特選情報2008
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● 奈良・新薬師寺の金堂跡出土の壺は薬壺か?(2008年12月31日)
 奈良市奈良教育大で10月に出土した新薬師寺の金堂とみられる巨大遺構について、同時にみつかった小壺や周辺から採取した土砂を分析し、謎の多い寺の性格の調査に乗り出す。
 今秋の発掘調査では、建物の土台に当たる基壇を構成した石材などが出土し、金堂本体の東西規模は約60mと世界最大の木造建築である東大寺大仏殿をしのぐ規模であることがわかった。
  同時に金堂遺構の南側の溝から、9世紀ごろの高さ約15cmの須恵器の小壺6個と破片が見つかった。光明皇后が夫の聖武天皇の病気回復を願い建立した寺 で、壺は薬壺の可能性もあり、今後薬草などの成分の有無を調査し、病院的機能を兼ねた可能性のある寺の実態を確認するという。

● 善光寺の阿弥陀如来立像信濃町に由来示す史料(2008年12月30日)
  長野善光寺が所蔵し、鎌倉時代の仏師快慶の作品である可能性が高いとみられている阿弥陀如来立像が、江戸時代の一時期、上水内郡信濃町の誓信寺にあったこ とを示す古文書が見つかった。 古文書は、信濃町の個人が保管する「柏原根元(こんげん)録」で、江戸初期に同町で宿場を開いた中村六左衛門家や宿場の歴 史などを、江戸後期の文政11年(1828)に10代目当主がまとめたとされる。

この中に6代目が1716年ごろ、出家した三男のために町内に誓信寺 を創建し、大本願住職の上人から阿弥陀如来像を本尊として譲り受けたとの記載があった。
 また、信濃町誌などに、誓信寺が明治6年(1873)に廃寺になり、立像は大正以降に善光寺に移ったとされていることも判明。
 立像の台座裏には、文化12年(1815)に信濃町の中村六左衛門が修復したとの説明書きがあるが、六左衛門の署名が10代目の筆跡に似ていることも確認された。

● 東大寺が総合文化センター整備へ(2008年12月29日)
 奈良市東大寺が、仏像や宝物のための収蔵庫と展示施設、図書館を一体化した「東大寺総合文化センター」の新設を計画していることが分かった。
  東大寺には、大仏や法華堂の金剛力士像など、数多くの国宝や重文が安置されているほか、既存の収蔵庫で古文書や仏像、図書館で仏教関係書などを多数保存す るが、いずれも築後40年以上が経過している。そのため十分な防災や空調能力を備えた新たな建物が必要となり、寺の歴史を紹介できる施設を併せ持つセン ターを開設することになった。
 堂内に安置している仏像をに移すことや公開も検討する。国宝や重文を守るとともに、奈良時代に聖武天皇が建立した同寺の歴史を振り返り、仏教の心や文化財の大切さを知ってもらう拠点にするという。
  計画では、境内入り口に当たる南大門の北西にある旧東大寺学園跡地に、鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階延べ約5800平方mの防災設備を充実させ た収蔵庫や展示施設、図書館を設ける。収蔵庫には、地震対策などのため奈良国立博物館に預けている寺宝や堂に安置している仏像を移すことや公開も検討する という。
 講演などに使われてきた既存の金鐘会館は、300人収容の本格的なホールにする。


● 平等院の地蔵菩薩像を初公開(2008年12月27日)
 京都府宇治市の平等院で、塔頭の浄土院本堂に収蔵されている地蔵菩薩半跏像が、解体修理の結果、南北朝時代の仏像であることが分かった。
 菩薩像は蓮の上に着座し左手に宝珠を持った姿。ヒノキの木像で高さ30.5cm。
 江戸時代の作品とされていたが、調査の結果、江戸期の柔和な表情の彩色の下から、南北朝期特有の力強く引き締まった顔立ちが現れ、像の表情や彫り方などの特徴から、14世紀の南北朝時代の仏像と判明した。
 平等院では、宝物館「鳳翔館」で行われる新春展「影向の美」で、12月27日から2009年4月24日まで初公開される。

● 青森・長勝寺本堂の修復工事完了(2008年12月27日)
 青森県弘前市の長勝寺で、老朽化などのため、2004年3月から解体修復工事が進められていた本堂と御影堂が完成した。
 長勝寺は弘前藩主だった津軽家の菩提寺で、本堂は1610年に建立され、曹洞宗の本堂としては日本一古く、国の重要文化財に指定されている。
 本堂は銅板ぶきに変えられていた屋根を杮葺(こけらぶ)きに戻し、明治時代に造られた正面玄関も解体して、正面左にあった創建当時の入り口を復元するなど、創建当時の姿に近づけた。

●  山口で、漢詩辞書「聚分韻略」を県文化財指定(2008年12月26日)
 山口県は、山口県立山口図書館が所有する、明応2年(1493)に県内で刊行された漢詩作製用の辞書「聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)(明応二年大内版)」を県の有形文化財に指定することを決めた。
 聚分韻略は漢詩で韻(発音の種類)を踏むための便宜を図ろうと、韻ごとに漢字を分類した表。著者は鎌倉時代末期の禅僧、虎関師錬(こかんしれん)で、今回の「明応二年大内版」は、以後、各地で数十種刊行されたものの一つ。県内で唯一現存する版という。

● 法華堂の実態に迫る「東大寺シンポ」 奈良教育大で開催(2008年12月22日)
 「東大寺法華堂の創建と教学」をテーマにした「第7回ザ・グレイトブッダ・シンポジウム」が、奈良市高畑町の奈良教育大で開かれ、謎の多い創建時の法華堂(国宝)や本尊・不空羂索(けんじゃく)観音像(同)の実態などについて歴史・考古学、美術史・建築史学から迫った。
 大橋一章・早稲田大教授が「東大寺法華堂 歴史と美術」と題し、大仏殿は薬師寺や大安寺などの官寺を造った最高のエリート集団の新たな目標として造られ、それと同時に進められた法華堂の造立には別の工人たちが携わっていたという説を披露した。
 浅井和春・青山学院大教授が、頭上に宝冠をかむり、八本の腕を持つ八臂の姿で知られる不空羂索観音像についてその形式の源流をインドなどにたどり、同像の王権との結びつきについて述べた。
 後藤治・工学院大教授は、法華堂の礼堂が当初の板張りから土間に変えられことに関し、仏像を高く見せるためで、観音信仰の仏堂として、よりふさわしいたたずまいにしたとの考えを示した。


● キトラ古墳壁画の実物大陶板模型製作へ(2008年12月20日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、極彩色壁画の実物大の陶板模型で復元する方針を決めた。
 壁画はカビや細菌などの影響による傷みが激しく、2004年8月から4年3カ月かけて石室から朱雀などの四神や天文図などをはぎ取った。
  しかし、高松塚古墳の国宝壁画は模写が作製されたが、キトラ古墳は作製されていなかった。復元に当たっては、石室内の質感をリアルに表現できる陶板を使用 し、石室内の写真を陶板に焼き付けるなどの案が検討されており、具体的な復元方法や場所は今後検討し、1300年祭のタイミングで公開する予定だという。

● 但馬国分寺跡で奈良時代の墨書土器出土(2008年12月19日)
 兵庫県豊岡市日高町国分寺の史跡但馬国分寺跡で「三綱」と記された奈良時代の墨書土器が出土した。
  三綱は、寺院を束ねる僧侶のトップ3にあたる「上座(じょうざ)」「寺主(じしゅ)」「都維那(ついな)」を指す言葉で、但馬国分寺跡では、1977年の 調査で、今回の発掘現場の南側から、三綱の食事を作る施設である「三綱炊屋(かしきや)」と記した木簡が見つかっており、周囲に僧侶の生活空間だった「大 衆院(だいしゅいん)」の存在が指摘されていた。
 今年10月からの調査で、寺域の東端にあたる南北6mの溝から縦10cm、横5cm、高さ4.5cmの須恵器の破片が見つかり「三綱」と記されていることが分った。形状から食器のおわんと推定され、当時の僧の生活の一端を知る資料となる。

● 兵庫・温泉寺の本尊十一面観音菩薩立像来年4月から特別公開(2008年12月18日)
 兵庫県豊岡市の温泉寺の本尊・十一面観音菩薩立像(重文)が、来年4月から2カ月間、特別公開される。
 十一面観音菩薩立像は像高約210cmのヒノキ材の一木造で、全身に鑿跡を残す鉈彫像。
温 泉寺は城崎温泉を開いたといわれる道智上人が創建した古刹で、平安時代中期、奈良の仏師・稽文(けいもん)が観音像を彫っていたが中風を患い、未完成のま ま城崎温泉へ治療に訪れた。その後、温泉そばの円山川周辺を散歩中、奈良に置いていた未完の仏像が川に浮いているのを見つけ、近くの草庵に安置した。夜に なって観世音菩薩が夢に現れ、「早く我を完成させよ」と告げたため、城崎温泉にとどまり、この像を一気に完成させたという。
温泉寺では毎年4月の「開山忌」にだけ公開しているが、2カ月間という長期の開帳は初めてという。

● 京都・木津川の瓦窯跡で平城宮の瓦工房跡発見(2008年12月17日)
 京都府木津川市の鹿背山瓦窯跡(かせやまがようあと)で、奈良時代中期の粘土採掘場や瓦窯、作業用の通路がそろった工房跡が見つかった。
 軒先を飾る「軒丸瓦」や「軒平瓦」も出土し、少なくとも11点は平城宮の建物の屋根にふかれた瓦と文様が一致し、平城京で使用した瓦の生産拠点の一つだったと考えられる。
 瓦の粘土の採掘から製造、搬出まで、一連の生産の流れが分かる奈良時代の遺跡が見つかったのは全国で初めてという。

● 韓国国立中央博物館で統一新羅彫刻の特別企画展(2008年12月16日)
 韓国・ソウル市竜山区の国立中央博物館で12月16日から来年3月1日まで、特別企画展「永遠の命の鳴動、統一新羅の彫刻」が開かれる。
  今回の特別企画展では、慶尚北道慶州市の栢栗寺にあった像高177cmの「金銅薬師如来立像」や「慶州九黄里金製如来坐像」など国宝10点、宝物9点金銅 薬師如来立像をはじめ、現在日本の東京国立博物館に所蔵されている統一新羅の仏像5点など、7〜9世紀の統一新羅を代表する彫刻品200点余りが展示され る。

● 高知県湛慶の仏像保存へ浄財(2008年12月16日)
 高知県須崎市上分で見つかった鎌倉時代の仏師・湛慶とみられる木造大日如来坐像に、展示会の観覧者や篤志家から計107万円の寄付が寄せられた。
 大日如来坐像は須崎市上分の笹野地区に立つ小堂に安置されてきたが、香美市立美術館で9〜11月に展示され、その後盗難のおそれがあるため同館で保管している。
  大日如来坐像は頭と首が離れた状態になるなど傷んでおり、修理には少なくとも500万円はかかるとみられ、また小堂も老朽化し整備が必要となる。須崎市の 住民らは修復保存実行委員会を組織して、県の文化財指定の申請を進めるとともに、今回の寄付を弾みに引き続き寄付を呼びかけ、修理に必要な資金を確保し地 域で祀っていけるよう進めたいとしている。

● 栃木・輪王寺三仏堂本尊3体も虫食い被害(2008年12月16日)
 栃木県日光市の輪王寺本堂三仏堂にある阿弥陀如来像など3体の本尊が、虫食いの被害を受けていることが分かった。
 三仏堂も同じ被害で修理に着手しているが、調査の結果、内部に収めた像高8mの千手観音像と馬頭観音像を加えた3体の台座と背面部被害が見つかった。
 輪王寺は1953〜61年に解体修理が行われ、仏像への虫食い被害が報告されていることから、被害が拡大している可能性もあると見られる。三仏堂は国の重要文化財だが、3体の仏像は文化財指定はされていない。

● 登録有形文化財に158件答申(2008年12月15日)
 文化審議会は、防府天満宮本殿・幣殿・拝殿など、建造物158件を登録有形文化財に登録するよう、文部科学相に答申した。
 登録有形文化財は築50年以上の建造物が対象。外観を大きく変える際は文化庁への届け出が必要になるが、修理時の設計監理費の半額補助や、建物の固定資産税半減などの優遇措置がある。

 主な登録有形文化財
 ▽防府天満宮本殿・幣殿・拝殿(山口県防府市)
 ▽高岩寺本堂(とげぬき地蔵尊)東京都巣鴨
 ▽妙教寺本堂(1882年建築)(岡山市高松稲荷)
 ▽妙教寺仁王門(1957年建築)(岡山市高松稲荷)
 ▽宝福寺方丈(岡山県総社市井尻野)

● 平等院 雲中供養菩薩像340年ぶり鳳凰堂へ(2008年12月11日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂内にかつてあったとされ、現在は文化庁所蔵の雲中供養菩薩像が約340年ぶりに堂内に戻された。
 平等院には、ほかに52体の雲中供養菩薩像があるが、本像は江戸時代中期に行われた寛文の大修理の際に院外に流出したとみられている。今秋に平等院が所蔵する別の雲中供養菩薩像が国宝に指定されたことを受けて初めて里帰りし、一時的に堂内に戻されて法要がおこなわれた。
 この雲中供養菩薩像は法要終了後に文化庁に戻され、現在のところ2度目の里帰りの予定はないという。

● 法隆寺金堂にLED照明(2008年12月11日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺で、国宝の金堂内に仏像や壁画の照明設備が設置されることになった。
  法隆寺金堂は世界最古の木造建築物で、壁画の模写が行われていた昭和24年1月に火災が発生。 解体中で仏像は無事だったが、内陣の柱や「世界の至宝」と 言われた彩色壁画は著しく焼損した。火災は電気座布団のショートが原因とみられており、それ以来照明なしで堂内を公開してきた。
 しかし、須弥壇修理の完成を機にタブーだった電気使用に踏み切ることを決めた。熱を持たない発光ダイオード(LED)を堂内に21基設置して、本尊の釈迦三尊像など13体の仏像を上部から照らす形となる。拝観時間内は常時点灯する。

● 高松塚古墳で顔料分析中女子群像に機材で損傷(2008年12月10日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画修理施設で、国宝壁画のうち「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像に誤って機器が接触し、傷ができたと発表した。
 事故があったのは先月25日。作業担当者計7人が壁画の顔料分析をするため、機材を使って作業した際、作業後に調査に立ち会っていた担当者が女子像の腰の緑色の顔料が削れ、漆喰の白地が露出しているのに気付いたが、損傷はないと判断していたという。
  しかし、今月8日になって写真を比較した結果、顔料がはがれ、長さ3mm、幅1mmの傷ができているのを確認。9日に壁画を調べたところ、微細な漆喰片が 壁面に落ちていたが、絵の表面からはがれた漆喰片は見つからず、損傷個所の修復は不可能という。損傷個所の状態は安定しており、これ以上傷む恐れはないと いう。
 文化庁が損傷について発表したのは事故発生から2週間後で、修復責任者への報告も公表前日だったという。
 損傷に気がついた直後に修復技術者の慣れた目で捜していれば、破片を見つけた可能性も高かっただけに、庁内での連絡徹底に問題があったと考えられる。
 損傷事故は壁画を修理施設に移して以後初めてだが、石室内での損傷事故は2002年にも起きており、その際は公表しなかったため、当時の文化庁担当課長らが処分されている。

● 神奈川・伊勢原市の文化財や歴史、サイトで紹介(2008年12月10日)
 神奈川県伊勢原市は、市内の指定・登録文化財をはじめ、遺跡・出土品といった埋蔵文化財や市の歴史などを詳しく紹介する「いせはら文化財サイト」を、市のホームページ(http://www.city.isehara.kanagawa.jp/)内に開設した。
 宝城坊本堂(重文)(日向薬師)、鉄造不動明王及び二童子像(重文)(大山寺)など指定文化財61件、登録文化財8件を写真付きで解説。所在地の地図・住所、市史や文化財関連の文献、イベント・講座を紹介している。


● 滋賀・薬師堂で平安期の大量の仏像破片発見(2008年12月13日)
 滋賀県守山市三宅町の薬師堂に保管されていた大量の仏像の破片が、平安時代の木造の仏像の部材である可能性が高いこと分かった。
 如来や天部、菩薩などの形をした仏像部材が100個以上あり、復元すると、少なくとも2体分の坐像(約2.4m)や6体分の等身大の仏像など、少なくとも大小20体分の仏像になるという。
 長さ約160cm、幅約40cmの部材は、腰の肉取りの形や衣文から、11世紀の菩薩像と見られ、この他、螺髪を表した頭部など金箔も残っていた。
 付近は奈良、平安時代を通じて奈良・大安寺の墾田や荘園だった地域でさまざまな形の仏像があるとみられることなどから、荘園内に仏堂に安置された仏像だった可能性があるという。
 薬師堂は、現在は近くの蓮生寺の飛び地になっており、平安時代の木造の仏頭(重文)を戴いた仏像が安置されている。

● 高松塚「白虎」、描線の一部消失(2008年12月11日)
 奈良県明日香村高松塚古墳の国宝壁画で最も劣化が激しく、輪郭などの描線が薄れて消失した可能性が指摘された四神・白虎(西壁)を調べたところ、実際には描線が残っているとみられる部分が十数カ所あることがわかった。
  高精度のデジタルカメラや赤外線などで、肉眼では描線が見えない白虎の背中や目、前脚など約30カ所を調査したところ、左前脚のつめや唇など十数カ所で、 白い物質の下に顔料などの存在が確認できた。白い物質は壁画の下地の漆喰成分が溶け出すなどして壁画を覆っていただけで、除去すれば白虎の姿が現状より明 瞭になる可能性も出てきた。
 一方、背中や目の一部は描線が確認できず、一部で表面をこすったような跡があり、水分を含んで軟らかくなった漆喰が、カビ除去などを行う際に人為的削られた可能性があるという。

● 龍谷大で仏教総覧の大博物館建設(2008年12月11日)
 京都市伏見区の龍谷大学は、仏教の歴史や日本への伝来が分かる仏教総合博物館「龍谷ミュージアム」の建設計画を発表した。
 龍谷大学の創立370周年記念事業の一環。親鸞の750回大遠忌(2011年)にも合わせ、西本願寺の東側にある本願寺会館と本願寺同朋センターの跡地に建設する。
  地上3階地下1階の建物に、約1000平方mの展示スペースを設け、龍大所蔵の国宝「類聚古集(るいじゅこしゅう)」や、中央アジアやインド、中国に派遣 された大谷探検隊が収集した仏像や文書約9000点、本願寺の歴代宗主の蔵書「写字台文庫」約3万点など膨大な資料の一部を現物展示し、インドで生まれた 仏教が日本に伝来する軌跡を分かりやすく紹介する。
 最先端のデジタル技術で復元した、中国トルファンの「ベゼクリク石窟寺院」の仏教壁画の大回廊を原寸大で復元展示する。

