宝冠(ほうかん)・瓔珞(ようらく)・釧(くしろ)
仏身の装飾具


 仏像のうち、如来像は悟りを極めた仏の姿を表わすため、大日如来像を除いて、衲衣のほか、装飾具は一切つけないのに対し、菩薩や天部・明王像は全身にきらびやかな装飾具をつける。装飾具のうち主なものは、宝冠・ようらくくしろ瓔珞・釧であるが、文様は花や葉、宝石などをかたどったものが多く、また実際に宝石を使用するものもある。

 宝冠

 宝冠は、頭部を装飾するもので、天冠ともいう。冠の前面が山形に立ち上がった山形宝冠(三山冠)と、正面および両耳の上につけた宝飾を冠帯で結んだ三面宝冠(三面頭飾)が代表的で、前者は飛鳥時代に、後者は白鳳時代にそれぞれ多く見られる。
 天平時代に入っても、東大寺三月堂不空羂索観音立像など贅の限りを尽くした宝冠が造られたが、天平の末期以降は、図像などを見ても余り大きな宝冠は少なく、天冠台の上に控え目に装飾をつけるものが多くなってくる。また宝冠をつけず天冠台のみを表す例もある。
 法隆寺九面観音像や、山口・神福寺十一面観音像などの檀像は、当初から全てを一木から彫出していると考えられるが、いずれも天冠台のみで宝冠をつけない。奈良・法華寺、滋賀・渡岸寺、岐阜・美江寺、広島・龍華寺の十一面観音像なども、宝冠を取付けた跡が見られず、頭部のバランスを考えてか、当初から天冠台だけで、宝冠をつけなかったと考えられる。また、東寺講堂五大明王像や和歌山・金剛峯寺不動明王立像のように髪飾りを木彫で彫出するものも多くなってくる。
 中央と地方という意味では、地方の像で、岩手・天台寺聖観音立像、成島毘沙門堂毘沙門天立像のように、頭部の前面に山形の立ち上がりをつけたり、島根・仏谷寺や兵庫・達身寺の諸像のように、頭に帽子を被ったような円筒状の立ち上がり(筒形宝冠)をつけた例が見られ、一つの様式ともいえるが、見方によっては資金面から簡易型の宝冠としたといえるかも知れない。
 もちろん、全ての像がそうだったわけではなく、中央、地方に限らず立派な宝冠を残す例もある。京都・峰定寺千手観音坐像は金属製、大阪・観心寺如意輪観音像は木製、福井・中山寺馬頭観音坐像は革製の、それぞれ造像時の宝冠をつける。
 菩薩像などの場合、宝冠に本地(ほんじ)となるべき如来を識標として表わすことがあり、化仏(けぶつ)と呼ばれる。観音菩薩像が、宝冠や額に阿弥陀如来像をつけるのはこの例である。
 宝冠の作例としては、東大寺法華堂の不空羂索観音像のものが、代表的である。この宝冠は、唐草文様を透彫りにした銀製鍍金の冠に、二万もの宝石を銀線で綴った豪華なもので、中央には純銀製の阿弥陀如来像を化仏としてつけている。

 

 瓔珞

 瓔珞は、仏像の体部を飾るもので、胸だけを飾るもの、胸から腰や脚までを飾るもの、胸と腹部を分けて飾るものなどがある。胸と腹部を分けて飾る例は、法隆寺の夢違観音像など、白鳳時代の像に限られている。胸だけを飾るものでは、法隆寺の夢殿観音像などがつける頸飾(けいしょく)と呼ばれる環状の瓔珞が飛鳥時代の例として知られる。瓔珞の素材は、金銅仏の場合、本体とともに鋳出することが多いが、木彫の場合は、銅板を打ち抜いたものや、別木でとりつけるものが多い。また立像の場合、現在瓔珞がなくても、衣の裾がたくれたように引き上げられており、もとは瓔珞が両裾をもち上げるように懸けられていたと考えられる例が、平安時代の像に多い。

 

 

 釧は、仏像の手足につける環状のもので、鐶釧(かんせん)ともいう。上膊部につけるもの臂釧、手首につけるものを腕釧、足首につけるものを足釧と呼んで区別するが、足釧は、裳裾に隠れて表わされない場合が多い。

inserted by FC2 system