仏像の材質

 木造

1. 木の構造、分類、用途

 木の種類には、針葉樹と広葉樹があり、内部構造は大きく異なっている。針葉樹は、仮道管という細長いチューブ状の細胞の集まりから成っていて、ほぼ均質であるのに対し、広葉樹の方は、水を通す太い道管が根から樹の先端まで通っており、その周りに木繊維が取巻いている。広葉樹は、道管の出来方により、道管が年輪にを沿って表われる環孔樹、均一に表われる散孔樹、中心から放射状に表れる放射孔樹に分類される。これらの細胞の成長は、季節によって異なり、春は生長が早いため大きく粗い組織が、秋は逆に小さく密な組織が出来るため、これが年輪となって表われる。

 針葉樹は、木肌が均質できめ細かく、柔らかな絹糸光沢をもち、白木のままで美しいため、仏像に多く用いられている。

 広葉樹の内、特に環孔材は、年輪に沿って道管が並ぶため、年輪が明瞭に現れる。また、道管が比較的太く木肌は荒いため、仏像には余り用いられない。環孔材の代表であるケヤキは、木目が男性的で雄渾な感じを与え、桃山時代には、城郭建築、寺院建築等に多く用いられた。

 散孔材や放射孔材は、環孔材に比較して道管が細かく年輪も目立たないことから、比較的木肌が均質なカツラやサクラなどが、仏像彫刻に用いられている。

 仏像の用材は、下記のように分類できる。

針葉樹(ヒノキ系):木目が実直で導管が無いため木肌が均一である。特にヒノキは、靭り強くかつ軟らかで、切削面は光沢を持ち彫刻材に適す。ヒノキ、カヤ、イチイ、ヒバなど。

 

 

 

 

 

 

 

広葉樹環孔材(ケヤキ系):材質は堅硬で、木肌は荒く、木目に沿って導管の孔が並んで表れるため、緻密な彫刻には適さない。特にケヤキは、導管が太く、木理が顕著に現れる。ケヤキ、シオジ、センダン、ハリギリ、ハルニレ、クワなど。

 

 

 

 

 


広葉樹散孔材(サクラ系):導管が小さくかつ分散しているため、環孔材に比べて均質で削りやすいが、木肌はやや荒く、切削面も光沢に乏しい。現代では、サクラ、ホウノキの順に、彫刻材として用いられている。サクラ、カエデ、カツラ、クスノキ、ビャクダンカヤ、イチイ、ヒバなど。

 

 

 

 

 

 

 

2. 木の強度

 木は、一般的に他の素材に比べて弱いと考えられている。しかし、木は軽量であり、同じ重さで比較した場合の強度は、表2のように、鉄とほとんど変わらないことが判る。

 

木および他の材料の強度

 

 

比重

圧縮強さ

引張り強さ

重量当りの
引張り強さ

 

 

 

kg/mm2

kg/mm2

kg/mm2/素材kg

針葉樹

ヒノキ

0.46

517

573

1246

広葉樹

シロカシ

0.99

641

1250

1263

SS400

7.85

 

5200

662

 

ピアノ線

7.85

 

30000

3822

プラスティック

塩ビ

1.4

800

1000

714

コンクリート

 

 

 

 

 

 

3. 木の性質

 木の唯一の欠点は、そり、曲がりによるくるいにあるといわれる。これは木が、生物であり細胞から成り立っており、細胞膜は水分を通すため、外気の湿度によって水分の吸収放出をくり返すためである。木と紙で出来ている日本の家屋が湿度の変化のはげしい日本気候に最適なのは、木自体が水分をコントロールするためである。また、ウィスキーやワインを樽でねかせるのは、木の細胞膜を通して空気と水分とアルコールが行き来し、適度に発酵が進むからである。

 木は、細胞膜の中にリグニンなどの樹脂分含み、細孔から水分を行き来させるため、乾きが非常に遅い。このため、木は切られてから何年もの間乾燥させた。通常、伐採を行ってから、数年から十数年放置していたと考えられる。もっとも使用場所に運ぶのにかなりの期間を要したと考えられる。かつては、木材の輸送には河川が利用されていたが、木は、水の中に放置すると細胞内の樹脂分が水と置換し、かえって乾きが早くなるとと言われており、現在でも木場等の貯木場で、木を水中で貯木しているのはこのためである。