● 鎌倉市で寿福寺仏殿など市文化財指定(2008年12月10日)
 鎌倉市教育委員会は、寿福寺仏殿など歴史的、芸術的に価値が高い市内の建造物、絵画、彫刻、工芸作品四件を新たに市文化財に指定した。
 指定された文化財は次の通り。
▽寿福寺仏殿 寿福寺 江戸時代中期
 江戸時代中期の1714年ごろの建築で、鎌倉五山に残る近世仏殿の唯一の遺構。中世禅宗様の仏殿を簡略化した形式で、鎌倉地方の近世建築の特徴を表している。
▽絹本著色(けんぽんちゃくしょく)釈迦如来図 鎌倉市 中国・明時代
▽聖徳太子立像 英勝寺 鎌倉末期〜南北朝時代
▽金銅四天王五鈷鈴(ごこれい) 鶴岡八幡宮 中国・宋時代


● 当麻寺の文亀曼荼羅を修復(2008年12月6日)
 奈良県葛城市の当麻寺で、本尊「文亀曼荼羅(ぶんきまんだら)」(重文)が、約330年ぶりに修復されることになり、本堂の厨子から取り外された。
 当麻寺寺は約1300年前の白鳳時代の創建とされ、「綴織(つづれおり)当麻曼荼羅」(国宝)は、大納言藤原豊成の娘、中将姫が天平宝字7年(763)にハスの茎から取った糸で織り上げたと伝えられ、同寺で秘宝として保存されている。
 文亀曼荼羅は綴織当麻曼荼羅を、文亀2年(1502)に絵師、法橋慶舜(ほっきょうけいしゅん)らが模写したもので、縦3.78m、横3.88mの絹に描かれ、江戸時代の貞享3年(1686)に修復されている。
 本尊は常時公開しているため、ほこりが積もり、彩色の剥落も目立つようになったため、剥落止めや、損傷した絹の継ぎ足しなどを実施する。修復は2011年度までの予定。
修復中は、当麻寺本堂には、江戸時代に模写された「貞享(じょうきょう)曼荼羅」を代わりにまつる。

● 法隆寺の金堂、当初は廟堂か(2008年12月6日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺で金堂は聖徳太子の廟堂として建て始められた建物が(670年)の火災で性格が変更され金堂になった、との見解を鈴木嘉吉氏(元奈良国立文化財研究所長)が発表した。
 今回の金堂の修理に伴う調査で、金堂「東の間」に現在使われていない吊金具が見つかり、金具の位置などから「東の間」にはかつて布製の天蓋がかけられており、これは資財帳に693年に持統天皇から紫の天蓋が下賜されたと記載のある天蓋である可能性が極めて高いという。
 更に金具取付部の木材の顔料の残り具合から、中の間、西の間と、東の間の金具取り付けには約20年近くの時間差があると推定され、金堂の完成は693年より約20年近く前ということになる。
  また、今年、金堂内陣天井板について同研究所の光谷拓実・客員研究員の年輪年代法による調査で、天井板の伐採年が613年〜668年と計測され、金具と年 輪年代法の二つの調査結果から、法隆寺が火災で炎上したとされる670年前後に既に現在の金堂は竣工しており、火災を機に廟堂から金堂へ変身したと結論づ けた。

● 平城宮跡の国営公園化の基本計画を決定(2008年12月6日)
 国土交通省は平城宮跡(奈良市)国営公園化の基本計画を決定した
 基本計画では約130ヘクタールを4ゾーンに分けて整備する。2010年の平城遷都1300年祭までには、第一次大極殿の広場を整備する。一般的な国営公園整備には20〜30年かかるといい、随時整備するという。

● 唐招提寺の千手観音像、慎重に復元中(2008年12月6日)
 平成の解体修理が終わった奈良・唐招提寺の金堂で、8年ぶりに堂内に帰ってきた国宝仏3体を元通りの姿に戻す作業が佳境を迎えた。
 特に気を使うのは千手観音立像(8世紀、高さ5.36m)の手。
  千手観音の手は合計953本。うち、最も大きな10本以外が修理開始の2000年に取り外された。外したもののうち大きい32本はすでに装着が終わり、現 在は小さな911本の取り付けが進む。本体と手に付けられた照合用の番号を頼りに、数人の美術院の技術者が像を囲んだ足場の上で作業を続けている。
 同寺では来年11月1〜3日に落慶法要が営まれる。

● 奈良・唐招提寺金堂建築時の屋根は単純構造(2008年11月28日)
奈良市の唐招提寺金堂の屋根が、建築当初の奈良時代に 小規模な建物によく使われた簡素な構造だったことが分かった。
 金堂は、江戸時代と明治時代に大規模に改修されており、これまでは大梁の上部に別の梁を渡す「二重梁」の構造と考えられていた。
 しかし、調査の結果、柱の上に水平に渡した大梁から、天井の中央部に向かって逆V字形に木材を組んで屋根を支える「叉首組(さすぐみ)」と呼ばれる造り であったことが、軒先を支える部材に残された穴などから分かった。建築当初に大梁だった長さ約9mの木材4本を、江戸時代の改修の際に約5.5mに切りそ ろえて転用したことも判明した。
叉首組の強度は二重梁と変わらないが、奈良時代の寺院の本堂としては極めて珍しく、日本の建築史を知る上で重要な発見という。

● 唐招提寺、落慶法要は来年11月(2008年11月28日)
 奈良市の唐招提寺は金堂の修復工事完了に伴い、落慶 法要を来年11月に行うと発表した。
金堂の改修工事は2000年1月に始まり、本尊・盧舎那仏坐像や千手観音立像を含む国宝の仏像3体も一旦運び出され、修理が行われた。現在仏像は金堂内に 戻されており、今後1年をかけて、解体された千手観音立像の約900本の手を取り付ける作業などが進められている。
落慶法要は2001年11月1日から3日間行われる。釈迦念仏会のほか、舞楽や能、狂言などを奉納する。開祖・鑑真和上がかつて住職だった中国・揚州の大 明寺も法要に参加する予定。

● キトラ古墳壁画最後の星座剥ぎ取終わる(2008年11月28日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳で石室天井に最後まで 残っていた星座「天倉」のはぎ取りが終わった。
 最後の作業は、金箔で表した星6個を含む天文図西側の漆喰を、最大縦約6cm、横約7cmで三片に分割して剥ぎ取った。
 昨年7月に始まった天文図の剥ぎ取り作業は下地となる漆喰の傷みが激しく、「ダイヤモンドバンド・ソー」など開発した機材も使えないなど苦労の連続。結 局、計22回、1年5カ月にも及ぶヘラを使った手作業で113片に分割して剥ぎ取った。
 同古墳の天井天文図は直径約61cm、北斗七星やオリオン座(参宿)など68星座を表現。全天天文図では世界最古とされ、金箔の星は痕跡も含めると 277個が確認されている。はぎ取った漆喰の厚さは、0.2mm〜1.8cmとバラバラで、普通に組み立てると凸凹だらけになるため、透明なアクリル板の 上に漆喰を逆さに置き、下から撮った映像を見ながら組み立てることになるという。 計画では、来年1月から修理作業に入り、順調に進めば2011年には公開出来る状態になるという。
 壁画のはぎ取りはすべて終わったが、実際に取り外した漆喰は全体の4割程度。今後も壁画のない残り6割のはぎ取りが残されており、すべての作業が終わる のは4年後になる見込みという。
 最近の調査で泥をかぶっている場所の下に、十二支像の「申」「巳」「辰」が残っている可能性が指摘されている。

● 韓国で50億ウォンの仏像が贋作の疑いで出品中止(2008年11月28日)
 韓国で50億ウォンの仏像として話題を集めていた仏 像が予定されていたオークションの出品が中止となった。
 この大理石の仏像は統一新羅時代の石彫一茎三尊三世仏で、入札価格50億ウォン(約3億2000万円)で出品され、2007年に朴壽根(パク・スグン) の油絵『洗濯場』(45億2000万ウォン)を越えるオークション史上最高価を打ち立てるものと予想されていた。
 しかし、 一部で贋作の疑いが提起されていることから、真偽の如何に関係なく、オークションに出品しないことにしたという。

● 華厳寺本尊に真贋論争(2008年11月26日)
 岐阜県揖斐川町谷汲山で、本尊の十一面観世音菩薩立 像が、寺創建時の本物か途中ですり替わった模造仏かで「真贋論争」になっている。
 華厳寺は、西国三十三カ所霊場巡りの満願札所で、本尊は秘仏として、寺の創建の延暦17(798)年から受け継がれてきたとされる。
 昨年1月に一部の檀家らの依頼で行われた文化財調査で、本尊を確認した仏教美術研究家星野直哉さんが、各時代の特徴が混在しており、面相が面長で、明治 時代に流行した模造仏である可能性を指摘した。
 これに対して、寺側は昨年7月に大阪大学藤岡穣准教授らに鑑定を依頼し、飾りなど一部は近世に付け加えられたとみられるものの、本尊自体の制作時期は飛 鳥時代と考えられると判断された。
 論争の背景には、住職の世襲をめぐる反発もあり、寺側と一部の檀家と対立を深めている。

● 室町仏像に江戸期の顔料(2008年11月26日)
 兵庫県姫路市の円教寺の金剛薩た坐像の顔料に欧州か ら輸入した高価な顔料が使用されていることが分った。
 金剛薩た坐像は、康俊が室町時代初期の1359年に作ったとの銘がある像高36.5cmの彩色像。
 長らく秘仏とされあまり公開されなかったことから退色・変色が少ないと考えられていたが、江戸時代に補修されていることが分った。
 唇や蓮弁の赤には朱(硫化水銀)の上に後年の修理で鉛丹(酸化鉛)が塗られていた。
 蓮弁の青には古代エジプト以来、美しい青として中東や欧州で珍重された鉱物のラピスラズリ、緑には、エメラルドグリーン(花緑青)が塗られていた。
 エメラルドグリーンは、1814年にドイツで工業化された人工顔料で、美しい緑色だがヒ素を含むため毒性があるため、無毒の顔料が1838年に発明され て以降、次第に使われなくなったという。
 仏像のような彫刻文化財の場合、彩色に関する情報はあまり重視されておらず、江戸時代に修復した記録も無いが、江戸時代の19世紀に修理し、色も塗り替 えられた。大切な仏像なので貴重な顔料を使ったと考えられる。

● 飛鳥寺近くで7世紀の石敷き道路出土(2008年11月25日)
 奈良県明日香村飛鳥寺近くで、寺の南側にあった「石敷き 広場」の北東隅とみられる7世紀の石列や石組み溝の跡が、奈良文化財研究所の調査で出土した
 石敷き広場は飛鳥寺と飛鳥京の境に帯状に広がり、南北20.5m、東西65m以上。石列はL字形で、石敷き広場の縁石といい、東側は、両岸 が階段状になった石組み溝(南北の長さ4m以上、東西幅2.6m)と接していた。
 広場の実態は巨大な通路だったとみられており、天皇の宮殿が置かれた飛鳥京の東側を通って南北に延びる主要道路に突き当たり、三差路になっていた可能性 が高い。同研究所は「都の中枢部を結ぶ交通網の一端がうかがえる」としている。大化の改新を主導した中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき)の木の広 場」や、外交使節をもてなす迎賓館だった石神遺跡など、重要な施設へ続いたらしい。

● 御廟山古墳を研究者に公開(2008年11月25日)
 宮内庁は、天皇らが埋葬された可能性のある陵墓参考 地、御廟山古墳(堺市)の同市との合同発掘現場を考古学研究者らに公開した。
 御廟山は5世紀中ごろの前方後円墳。研究者ら約40人が、墳丘に沿って前方部から後円部を歩き、約1時間半にわたり12カ所を見学し、宮内庁職員から発 掘の状況や出土した埴輪などの説明を受けたという。
 百舌鳥古墳群で全長200m級の巨大古墳が公開されるのは初めてで、古墳群成立の経緯や、同時期に大阪府内に築かれた古市古墳群との関係を知る重要な手 掛かりにもなる。
 また、陵墓などを宮内庁と自治体が合同で発掘するのは初めてで、29、30日には初の一般公開も行われる。

● 横浜・真照寺毘沙門天像などが市指定文化財(2008年11月11日)
 横浜市教育委員会では、横浜市磯子区の真照寺の毘沙 門天立像など3件を平成20年度の横浜市指定文化財に指定した。
 真照寺の毘沙門天立像は、平成14年に調査が行われ、当時は江戸時代のものであるという結果だった。しかし、平成15年に市歴史博物館で開催された特別 展で江戸時代の作品として展示された際、専門家から異論を唱える声が挙がり、改めて調査が行われ、鎌倉時代以前の作品だと判明した。
 指定文化財は下記の通り。
▽毘沙門天立像 像高150.5cm 一木造 平安時代後期 真照寺 磯子区磯子
▽鶴見神社境内貝塚 鶴見区鶴見中央
▽金沢八景御伊勢山・権現山の樹叢 金沢区瀬戸
12月13日(土)から2009年1月18日(日)まで、横浜市歴史博物館(都筑区中川中央
)で開催される「平成20年度 横浜市指定・登録文化財展」でも一般公開される。

● 長野・善光寺所蔵の阿弥陀如来立像快慶作か鑑定へ(2008年11月22日)
 長野市善光寺が所蔵する阿弥陀如来立像が、鎌倉時代 を代表する仏師・快慶の作風に酷似しているとして、鑑定を受けることになった。
 阿弥陀如来立像は像高さ98.5cmの一木割矧造で、漆箔仕上げ。市内の山中から発見されたと伝わり、古くから本堂の奥に保存されていたが、1999年 から境内の史料館で展示されていた。
 東京芸術大学で調査した所、端正な顔立ちや緩やかな衣の紋が肩の曲線などが、快慶の他の作品と極めて似ていることがわかったという。
 今後は、東京芸大に運び、3次元データやエックス線撮影などを比較検討し詳細に調査を行うという。

● 滋賀・錦織寺の阿弥陀如来坐像の修理完了(2008年11月22日)
 滋賀県野洲市木部の錦織寺の阿弥陀如来坐像の修復が 完了し遷座法要が行われた。
 阿弥陀如来坐像は像高47.4cmで、像容から平安後期(十二世紀後半)の作とみられる。
 元禄7(1694)に火災に遭ったと伝えられ、炭化が著しく、焼け残った部材を集めて仮組した状態になっていたが、これまで本格的な調査が行われておら ず、文化財指定も受けていない。
 修復作業に当たった東京文化財研究所によると、頭部や両脚などは火災後に補われて、表面は炭化したように仕上げられていたのが分かった。また、火災以前 にも修復が数回行われており、造られたときと見られる12世紀末の部材は一部しか残っていなかった。
 修復は現在の姿を踏まえて樹脂で表面を強化し、顔はこれまでの彫り方を生かして復元し、左手首と右ひじから先の部分を新しいヒノキ材で造り替えた。

● 滋賀・新善光寺の本尊銅造阿弥陀三尊像は鎌倉時代作(2008年11月22日)
 栗東市林の新善光寺の本尊の秘仏「銅造阿弥陀三尊 像」が鎌倉時代(13世紀半ばごろ)に作られたと推測されることが分かった。
 三尊像は、中尊阿弥陀如来立像(像高47cm)と両脇の観音菩薩立像、勢至菩薩立像(いずれも像高32.5cm)。秘仏で調査されていなかったが、衣の 質感などから13世紀半ばごろの作風という。寺伝による同寺の創建とも合致する。
 善光寺式三尊像は、鎌倉時代〜近代に制作され、関東を中心に分布しているが、新善光寺の像は神奈川県茅ケ崎市の宝生寺にある像(重文)と作風が似てると いう。
 本像は、栗東歴史民俗博物館の特別展「創造と継承−寺院復興」で、12月7日まで展示している。

● 文化審答申:前田家墓所など史跡に9件答申(2008年11月22日)
文 化審議会(石澤良昭会長)は21日、金沢市と富山県高岡市の2カ所にまたがる加賀藩主前田家墓所など9件を史跡に、2件を名勝に指定するよう塩谷立文部科 学相に答申した。また、宇治(京都府宇治市)と四万十川流域(高知県)の計6件を重要文化的景観に選定するよう答申した

答申されたのは次の通り。
<史跡>
▽加賀藩主前田家墓所(金沢市野田山、高岡市)
▽左沢(あてらざわ)楯山城跡(山形県大江町)
▽長者ケ平官衙(かんが)遺跡附(つけたり)東山道跡(栃木県那須烏山市、さくら市)
▽春日大社南郷目代今西氏屋敷(大阪府豊中市)
▽渋野丸山古墳(徳島市)
▽牛頸須恵器(うしくびすえき)窯跡(福岡県大野城市)
▽壱岐古墳群(長崎県壱岐市)
▽横尾貝塚(大分市)
▽赤木名(あかきな)城跡(鹿児島県奄美市)
<名勝>
▽不知火及び水島(熊本県八代市、宇城市)
▽伊江御殿(いえうどぅん)別邸庭園(那覇市)
<重要文化的景観>
▽宇治(京都府宇治市)
▽四万十川源流域の山村(津野町)
▽四万十川上流域の山村と棚田(檮原町)
▽四万十川上流域の農山村と流通・往来(中土佐町)
▽四万十川中流域の農山村と流通・往来(四万十町)
▽四万十川下流域の生業と流通・往来(四万十市)

● 新薬師寺の金堂は東大寺大仏殿を上回る規模(2008年11月13日)
 奈良市の奈良教育大構内で見つかった新薬師寺の金堂 跡とみられる巨大建物跡(8世紀)は、現在の東大寺大仏殿をしのぐ規模だった上、基壇の前面とほぼ同じ幅の階段を備えた特殊な構造だったことが分かった。
 10 月の調査では、凝灰岩の切り石を丁寧に積む「壇上積(だんじょうづみ)基壇」の延石(底部の石)が、建物跡正面の中央付近などから出土した。今回の調査で その東端部分から、さらに違う構造の凝灰岩列が見つかり、延石の上に積む外装用の地覆石が載っていることから、基壇の本体部分と判明した。
 これにより、金堂建物の東西幅は推定約59mで、江戸時代に再建された現在の東大寺大仏殿の東西幅(約57m)を上回り、創建時の大仏殿の東西幅(約 85m)に次ぐ規模という。
 また張り出し部の出土状況から、階段の東西幅は約52mにわたると推定されるという。
 古代の仏堂の正面階段は本尊の仏像の正面に1〜3カ所程度、それぞれ数メートル幅で設けるのが一般的であるが、基壇の前面とほぼ同じ幅の階段を備えた特 殊な構造だった。
 金堂には7体の薬師如来像それぞれに脇侍の日光・月光菩薩像が並び、更に十二神将像までが堂内に勢ぞろいしていたとされており、それぞれの本尊を同格に 扱うために、幅広の階段が設けられたと考えられるという。

 奈良教育大は発掘現場に特別支援学級校舎を改築する予定だったが、現地を保存する方針を決めた。金堂の規模がさらに大きくなる可能性もあるが、調査区 域の外側は大学敷地外で民家や道路になるため、これ以上の調査はできないという。

● 滋賀・慈眼寺 薬師如来坐像鎌倉初期 顔に色彩(2008年11月13日)
 滋賀県守山市吉身1丁目の慈眼寺の薬師如来坐像(市 文)が、制作当初は顔に墨や朱を塗った素木像で、室町時代以降に金箔を張られていたことが分かった、
 薬師如来坐像は像高145cmで、平安末から鎌倉期の作とみられる。修理で全身の漆箔をはがすと、素木の上に墨でまゆと口ひげ、あごひげが描かれ、唇に は朱、目尻と目頭には青の顔料で彩色されていた。
 室町以降の修理で金箔が張られたとみられ、箔の下塗りで顔に丸みも付けられていた。
 また、像には彫刻に向かない木の節やしんが見つかったことから、慈眼寺がかつて、神仏習合思想により神社に置かれた神宮寺だったこともあり、当初は神宮 寺の本地仏として制作されていたが、信仰心の変化で当初と異なる姿になったと考えられるという。

