光背(こうはい)

仏身からの光彩を象徴


 光背(こうはい)は、仏身から発する後光をかたどって仏像の背後につけられるもので、仏像の頭部につく頭光と体部につく身光に分けられる。飛鳥・白鳳時代には、法隆寺金堂釈迦三尊像に代表されるように、脇侍を含めた三尊を一つの光背で覆う、いわゆる一光三尊形式の像が多く、これらの光背は、先端の尖った形状から舟形光背と呼ばれている。また、独尊像の場合は、頭光のみの円形光背や、円形光背の周りに火焔を配した宝珠型光背などがある。宝珠形・円形光背は、像の後頭部に直接つけるものが多いが、飛鳥時代後期には、台座から支柱を立てて支える形式のものが見られるようになる。光背の文様は、中央の蓮華を囲んで、唐草文様を配する例が多い。天平時代に入ると、仏像の材質が多種多様になるにつれて光背のデザインも複雑なものが現われるようになる。後光を体の中心から放射状に表わした東大寺三月堂不空羂索観音像の光背などが代表的である。平安時代になって、頭光と身元の一部を重ねた二重円光が生まれる。二重円光は、平安時代以降の光背の主流となるが、特に平安初期のものは、福島勝常寺薬師如来像に見られるように、力強く、立体感をもっている。また、不動明王などがつける、火焔をかたどった火焔光背なども、平安時代に現われる。その他、平安時代独特のものとして、奈良を中心に四国や九州の一部で、舟形の板に唐草文様や仏画などを描いた板光背と呼ばれる形式が見られる。平安時代後期には、阿弥陀如来像の隆盛に伴い、二重円光の周辺に飛天を配した飛天光背が流行する。京都平等院鳳鳳堂の阿弥陀如来像の光背がその典型である。方形の身元の上に円形の頭光を置く壬生(みぶ)光背も、特殊な光背として知られ、鎌倉時代にもその例が見られる。

 鎌倉時代にはいっても、やはり二重円光が主流であるが、細部に飾り金具を取り付けたものや、和歌山高野山高台院阿弥陀三尊像の光背などに見られる、精緻な金属製のものなど、金工技術を生かした光背が生まれた。室町時代以降は、前時代からの踏襲が多く、見るべきものは少なくなっている。

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