 木は乾燥する際、表面から乾燥を始めるが、乾燥が遅く、また木の半径方向の収縮が2%位であるのに対し、外周方向の収縮は4%位と、2倍程度も大きいため、表面が収縮して割れが生じる。これは、十分乾燥した材料でも同様で、空気中の水分を吸収放出するためその繰り返しによって、木の半径方向に、表面から木芯に向かって干割れを生じる。床柱に使用される京都・北山杉の磨き垂木などは、裏面に当たる部分にわざと鋸目を入れ、表面に割れが出ないように工夫されている。

 仏像を彫る際にも、この狂いが生じないような工夫が施された。大木が豊富にあった時代には、一本の木を4つに割るなど、木芯を含まないように木取りをするのが普通であった。しかし、大きい木材が確保できなくなると、像の内部を刳りぬき、木芯を除去する方法が採られるようになる。この内刳と呼ばれる手法は、木芯を除去するためだけではなく、像の重量を軽減することを目的として、次第に、内刳を大きく、木の厚みが一定になるように彫られるようになった。

 平安初期の元興寺薬師如来立像の場合、内刳の大きさは、等身大の像に対し、巾25cm、高さ120cm程度で、ほぼ四角く、直方体状に刳りぬかれているのに対し、平安中期の像の場合、一木造でありながら木の平均厚みは5cm程度まで、像の外形に合わせて彫り込まれている。また、平安中期から見られる寄木造は、これを発展させ、元々木のブロックを寄せ合わせた状態で、個々のブロック毎に内刳まで仕上げ、これを組み合わせるという手法で、このように造られた像は、ほとんど干割れを生じていない。

 

4. 仏像の用材

仏像の用材は、時代、地域によって大きく変化している。

 飛鳥、白鳳時代は、大陸から伝えられた木像の素材であった白檀等の代用として、堅く芳香のあるクスノキが用いられた。広隆寺・宝冠弥勒菩薩像がアカマツであるのを除き、この時代の木像はすべてクスノキで造られている。飛鳥時代にクスノキが使用されたのは、日本にもたらされた初期の木彫が檀像であったためと考えられる。檀像は、堅く緻密で香木として珍重された白檀(びゃくだん)等の檀木を用いて作られた像をいうが、日本でこれと良く以た木として、クスノキが選ばられたと考えられる。クスノキは散孔材で道管は細く木肌は密で堅く、樟脳(しょうのう)の原料となる香木として知られ、日本の木の中では幹囲が最も太くなる木である。環境庁が平成元年に行った第4回自然環境保全基礎調査、巨樹・巨木林調査調査でも現存する日本の巨木のべスト10本のうち9本がクスノキであった。

 次の奈良時代には、木彫像はほとんどないが、乾漆像や塑像の心木にはヒノキが使用されるようになり、平安時代以降はヒノキが主流となる。クスノキは堅く、大きな像を造るには適さなかったのに対し、ヒノキは、美しい木目と、芳香をもち、鑿等による加工性、耐久性に優れていることが、その理由と考えられる。特に平安時代初期に、仏像の表面に彩色を施さない素木(白木)の像が多く造られたことを見ても、均質で木肌の美しいヒノキが日本人の好みに合ったものと考えられる。

 また、一方で平安時代以降、京都、奈良以外の地方でも造像が行なわれたため、地方の特色を持った、ヒノキ以外の材料も使われた。

地域による特徴としては、平安時代以前の彫像の用材の調査によると、

ヒノキ系:ケヤキ系:サクラ系の比率としては

東北地方 1:4:5

関東地方 7:1:2

近畿地方 9:0:1

となり、中央から地方に離れるに従って 針葉樹の用例が少なくなっていく事が判る。これは、ヒノキが東北地方に分布せず、調達が困難であった事が一因として考えられるが、東北地方には、ヒノキに類似し代用品として考えられるヒバ(アスナロ−明日はヒノキになろうと言う意味)が多く分布しているにもかかわらず、ヒバの用例も殆ど無い事から、ケヤキ、カツラなどのやや荒れた木肌や、顕著な木理が、辺境の仏達の姿に相応しかったからかも知れない。

 

仏像の用材

仏像の用材のデータは、「木の情報発信基地」(http://www.wood.co.jp)の「小原次郎の世界」から引用し、造像年代を追記したものです。
データ量が多く、開くのに時間がかかりますのでご注意下さい。

 

 

 

inserted by FC2 system