● 滋賀塩津港遺跡から神像5体出土(2008年11月10日)
  滋賀県西浅井町塩津港遺跡神社遺構から、木製の神像5体や仏具の木製華鬘(けまん)などが発見された
  神像5体は、神社の敷地を囲む溝から瓦や起請文木簡などとともに出土。いずれも高さ12〜15cmほどの小ぶりなサイズで、男神像2体と女神像3体とみら れる。このうち男女神各1体の坐像は良好に原型をとどめ、男神像は正装の衣冠束帯をまとい、平安時代後期以降における神像の典型的な様式という。遺跡から の出土は島根県出雲市の青木遺跡(奈良時代後半〜平安時代前半)に続き2例目で、1185年の地震による琵琶湖の津波で、神殿ごと流されたとみられる。
 華鬘は仏堂の柱などにかけたうちわ型の装飾仏具。見つかったのは片方の結びひもの部分で、中世以前の木製華鬘は極めて珍しいという。

● 国宝にアライグマのつめ跡(2008年11月5日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺国宝の三重塔や重要 文化財の薬師如来像などが、アライグマによって傷つけられていたことが分かった。
  三重塔では以前からアライグマのつめ跡が外側の柱で多数見つかっており、進入路をふさぐなど対策をしていたが、先月、塔内を調査したところ、薬師如来像の 右肩や台座など8カ所につめ跡が見つかり、三重塔の1階内壁に描かれた重文の十六羅漢図にも無数のつめ跡で激しく損傷しているのが分かった。進入路をふさ ぐ以前に被害に遭っていたとみられる。
 京都府では、これまでに調査した社寺約400カ所のうち8割でアライグマが立ち寄ったとみられる痕跡が見 つかっており、他県でも、奈良県葛城市の当麻寺で今年5月、国宝・三重塔の西塔でアライグマの足跡とつめ跡が見つかった外、重要文化財・中之坊茶室の天井 裏を走り回り、ふんがたまり穴があく被害が出た。
 この他、奈良・東大寺の大仏殿や「お水取り」で有名な二月堂や四月堂、行基堂などの柱につめ跡がみつかり、奈良市の秋篠寺と般若寺や、宇陀市の室生寺で も昨秋、国宝・金堂の柱が傷つけられた。
 アライグマは北米原産で、現在原則的に輸入や飼育、移動や遺棄が禁止されているが、繁殖力が強く天敵もいないため、1970年代から国内で野生化し急激 に増えている。事態を重く見た文化庁も、対応を検討するという。

● 熊本・鞠智城跡から百済の青銅仏像出土(2008年11月4日)
 熊本県山鹿市の古代山城「鞠智(きくち)城跡」で青銅製の菩薩立像が見つかった。
  菩薩像は像高12.7cmで、宝冠をかぶって肩から足にかけて垂らした天衣を着け、横から見るとS字を描くような姿勢で、足元には台座に固定するためのほ ぞがある。穏やかな顔立ち、へその前に両手を出して持物を持つ姿、ほぞの大きさなどは650〜675年に百済で作られたことを示す特徴という。同時期の百 済系仏像が国内の古代山城から出土したのは初めて。
 古代山城は663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れた大和朝廷が、防備のために西日本各地に築いたとされる。六つの城跡が確認 されているが、遺構から百済製とみられる仏像が見つかったのは初めてという。
 古代山城のうち福岡県の大野城、佐賀県の基肄(きい)城は665年築で、百済からの亡命貴族が建築に携わったとの記述が日本書紀にある。鞠智城も同時期 に百済人の支援で造られたとの見方が定説だったが、裏付ける遺物はなかった。
 仏像は当時貴重で、菩薩像の年代は鞠智城の築造時期とも符合するため、築城に携わった身分の高い百済人が持ち込み、仏堂に安置したか、携帯していたとみ られる。
 菩薩像は11月9日、鞠智城跡で公開される。

● 高松塚壁画を一般公開(2008年10月30日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画を古墳近くの 修復施設で公開した。一般公開は11月2日から9日までに事前に申し込んだ計約4600人が訪れる。
 公開は春に続き2度目で、約15人ずつが10分間通路から作業室に並ぶ「飛鳥美人」などの壁画をガラス越しに見学する。

● 大分・真木大堂収蔵庫改築記念(2008年10月30日)
 大分県豊後高田市の真木大堂で、収蔵庫改築・仏像修 復記念行事が行われる。
 収蔵庫には、大威徳明王像など平安時代の国指定重要文化財の仏像9体が納められている。改修・修復工事で収蔵庫はバリアフリー化された。
 11月の毎週日曜には、先着100人に「おせったい」が行われる。

● 大津・西福寺地蔵菩薩坐像は南北朝作(2008年10月27日)
 大津市八屋戸の西福寺の本堂に安置されていた地蔵菩 薩坐像が南北朝時代の作と判明した。
 地蔵菩薩坐像はヒノキの寄木造で像高さ22.1cm。内部を漆や麻布で補強するなど南北朝時代(14世紀中後期)の特徴がみられた。作風から、平安から 室町時代に活躍した院派仏師の作品で、その中でも1350〜60年代に彫られたものと見られるという。
 寺では、盗難などを防ぐため、大津市歴史博物館に寄託し、今後寺には複製の坐像を安置する。

● 平等院国宝新指定の雲中供養菩薩像公開(2008年10月25日)
 京都府宇治市平等院の雲中供養菩薩像1体が新たに国 宝に指定され、宝物館「鳳翔館」の特別展で一般公開された。
  今回国宝に指定されたのは、菩薩が雲の上で楽器を奏でている「南26号」。高さ約61cm、幅約93cmのヒノキ造で、彩色截金が施されている。他の雲中 供養菩薩像51体は、明治37年(1904)年に国宝指定されたが、その後に鳳凰堂外で見つかったため、これまで未指定だった。制作時期は平安時代後期と される。
 今回の指定で、鳳凰堂は、建物を含め仏像など74点すべてが国宝となった。
 特別展では、鳳凰堂から流出したとみられる文化庁所蔵の僧形の雲中供養菩薩像も展示した。
 12月7日まで

● 唐招提寺金堂建築に廃材を再利用(2008年10月24日)
 奈良市唐招提寺金堂(国宝)建築の際、別の建物の廃 材数百点を再利用していたことが、解体修理に伴う調査で分かった。
 廃材は不要な穴を別の板でふさいだり、表面を磨いたりして、金堂の扉の内側や天井の裏板など人目につきにくい部分に使用されており、絵柄の付いた天井板 「身舎支輪」の裏板は、174枚のうち37枚が再利用材で、主要な柱など構造上、要となる部分は新材だった。
 部材の種類はさまざまで、切れ込みの形などから小規模で簡素な建築物の部材だったと推定できるものもあるという。

● 奈良・新薬師寺
巨大金堂の遺構出土(2008年10月24日)
 奈良市高畑町の奈良教育大構内で、奈良時代(8世 紀)の新薬師寺の金堂とみられる大型建物跡が出土した。
 現場は、現在の新薬師寺の西約150m。調査地北西部で、柱を立てる礎石を支えるために敷き詰めた直径50cm前後の石がまとまって4か所で出土した。
  柱の間隔は約4.5m。また、その南側で建物の基壇を飾る凝灰岩の板石が東西1列に並んでいるのが発見され、柱の間隔や地形などから建物の基壇(土台)跡 は東西54m、南北27mと推定され、東西九間に、さらに裳階と呼ばれる張り出しがついた建物で、現存する世界最大の木造建築、東大寺大仏殿に匹敵する規 模と推定されるという。
 当時のこの付近を描いた正倉院宝物の絵図「東大寺山堺四至(さんがいしいし)図」に、東大寺の寺域の外に「新薬師寺堂」が描かれており、その位置関係か ら創建時の金堂と判断される。
   12世紀初めの文献によると、新薬師寺は747年、聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后が創建したとされ、金堂は「七仏薬師堂」とも呼ばれ、7体の 薬師仏像が安置されていたと記されているが、これまで堂塔の遺構は見つかっておらず、創建時の伽藍配置や位置などは不明だった。

● バーミヤン大仏内に供養品(2008年10月18日)
 バーミヤン遺跡で、旧タリバン政権が破壊した東西2 体の大仏のうち、東大仏(像高38m)の右腕部分から6世紀ごろの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋が見つかった。
 麻袋は長さ、幅ともに約5cm。東大仏で、前に突き出していたとみられる右ひじの骨組みとなる木材を差し込んだ穴の奥で見つかった。袋は泥で封印してあ り、獅子と馬とみられる模様の刻印が残されていた。
  7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書「大唐西域記」で東大仏を「釈迦仏」と記述したが、破壊前から損傷が激しく仏像の種類がはっきりしな かった。専門家や仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。 供養品の解析が進めば、謎が多 い大仏建立の経緯解明につながるという。

● 滋賀の石山寺御影堂など、重要文化財に(2008年10月17日)
 文化審議会は、石山寺御影堂(大津市)など、8件の 建造物を重要文化財に指定するように答申した。
 石山寺御影堂は室町時代の創建。桃山時代慶長期に現在の姿に整備された。同期の建築の特徴をよく伝える蓮如堂、三十八所権現社本殿、経蔵とともに指定さ れる。

指定文化財は次の通り。
 ▽石山寺御影堂(滋賀県大津市)
 ▽大江橋及び淀屋橋(大阪市)
 ▽石岡第一発電所施設取水堰堤(えんてい)(茨城県)
 ▽金家(こんけ)住宅(秋田県北秋田市)
 ▽小玉家住宅(秋田県潟上市)
 ▽旧揖斐川橋梁(きょうりょう)(岐阜県大垣市)
 ▽旧吉松家住宅(宮崎県串間市)
 ▽石清水八幡宮の社殿群(京都府八幡市)(追加)

● 興福寺婆羅門立像東京で来年初公開 (2008年10月16日)
 奈良市の興福寺に伝わる婆羅門立像が修理されること になった。
 婆羅門像は像高62.8cmの木像で、近世に作り直されたものとみられているが、当初は、金鼓・華原磬(かげんけい−国宝)などとともに西金堂に安置さ れたとみられる。
 婆羅門はインドの最高位の僧侶で、金光明最勝王経の重要な場面に、金鼓をばちで打つ姿で登場する。
 修復後は、来春に東京国立博物館で開幕する「国宝 阿修羅展」で初公開される。

● 山梨県立博物館に木喰の不動明王像 晩年の掛け軸収蔵(2008年10月16日)
 山梨県は、県立博物館の収蔵資料として、木喰作不動 明王立像と、木喰直筆の南無阿弥陀仏の六字名号を購入した。
 不動明王立像は、像高29.2cmの一木造で、赤外線調査で天明9年(1789)の墨書きを確認した。この時期、木喰は日向国(宮崎県)に滞在し、これ より以前の不動明王像の制作は確認されていない。
 南無阿弥陀仏の「六字名号」(縦43.4cmセンチ、横14.8cmセンチ)は、87歳との表記があり、1804年に越後国(新潟県)滞在中に書いたも のとみられる。

● 福井・興道寺廃寺遺跡で塑像の螺髪出土(2008年10月16日)
 福井県美浜町興道寺の興道寺廃寺遺跡で、奈良時代の 塑像の頭髪部分の螺髪1点が出土した。
  見つかった螺髪は直径21mm、高さ24mmで塔基壇東側の畑から出土した。螺髪の底面は斜めにカットされて直径5mm、深さ5mmの穴が開いており、仏 像の頭部側面に棒かくぎ状の金具で固定されていたとみられる。

 螺髪の形や同遺跡からの出土品から考えると、7世紀後半から8世紀前半に製作されたと みられる。螺髪を復元すると3cm強となることから、立像なら像高約4.8m、坐像なら約2.4mの丈六仏だという。


 塑像は7世紀後半に粘土で作られた仏像。滋賀県竜王町の雪野寺跡から、塑像の顔の一部が出土するなど、全国60以上の遺跡で見つかっている。興道寺廃寺 は7世紀後半の遺跡で、嶺南では最古級の寺院。


● キトラ古墳の十二支像の辰、巳、申泥と一括はぎ取り(2008年10月9日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の壁画について、石室に 泥に覆われた状態で残されている可能性がある残りの十二支像について、しっくいと泥を一括ではぎ取ることになった。
 キトラ古墳の十二支像は「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」「戌(いぬ)」「亥(いのしし)」が石室壁面で確認され、剥ぎ取りに成功したが、「午 (うま)」は泥の部分に赤い顔料が転写された状態で残っていた。
  残りの十二支像「辰(たつ)」(東壁)「巳(へび)」(南壁)「申(さる)」(西壁)についても漆喰と石室に流入した泥の間に挟まれた状態と考えられる。 この場合、泥の粒子の方が細かいため、顔料が残っているとしても「午(うま)」と同様に漆喰ではなく泥の方の可能性の方が大きいため、泥と一括で剥ぎ取り を行うことになった。早ければ、来年秋にも剥ぎ取り作業が開始される。

● 大津の三井寺金堂の檜皮葺き屋根修復完了(2008年10月9日)
 大津市の三井寺(園城寺)で、国宝・金堂の屋根修復 がほぼ完了した。
 入母屋造りの屋根は2004年秋の台風で破損し、前回の修理から38年間経過して老朽化も著しかったため、2005年2月から修理を始め、3年ぶりに威 容を現した。11月に落慶法要を行うという。

● 龍安寺方丈屋根修復で一時拝観停止(2008年10月10日)
 京都市右京区の龍安寺の方丈(本堂)で、来年屋根の 全面葺き替え工事が行われることになった。
  柿(こけら)葺きの屋根が老朽化と風雨による破損が進んだために、31年ぶりに葺き替えられることになり、2009年1月5日〜2月5日の1カ月間、拝観 を停止することになった。方丈は、白砂の上に石が点在する有名な石庭の前の建築物で重要文化財。工期は約1年間で、期間中は仮の素屋根で覆われるという。

● 醍醐寺三宝院唐門を解体修理(2008年10月11日)
 京都府教委は、国宝や重要文化財など国指定文化財の 保存修理や防災対策などに対する本年度 国庫補助事業の第3次内定分を発表した。
京都市右京区の龍安寺本堂の屋根ふき替え・部分修理や伏見区の醍醐寺三宝院唐門の解体修理など新規事業25件で、新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】
▽龍安寺本堂(右京区)の屋根ふき替え・部分修理
▽醍醐寺三宝院唐門(伏見区)の解体修理
▽小川家住宅主屋(中京区)の解体修理
▽万福寺松隠堂庫裏ほか2棟(宇治市)の解体修理
▽瑞峯院本堂ほか2棟(北区)の屋根ふき替え
▽仁和寺遼廓亭(右京区)の屋根ふき替え
▽智恩寺多宝塔(宮津市)の屋根ふき替え
▽引接寺塔婆(上京区)の解体修理
【建造物防災】 
▽浄瑠璃寺本堂ほか1棟(木津川市)
▽久世神社本殿(城陽市)
▽常寂光寺塔婆(右京区)
▽聚光院本堂ほか1棟(北区)
▽賀茂御祖神社本殿ほか31棟(左京区)
【建造物環境保全】
▽出雲大神宮本殿(亀岡市)
▽相楽神社本殿(木津川市)
▽龍吟庵方丈ほか2棟(東山区)
【耐震診断】
▽同志社有終館およびハリス理化学館(上京区)
【美術工芸品保存修理】
▽大覚寺(右京区)障壁画3面
▽西本願寺(下京区)紙本著色善信上人絵(琳阿本)2巻
▽東福寺(東山区)絹本著色五百羅漢図45幅
▽相国寺(上京区)普広院旧基封境図1幅
▽三千院(左京区)木造不動明王立像
【保存活用整備】
▽法金剛院(右京区)の木造阿弥陀如来坐像などの収蔵 庫の改修事業
【記念物保存整備】
▽史跡仁和寺御所跡(右京区)の本坊西側土塀の解体修 理
▽對龍山荘庭園(左京区)の書院や広間などの屋根ふき替え

● 三重の美術館所蔵の観音像は長快の作(2008年10月5日)
 三重県菰野町の「パラミタミュージアム」が所蔵する 長谷寺式十一面観音像が、鎌倉時代の仏師・快慶の弟子、長快(ちょうかい)の作と分かった。
 観音像は像高約1.2mのヒノキ製の漆箔像で、鎌倉中期の13世紀半ばの制作とみられる。
 所有していた四日市市の旧家が今年4月にミュージアムに寄贈し、調査したところ、台座と像をつなぐ足ほぞの部分に「巧匠 定阿弥陀仏 長快」の墨書銘が 確認された。
  観音像は奈良・興福寺の僧が残した文献の記述から、興福寺禅定院観音堂の本尊だったとみられ、快慶が建保7年(1219)に制作した奈良・長谷寺の十一面 観音像と同じ木材が使われているという。像高が快慶の観音像の8分の1の大きさで、頭の上の頭上面が1つ多いなどの違いはあるが、ほぼ快慶の像を再現して いる。
 これまでに確認された長快の仏像は京都・六波羅蜜寺の弘法大師像(重文)1体だけ。
 パラミタミュージアムでは、10月4日から一般公開している。


● 京都因幡堂平等寺の薬師如来立像が里帰り(2008年10月4日)
 鳥取市東町の県立博物館で、仏像や古文書などを通じ て古代、中世の鳥取の姿を探る企画展「はじまりの物語」で、平安時代に鳥取から空を飛んで京都にたどり着いたとの伝説が残る因幡堂平等寺(京都市下京区) の薬師如来立像(重文)が里帰りし展示される。
  「因幡堂縁起」によると、薬師如来立像は、因幡の国司・橘行平が賀留津(現鳥取市賀露港付近)から引き揚げた。行平は薬師寺を建立し像を祀ろうとしたが、 完成前に京都へ戻ったため、像が行平を追って京都まで飛んだという。寺には像を置く台座だけが残ったため、座光寺(鳥取市菖蒲)と呼ばれている。
 企画展は10月4日から11月9日まで

● 兵庫・鶴林寺で「太子絵伝」修復完了記念公開(2008年10月4日)
 兵庫県加古川市加古川町の鶴林寺で、「絹本著色聖徳 太子絵伝」(重文 鎌倉時代後期)6幅の修復完了を記念した特別展が開かれる。
  「聖徳太子絵伝」は2002年7月に国重文の高麗仏画「阿弥陀三尊像」などとともに盗まれたが、2003年3月に犯人が逮捕され寺に戻された。しかし絵が 傷んだり軸木が切断されるなど損傷がひどく、文化庁などの補助を受けて今春まで修復していた。特別展では、無事だった2幅と合わせ極彩色の全8幅が並ぶ。
特別展は10月4日から11月9日まで。

