交通:東北本線又は京成線上野駅下車
● 寛永寺
東京都台東区上野桜本1-14-11
五重塔
寛永寺は、二代将軍徳川秀忠、三代将軍家光の命により、寛永2年(1625)、慈眼大師天海が、比叡山延暦寺に倣い、幕府の祈願所として建立した。江戸城の鬼門に位置したことや、堂塔伽藍も全て比叡山に倣って建てられ、山号は西の比叡山に対し東叡山、寺号も時の年号をとり寛永寺とした。その後も五代将軍綱吉が根本中堂を建立するなど、最盛期には三十数棟の伽藍を有する大寺院となり、天皇の皇子、法親王が歴代の山主となって、日光山、比叡山をも統括する事実上の天台宗の総本山となった。しかし、明治の戊辰の戦火で、そのほとんどが灰塵と化した。僅かに旧本坊の表門(黒門 重文)は、国立博物館の一角に移築されているが、今なお弾痕の跡が生々しく残されている。 境内には、本堂(川越喜多院から移築)・書院・開山堂・清水堂(重文)・弁天堂・徳川霊廟殿等の諸堂が建つ。上野公園内にある上野東照宮は、藤堂高虎によって建立され、現在、本殿・拝殿・唐門・透塀(いずれも重文)が残されている。上野動物園内に建つ五重塔は、元上野東照宮にあったもので、寛永8年(1631)の建立になるが、寛永16年(1639)に火災で焼失し、その年に再建された。
寛永寺の本堂には、徳川慶喜が謹慎蟄居した大慈院葵の間があり、寺宝としては、絹本著色両界曼荼羅(重文)、木造薬師如来像(重文)、清水堂本尊千手観音像(重文)、五重塔四方四仏坐像(都重文)、天海僧正坐像(都重文)、銅造釈迦如来坐像(都重文)等がある。
上野公園は、いつも観光客で賑わっているが、一歩入ったこれらのお堂は落ち着いて訪ねることが出来る。
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1928年 愛媛県八幡浜市生まれ。 |