仏像盗難の歴史



仏像の盗難は、何も最近に限ったことではなく、歴史的に見ても、多くの事例が見られます。
著名なものを纏めてみました。


末尾に、近代の仏像盗難事件を各種資料からリストアップした一覧表を掲載しました。(2016.6掲載)
諸資料からわかる範囲でリストアップしたものなので、全てを網羅したものではありませんが、ご参考になればと思います。

リスト1:「昭和以降の主な国宝・重要文化財仏像盗難事件」

リスト2:「明治以降の奈良における文化財盗難事件」


【歴史記録】

● 奈良・山田寺講堂 銅造 薬師三尊像 白鳳時代 国宝
 山田寺は、大化の改新で功績を上げた蘇我倉山田石川麻呂の創建で、講堂に天武7年(678)に鋳造された丈六薬師三尊像を安置していた。
 しかし、鎌倉時代に平重衡の南都焼き打ちで堂宇を失った興福寺の東金堂の再建の際、本尊の建立が遅れたことに苛立った興福寺の僧兵によって文治3年(1187)山田寺から丈六仏が強奪された。
  その後、興福寺東金堂に安置されたの丈六仏は室町時代応永18年(1411)の火災の際に建物と一緒に焼け落ちてしまい、頭部だけ残ったが、新しい本尊の 台座内に入れられたままになっていたのが昭和12年(1937)の解体修理において発見された。その後国宝・仏頭(薬師如来)として、興福寺国宝館に展示 されている。

● 奈良・法隆寺金堂阿弥陀三尊
 西の間の本尊阿弥陀の旧仏体は鳥仏師なりしが、盗難にて紛失し、現今の分は大仏師康勝の作にて、脇士は観音勢至なり。(京華要誌)
 法隆寺金堂の西の間に安置される阿弥陀如来坐像は、本尊釈迦如来三尊像と同様止利仏師の作であったと伝えるが、中世に盗難にあったため、鎌倉時代に運慶の子、康勝により再鋳造された。 像容は、他の像とバランスをとるため、飛鳥時代の様式に模して造られている。
 その後、明治時代に、右脇侍像はまた、盗難に遭っており、現在フランス・ギメ美術館が所蔵している(明治時代の項参照)


【明治時代】

● 奈良・法隆寺金堂阿弥陀三尊 脇侍勢至菩薩像 鎌倉時代 重要文化財
 明治時代に盗難に遭い、現在フランス・ギメ美術館が所蔵。
 法隆寺金堂西の間の脇侍勢至菩薩立像は、法隆寺の日記によると、明治14年(1881)金堂から盗まれたとされている。
 ギメの購入記録によれば、明治9年(1876)に中国の仏像として買ったとあるが、最近になって西の間の脇侍勢至菩薩立像であることが確認された。
現在、金堂にある右脇侍像はギメ美術館像の模造である。

● 明治以降、法隆寺の宝物の盗難には度々遭っている。

 記録によると、明治14年〜44年の間に、計8回、金銅仏などの盗難があったという。

主な盗難品
法隆寺金銅釈迦如来立像 明治43年(1910)
綱封蔵・金銅観音3体
橘夫人厨子屏風付属七仏の内2体
玉虫厨子内
金銅鴟尾など

● 和歌山・高野山 御影堂宝庫 飛行三鈷杵 平安時代 国宝
 明治32年(1899)4月盗難に遭ったが、犯人が逮捕され無事返却される。


【大正、昭和時代】

● 奈良・興福寺 木造釈迦如来立像 重要文化財
 昭和4年(1929)盗難

● 奈良・新薬師寺 香薬師如来像 白鳳時代 重要文化財
 明治以来二回盗難にあってたがその都度戻ってきた。しかし昭和18年3月に三度目の盗難にあって以来現在も発見されていない。
 前二回の盗難の際、金で造られていると勘違いした犯人が、確認のため、右手首、両足首を切断しており、最後の盗難の際に、右手先のみ落として厨子の中に残されていた。
 右手首は、新薬師寺から譲られた某氏が所蔵している。
 内田康夫氏の「平城山(ならやま)を越えた女」という小説はこの香薬師盗難を題材にしたもの。

● 奈良・東大寺不空羂索観音像宝冠 天平時代 国宝
 昭和初期に宝冠のみ盗難にあったが、古美術商に持ち込まれたことから発見され元に戻された。

● 福井・正林庵 銅造如意輪観音半跏像 天平時代 重要文化財
 昭和に四回盗難にあったが、その都度奇跡的に発見された。最初に仏像をとり戻した庄屋、高島居甚兵衛にあやかって甚兵衛観音と呼ばれている。

● 宮城・花山寺 銅造蔵王権現立像 鎌倉時代 重要文化財
 昭和22年5月頃盗難

● 滋賀・石山寺 金銅観世音菩薩立像 奈良時代前期作 重要文化財
 昭和23年7月盗難に遭い、大津市の山中で頭部がもぎ取られた胴体部分のみが発見されたが、切断された頭部は行方不明。

● 奈良・不退寺 舎利厨子 重要文化財
 厨子内に安置されていたが、昭和27年(1952)に盗難に遭って行方不明である。

● 兵庫・鶴林寺 銅造聖観音立像 白鳳時代 重要文化財
 昭和38年(1963)盗難に遭い、後に六甲山中で発見された。
 これまでに三回盗難にあいながら、その都度発見されている。
 昔、盗賊がこの観音像を盗み出し、壊して金を溶かし出そうとしたとき、観音像が「あいたた、あいたた」と声をあげ、驚いた盗賊たちが改心して像を返したという伝説から「あいたた観音」と呼ばれている。

● 島根・清水寺 木造十一面観音像 平安時代 重要文化財
 昭和40年代に盗難に遭ったが発見された。

● 伊豆・南禅寺 木造薬師如来像 平安時代 県指定重要文化財
 昭和48年(1973)に盗難にあい、二年後に他県の山中で発見された。

● 平塚・八剱神社 木造不動明王立像 平安時代 重要文化財
 平成7年(1995)11月盗難に遭い、翌月12月には無事発見された。別名「かんまん不動尊」



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リスト1:「昭和以降の主な国宝・重要文化財仏像盗難事件」








リスト2:「明治以降の奈良における文化財盗難事件」





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