● 六波羅蜜寺収蔵庫改修終え、一般公開始まる(2008年10月2日)
 京都市東山区の六波羅蜜寺で、開山1050年記念事 業の一環収蔵庫が改修され、一般公開が始まった。
 収蔵庫が築後46年が経過して老朽化で文化財保護に耐えられなくなったため改修され、二重構造の壁で外気が直接室内へ入るのを防ぎ、照明は発光ダイオー ドを使って室内温度が上がらないようにした。
  展示されるのは、空也上人立像、平清盛坐像、弘法大師坐像、薬師如来坐像など、およびいままで公開していなかった吉祥天女像も併せ重要文化財12点と、井 伊直政公坐像など4点。12月には重文の多聞天立像と広目天立像が寄託先の京都国立博物館から戻り、重文の14体がすべてそろう。

● 甲賀・玉桂寺阿弥陀像、知恩院へ(2008年9月30日)
 滋賀県甲賀市信楽町玉桂(ぎょっけい)寺の阿弥陀如 来像(重文)を、法然の廟所がある知恩院(京都市東山区)に安置する計画が進んでいる。
 この仏像は像高約99cm。1979年の調査で、法然が亡くなって約11カ月後の建暦2年(1212)の日付の源智直筆の願文が胎内から見つかった。
源智は、法然が亡くなる2日前、教えの要を記した「一枚起請文(きしょうもん)」を授かった人物で、知恩寺(左京区)の基礎を築き、法然に続く知恩院二世 に位置付けられる。
 知恩院では、法然の八百年忌を前に、里帰りするという。

● 称名寺仏像から仏舎利(2008年10月2日)
 横浜市金沢区の称名寺光明院に所蔵されている平安初 期の弥勒菩薩坐像内部から、弘法大師が唐からもたらし、鎌倉時代に納入されたとみられる仏舎利二つを確認した
  仏舎利が入っていた二つの包み紙は今年初め、修理のため弥勒菩薩坐像(像高11.5cm)を開けた時、見つかった。今夏、紙を開いてみたところ、米粒ほど の貴石が四つずつ確認された。包み紙の内側には、空海が真言密教の道場とした東寺伝来の仏舎利であることを示す「東寺御舎利」、空海が室生寺に納めたと伝 えられる「宀一山(べんいちさん)」の文字があり、坐像の修理跡や文字、紙には鎌倉時代の特徴があることから、仏舎利は鎌倉期に坐像内に納入されたとみら れる。
 二つはそれぞれ、仏舎利信仰の中心だった京都・東寺(教王護国寺)、奈良・室生寺の伝来で、双方の仏舎利が同じ像内で見つかるのは珍しいという。
 発見された仏舎利は、10月3日から金沢文庫(横浜市金沢区)で始まる特別展「釈迦追慕」で初公開される。


● 平城宮跡「せん仏」初出土(2008年9月27日)
 奈良市の平城宮跡で、第一次大極殿院を取り囲んでい た築地回廊の跡から、せん仏の破片が初めて見つかった。
  せん仏は、仏の姿を土の板にレリーフ状に型抜きしたもので、見つかった破片は(縦7.7cm、横4.5cm、厚さ2.3cm)で、一体の如来坐像が表され ている。桜井市の山田寺跡から出土した、如来坐像が縦に3列、横に4列並んだ「十二尊連坐(じゅうにそんれんざ)せん仏」(7世紀)と形や大きさがよく似 ており、同じ原型から作られたせん仏の一部とみられるという。
 せん仏は塔などの内壁に打ち付けられ、装飾として使われたが、続日本紀に「養老6年(722)に天武天皇と持統天皇のために仏を作り仏殿に安置した」と いう記述があり、この仏殿が平城宮内にあったとする説もあるという。

● 高知県で湛慶作の大日如来像が見つかる(2008年9月26日)
  高知県須崎市上分の小堂で、鎌倉時代の仏師、運慶の長男の湛慶(たんけい、1173〜1256)の工房が制作したと見られる大日如来像が見つかった。
 大日如来像は像高49.3cmのヒノキ製で、一木で彫った像を一旦割って内刳を施す割剥ぎ造で、仏像内に宝物を納入するための棚板がある構造など、運慶 工房独特の手法が用いられている。
 構造や外観は、ニューヨークで今春、約14億円で落札された運慶作とされる大日如来坐像とそっくりだが、顔つきは高知市の雪蹊寺にある湛慶作の吉祥天像 (重文)と似ており、湛慶かその工房の制作と見られるという。
  大日如来像は、高知県香美市立美術館で9月27日〜11月9日に開かれる企画展「古仏との対話―井上芳明と土佐の仏像」で、土佐市・清瀧寺の薬師如来立像 (重文・平安時代)、室戸市・金剛頂寺の銅造観音菩薩立像(重文・奈良時代)など、県内の平安〜鎌倉時代の仏像23体と共に、写真家・井上芳明さんの仏像 写真とあわせて展示される。

● キトラ古墳壁画で天文図「昴宿」など剥ぎ取り(2008年9月26日)
 奈良県明日香村阿部山のキトラ古墳の壁画修理保存 で、天井天文図北西の「昴宿」など3つの星座と「天狼」(シリウス)を表す星を剥ぎ取った。
剥ぎ取ったのは、星の金箔(ぱく)や黄道、赤道の朱線を含む南北約25cm、東西約10cmのL字型の漆喰で9分割した。
 昨年7月の始まった天文図の剥ぎ取りは、この日で全体の9割近くが完了。11月にもすべての作業が終わる見込みという。

● 高松塚古墳壁画を11月に公開(2008年9月18日)
 文化庁は、高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室から 取り出した「飛鳥美人」などの国宝壁画について、11月2〜9日に一般公開する。
 往復はがきによる申し込みを、今月19日から30日まで受け付け、抽選により、1日約500人(見学時間は10分間)に無料で公開する。

● 京都・東寺国宝「天蓋」を公開(2008年9月18日)
 京都市南区東寺9月20日から11月25日まで行わ れる秋期特別展で平安時代の国宝「天蓋」を展示する。
 天蓋は仏像の上部につるす直径約1.4mの円形の装飾品で、ヒノキ製。中央に8枚のハスの葉をめぐらし、周囲に菩薩が極彩色で表現されている。国宝「不 動明王坐像」の上につられていたと考えられている。東寺での一般公開は15年ぶり。
 特別展では、東寺の大師信仰の基礎を築いたとされる宣陽門院覲子ゆかりの宝物など約50点も展示。覲子が納めた重要文化財の「五重小塔」や「弥勒菩薩」 なども鑑賞できる。

● 法隆寺:四天王立像そろい踏み 大宝蔵殿で秘宝展(2008年9月17日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺大宝蔵殿で、秘宝展「斑鳩宮と 東院伽藍」が開かれている。
 今回は特別展示として、金堂の四天王立像(国宝)を4体そろって展示。展示は11月30日までで、金堂の修理が終わる12月には堂内に戻されるため、4 体そろって間近に見ることができる最後の機会となる。

● 法隆寺金堂半世紀ぶりに外壁を化粧直し(2008年9月17日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂について、須弥壇修理に合 わせて外壁の全面塗り替えが約半世紀ぶりに行われることになった。
 最上部の屋根の壁面の妻の部分などの上塗りが一部剥落していたほか、汚れも目立っていたことから、今年中にも内部と外部で化粧直しが行われる。
 外壁の全面塗り替えは昭和29年の大修理以来となる。一方、堂内ではひび割れに伴う須弥壇の修理も進められている。

● 足利の文化財一斉公開(2008年9月17日)
 非公開の文化財や歴史的建造物を期間限定で公開する 「足利の文化財一斉公開」が11月22日から3日間、足利市全域で開催される。
 五十一件が対象で、鎌倉時代の仏師、快慶作の「木造阿弥陀(あみだ)如来立像」(真教寺所蔵、県指定文化財)も二年ぶりに公開され、遺跡や建築物など四 施設が初公開となる。
 今回、初公開される施設は次の通り。
 機神(はたがみ)山山頂古墳(市指定史跡)
 旧足利織物赤レンガ捺染(なっせん)工場(国登録文化財)
 光明寺の鐘楼(市指定文化財)
 覚性院の宝塔(市指定文化財)

● 山口山陽小野田・岩崎寺の仏像里帰り(2008年9月17日)
 山陽小野田市有帆の岩崎寺(がんきじ)収蔵の県指定 有形文化財のうち県立美術館で保管されていた千手観音菩薩立像など6体が里帰りした。
  旧観音堂は2004年に2度にわたる台風で壊滅的な被害を受けたため、千手観音菩薩立像(像高184cm)、釈迦如来坐像(同78cm)、阿弥陀如来坐像 (同74cm)、大日如来坐像(同144cm)、阿弥陀如来坐像(同143cm)、聖観音菩薩立像(同約100cm)の6体は県立美術館で保管されてい た。このたび新観音堂が完成したことから、県立美術館から戻され、寺に安置していた不動明王像(像高164cm)とともに新観音堂安置された。

● バーミヤン遺跡で玄奘記述の「先王伽藍」発掘(2008年9月13日)
 アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で「西 遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、著書「大唐西域記」に記述した「先王の建てた伽藍」とみられる仏教寺院跡が出土した。
 寺院跡は、旧政権タリバンが破壊した東大仏跡と西大仏跡のほぼ中間で見つかり、規模は推定東西300m、南北200mで、近くの石窟の年代などから5〜 6世紀ごろの伽藍と推定され、規模から考えて先王の伽藍に間違いないという。
 大唐西域記には、王城の東2、3里の伽藍に仏の涅槃像があり、長さは1000余尺」と記述。涅槃仏は、今回出土した伽藍跡の近くに埋まっているとみられ る。

● 三重・雲心院宇賀弁才天坐像は円空作(2008年9月12日)
 三重県鈴鹿市江島本町の雲心院の宇賀弁才天坐像が、 江戸時代の僧、円空の作だったことが分かった。
 この円空仏は総高35.1cmの宇賀弁才天坐像(うがべんざいてんざぞう)で、2005年に鈴鹿市へ寄託されていた。
 赤外線撮影の結果、頭部と胸の部分に梵字などが書かれていることが分かり、延宝7年(1679)以降の作と推定されるという。
 宇賀弁才天坐像は、2009年1月17日〜3月1日まで鈴鹿市考古博物館で開催される企画展「未来へつなぐ宝物−第1回郷土資料室・新収蔵品展」で新た に収蔵された約90点の資料とともに展示される。

● 群馬・みなかみ町で16年間調査報告書作成せず(2008年9月11日)
 群馬県利根郡みなかみ町で、旧月夜野町時代に男性職 員が16年間埋蔵文化財調査の報告書を作成せずに長年放置していたことが判明した。
  報告書が作成されなかったのは1988〜2004年度までの調査のうち12か所で、印刷製本費は印刷する予定だった印刷業者5社に既に支払っていた。 2005年の合併後に事情を知ったみなかみ町教委も、報告書の印刷費計約850万円を課長名義の口座で保管したほか、印刷業者に返還要求をしていないな ど、ずさんな公金管理をしていたことがわかった。
 報告書の作成・発刊には約1250万円かかるが、印刷業者の一部が倒産するなどして590万円しか回収できておらず、不足分約660万円は、本人および 旧月夜野町時代に上司などの立場でかかわった教育長4人、課長6人、係長7人が分担して負担するという。
 県教委も5月から独自に調査を進めており、報告書の作成や補助金の返還の要求を含め判断していくという。

● 宮城・十八夜観世音堂菩薩立像が東北最古の木彫像(2008年9月10日)
 宮城県仙台市太白区長町の十八夜観世音堂の菩薩立像 が東北最古の奈良時代の木彫像とみられることがわかった。
 東北大の長岡龍作教授と仙台市博物館が共同で調査したところ、菩薩立像は像高138.5cmで、針葉樹の一木造。細身で腰が高い位置にあるといった奈良 時代の特徴を有し、8世紀後期ごろの制作と推測するできるという。
 菩薩立像は、慈覚大師円仁が835年ごろに造ったとされてきたが、詳細な年代調査はされておらず、文化財にも指定されていない。今回の調査で、制作年代 は50年程度さかのぼる可能性が高くなった。
 奈良時代の一木造りの仏像は千葉、栃木などに残っているが、東北では確認されていなかった。福島県湯川村の勝常寺にある国宝「木造薬師如来坐像」「日光 菩薩立像」「月光菩薩立像」は9世紀初めの平安時代初期の作で、広葉樹のケヤキを使っている。
 菩薩立像は、2008年11月14日から12月21日まで仙台市博物館で行われる特別展「平泉」に出品予定。
 

● キトラ古墳の「朱雀」報道向けに公開(2008年9月10日)
 奈良県明日香村の「キトラ古墳」からはがされ、修復 作業が進められている壁画「朱雀(すざく)」が国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設で報道陣向けに公開された。

 同様の公開は2007年2月の朱雀はぎ取り以来。文化庁古墳壁画室では、早ければ2010年春のキトラ古墳展での一般公開を目指しているという。


● 長野・無量寺の菩薩立像2体県宝へ(2008年9月5日)
 長野県文化財保護審議会は、長野県上伊那郡箕輪町の 無量寺観音菩薩立像と地蔵菩薩立像の2体について、県宝に指定するよう答申した。
 両菩薩像は阿弥陀如来坐像(重文)の脇侍で、像高約1.3m。中尊阿弥陀如来坐像と同時期の平安時代後期に藤原氏一族により制作されたと見られており、 観音菩薩と地蔵菩薩の組み合わせは、あまり例がなく珍しいことなど、美術史的、歴史遺産としても価値は高いとされる。

● キトラ古墳天文図2星座をはぎ取り(2008年9月4日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室天井の天文図につ いて、南東の星座「張宿」など2星座と、外規(星の見える範囲)を表す朱線の一部を含む漆喰が剥ぎ取られた。をはぎ取ったと発表した。
 今回剥ぎ取られたのは、南北10cmセンチ、東西9cmの範囲で、天文図全体の約85%ではぎ取りを終えたという。


● 知恩院集会堂など修理中の社寺を公開(2008年8月31日)
 京都府教育委員会は、建造物修理の実情を知ってもら おうと、9月13日から21日にかけて、知恩院集会堂(しゅうえどう)(京都市東山区)など府内4カ所の修理中の建造物を順次一般公開する。
 一般公開されるのは下記のとおり。
 知恩院集会堂(京都市東山区)(9 月13、14日)
 西本願寺御影堂(下京区)(9 月13日)
 萬福寺松隠堂客殿(宇治市)(9 月21日)
 島田神社本殿(福知山市)(9 月21日)
 普段見られない屋根構造や内陣の彩色などが、間近で見学できる。
 西本願寺と萬福寺は府教委文化財保護課に事前申し込みが必要。

● 高塚壁画、劣化原因究明に課題(2008年8月28日)
 高松塚古墳壁画 の劣化原因を究明する文化庁の調査検討会が開かれ、国宝壁画のうち、最も劣化が激しい「白虎」の退色が、1980年12月から約1カ月の間に急速に進んで いたことがわかった。
  報告によると、1980年12月9日撮影の写真では顔や胴体部分の描線は鮮明だったが、1981年2月8日の写真では線がぼやけて見えにくくなっていた。
 1980 年12月〜81年2月は、年末年始にかけて10日間程度ずつ計3回、保存修理作業を実施しているが、1月9〜21日には白虎付近で灰色綿状のカビが広範囲 で発生し、新たな防カビ剤が試用されている。
  今後作業日誌など当時の記録を精査して、使用された薬剤や処置方法を調べ、退色との関係を明らかにする方針。
  劣化原因の究明については、今後顕微鏡や蛍光エックス線など非破壊検査が原則であるが、彩色材料の分析など厳密な調査行うためには、サンプル採取も必要と なることも考えられることから、改めて国民に説明できるように慎重に対応をするべきという意見が出された。

● 和歌山・田辺市清姫堂が全焼(2008年8月28日)
 和歌山県田辺市中辺路町真砂の「安珍・清姫」で知ら れる清姫を祭った清姫堂から出火して木造平屋約60平方mを全焼し、安置されていた清姫像や薬師如来像などが焼失した。
 清姫堂は、清姫の菩提寺とされる近くの福巌寺の所有で、敷地内には薬師堂や石碑もあるが、類焼はなかった。清姫堂南側の窓と天井付近がよく燃えており、 普段は無人で施錠しており、参拝客は中に入れないことから放火の疑いがあるとみられている。
 福厳寺では伝説の誕生から1080年にあたり、伝説にゆかりのある地域住民が集い、合同慰霊祭を営み、「清姫まつり」を控えていた。

● 箸墓古墳 天皇陵に規模匹敵「卑弥呼の墓」強まる(2008年8月27日)
 奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の前方部で、大 規模な周濠(しゅうごう)跡が見つかった。
 前方部前面に深さ1.3m以上大きな溝状の落ち込みが確認され、底に水があったことを示す腐植層があった。落ち込みと墳丘の位置関係や出土した土器の年 代から、外濠の一部と判断した。
  外濠はこれまでの発掘結果と併せると、墳丘を一定幅で一周する馬てい形で、内堤を挟んで内濠と外濠が巡る二重構造であることも、ほぼ確定。また周濠の幅が 従来の推定より約40m広く、周濠を含む古墳の全長は約450mになり、天皇陵とされる後の大型前方後円墳に匹敵する規模だったことが判明。、天皇陵とさ れる後の大型前方後円墳に匹敵する規模だったことが判明。ヤマト王権成立を巡る議論の新たな手がかりとなりそうだ。


● 京都・醍醐寺で火災 准胝観音堂が全焼(2008年8月24日)
 京都市伏見区の醍醐寺の上醍醐で准胝観音堂から出火 し、准胝観音堂(約147平方m)と休憩所をほぼ全焼し、本尊・准胝観音坐像(像高約70cm)が焼失した。
 准胝観音堂には准胝観音坐像が2体あり、もう1体はドイツ・ボンの連邦美術展示館で開かれている醍醐寺展に出展中で、難を逃れた。
 上醍醐には、薬師堂など国宝や重要文化財の建物もあるが、准胝観音堂は文化財に指定されておらず、周囲の建物への延焼やけが人はない模様。
 ドイツで展示中の准胝観音坐像は9月に戻り、女人堂に安置される予定という。
 醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、空海の孫弟子貞観16年(874)年ごろ創建。1994年、世界文化遺産「古都京都の文化財」に登録された。観音堂は 1939年に火災で焼失し、1968年に再建されている。
 当時、周辺では雷が鳴っており、山科署は落雷が原因の可能性があるとみて調べている。

● キトラ古墳の天文図7星座を剥ぎ取り(2008年8月23日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳の石室天井に描かれた天 文図のうち、南東部に描かれた「てんびん座」にあたる部分など7星座が剥ぎ取られた。
 剥ぎ取ったのは南東の「房宿」など6星座と「心宿」の一部の計7星座で東西12cm、南北17cmの範囲。
 昨年7月に始まったはぎ取り作業は全体で68星座あるうち、南西部にあるオリオン座など約15星座を残すだけとなり、予定より5カ月近く早く10月中に も完了する見込みとなった。

● キトラ古墳西壁の余白に傷(2008年8月17日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳の石室内で、西壁の余白 に線状の傷が見つかった。
 傷は壁画がない場所で、長さ約1.5cm、幅約1mmで、上側が膨らんだ弓形の曲線状。
 物理的な接触などによる傷の可能性があるが、発生時期も含め原因は不明だという。

