仏像を科学する

 

 年輪年代法

 樹木の年輪幅は毎年の気象条件で変動するため、生育環境が近い一定地域で同年代に生育した樹木は、樹種ごとに固有の成長パターンを持つ。

 年代ごとに指紋のように異なるその成長パターンの特徴を波形で表し、年代が確かな現在の切り株の年輪と波形の合致するより古い年輪の木材を見つけて順に波形をつないでいくことにより、年代ごとの年輪の特徴を波形で表した暦年標準パターンをあらかじめ作っておく。出土した木材の年輪をこの時代のものさしで測り、合致する樹皮に近い最終年輪をその木材の伐採年とする。

 日本では気候や地形が複雑であるため年輪の成長は各地の環境に左右される度合いが強く、共通のパターンは引き出しにくいとされていたが、奈良文化財研究所が、日本の遺跡で出土する割合が圧倒的に多いヒノキ、スギ、コウヤマキにしぼって調査し、地形が多少変わっても波形の特徴をとらえられる暦年標準パターンを作成した。この時代のものさしは、ヒノキは紀元前912年、スギは紀元前1313年と縄文後期までの標準変動パターンが完成している。今までに年輪年代法で年代が判明した例としては、

1.  一九八五年の滋賀県信楽町・宮町遺跡の調査では、発掘されたヒノキの柱は七四二年と判定。この天平十四年は、続日本紀で聖武天皇が「紫香楽宮」を造営したと記された年で、年輪年代が宮跡を決定するとともにその正確さが文献からも裏付けられる形となった。 (昭和60年)

2.  東大寺仁王像の主要木材は完成二年前の一二〇一年産ヒノキだった。 (平成2年)

3.  全国屈指の弥生環濠(ごう)集落・池上曽根遺跡(大阪府和泉、泉大津市)中心部の大型建物「神殿」跡から発掘されたヒノキの柱根が、その年輪による「年代測定」で紀元前五二年の伐採木とわかり、一緒に出土した土器片を基準にこの土器型式の前後の移り変わりを目安にした「土器編年」から想定されていた通説より百年もさかのぼってしまうとして学界に衝撃を与えた。 (平成10年)

4.  古墳出現のカギを握る桜井市・纒向石塚の周濠から発掘されたヒノキ材を伐採年に近い年代として一七七年と判定、弥生時代後期にすでに古墳が存在した可能性を示し、「古墳時代の始まりは箸墓以降」とする公式に再検討をせまる結果となった。 (平成13年)

5.  奈良県・勝山古墳出土のヒノキ板が三世紀初めの伐採と測定、古墳時代の始まりがさかのぼると話題になった。 (平成13年)

6.  現存する世界最古の木造建造物である法隆寺・五重塔の心柱の伐採年代が、年輪年代測定法で594年と判明し、これまでの通説であった、天智9(670)年の火災以降の再建との説を否定する結果として議論を呼んでいる。 (平成13年)

7.  鳥取・三仏寺投入堂と本尊蔵王権現像の建立年代が年輪年代測定法で判明し、現在の投入堂に先行する初代の投入堂が存在したことがあきらかになった。
 また、胎内に1168(仁安三)年の造立願文があった蔵王権現像は、1165年に造ったことも証明され、造立願文に記されている年代と像の測定年代がほぼ一致していることが科学的に証明された。 (平成14年)

 この方法は万能というわけではなく、判明する年代はその木材の伐採年であって、それが建材などに用いられるまでの期間が誤差となる。また、木材が再利用されていたとすれば、年代は大きく違ってくる。また、伐採年をつきとめるには樹皮に近い最終年輪が残されていることが不可欠だが、通常は加工されて使用されるため、表皮を含む木材遺物が少ないこと、木材の生育環境によってはパターンが得られないこともある。

 

 

 

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