交通:東急大井町線等々力駅下車
● 等々力不動
世田谷区等々力1-22-47
等々力不動 山門
等々力不動は、世田谷城の城主吉良頼康の祈願所であった満願寺の別院で、流轟山明王院といい、和歌山根来寺の開山で新義真言宗の宗祖である興教大師(覚鑁-かくばん)が、夢のお告げで不動尊を背負いこの地を探し求めて不動堂を建てたのが始まりと伝える。本堂の脇の急な石段を20メートルほど下ると等々力不動の名の由来となった不動堂があり、不動の滝が水しぶきを立てて流れ落ちる。
等々力という地名は、この滝の轟く音から里人が呼称したという説もある。
ここからは東京23区内唯一の渓谷として知られる等々力渓谷が約1kmに渡って広がっており、緑に覆われた中を美しい川の流れる様子は、ここが東京・世田谷の住宅街の一角とはにわかには信じがたい。
この渓谷の公園内には、古墳時代末期から奈良時代のものと推定される都指定史跡の等々力渓谷三号横穴古墳があり、ここからは須恵器や金銅製耳環などと共に、男女と子どもの三体の人骨も発見された。また、この周辺には横穴や多くの古墳がみられ、等々力渓谷の北にある野毛大塚古墳は5世紀初めに造られた、全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳であり、現在は玉川野毛町公園の一部として整備され、市民の憩いの場所となっている。
|
1928年 愛媛県八幡浜市生まれ。 |