● 東大寺国宝世親菩薩はカツラ材 スプリング8で特定(2008年8月15日)
 微量物質の構造を調べられる大型放射光施設「スプリ ング8」で、運慶工房作の東大寺の世親菩薩立像(国宝・鎌倉時代)の材質がカツラであることが断定された。
 「スプリング8」は、兵庫県の播磨科学公園都市内に建設された大型放射光施設の名称で、電子などが磁場で曲げられるとき、その進行方向に放射される電磁 波である放射光を利用して、物質科学・地球科学などの分野で応用されている。
  今まで、木製文化財の鑑定は光学顕微鏡で木材の断面を観察する方法が主流で、世親菩薩立像も木目などからカツラかホオノキとみられていたが、昨年修理の際 に採取された、長さ2mm、幅0.3mmの木片にスプリング8で強力なエックス線を照射し、コンピューター断層撮影(CT)による精密な3次元画像を作成 調査した結果、道管の特徴などからカツラと断定された。
 スプリング8を使って樹種を特定したのは初めてで、今後、木製の文化財や考古遺物の調査にスプリング8の活用が期待できるという。

● 姫路の円教寺で性空上人坐像頭部に遺骨(2008年8月15日)
 兵庫県姫路市の書写山円教寺で、開山堂の本尊・性空 (しょうくう)上人坐像(鎌倉時代)の頭部に、人骨のようなものを入れたつぼがあるのがX線撮影でわかった。
 上人坐像は像高89.5cmの寄木造。X線撮影で、頭部に木箱に入ったガラス製とみられる球形のつぼ(高さ約10cm)があることが判明。つぼの中に は、人骨のようなものが写っていた。
  性空上人は、平安中期の966年に書写山に入り、後に円教寺を開いた円教寺の開山。「性空上人伝記遺続集」などによると、性空の没後間もなく寛弘4年 (1007)に造られた肖像は弘安9(1286)年の火災で焼失し、焼け残った像の中から上人の遺骨の入った瑠璃壺が見つかった。2年後に京都の仏師、慶 快によって像が再興された際、瑠璃壺が再び納められたと伝わる。
 今回の調査で頭部の壺の中に骨が入っているのが見つかったことから、文献の記述通り、現在の像が鎌倉時代に再興されたものであることも改めて確認できた という。
 肖像に本人の遺骨を納めた事例は、三井寺(大津市)の智証大師坐像(国宝、平安時代)が最古と伝わるが、確認はされておらず、科学的調査で確認できた事 例としては最古という。
 上人坐像は、奈良国立博物館で開催中の特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」で9月28日まで展示されている。
 

● 甲府市で善光寺薬師如来立像など文化財に指定
(200808月15日)
 甲府市教育委員会は古関町の永泰寺釈迦堂と善光寺3 丁目の善光寺薬師如来立像の2件を市文化財に指定する。
  県指定文化財の清涼寺式釈迦如来立像を安置する釈迦堂は、寛延4(1751)年に建立されたとされる。正面約6m、側面約9mの入母屋の妻入り形式で、彩 色の美しい欄間彫刻や三重の軒構成など建立当初の姿がはっきりと保たれている。1985年、旧上九一色村の文化財に指定され、甲府市との合併後は市準文化 財となっている。
 薬師如来立像は平安時代後期の制作とされ、像高61cmの一木割矧造。県内に伝わる同期の如来像は坐像がほとんどで、立像は極めて珍しいという。

● 奈良・唐招提寺国宝三仏、8年ぶり本堂へ(2008年8月14日)
 奈良市五条町の唐招提寺金堂(国宝)の解体修理がほ ぼ終わり、堂外で修理していた本尊・盧舎那仏坐像など国宝仏3体を8年ぶりに堂内に戻す準備が始まった。
 運び入れるのは、千手観音立像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像の三体で、搬入作業は9月末ごろに終了する見込みだが、堂内に安置した後、太い腕10本を残 して外された千手観音立像の943本の手を取り付けるなどの仕上げが進められる。

● キトラ壁画「朱雀」、平成22年にも公開(2008年8月13日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取られた 南壁壁画「朱雀」について、平城遷都1300年の平成22年にも一般公開する。
  高松塚古墳壁画の修復施設で保存されている朱雀は、直径0.5mm前後のバクテリアなどによるゼリー状物質に覆われ、施設内での乾燥によって物質が凝縮し て茶色く変化している。壁画上の泥の層も白く変色し、全体的にくすんだようになっており、はぎ取り前の鮮やかな紅色が失われている。
 ただ、壁画の描かれた漆喰など全体的には良好な状態が保たれており、ゲル状物質を除去しない状態であれば、22年の公開も不可能ではないという。


● 東大寺の石造獅子石材は中国産(2008年8月10日)
  奈良市の東大寺南大門にある「石造獅子」2体(重要文化財、12世紀末)の石材が、中国浙江省産の可能性が高いことが分かった。
 石造獅子は南大門の仁王像の北側に東西一対で置かれており、像高は東方像1.8m、西方像1.6m。2体とも大きく口を開いて胸を反らした姿で、胸には 中国風の装飾が施されている
  鎌倉時代の復興を伝える「東大寺造立供養記」では、平氏の兵火で失われた伽藍の再建を担った僧、重源上人(1121〜1206年)の指揮で「石造獅子は宋 人字六郎ら4人が渡来し、建久7年(1196)に四天王石像などとともに造られた」と記載されている。重源上人は寧波郊外(現在の浙江省)を訪ねたとする 記録もあり、石材も宋で調達した可能性が高いという。
 今回石材の調査を行った結果、獅子の石材は凝灰岩で、全体的に淡いピンクを帯び非常に目が細かいことや、石英や長石の含有率など浙江省産の高級石材であ る凝灰岩「梅園石」と梅園石と同様の特徴が認められ、同寺の獅子像のルーツが中国にあったことを改めて示す資料となる。


● 奥州の雲際寺全焼義経由来の位牌焼失(2008年8月7日)
 岩手県奥州市衣川区張山、雲際寺の本堂と位牌堂、住 宅部分の計約900平方mを全焼し、本堂に安置していた本尊や、源義経のものと伝えられる位牌なども燃えた。
 雲際寺は源義経と北の方のゆかりの寺とされ、源義経と妻の北の方らが平泉で自害後、遺体は同寺に運ばれ、2人の位牌が安置されたという。

● 奈良・カンジョ古墳石舞台しのぐ天井の高さ(2008年8月6日)
 奈良県高取町のカンジョ古墳(6世紀末−7世紀前 半)の石室天井の高さが約5.3mある巨大なものであることがわかった。
 調査の結果、墳丘は一辺36m、高さ11mの2段構造の方墳で、石室は高さ約5.3m。巨石をドーム状に積み上げた構造で、棺(ひつぎ)を納める玄室の 規模は東西3.7m、南北6mと判明した。
石室天井高さは、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半、奈良県明日香村)の約4.7mを上回り、高さ5mを超えるものは全国的にも珍しいという。
 また、石室の床面には木棺を載せる造り付けの棺台の跡が確認された。棺台は粘質土と炭を交互に重ね、長石の粉で塗り固めた珍しい構造。棺台は玄室の中央 に築かれており、南側の約半分しか残っていなかったが、全体の規模は推定で東西1m、南北2.2mと見られる。
 周辺からは木棺のものとみられる大型の鉄くぎが出土し、銀製の指輪やミニチュア炊飯具の一部など渡来系氏族に特有の副葬品も見つかった。 
 造り付けの棺台は飛鳥時代(6世紀末〜8世紀初め)ではカヅマヤマ古墳(同県明日香村、7世紀後半)など王家や皇子の墓と考えられる古墳でしか見つかっ ておらず、古墳の規模から見ても、一帯を治めた渡来系氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の首長墓とみられる。

● 九州国立博物館、慧日山高伝寺の涅槃図を報道関係者に公開(2008年8月5日)
 九州国立博物館は慧日山高伝寺の涅槃図(佐賀県重要 文化財)を報道関係者公開した。
 涅槃図は1703年に若井利左衛門利久が、第3代佐賀藩主の鍋島綱茂の命により京都の東福寺にある涅槃図を写しとって描いたもので、釈迦の入滅の姿を描 いた表装は縦15.2m、横6mの仏画。
 近く修復を予定しており、修復完了後は一般公開も検討する。

● 法隆寺金堂天井に謎のつり金具(2008年8月2日)
  奈良県斑鳩町の法隆寺金堂(国宝 7世紀)にある三つの間のうち、東の間の天井で用途不明のつり金具2個が見つかった。
  つり金具は表面の風化具合から飛鳥時代ごろ取り付けられたと推定される。現在中・西の間には、飛鳥時代の木製箱形天蓋がつられているが、東の間のみだけは 13世紀の鎌倉時代に作られ天蓋が取り付けられている。これは飛鳥時代の木製天蓋が壊れて、造り直されたと考えられてきたが、金具2個では軽いものしかつ るすことができず、創建当初は布製の円形天蓋用が使われた可能性があるという。
 寺の財産目録「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」(746年)には、 仏像用の天蓋は4基で、紫色の天蓋1基が693年の仁王会で持統天皇から下賜されたとの記述が残っており、金堂壁画に描かれたのと同じ、円形の布製天蓋高 貴な紫色の布製天蓋が2個の金具でつられていた可能性があるという。

● 奈良・新薬師寺で出土(2008年8月1日)
 奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内) で、奈良時代に造られたと見られる、寺院の床などに敷かれたレンガ状のが見つかった。
 同寺から「」が出土したのは初めてで、柱穴も一基見つかり、今後 は周辺を発掘して中枢部の解明を目指すという。

● ユネスコ無形遺産候補に木造彫刻修理など14件提案(2008年7月31日)
 文化庁は、来年9月に決定する国連教育・科学・文化 機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表一覧リストに、京都祇園祭の山鉾行事や、美術院の木造彫刻修理など14件の記載を提案することを決めた。
  無形文化遺産は、一昨年発効したユネスコの無形文化遺産保護条約に基づくもので、今回が第1回。「普遍的な価値」を審査のポイントとする世界遺産と違い、 世界的に一層認知されることを目的としており、専門機関による価値評価は行われない。このため、14件は書式の審査だけでユネスコ政府間委員会で無形文化 遺産に決まる見通しだ。
 すでに「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に選ばれている能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎は無形文化遺産に統合される。

提案候補は次の通り
【重要無形文化財】
▽雅楽(宮内庁式部職楽部)
▽小千谷縮(おぢやちぢみ)・越後上布(じょうふ)
▽石州半紙(ばんし)
【重要無形民俗文化財】
▽日立風流物(ふりゅうもの)
▽京都祇園祭の山鉾行事
▽甑(こしき)島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
▽奥能登のあえのこと
▽早池峰(はやちね)神楽(岩手県花巻市)
▽秋保(あきう)の田植踊(仙台市)
▽チャッキラコ(神奈川県三浦市)
▽大日堂舞楽(秋田県鹿角市)
▽題目立(たて)(奈良市)
▽アイヌ古式舞踊
【選定保存技術】
▽木造彫刻修理(美術院)
 文部科学省所管の財団法人・美術院は国内で唯一、国宝、国指定重要文化財の彫刻を修理する技術をもつ。1898年の創立以来、修理した文化財は8千点以 上にのぼる。三十三間堂の木造千手観音立像の修理や、奈良・東大寺南大門の木造金剛力士立像の修理などを手がけてきた。
 文化財修理の基本は「現状維持」。真新しい状態に復元するのではなく、劣化を抑える技術を駆使する。はがれかかった仏像表面の漆箔(しっぱく)をアクリ ル樹脂を注入して抑えたり、老朽化した仏像を解体修理したりする技術が名高い。

● 香川琴平・松尾寺銘文入り大師像(2008年7月31日)
 香川県仲多度郡琴平町の松尾寺で、弘法大師坐像内に鎌倉時代末期の文保三年(1319)作と記す銘文が見 つかった。
 弘法大師坐像は像高約75cmの寄木造で、銘文は像内部の背面側に墨で書かれていた。銘文には、行慶と宗円という僧2人が讃岐国那珂郡(現在の丸亀市) の善福寺に安置するため文保3年1月14日から仏師の定祐と定弁が坐像を作り始めた、と記されている。


 銘文にある善福寺や僧、仏師の名も他の文献で見られないが、書体や彫刻様式などから、鎌倉末期の作と見られるという。
弘法大師像は、京都・東寺にある坐像(国宝・1233年作)が日本最古とされている。

● 長野観松院の菩薩半跏像 日韓研究者が共同調査(2008年7月30日)
 長野県松川村観松院の菩薩半跏像(重文 銅像)を、 大阪大文学部の藤岡穣准教授(美術史学)と韓国国立中央博物館の閔丙賛(ミン・ビョン・チャン)研究員が調査した。
    菩薩像は像高30cmで大きな宝冠を戴き、左足を踏み下ろして座っている。 来歴は不明で、久しく7世紀前半の新羅のものとされてきた。だが、最近の研究 で7世紀初頭の百済仏とする説も出てきていた。
 右手は手のひらを前に向けて前腕を挙げているが、ひじから先が欠けていたのを戦後間もなく、仏師が補ったとされる。
 今春、この仏像をテーマに、安曇野ちひろ美術館長の松本猛さんと、菊池恩恵さんによる共著「失われた弥勒の手-安曇野伝説」(講談社)が出版されて注目 を浴びた。

● 滋賀・高月町非公開の観音像公開(2008年7月30日)
 滋賀県高月町で、8月3日国宝や重文を含む観音像が 一斉に開帳される「第24回観音の里ふるさとまつり」が開かれる。
 同まつりでは、普段はほとんどの観音堂で拝観予約が必要だったり非公開の仏像が自由に鑑賞できる。
 当日はJR高月駅東口を発着点に町内23カ所の観音堂を巡るバスが運行される。今年は新たに「東柳野薬師堂」が開帳される。

● 福井・大善寺本尊の厨子扉絵、南都絵師の作か(2008年7月28日)
 福井県坂井市の大善寺の本尊・十一面観音像を安置す る厨子の扉絵が、鎌倉時代後期ごろに南都(奈良)の絵師によって描かれた可能性の高いことが分かった。
  厨子は高さ119cm、幅92cm、奥行き61cmで、観音菩薩の浄土である補陀落(ふだらく)山や四天王像、蓮池を精巧な筆致で表現している。 側面扉 には広目天、増長天、持国天、多聞天の四天王像が描かれ、広目天の絵では、右下で円形のすずりをささげる邪鬼の姿が、天理市にあった内山永久寺旧蔵の四天 王画像(現在はボストン美術館蔵)の広目天に通じるという。
 こうした作風の特徴に加え、大善寺が中世、興福寺領にあったことなどから、厨子の絵画は14世紀ごろに興福寺に関係した南都絵師が制作した可能性がある とみられる。
 厨子は8月1日から、奈良国立博物館(奈良市)で開かれる特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」で公開される。

● 岩手・陸前高田普門寺で三重塔の頭頂部破損(2008年7月26日)
 岩手県陸前高田市米崎町の普門寺で、県有形文化財に 指定されている三重塔(高さ12.5m)の頭頂部が折れているのが見つかった。
 折れたのは「宝珠」と呼ばれる金属部分約2mで、先日の岩手北部地震で破損したとみられる。
 三重塔は江戸時代の文化6年(1809)に建立されたもので、県有形文化財に指定されている。

● 愛知県教育委員会が「文化財ナビ愛知」を開設(2008年7月26日)
 愛知県教育委員会県内にある国や県が指定などした全 文化財に、写真や解説を付けて紹介するサイト「文化財ナビ愛知」を開設した。
  愛知県はこれまで国・県指定、国登録の文化財を冊子で紹介していたが、冊子では新たに指定された文化財を追加したり、年ごとに変わる無形民俗文化財の祭り や神事などの開催日を更新することが難しいため、文化財を市町村や種別ごとに表示し、簡単に検索できるようにしたという。
 愛知県教委ホームページのメニュー「文化財ナビ愛知」からアクセスできるが、美術工芸、史跡等は平成21年以降 に公開予定。

● 観音像の胎内仏像頭部を立体画像で復元(2008年7月26日)
 福井県坂井市の大善寺で、本尊・十一面観音像の胎内 から発見された銅製十一面観音像の頭部が、3次元データをもとに復元された。
 本尊を調査のためエックス線撮影したところ、右大腿部に胎内仏の輪郭線が見つかったことから、九州国立博物館でコンピューター断層撮影装置(CT)で撮 影したところ、内部に銅製十一面観音像とみられる仏像の頭部であることが確認された。
 九州国立博物館では、医療現場で人工の骨を作る際などに使われている技術を応用し、CT撮影で得た3次元データを、コピーのように造形化できる特殊な機 器を使用して、樹脂製のレプリカ(複製品)も制作した。
 復元された頭部は全長9.4cmで、表情や耳の様式から13世紀ごろの制作とみられる。また、表面には銅特有の熱によるひずみがあり、耳などが溶けてい るなど、火災による損傷と見られる痕があるという。
 寺の縁起(18世紀)には「本堂の火災現場から金銅仏の頭部が見つかった」と記述されていることから、現在の本尊を新造した際に、火災で焼け落ちた元の 本尊を納めたとみられる。
 今回のケースは、取り出せない胎内仏の復元に3次元データを用いた初のケースといい、最新技術として注目されそうだ。
 本尊像は同寺で7月29日から31日まで開帳される。
 

● 滋賀県は舎那院薬師如来坐像などを県有形文化財を指定(2008年7月25日)
 滋賀県教育委員会は、舎那院(長浜市)の木造薬師如 来坐像など10件の有形文化財を指定した。
 薬師如来坐像は作例の少ない10世紀末〜11世紀前半に作られ、秀吉の播磨攻めに伴って円教寺(兵庫県姫路市)から長浜城下へ移され、さらに明治時代の 神仏分離で現在の寺へ移されたという伝来が分かる。

指定文化財は下記の通り。
▽薬師如来坐像 舎那院(長浜市)
▽仏典「観音玄義科」 金剛輪寺(愛荘町)
▽の板絵著色二十五菩薩来迎図 常善寺(草津市)
▽刺繍阿弥陀三尊来迎図 唯稱寺(ゆいしょうじ)(彦根市)
▽銅水瓶 己爾乃(こじの)神社(守山市)
▽杉野中薬師堂(木之本町)
▽上丹生薬師堂(余呉町)
▽長命寺文書 長命寺(近江八幡市)の
▽旧安土巡査駐在所(安土町)
▽杉原氏庭園(安土町)

● 法隆寺金堂須弥壇亀裂の原因は昭和大修理(2008年7月24日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂で、仏像を乗せる須弥壇に 発生した亀裂が、昭和24年から行われた大修理に起因することが分かった。
 須弥壇は土を層状にたたき締めた版築を核として土や漆喰を塗って造られるが、昭和24〜29年にかけて行われた昭和大修理の際、着工直前に火災が発生 し、焼損した壁画を搬出するため、須弥壇の北東角を大きく削って後に築き直した。
 亀裂はこの部分の縁に沿って発生していたほか、版築にもひび割れが見つかったことから、築き直す際に側面の下地に瓦を混ぜて乾燥を早めるなど、仕上げを 急いだことが原因とみられるという。

