭」(久野健)　　　　芸術新潮1967.6号掲載「興福寺の仏頭」と改題して、「白鳳の美術」(久野健著)1978年　六興出版刊に所収「興福寺仏頭」(片岡直樹)　 *「興福寺～美術史研究のあゆみ～」2011年　里文出版刊所収* 了【2017.8.5】【追記の追記～仏頭発見の本当の日はいつか？】観仏日々帖に　　　*「こぼれ話～興福寺仏頭　発見の日はいつか？」*　　　という話を掲載しました。内容は、吉崎瑞光氏執筆の　 *「研究余禄　興福寺仏頭発見の日はいつか」*　　*奈良美術研究第15号　2014年3月刊所載* と題する論考についてご紹介するものです。興福寺仏頭の発見日は、この「興福寺・仏頭(山田寺旧仏)発見物語」でご紹介したとおり、「昭和12年10月30日発見、31日取出し」とされています。ところが、「興福寺寺務所日誌の仏頭発見の記録」が、2013年9～11月に東京藝大美術館で開催された「国宝興福寺展」に合わせて、興福寺が行った調査によって、初めて明らかになりましたが、「寺務所日誌」の仏頭発見記録の日付が、「昭和12年10月29日」と記されていました。吉崎瑞光氏の論考は、「本当の発見日は、いずれの日か？」という問題について検討、検証したものです。結論は、「10月30日、仏頭発見の事実は動かず」というものですが、発見物語の付けたり、としてふれさせていただきましたのでご覧ください。【2017.10.215】