仏 師

6.  康 俊 (こうしゅん)

最後の慶派仏師
  鎌倉時代に隆盛した慶派は、運慶の長子湛慶によって引き継がれ、その後も仏教彫刻界を統括することになるが、湛慶が建長8年(1256)に没して以降は、 慶派の中心であった七条仏所は、運慶の三男康弁が七条中仏所、四男康勝が七条西仏所、六男運助の子康祐が七条東仏所をそれぞれ開き、派を競った。
 しかしながら、鎌倉時代初期の南都復興の様な新たな寺院の創建や復興などの需要は少なくなり、今までのように、仏師としての名声だけで造仏が得られる状況ではなかったと考えられる。

 これらの仏師は、京都にあっては、運慶以来の東寺大仏師職、奈良にあっては興福寺大仏師職を踏襲して造像活動を行っていた。また、時の権力者に取り入る事も仏所を経営していくための大きな要素であった。
 康祐の兄に当たる康俊は、運慶六代之孫を名乗って、鎌倉末から室町時代にかけて多くの作品を残している。
 康俊の遺作は、年代順に並べると、

奈良・宝光院 地蔵菩薩立像 正和4年(1315)
大分・金剛宝戒寺 大日如来坐像 文保2年(1318)
静岡・MOA美術館 聖徳太子立像 元応2年(1320)
大分・永興寺 四天王立像 元享元年(1321)
奈良・般若寺 文殊菩薩騎獅像 元亨4年(1324)
佐賀・龍田寺 普賢延命菩薩騎象像 正中3年(1326)
アメリカ・ボストン美術館 僧形八幡神像 嘉暦3(1328)
京都・長楽寺 一鎮上人像 建武元年(1334)
宮崎・大光寺 文殊菩薩五尊像 貞和4年(1348)
兵庫・親縁寺 阿弥陀如来立像 貞和4年(1348)(康俊が修理)
兵庫・如意輪寺 如意輪観音像 観応2年(1351)
大阪・千手寺 千手観音立像 延文2年(1357)
岡山・妙圀寺 釈迦如来坐像 延文3年(1358)
兵庫・円教寺 金剛薩た坐像 延文4年(1359)
兵庫・福祥寺(須磨寺) 不動明王立像 応安2年(1369)

その他、下記像も康俊又は康俊・康成父子の制作と考えられている。
長弓寺・十一面観音立像
奈良・長福寺 聖徳太子像

 特筆すべきは、奈良・山陽道から遠く大分・宮崎などにもその作品を残していることで、在銘等により確認されるだけでも、全国に10以上の作品を数えることが出来る。

  康俊の代表作とされる奈良・般若寺の文殊菩薩騎獅像は、墨書銘により、西大寺の律宗の僧で、真言宗醍醐寺座主の文観上人が自ら願主となり、前伊勢守藤原兼光 を施主として、康俊・康成父子が造立したものであることが判る。墨書銘にある「金輪聖主御願成就」とは、後醍醐天皇の倒幕計画であった「正中の変」の事と され、後醍醐天皇の腹心であった醍醐寺座主文観上人が、六波羅探題の評定衆であった伊賀兼光を引き入れ、討幕成就を祈って造立したとされている。
 康俊の造像活動が大分を中心とする、九州北部にまで及んでいるのは、後醍醐天皇後醍醐天皇の皇子懐良親王を奉じ、九州南朝軍の中心として活躍した総大将菊池一族の本拠地であったことも無関係では無いと思われる。
  本像において見られる、切れ長の目や意志的な鼻、童顔でやや張りをもたせた肥満気味の体躯、厚手に表現した裳など、重圧感を強調した堂々とした表現は、康 俊の共通した作風であり、運慶に見られる洗練された動的な緊張感は陰を潜めるものの、意志的な力強さは、最後の慶派仏師と呼ぶに相応しい造形を見せてい る。

 また一方、アメリカ・ボストン美術館所蔵の僧形八幡神像は、快慶の東大寺勧進所僧形八幡神像の近い形式を持つが、ややうつむきがちの面相は優しく端正で、衣の処理もシンプルで、快慶像のような神々しさは陰を潜め、肖像彫刻を思わせる像である。

  大分・永興寺の四天王立像は興福寺北円堂の有名な乾漆造四天王像を模刻したもので、胎内銘によって、康俊とその子康成・俊慶が、元亨元年(1321) から翌年にかけて造立したことが判る。かつて運慶らも、東大寺・興福寺の天平彫刻に心酔し、それらの模刻から新たな鎌倉新様式を生み出したが、康俊らもま た、その影を追い求めようとしたものと思われる。
 ただ、これらの像を見る限り、残念ながら模刻の域を出ることは出来ず、康俊の技量の限界というよりは、時代の流れの中で仏師に期待される役割というものの限界が見えてきたと言えるのかも知れない。

 康俊の作風は、息子である康成、俊慶や弟子たちに受け継がれていくが、特に康成は、奈良に活動の拠点を移し、後に慶派から分かれ奈良を中心に活躍する椿井仏所の波に飲み込まれていった。


 注:大阪・千手寺千手観音立像の胎内銘に、『故 南都大仏師康俊』とあること、及び如意輪寺如意輪観音菩薩半跏像以降、東寺大仏師を名乗る事から、大光寺文殊菩薩五尊像制作以前に康俊は没しており、それ以降の作者は、同姓同名の別人であるとの説が出されている。



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