● 図書館の通用口に石仏の頭部放置(2008年7月22日)
 千葉県印西市の市立小倉台図書館の敷地内で、通用口 に石仏の頭部が置いてあるのが見つかった。
 頭部の大きさは縦30cm、幅25cmで、重さ約11kg。
 石仏はかなり古いもので中国や東南アジアで作られた可能性があるという。
 拾得物として届け出を受けた県警では持ち主を捜しているが、県内では最近、石仏の盗難事件はなく、遺失物届も出ていないため有力な手掛かりはないとい う。
 持ち主が3カ月以内に現れないと市に渡される。

● 平泉・中尊寺の本尊 半世紀ぶり本堂で公開(2008年07月18日)
 岩手県平泉町の中尊寺で、讃衡蔵(宝物館)に安置さ れていた本尊阿弥陀如来坐像が半世紀ぶりに本堂に戻された。
  阿弥陀如来坐像は明治42年(1909)本堂の改築以降、本尊として本堂に祭られていたが、昭和30年(1955)に、保存・管理のため本堂から讃衡蔵に 移されていた。今年は平泉の世界遺産登録への機運が高まったこともあり、平泉を築いた初代藤原清衡の命日の法要に当たる7月17日、半世紀ぶりに本堂に戻 され法要が行われた。
 阿弥陀如来坐像は、像高2.7mで、藤原氏が栄えた12世紀、平安時代の作とされ国の重要文化財に指定されている。本尊の 本堂での公開は、3代秀衡の命日に当たる10月28日まで行われるが、今回、移動にあたって傷んでいる部分が多く見つかったこともあり、本堂での公開は今 回が最後となるという。

● 秋田・鹿角で市文の菩薩像焼失(2008年7月15日)
 秋田県鹿角市十和田毛馬内の常照寺から出火、木造平 屋建ての虚空蔵菩薩堂が全焼し、堂内に安置してあった市文化財の虚空蔵菩薩像が焼失した。
 焼失した虚空蔵菩薩像は木製で台座、光背を含め高さ約26cmで、江戸中期の制作とされる。
 当日は、地元の月山神社の例大祭があり、出火当時も、お堂近くは屋台が出るなど人通りが多かったという。参拝客のためにお堂は開けたままで、堂中のロウ ソクの火はついていたという。

● 神奈川・日向薬師の県指定十二神将立像は平安後期の作(2008年7月14日)
 神奈川県伊勢原市日向の宝城坊(日向薬師)の県指定 十二神将立像が平安後期の作であることがわかった。
  薬師如来の霊場として、古くから源頼朝らの信仰を集めた日向薬師には二組の十二神将立像があるが、国重文の等身大の十二神将立像が鎌倉後期から室町初期に かけての作であるのに対して、県指定の約90cmの十二神将立像は平安後期の作と見られ、評価の見直しが行われている。
 これらの像は昭和五十年 代に調査されているが、県指定のうち二体は江戸期に修理されていたため、立像全体を「江戸期の作であろう」と判断し、文化財指定されなかった。しかし、 2003年に再調査したところ、頭部と体部をいったん割り離し、内部に干割れ防止のための空洞をつくって再び継ぎ合わせるという「割剥造」という技法が用 いられていることや作風などから「平安後期の作」と判断された。修理済みの二体は、頭部が平安後期、頭部以外は江戸期の作と分かった。

 再調査の翌年 に市指定、2006年には県指定となったが、国指定より古いことから、価値的には国指定にふさわしいという評価が多いという。
 伊勢原市では、今後素材の木材の年代測定も検討している。


● 出雲で中世のたたら製鉄遺構発見(2008年7月12日)
 島根県出雲市多伎町の、国史跡に指定されている田儀 桜井家たたら製鉄遺跡で、中世の製鉄炉1基、精錬鍛冶炉3基の遺構が見つかった。
  今回の遺構は、田儀桜井家本拠であった宮本鍛冶山内遺跡から約2.5km東に位置する「屋敷谷たたら跡」内から発見された。確認されたのは製鉄炉の下部構 造にあたる本床状遺構で、幅約1.6m、長さ4.8m。規模や構造から中世の製鉄炉と考えれ、操業時期は、15世紀前半(室町時代前半)と見られている。 精錬鍛冶炉は3基で、すべて1号炉を壊してその一部に作られていた。操業は15世紀以降と考えられる。
 田儀桜井家は、江戸時代初期から明治時代 中期までの約250年間、同市多伎町奥田儀を中心に活躍した近世出雲を代表する鉄師で、本拠となった宮本鍛冶山内遺跡には、本宅跡や石垣、鍛冶場、製鉄に 従事した人たちの集落跡などが残る。今回の発掘調査で、田儀桜井家が同地で大規模にたたら経営を行う200年前も前の中世に、同地に別の前身的な製鉄集団 が存在していたことが明らかになった。

● 島根・加茂岩倉遺跡の銅鐸が国宝に指定(2008年7月11日)
 島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸39個 が、正式に国宝になった。
 1996年に出土した弥生時代の銅鐸は1カ所での出土数では全国最多。銅鐸の内部に1回り小さい銅鐸が入った「入れ子」状態で出土した初めての例だっ た。
 銅鐸は国の所有となっており、現在県に無償貸与され、県立古代出雲歴史博物館が保管・展示している。

● 栗東・善勝寺の千手観音立像の制作年代判明(2008年7月1日)
  滋賀県栗東市御園の善勝寺の本尊・木造千手観音立像(重文)の制作時期が、年輪年代測定調査で1010年〜20年代と判明した。
 年輪年代測定は、気候条件によって変動する年輪幅をパターン化した年輪データを調査対象の木材の年輪と照合して、伐採時期を割り出す年代測定法である。
 しかし、伐採時期の測定には、辺材と呼ぶ樹皮に近い部分の年輪が必要で、主に建物などの年代特定には活用されているが、仏像などの彫刻の場合、表面に辺 材を確認できなかったり、サンプルを切り取れないため、判定が難しかった。
  観音立像の両足内側部分の木目に注目し、画素数の大きい市販のデジタルカメラに接写レンズを装着して撮影した結果、919年の年輪であることが分かった。 さらに立像本体と台座の木目の特徴が一致したことから、台座から辺材を確認でき、1011〜20年ごろに伐採されたと推定された。
 観音立像は、左右にも顔を表現した全国でも珍しい三面千手観音像で、美術史の様式から10世紀末から11世紀初頭と推定されていたが、ほぼ正しいことが 確認された。
している。

● 高松塚古墳の壁画 文化庁が原因究明(2008年7月4日)
 奈良県明日香村高松塚古墳壁画のカビなどによる劣化 原因を究明する文化庁の調査検討会が文部科学省で開かれ、2年後をめどに結論をまとめることになった。
  壁画劣化については、既存の検討会でも話し合われてきたが、原因調査に特化した専門組織がつくられたのは初めてで、カビなどの微生物の影響だけでなく、文 化庁が非公開で古墳の管理を続けてきた体制の問題点なども話し合う。今後、月1回のペースで会合を開き、2年後をめどに結論をまとめる。
 今後、月1回のペースで会合を開き、2年後をめどに結論をまとめる。

● アジャンタなどの石窟壁画戦前の模写を展示(2008年7月3日)
 5〜6世紀の極彩色壁画で知られる世界遺産、アジャ ンタ(インド)・シーギリヤ(スリランカ)両石窟の戦前の模写10点が、京都市東山区の京都国立博物館で展示されている。
 模写は宗教画家杉本哲郎氏(1898〜1985)が1937年に渡航し制作、京博に寄贈したもの。
 杉本は、壁面に紙を直接当て透き写し、下級の馬ふん紙をあえて用いて壁の質感を表現し、現地の顔料を使用するなど、ありのままを写し取る工夫を凝らし た。
 現在のアジャンタ壁画は、模写直後の英国植民地時代に修理でニスが塗られ当初の姿が失われており、たびたび除去も試みられたが暗く黄色みを帯びた色調に 変わってしまっている。杉本氏の模写は明るく華やかな色調を保っており、オリジナルを知る貴重な模写となる。
 展示は7月27日まで。

● 大津の寺院で最古級の達磨大師像発見(2008年7月3日)
 大津市内の寺院南北朝時代の作とみられる達磨大師坐 像が見つかった。
 大師像は、像高43cmの寄木造。後世に顔に漆を塗り直した跡がみられる以外は修理の跡も少ない。
 着衣のしわが大ぶりで、仏像の左肩から腰部にかけての衣文が南北朝時代に活躍した院派の仏師の作風と酷似しているという。
 中世期の達磨大師の仏像は極めて数が少なく、数例しか確認されていない。
 達磨大師坐像は、 7月13日〜8月24日まで大津市歴史博物館で開かれる企画展「石山寺と湖南の仏像−近江と南都を結ぶ仏の道」で初公開される。

● 銀閣寺創建時の黒漆塗りには戻さず(2008年6月11日)
 京都市左京区の銀閣寺(慈照寺)で2階の外装を創建 時の黒漆の姿に戻さず、部分補修にとどめ現状を維持することが決まった。
 銀閣の修理は屋根ふき替えと部分修理で、昨年11月からスタート、2010年3月の完成を目指している。
  「銀閣」は2階外壁の黒漆に池の反射光が映って銀色に輝いたのが語源とも言われていたが、2006年の科学的調査で銀箔が張られておらず黒漆塗りだったこ とが分かった。当初、壁板など創建時の部材が多く残る2階の外装を黒漆で塗装し創建時の姿に戻す案も検討されたが、外壁の板の厚さが風化で半分程度になっ ており、最も薄いところで1cmしかなく、塗装には不適と判明された。また、寺側も「東山文化を代表する枯淡の美が失われる」と難色を示したこともあり、 内側など人目に付かない部分の部分補修にとどめ現状を維持することになった。


● 奈良・大福寺板絵曼荼羅展示(2008年06月29日)
 奈良県広陵町的場の大福寺で、県指定文化財の板絵両 界曼荼羅(室町時代初期)が修復の完了に伴い特別展示されている。
  展示されるのは胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅で、ともに横約2.2m、縦約2.4m。ヒノキの板に布を張り、漆を塗って下地をつくり、金泥などで数多くの仏 が細密に描かれている。刻銘により、応永31年(1424)に田原本町の楽田寺灌頂堂の曼荼羅として制作されたことがわかる。
 表面の彩色が浮き上がり、剥落していたため、去年秋から京都市の専門機関で修理を行っていた。
 普段は須弥壇の後壁に飾られており、薄暗いうえ、本尊などの仏像の背後になって見えにくいが、期間中は仏像を本堂脇に移し、曼荼羅を拝観できるようにし ている。
 展示は7月27日までの午後1〜4時。

● 岐阜・永保寺 本堂と大玄関の地鎮式(2008年6月27日)
 岐阜県多治見市虎渓山町の虎渓山永保寺の本堂と大玄 関の地鎮式が旧本堂跡地で行われた。
 永保寺は臨済宗南禅寺派の古刹で、鎌倉時代末期の正和2年(1313年)この地を訪れた夢窓疎石の草庵が起源とされる。
多治見市土岐川畔の広大な境内に建つ、入母屋造檜皮葺きの仏殿観音堂と開山堂が国宝に指定され、夢窓疎石作の岩山や橋、池泉回遊式庭園は、国の名勝に指定 されている。
  本堂と大玄関、庫裏が、2003年9月10日に発生した火災で、本堂、庫裏が火災で焼失し、庫裏は昨年8月に再建されたが、本堂は建設を請け負った業者が 会社更生法を申請したため、着工が完工送れ、今年業者を変更して着工にこぎつけた。完工は2011年6月となる見込み。
 また、解体修理を進めていた岩山の上にある霊擁殿(れいようでん)(六角堂)は今年5月に完成し、心字池にかかる無際橋も現在工事中で、2010年3月 には修理を終える予定。

● バーミヤン遺跡から土塀跡出土(2008年6月26日)
 アフガニスタンの世界遺産・バーミヤン遺跡で、中国 僧・玄奘三蔵(?〜664年)の見聞録「大唐西域記」に登場する「王城」に関連するとみられる8〜9世紀の土塀跡が見つかった。
  遺構は昨年6月、同研究所などが大仏に近いガリーブ・アーバード地区で行った発掘調査で出土したもので、幅約1m、高さ約50cmの基部が長さ約3mにわ たって見つかった。壁の片側に石垣が並び、壁の芯の部分にも石がはめ込まれた構造で、土壁は基部の幅から高さ5m以上だったとみられるという。
 土塀跡は2001年にタリバンに破壊された西大仏(高さ約55m)の南西約300mの地点にあたり、玄奘が大唐西域記に「王城の東北の山側に立仏の石像 (西大仏)がある」と記述していることから、当時の王城と土塀跡は極めて近いとみられる。
  今回の調査では、仏教からイスラム教時代への移行期に当たる8〜9世紀の土器も出土しており、玄奘が訪れた7世紀よりも新しい遺構と見られるが、出土場所 の周辺からは、玄奘が訪れた7世紀の土器もこれまでに確認されていることから、王城は玄奘の訪問時から存在したものをその後建て替えた遺構の可能性がある という。

● 文化財調査用可搬型マイクロスコープを開発(2008年6月26日)
 独立行政法人情報通信研究機構は、絵画等文化財の非 破壊調査に使用可能な可搬型のテラヘルツマイクロスコープを開発した。
 テラヘルツは、光と電波の中間に位置する電磁波で、絵画材料の透過と反射のデータを得ることができ、数値解析を用いた画像処理を行うことにより、量子カ スケードレーザー技術、絵画材料データベースと組み合わせて、非破壊で顔料等の分析がリアルタイムで行えるという。

● 島根・定徳寺飛鳥後期の観音像確認(2008年6月26日)
  島根県美郷町吾郷の定徳寺に安置されていた銅造観音菩薩立像が飛鳥時代後期(白鳳時代、7世紀後半〜8世紀初め)に制作されたものとわかった。
 観音像は像高27.2cm、台座を含めると34.9cmの小金銅仏で、2007年10月に行われた文化財調査の際、本堂に安置されていた20〜30体の 中から見つかった。
 奈良・法隆寺の銅造観音菩薩立像などと大きさや冠、胸飾り、衣のひだなどがよく似ている一方、衣や胸飾りが欠け、銅にむらがあることなど、同時代の奈良 の仏像と比べて鋳造が不完全であることから、当地での制作と考えられる。
 観音像は古代出雲歴史博物館に寄託されており、10月4日〜11月30日に行われる企画展「秘仏への旅―出雲・石見の観音巡礼―」(2008年)で展示 される。

● 京都・金戒光明寺阿弥陀堂の修復完了(2008年6月26日)
 京都市左京区の金戒光明寺で浄土宗の宗祖・法然の 800回忌(2011年)の記念事業として進められてきた阿弥陀堂の修復がこのほど終わった。
 阿弥陀堂は、応仁の乱で焼かれ、1605年に豊臣秀頼が方広寺大仏殿の余財で再建したと伝わる。
 堂内には胎内に鑿が納められているといわれる本尊・阿弥陀如来像が安置されている。

● 山梨・寺本廃寺、跡全体を文化財に
(2008年06月24日)
 山梨県笛吹市教委は、山梨県笛吹市春日居町寺本の市 指定文化財「寺本古代寺院(寺本廃寺)塔跡」の寺跡全体(約14,187平方m)を市史跡に追加指定した。
 遺跡は、白鳳期(7世紀後半)に建てられた県内最古の寺院跡で、これまでの調査で約130m四方の境内に金堂や三重塔が配置されていたことが確認され、 瓦や仏像の一部なども多数出土している。
 従来の指定範囲は三重塔の土台部分のみで、現在寺院跡のほとんどは住宅地や農地となっているが、 市教委は土塀の周囲5メートルの範囲まで指定を広げる方向で調査を進めるほか、将来的には市が一部土地を買い上げて保護することも視野に入れるという。

● 福井・中山寺本堂43年ぶりに葺き替え(2008年6月22日)
  福井県高浜町の中山寺本堂の檜皮葺きの葺き替えが終わり、一般公開が始まった。
  入り母屋造りの本堂は、14世紀中ごろに再建されたもので、江戸時代以降は茅葺きだったが、昭和40年(1965)年に葺き替えを行った際、檜皮用の構造 材が出てきたことから、本来は檜皮葺きであることがわかり、もとに戻して葺き替えられた。今回は43年ぶりの葺き替えとなる。
 中山寺は天平8年(736)に泰澄大師が開創したと伝えられる古刹で、本堂には国の重要文化財の馬頭観音坐像が本尊として安置されている。中山寺では 33年に一度の本尊の開帳に合わせて、2010年春に落慶法要を営むという。

● 鎌倉の大仏素材は中国銭(2008年6月21日)
 鎌倉・高徳院の阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)は、中国 からもたらされた銭(銅貨)で造られたことが別府大の研究で明らかになった。
 当時は末法思想が流行し、お経を筒に納めた経筒が各地で地中に埋められたが。全国で出土した経筒50点を調査し、含まれる鉛の同位体比を測定し原産地を 特定した結果、1150年ごろを境に一斉に国産から中国華南産に切り替わったことがわかった。
 しかし当時は、中国でも銅は不足していたため銅の原料を輸入するのは難しく、多量に輸入できる銅としては中国銭のほかに見あたらないという。
  日本では、8世紀初めからは和同開珎など12種類の銅貨(皇朝十二銭)が発行されたが、銅不足から時代を追って小型化し、銅の割合が下がり鉛が多くなり、 10世紀半ばには鋳造が行われなくなった。その後、日本で流通していた貨幣は、中国から多量の中国銭が輸入された宋銭が大部分であり、その鉛含有量は、 20〜45%と非常に高い。
 鎌倉大仏の鉛の含有量は、奈良大仏が1%程度なのに対し、10%以上で、これは浄光上人が、建立に当たり一文銭を勧請した事から、当時流通していた銅銭 が材料として用いられたためとされていた。
 今回の研究では、科学分析の結果も一致することから、今までの通説が正しいことが証明されたという。

● 岩手・宮城内陸地震で双林寺の仏像、接触して破損(2008年6月20日)
 栗原市築館薬師台の双林寺の薬師如来坐像と持国天王 立像が、宮城内陸地震で、倒壊して互いに接触し、それぞれ胸と左肩が一部破損した。
 本尊薬師如来坐像は、倒れた持国天王立像と接触し胸に長さ13〜15cm、深さ2〜3mmの傷ができ、左手首にひびが入ったという。
 また、持国天立像は左肩の一部が損壊し、現在は、余震による転倒を防ぐため、胴にさらしを巻いて柱に固定している。
 双林寺は、天平宝字4(760)年開創とされる古刹で、境内の薬師堂は「杉薬師」の愛称で知られており、本尊薬師如来坐像は、ケヤキの一木造で、東北に 現存する仏像の中では最古の仏像の一つである。
 今回の地震ではこのほか、仙台市の陸奥国分寺薬師堂の欄間が落下するなど、国指定文化財は、重文6カ所、史跡3カ所、史跡・名勝1カ所、登録3ヶ所の計 13ヶ所、県指定文化財は5ヶ所が破損などの被害を受けた。いずれも、被害の大きかった栗原、大崎両市に集中している。

 

薬師如来坐像          持国天像

● 西大寺は巨大伽藍-薬師金堂・文献と規模一致(2008年6月20日)
 奈良西大寺小坊町の西大寺旧境内で昨年見つかった薬 師金堂の大きさが文献の記録と一致する巨大な建物だったことが分かった。
  昨年の調査では、七基の柱穴が出土し、建物本体の南北が確認できたほか、北側ではひさしの柱穴も見つかった。伽藍の中軸線などをもとに全体を復元すると、 東西35.7m、南北15.9mで、奈良時代に書かれた西大寺流記資財帳に記載された「長十一丈九尺、広五丈三尺」の数値と一致することがわかった。
 西大寺は、奈良時代の女帝・称徳天皇が東大寺に並ぶ大寺として建立した寺とされる。

● 年輪年代測定:高さ1メートル超の仏像で成功(2008年6月19日)
 奈良文化財研究所が、木造文化財を壊さずに内部の年 輪を撮影できる「マイクロフォーカスX線CT装置」で、高さ約1m規模の仏像の年輪年代を測定することに成功した。
 年輪年代測定は、木材の年輪パターンからその木が伐採された年代を測定する手法で、一般的には、年輪が見えている部分を、高画質のデジタルカメラで撮影 する方法が採られていた。
 これに対し、マイクロフォーカスX線CT装置は、木材を壊さないまま内部の年輪を撮影することができるため、彩色があったり、表面の年輪が見えにくい場 合も非破壊で測定することが可能であるという。
 今回、長野県大桑村の池口寺の協力で、寺に伝わる木造菩薩形立像(像高約116cm)を測定。伝来などは不明だが、作風などから平安時代末から鎌倉時代 初めと見られていた。測定の結果、1115年以降に伐採された木材であることが判明した。

●奈良の喜光寺南大門を450年ぶり再建(2008年6月18日)
 奈良市の喜光寺で戦国時代に焼失した南大門が約 450年ぶりに再建されることになった。
  喜光寺は奈良時代の高僧・行基が721年に創建したと伝える。本堂は、東大寺大仏殿造営の際、参考にしたとされ、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。しかし、 南大門をはじめ、伽藍の大半が戦国時代の1499年に戦火で失われ、1544年ごろに再興されたが、南大門は再び焼失したという。
平城京遷都1300年に合わせ、2010年3月に完成の予定。

● 愛知・大樹寺本堂と開山堂が岡崎市文化財に(2008年6月17日)
 愛知県岡崎市鴨田町の大樹寺の本堂と開山堂が市文化 財に指定された。
 大樹寺は、松平家、徳川将軍家の菩提寺として知られる名刹で、境内にある指定文化財の建物は、国重要文化財の多宝塔、県文化財の大方丈、裏二の門、三 門、総門、鐘楼と合わせて8棟となった。
 本堂は、入り母屋造りで本瓦葺きで、幕末の安政2(1855)年に焼失し2年後の安政4に年建立された。
 開山堂は宝形造り、桟瓦葺きで、江戸初期の創建になる。

● 六波羅蜜寺で「十王図」特別展(2008年6月17日)
 京都市東山区六波羅蜜寺戦後に所在が分からなくなっ ていた「十王図」が土蔵で見つかり寺の特別展で展示されている。
 見つかった十王図は10幅で、それぞれ縦約90cm、横約49cm。死んだ人が初七日から三周忌の間に、閻魔王庁で裁きを受ける様子や、舌を切られる地 獄絵が描かれている。以前は法要や絵解きに使われたという。
 特別展は6月17日から9月30日まで。

● 島根・西ノ島で和同開珎の銀銭出土(2008年6月16日)
 島根県西ノ島町別府の黒木山横穴墓群で銀製の和同開 珎(わどうかいちん)一枚が出土した。
  銀銭は、六基の横穴墓群のうち六号横穴墓から人骨などとともに出土した。和同開珎は、和銅元年(708)鋳造された日本最初の本格的な流通貨幣で、銅製と 銀製の二種類がある。銀銭は1年余りで鋳造中止となったため流通量が少なく、近畿を中心に40数枚しか見つかっておらず、近畿より西での出土は松江市大草 町の出雲国府跡に続く2枚目。
 隠岐は奈良時代ごろから朝廷にアワビやノリなどの海産物を献上する「御食国(みけつくに)」として知られており、有力者か上位クラスの漁民が献上の褒美 や記念品として与えられるなど、海産物などを通した隠岐国と中央政府の結びつきを示す貴重な史料という。

● 法隆寺金堂四天王赤外線で表情くっきり(2008年6月14日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺・金堂(国宝)内にある日本最 古の四天王立像のうち、広目天像を赤外線撮影したところ、眉やひげなどの墨線が浮かび上がった。
 彩色の風化や剥落で無表情のように見えていたが、赤外線写真によれば、険しく吊り上がった細い眉や大きく見開いた目、口元とあごには、ねじれの利いた髭 を持つ、きりりとした武人の顔が浮かび上がった。
 髭をたくわえた姿は中国・秦始皇帝陵の兵馬俑などに見られる武官像によく似ており、表情の特徴などから当時の中国の武人を模した可能性もあるという。
 広目天は、光背の銘文から渡来系氏族・東漢氏である「山口大口費」らが造ったとみられている。
 四天王像は、6月14日に同館で開幕する「国宝 法隆寺金堂展」で公開される。

 

● キトラ古墳、天文図の6星座はぎ取り(2008年6月14日)
 明日香村阿部山キトラ古墳の石室天井に描かれた天文 図(直径65cm)のうち、「弧矢(こし)」など6つの星座をヘラによる手作業ではぎ取った。
 剥ぎ取ったのは、南側にある「柳宿」(うみへび座)や「井宿」(双子座)の一部など6星座で、南北24cm、東西14cmの範囲を13分割してはぎ取っ た。天文図や漆喰の損傷などはなかったという。
 昨年7月から始まった天文図のはぎ取りは全体の3分の1程度まで進み、年内にすべての星座のはぎ取りを終えるとの見通し。

● 法隆寺金堂の天蓋 670年の焼失前の木材も使用(2008年6月13日)
  奈良県斑鳩町法隆寺の国宝・金堂内で仏像の上に飾られている天蓋(重文)の部材に、7世紀初めに伐採されたとみられる木材が含まれていることがわかった。
 金堂の天蓋は3基あり、調査では本尊・釈迦三尊像(国宝)の頭上に当たる「中の間」と、阿弥陀如来像(重文)の上の「西の間」に飾られてきた天蓋の部材 ついて年輪年代を測定した(「東の間」の天蓋は鎌倉時代の制作)。
 その結果、2点には新旧の部材が混在しており、中の間の天蓋の天井板部分には、607年前後に伐採された部材が含まれていることが分かった。
 法隆寺は607年ごろ聖徳太子が創建したとされるが、670年に焼失し、現在の伽藍はその後再建されたとする説が有力だが、材木としては創建ごろの古い 部材も合わせて使われていたことになり、新たな謎が浮上した。
 調査結果については、寺院造営の奨励に対して木材が備蓄されていたという見方や、焼け残った部材や太子ゆかりの建物の部材を使ったとの見方も出ている。
 中の間、西の間の天蓋は6月17日〜7月21日に、奈良市登大路町の奈良国立博物館で開かれる特別展「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。

● 桜井市談山神社で、社殿から骨蔵器発見(2008年6月13日)
 桜井市多武峰の談山神社で、修理中の社殿から二つの 骨蔵器が見つかった。
 骨蔵器が発見されたのは、十三重塔西側の権殿(重要文化財)内で、8世紀末〜9世紀初頭の形式と見られる高さ約9.5cmの壺形の土器と五世紀中ごろの 祭器とみられる容器の中に、土と共に火葬された骨が入っていた。
 続日本紀によると、日本で最初に火葬されたのは僧道昭で、文武天皇四年(700)とされ、5世紀に火葬の習慣はなかったことから、奈良時代に亡くなった 人物の遺骨が、壺形の土器が作られた奈良時代末ごろに土器に移され権殿に納められたとみられる。
 談山神社は「多武峯縁起」などによると、白鳳7年(679)に藤原鎌足の長男の定慧が父を弔うために十三重塔を建てたのが始まりとされ、その後妙楽寺と 呼ばれた。
 歴代僧侶の墓は多武峰山中の奥の院にあり、わざわざ境内に埋葬し、骨蔵器も権殿で保管されていたことから、相当身分のある僧侶だったとみられるという。

● 大分真木大堂の大威徳明王像80年ぶり修理へ(2008年6月12日)
 大分県豊後高田市の真木大堂の大威徳明王像(重文) が、1929年以来、約80年ぶり修理されることになった。
 平安時代の作といわれる大威徳明王像は傷みが激しく、彩色がはく離剥離し、表層面が浮き、虫食いの穴が目立つ状態。このため現在、展示されている宇佐市 高森の県立歴史博物館から、九州国立博物館に移し樹脂などで剥落を止める作業を行う。
 真木大堂は現在改修工事中で、本年11月にオープン予定であるが、明王像修復もこれに間に合わせる予定という。

● 奈良県明日香村で金銅製の仏像の右手が出土(2008年6月10日)
 奈良県明日香村の檜隈(ひのくま)寺跡金銅製の仏像 の右手が出土した。
  見つかったのは、手首から先の部分で、長さ2.3cm、幅1cm。中指など3本の指は欠けているが、金メッキが鮮やかに残り往時の輝きを伝えている。顔や 胴体などは出土していないが、立像だと像高20〜25cmと見られる。金メッキは純度83%以上で、メッキの発色や精巧な細工から、7世紀後半から8世紀 に古代の中国か、朝鮮半島で製作された可能性があるという。
 檜隈寺は古代の渡来系氏族、東漢(やまとのあや)氏の氏寺とされる
 仏手は、6月11日〜7月10日、国営飛鳥歴史公園館(奈良県明日香村)で展示される。

● 大津・三井寺不動明王像最古級(2008年6月5日)
 大津市園城寺町の園城寺(三井寺)行者堂の木造不動明王坐像が、平安時代(9世紀後半)に作られたもの で、国内の不動明王像では最古級であることがわかった。
  不動明王坐像は像高約90cm一木造りとみられる。正面をにらんで唇をかみしめ、右手に剣、左手に縄を持つ弘法大師様と呼ばれる姿をとる。肥満した像の表 面に薄く乾漆を塗り、着衣の一部や装身具を別材で作って張り付けるなど、不動明王像の最古の像とされる京都・東寺講堂の国宝不動明王坐像と共通した技法を 持つことから、同じ図像を基に制作されたと考えられるという。
 9世紀の不動明王像は2、3例しかなく、貴重な発見。
 不動明王坐像は、2008年11月に大阪市立美術館で開幕する「国宝三井寺展」で初公開される。

● 「運慶作」大日如来 東京国立博物館で公開(2008年6月3日)
 ニューヨークで競売に掛けられ、宗教法人「真如苑」 が落札した、仏師運慶の作とみられる大日如来像が、東京国立博物館に寄託され一般公開される。
 今後は、文化財としての調査、展示に協力するため、数年間の予定で同博物館に寄託するという。
 今年の展示期間は、6月10日から7月6日及び7月10日から9月21日。

● 中国重慶市大足石刻の千手観音、国家重点保護プロジェクトに(2008年6月3日)
 重慶市大足県にある仏教石窟世界文化遺産・「大足石 刻」の千手観音が、国家重点保護プロジェクトの第一号になった。
 千手観音像は、南宋時代(1127〜1279年)の中・末期に建てられた大足石刻の代表作品の1つで、本像のある大足石刻は、1999年にユネスコの世 界文化遺産に登録されている。
 千手観音像は像高7.7m、幅12.5mの巨像で、岩面に観音像の周りに孔雀が尾羽を広げたような形で1007本の手が彫られている。
 近年風化および、表面の金箔のはがれが深刻になったため、一部について試験的な修復作業を行なってきたが、本格的な修復を行うために国家重点保護プロ ジェクトの第一号に指定された。

 

● 四川大地震2700点の文化財が被害(2008年5月31日)
 中国国家文物局の調査によると、四川大地震による各 省の地震による文化財への被害は、世界文化遺産2ヶ所、全国重点文化財保護機関127ヶ所、省レベルの文化財保護機関192ヶ所で、254点の貴重な文化 財を含む2700点になり、修復には57億元が必要になるという。
 四川省北川県の地震遺跡博物館の建設については、国家文物局の専門家チームがすでに現場の調査を行い、その調査結果によって建設案が提出されることに なっている。

● 四川大地震西安の兵馬俑7体に破損、大雁塔の傾斜も悪化(2008年5月28日)
 四川大地震によって、震源地となった四川省に隣接す る陝西省西安市の世界的文化遺産、兵馬俑博物館にある7体の像が破損したことがわかった。
 破損状況はいずれも軽く、馬の頭部や台座に小さなひびが入ったり、像が傾いたりしたという。
 また、陝西省では、西安市中心部にある大雁塔では、塔の傾斜がわずかに大きくなり、内部の壁の一部がはがれ落ちたり、ひびが入るなどの被害が出たほか、 文化財関連施設56か所が被災し、文化財41件が破損したという。

● 法隆寺金堂の天蓋に再建前の古材使用(2008年5月30日)
 奈良県斑鳩町法隆寺の国宝・金堂内にある装飾の天蓋 に、606年ごろ伐採された木材が使われていたことがわかった。
 天蓋は金堂内の「中の間」「西の間」「東の間」に3基あり、それぞれ幅約2.4m、奥行き約2.1m、高さ0.8mで、「東の間」の天蓋のみ鎌倉時代の 後補である。
釈 迦三尊像(623)がある「中の間」と、阿弥陀如来像(1232)がある「西の間」の天蓋を年輪年代法で測定したところ、「中の間」天蓋の部材のうち最も 新しい年輪年は654年、「西の間」天蓋は663年で、「中の間」天蓋の部材のうち、天井板の部分に使われていた木材5枚の天井板のうち2枚が同じ材で、 606年前後の伐採とわかった。
 法隆寺は聖徳太子(574〜622)が607年に創建したが、670年に焼失し、7世紀後半から8世紀初めごろ 再建したとされる。本尊を安置する中枢部の金堂でも、創建時期の古材が半世紀以上経た後に使われていたことが分かっており、天蓋にも聖徳太子存命中に伐採 された材料が使われていたことは、建立過程などをめぐり新たな議論の的となりそうだ。

● 唐招提寺金堂三尊の最後の公開(2008年5月30日)
 奈良市西ノ京の唐招提寺金堂の本尊・盧舎那仏坐像と 千手観音立像、薬師如来立像の国宝三尊が修理を終え、境内の修理所で5月31日から6月8日まで一般公開される。
 盧舎那仏坐像は像高さ3.04m乾漆造。8世紀の制作で、重厚な姿で知られている。江戸時代の修理で張った四角い金箔の縁の形が顔面に浮き出していたた め、黒色の顔料で目立たないように処理。大正時代、袈裟の部分のひび割れを埋めた際に残った漆も取り除かれた。
 千手観音立像は背面の900本余りの手を取り外して、一部を展示。仏像の全身を写したエックス線写真なども掲示した。
 金堂は解体修理がほぼ終了しており、仏像3体は今年8月末以降、金堂に運び込まれる予定で、今回の公開は、本尊を堂外で間近に見ることができる最後の機 会となる。

● 松阪市 新たに絵画、古文書4点 市指定文化財に(2008年5月29日)
 松阪市教委は中町の岡寺山継松寺所蔵の「両界曼荼羅 図」(室町時代)など絵画2、古文書1、史跡1の計4件を新たに市指定文化財に指定した。
 両界曼荼羅図は、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」の2幅からなり、ともに縦約93cm、横約79cm。市内に残る数少ない密教絵画で、一部で顔料の はがれが見られるが、保存状態は良好。

指定品は下記の通り
両界曼荼羅図 室町時代 継松寺
射和万古窯跡 射和町
蓮如・如光連坐像 室町時代 本宗寺
佐藤氏系図 室町時代以降 肥留町 個人所蔵

● 兵庫・石の宝殿の謎に迫る(2008年5月28日)
 高砂市阿弥陀町生石(おうしこ)の生石神社のご神体 「石の宝殿」(県史跡)の内部診断結果を公表する説明会が6月21日に開催される。
 高砂市教委と日本文化財探査学会が、今年1月12、13日に、さまざまなポイント、角度からレーダーと超音波を照射して内部構造や亀裂の有無などを探 る、初めての科学的調査を行った。
 その結果、石の「墓」説を裏付ける空洞の有無は確認されずじまいだったが、6月21日に同神社参集殿と兵庫県立考古博物館(播磨町)で開催される学会で レーダー探査結果と超音波探査の結果を報告する。

● 高松塚壁画に課題山積(2008年5月24日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初 め)の石室から運び出し、古墳近くの施設で修復を進める国宝壁画が、5月31日の一般公開を前に報道陣に公開された。
 修復責任者を務める東京文化財研究所の川野辺渉副センター長によると、「飛鳥美人」と呼ばれる西壁の女子群像に直径6〜7ミリの陥没が3、4カ所あるこ とを確認。絵の下地のしっくいが内側から溶け、空洞になっているとみられる。

● 大阪・吉志部神社で火災、国の重要文化財指定の本殿全焼(2008年5月24日)
 大阪府吹田市岸部北四の「吉志部(きしべ)神社」か ら出火し、消防が約20分後に消し止めたが、国の重要文化財に指定されている木造平屋の本殿が全焼したほか、社務所の玄関や周辺の山林の一部が焼けた。
 現在の本殿は江戸時代初期の1610年に建立された。正面に柱が8本並び柱間が7つある「七間社流造」の大規模なもので、桃山様式の装飾性豊かな建物。 七間社流造は大阪府内唯一で全国的にも珍しく、1993年に国の重要文化財に指定された。
 吹田署などが不審火の疑いもあると見て、出火原因などを調べている。

● 紫香楽宮跡から木簡出土(2008年5月22日)
 滋賀県甲賀市の宮町遺跡で木簡が出土し、その中に万 葉集巻16に収められた和歌が記されていたことが分かった。
 木簡は、1997年度の発掘調査で出土したもので、いずれも幅2.2cm、厚さ1mmで、長さ7.9cmと14cmの二つに割れていた。本来の長さは約 60cmと推定され、儀式や宴会で詠み上げるのに使った「歌木簡」とみられる。
  木簡には、万葉集巻16に収められた「安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」のうち、1字で1音を表す万葉仮名で「阿(あ)佐(さ)可 (か)夜(や)」と「流(る)夜(や)真(ま)」の計7文字の墨書が判読できた。片面には対となる「難波津の歌」が記されていた。
 この歌は。陸奥国に派遣された葛城王が国司の接待が悪くて立腹したが、かつて王の采女だった女性が機転をきかせて「(福島県の)安積山の影まで映す山の 泉ほど、私の心は浅くありません」と詠んだので王は機嫌を直したという。
 万葉集は745年以降の数年間に巻15までと付録が成立し、巻16は付録を増補して独立させたとする説が有力で、日本最古の歌集の成立を考えるうえで極 めて重要な発見となる。
 「難波津の歌」が書かれた木簡や土器は全国で三十数点が出土しているが、万葉歌が書かれた木簡が見つかったのは初めて。

● 京都清水寺本堂などを修理へ(2008年5月20日)
 京都府教育委員会は国宝や重要文化財など国指定文化 財の保存修理や防災対策に対する本年度の国庫補助事業内定分を発表した。建造物では京都市東山区の清水寺本堂(国宝)など9棟の屋根葺き替え・解体修理の 新規事業12件を含む87件。
 清水寺では、仁王門や経堂、田村堂などを順次修理しており、今回は馬駐(うまとどめ)の屋根葺き替えを手始めに11年間で、朝倉堂、轟門、本坊北総門、 阿弥陀堂、奥の院、子安塔は解体修理し、本堂や釈迦堂の屋根を葺き替える。
 その他の新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】退蔵院本堂及び玄関(右京区)
【美術工芸品保存修理】
▽著色絵杉戸(東山区・養源院)
▽厨子入木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(上京区・報恩寺)
▽木造軍荼利明王像(右京区・大覚寺)
▽宋刊本楞伽(りょうが)経、宋刊本四分律比丘尼鈔(東山区・東福寺)
▽岩倉具視関係資料(左京区・岩倉公旧蹟保存会)
▽絹本著色閻魔天像、木造不動明王坐像(伏見区・醍醐寺)
【美術工芸品保存活用整備】木造空也上人立像ほか8件を収める収蔵庫改修(東山区・六波羅蜜寺)
【重要有形民俗文化財保存修理】祇園祭山鉾「霰天神山」(中京区)
【民俗文化財伝承・活用】京都の六斎念仏(京都六斎念仏保存団体連合会)

● 千葉県山武市内7寺1社 仏像・仏画特別公開(2008年5月15日)
  千葉県山武市では、5月24、25の両日、7寺院と1神社が所蔵する仏像や仏画の特別公開を行う。 昨年、5寺院に伝わる仏像や仏画を一斉公開したとこ ろ、大きな反響を呼んだことから、「山武仏教文化研究会」が発足し、今年は賛同する寺社も増えた。24日には各寺院を巡る見学バス(無料、要予約)も運行 される。
 一般公開する主な寺院は下記の通り。
 天台宗・宝聚寺 釈迦如来像 県文 鎌倉末期 
 真言宗・勝覚寺 四天王像 県文 鎌倉末期 
 日蓮宗・妙宣寺 釈迦如来像 南北朝末期 など
 市歴史民俗資料館 善光寺式阿弥陀三尊像 県文 鎌倉時代 真行寺旧蔵

● 舞鶴の松尾寺金剛力士像を修理(2008年5月15日)
 京都府舞鶴市松尾の松尾寺、来年の創建1300年記 念式典にあわせ、仁王門の金剛力士像を財団法人美術院国宝修理所で修復する。
 2体とも像高約230cm。鎌倉中期の作と推定され、市の文化財に指定されている。
 今後、各部分に解体して、江戸期に塗られた絵の具を取り除き、新たに彩色を施して建立当時の外観をよみがえらせる。創建記念式典の来年10月までに阿形 像を完成させ、吽形像は2009年秋までに補修する。
 解体作業中に、阿形像の足と土台をつなぐほぞの側面に墨書跡が見つかり調査を進める。

●八幡の正法寺で快慶作の仏像公開(2008年5月11日)
 京都府八幡市八幡清水井の正法寺で美術工芸品などを 収蔵する「法雲殿」が完成したのを記念し、5月10、11日に鎌倉時代の阿弥陀如来坐像(重文)など同寺所蔵7点が特別公開された。
 快慶かその弟子の作とされる像高283cmの阿弥陀如来坐像や光明皇后が天平12年(740)に書写した「大方等大集経」(重文)は、正法寺では初めて の公開。
 同寺は古文書約9400点を所蔵しており、今後も展示替えをしながら文化財の公開を行っていくという。 

● 静岡・蔵春院の釈迦如来坐像宿院仏師の制作か(2008年5月8日)
 静岡県伊豆の国市田京の蔵春院の本尊釈迦如来坐像 が、静岡大の調査の結果、室町時代に奈良を中心に活躍した宿院仏師の作品である可能性が高いことが分かった。
 釈迦如来坐像は像高72.3cmの寄木造で、肉身部は金泥が塗られているが、衣の彫りなどが源次や源三郎など宿院仏師の作風に近いことがわかったとい う。
 宿院仏師は木材工事に携わる工匠出身の源四郎、源次、源三郎らが俗人仏師として、奈良の宿院町を中心に活動した一派で、回顧的な作風を重んじ、彩色を施 さずに精緻に彫り込むのが特徴。現在70体余りの作品が確認されているが、所在は京都、奈良に集中している。
 伊豆半島に宿院仏師の作品が伝わった経緯は不明で、近く仏像の内部調査を実施し詳細の解明するという。
       
   
● 京都・建仁寺で風神雷神図屏風公開(2008年5月7日)
 京都市東山区の建仁寺で、俵屋宗達筆「風神雷神図屏 風」(国宝)が、「妙光寺特別展」で特別公開される。
  この屏風は、江戸初期に再興された右京区宇多野の妙光寺にあったが、江戸後期、同寺から建仁寺の住持となった全室慈保が持参したという。
 劣化が激しく、移動に伴い顔料や金箔がはがれる恐れがあるため、通常は京都国立博物館に寄託されており、建仁寺ではデジタル画像による複製画が展示され ていた。建仁寺には10年ぶりの里帰りとなる。
 特別展は、荒廃した妙光寺の復興を目指して開かれ、開山・法燈国師の絵画や彫刻など15点も展示される。
 5月8日から14日まで。

● 京都・長楽寺火災で重文の仏像7体搬出(2008年5月7日)
 京都市東山区円山町の長楽寺の収蔵庫から出火し、屋 根部分を焼いて約30後にほぼ消し止められた。
 収蔵庫は鉄骨平屋建てで、時宗宗祖の一遍上人立像など重文の祖師像7体のほか、府や市の指定文化財の古文書などが保管されていたが、すべて搬出され無事 だった。
 長楽寺は平安初期に天台宗別院として創建され、平清盛の娘の徳子(建礼門院)が出家したとされる。室町初期に時宗の寺院となった。

● 京都・寂光院焼損の旧本尊を特別公開(2008年4月26日)
 京都市左京区の寂光院で、2000年5月の放火事件 で焼損した旧本尊地蔵菩薩立像の特別公開が始まった。
 旧本尊は像高2.6mで鎌倉初期の制作とされ、放火事件で焼損したが、劣化を防ぐために表面を樹脂加工するなど修復された。現在も重要文化財に指定され ており、完全空調の収蔵庫で保管されている。
 公開は4月26日から5月6日まで。

● 奈良・明日香村高松塚古墳の公開始まる(2008年4月25日)
 奈良県明日香村の修理施設で、高松塚古墳石室から取 り出された国宝壁画の地元村民への公開が始まり、午前中は村立の幼稚園、小中学校の児童・生徒計約500人が訪れた。
 村民への公開は27日まで、一般公開(応募制、先着順)は5月31日〜6月8日に行われる。

● 韓国で盗難古美術およそ2400点を回収(2008年4月24日)
 韓国で盗難に遭った朝鮮時代後期の画家の美術品と文 化財など2400点あまりが回収された。
  ソウル警察庁は2005年3月から昨年6月までに100件あまりの名家などに侵入し、美術品と古文書、民俗資料など4600点盗んだ容疑者を逮捕し、画家 ソジョン、ピョン、グァンシクの山水画や、旧韓国末義兵長、キ・ウマンの手紙などの古文書、絵画の巨匠キム・キチャンの版画などの美術品など2400点を 隠していた倉庫で発見し回収した。

● 出雲大社で本殿を59年ぶりに一般公開(2008年4月21日)
 島根県出雲市の出雲大社は、「平成の大遷宮」で神体 を本殿から仮殿に遷したのに伴い、国宝の本殿の一般公開を始めた。
 本殿は江戸時代の延享元年(1744)造営。高さ24mの高床式で、切り妻屋根や周囲に縁を巡らせた「大社造」と呼ばれる建築様式。普段は限られた神職 しか入ることができないが、檜皮のふき替えなどの大修理に備え、ご神体が仮殿に移されたためで59年ぶりに公開される。
 一般公開は4月21〜23日、26日〜5月6日、5月13日〜18日、8月1日〜17日の4回に分けて計37日間行われる。無料。Tシャツやジーンズな どの軽装での見学や撮影は不可。

● 滋賀愛荘町町文化財に4件を指定(2008年4月19日)
 滋賀愛荘町教委湖東三山の一つ、金剛輪寺所蔵の狛 犬、廣照寺の聖観音立像など4件を町文化財に指定した。
 4件は4月19日〜5月18日まで町立歴史文化博物館で開く「愛荘町新指定文化財展」で公開される。

指定文化財
▽狛犬(こまいぬ) 鎌倉時代 金剛輪寺(同町松尾 寺)
▽聖観音立像 鎌倉時代 廣照寺(同町畑田)
▽紙本著色矢取(やとり)地蔵縁起絵巻 室町時代個人所有
▽紙本著色熊野観心十界曼荼羅図 江戸時代 寶満寺(同町愛知川)

● 出雲歴史博物館で国宝の銅剣を損傷(2008年4月18日)
 出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館で、荒神谷遺跡 (島根県斐川町)から出土した国宝の銅剣を調査中に誤って展示台にぶつけ、刃の中央部に亀裂が入った。
 損傷したのは長さ52cmの銅剣で、元興寺文化財研究所(奈良市)の技師ら3人が、展示台から銅剣を1本ずつ取り外して写真を撮り戻す際に、銅剣を台の 枠にぶつけ、ほぼ中央の刃部に長さ4.2cm、幅0.9cmにわたる弧状の亀裂が入ったという。
 銅剣は1984年、荒神谷遺跡から358本が出土し、1998年に同遺跡出土の銅矛や銅鐸とともに国宝に指定された。
 ひびの拡大を防ぐため、接着剤を塗る応急処置をとり、文化庁と修復方法を協議するという。

● 熊本・人吉の青井阿蘇神社が国宝に(2008年4月18日)
 文化審議会は、熊本県人吉市の青井阿蘇神社の5棟 (本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
かやぶき屋根の建造物としては初の国宝指定で、楼門から本殿迄の一連の主要建物が一度に国宝になるのも珍しいという。

指定建築物
【国宝】
▽青井阿蘇神社(熊本県人吉市)
  青井阿蘇神社は、大同元年(806)の創建と伝え、阿蘇神社(阿蘇市)の三神を祭る。鎌倉時代に人吉入りした相良家の氏神として長く保護され、球磨地方の 鎮守として信仰を集めている。 現在の社殿は江戸初期の慶長15〜18年(1610〜13)年に建て替えられた。黒塗りで傾斜が急な萱葺(かやぶ)き屋根 に極彩色を用いた装飾性の高い彫刻や模様に特徴がある桃山様式で、南九州一帯に影響を与えた独特の技法などは近世神社建築で重要な位置を占めとされた。
【重要文化財】
▽旧東京科学博物館本館(東京都台東区)
▽金沢城土蔵(金沢市)
▽大安寺(福井市)
▽西福寺(福井県敦賀市)
▽豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂(愛知県豊橋市)
▽舞鶴旧鎮守府倉庫施設(京都府舞鶴市)
▽淀川旧分流施設(大阪市)
▽大野教会堂(長崎市)
▽江上天主堂(長崎県五島市)
【重要伝統的建造物群保存地区】
▽金沢市主計(かずえ)町(石川県)
▽小浜市小浜西組(福井県)
▽平戸市大島村神浦(長崎県)

● 宇治の平等院鳳凰堂の天井装飾復元(2008年4月18日)
 宇治市宇治の平等院で鳳凰堂の天井装飾「方蓋(ほう がい)」(国宝)の創建時の文様を再現した復元品を完成させた。
 方蓋は本尊の阿弥陀如来坐像の頭上を飾る天蓋の一部で、幅約4.2m、奥行き約3.7m。
  復元したのは方蓋の南東角(縦・横65cm、高さ66cm)と北東角の二部分で、平成の大修理で、蛍光エックス線検査などで本来の色彩や塗装法を調査し、 方蓋と同じヒノキ材を用いて夜光貝の螺鈿や金箔を施し、漆や朱の鉱石、調査で発見された木粉を混ぜた塗料で濃い赤紫色を再現した。

● 金沢市文化財に高岸寺の本堂など指定(2008年4月17日)
 金沢市文化財保護審議会は、「高岸寺本堂・鐘楼・附 棟札7枚」(寺町)と「松風閣庭園」(本多町)を市文化財に指定するよう答申した。
 高岸寺は日蓮宗の寺院で、前田家家臣の高畠石見守が一族の菩提所として開いた。
  本堂は1861年の建築で、切妻造りの妻入り。正面中央に向唐破風の式台玄関が付けられ、彫刻の完成度も高い。鐘楼は1797年ごろの建築とみられ、祠堂 の2階に建つ形式は市内の寺院でも例がないという。また棟札には、これら建造物の建築年代が記され、変遷をうかがうことができる。

● 平城宮跡東方官衙で数万点規模木簡(2008年4月11日) 
 奈良市佐紀町の平城宮跡東方官衙地区で出土した木簡 の堆積層が数万点規模になることが分かった。削りくずが大半だが、点数では長屋王家木簡(約35,000点)を上回る可能性が高く、平城京で過去最多の二 条大路木簡(約74,000点)に迫るという。
 木簡は直径6mほどの穴に投げ込まれた状態で、最高約40cmほどの厚さで全体に堆積している。土はほとんどはさまっておらず、削りくずだけがびっしり と積み重なった状態だった。

● 奈良・藤ノ木古墳で石室公開(2008年4月8日) 
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳で、見学施設の整備工事が 終わり、5月3〜6日の4日間石室内部が特別公開されることになった。
 藤ノ木古墳は、1985年に馬具が発見され、1988年に石棺内部調査が行われて、豪華な金銅製馬具や、多彩な副葬品(いずれも国宝)を納めた未盗掘石 棺が出土したことで知られる。
 見学施設は石棺のある玄室につながる長さ約12mの羨道に通路を設置し、石室入り口のガラス窓越しに内部を見学できるようにし、一般公開される。また、 今後は、春と秋の2回石室内部の特別公開を予定しているという。

● 大和郡山で奈良時代のヒノキの巨大井戸出土(2008年4月1日)
  奈良県大和郡山市の横田堂垣内(かいと)遺跡で、奈良時代の巨大な井戸枠が発見された。
 井戸枠は直径1m、長さ3m、ヒノキの大木をくり抜いたもの、、地表に露出していた上端部以外は完全な状態で検出された。外面には手斧(ちような)で 削った痕跡が生々しく残っていた。井戸の中からは、つるべに使われたとみられるつぼも見つかった。
 井戸の近くでは、南北に規則正しく並ぶ複数の掘っ立て柱建物跡も見つかり、役所や寺院があったと見られる。
  古代のくり抜き井戸としては、斑鳩町の法起寺近くで出土した飛鳥時代の井戸(直径1.3〜0.8m、長さ6.8m)が国内最大級として知られており、藤原 京や平城京でも深さ2〜3m前後の井戸が多数見つかっているが、くり抜き井戸ではなく、板材を組み合わせた構造のものが多い。

● 高松塚古墳の修理作業室4月末、明日香村民へ先行公開(2008年4月1日)
 奈良県明日香村で昨年石室が解体された高松塚古墳の 極彩色壁画について、5月末からの一般公開に先立って4月25〜27日の3日間、明日香村民へ公開されることになった。
  壁画は同古墳から北西約500mの国営飛鳥歴史公園内にある修理作業室で公開されるが、通路から窓ガラス越しに飛鳥美人などの壁画が置かれた室内を眺める ことになる。見学通路が狭いため事前申込制とし、1回に15人ずつ15分限定となる。25日の午前中は地元の小中学生らを招待するという。
 一般公開の日程や申し込み方法は、4月中旬ごろに公表する予定。

●  奈良県指定文化財に圓證寺の木造釈迦如来坐像など9件(2008年4月1日)
 奈良県教育委員会は、生駒市・圓證(えんしょう)寺 の釈迦如来坐像など9件を指定文化財に指定した。
 釈迦如来坐像は筒井氏の菩提寺である圓證寺の本尊像。像高69.3cmの寄木造で、脇侍に文殊、普賢菩薩(ともに重文)をしたがえ、釈迦三尊を構成す る。理知的な表情や均整のとれた体つきなど、まとまりのよい作風から、鎌倉時代前半(13世紀前半)の作と考えられる。
指定文化財は次の通り。
【建造物】
 ▽光明寺山門 江戸時代(宇陀市)
 ▽山邉家住宅 江戸時代(宇陀市)
【彫刻】釈迦如来坐像 圓證寺(生駒市)
【絵画】絹本著色多武峯縁起 談山神社(桜井市)
【工芸品】銅水瓶、朝護孫子寺鎌倉時代(平群町)
【書跡・典籍】元版一切経 西大寺 宋、元、南北朝時代(奈良市)
【考古資料】大和天神山古墳出土木棺 古墳時代前期(天理市)
【天然記念物】八幡神社社叢 (奈良市)
【無形民俗】白石の双盤念仏 興善寺(奈良市)


● 平城宮跡で初の倉庫群が出土(2008年3月29日)
 奈良市の平城宮跡で、平城宮で政務の中心だった朝堂 院東側で、奈良時代の高床式倉庫とみられる建物跡2棟が並んで見つかった。
  2棟の建物跡は、いずれも東西18m、南北6m以上で、柱の間隔(最大で3.6m)が正倉院(同3.7m)と似ており高床式の倉庫と見られる。瓦も出土し ており、瓦ぶきの建物だったようだ。倉庫の南北にはさらに、南北70〜80mにわたって複数の倉庫があったとみられる。平城宮跡内で、倉庫群が出土するの は初めて。
 平安宮(京都市)では、朝堂院東側には租税や戸籍、田畑を管轄する「民部省」や、税に当たる米を収納する民部省管轄の「廩(りん)院」と呼ばれる倉庫群 が存在しており、今回見つかったのも同様の機能を持った倉庫群の一部の建物跡の可能性が高いという。

● 山形市文化財に仏像3体2件を市文化財に指定(2008年3月29日)
 山形市教育委員会は、宝光院の不動明王立像など仏像 3体2件を市有形文化財に指定した。
▽不動明王立像 宝光院 江戸時代
台座内側に銘文が記されており、寛永寺を開いた天海大僧正が開眼し、寛永寺仏師の治部卿法橋により寛永19年(1642)に制作されたことが分かる。
▽観音菩薩立像 梵行寺 平安時代末期
▽勢至菩薩立像 梵行寺 
阿弥陀如来坐像の脇侍像で、共にヒノキと思われる一木割矧造。観音菩薩は両手に蓮台を持ち、勢至菩薩は合掌する姿に表されるが、阿弥陀如来の脇侍で同様の 例は鎌倉時代のものが2例あるだけで、最古の部類に入る貴重な作品という。
 上品で穏やかな作風から中央で制作されたと見られる。

● 愛知県正眼寺で誕生釈迦仏が22年ぶりに里帰り(2008年3月27日)
  愛知県小牧市三ツ渕の正眼寺で、重要文化財「誕生釈迦仏」が、3月10日、22年ぶりに奈良から里帰りした。
「誕生釈迦仏」は飛鳥時代に作られた像高8.2cmの金銅仏で、南北朝時代に後小松天皇から正眼寺に寄付されたと言われている。
1988年に国の重要文化財に指定されたが、その後奈良国立博物館に寄託されていた。今回里帰りを記念し、3月26日から4月20日まで名古屋市博物館 (名古屋市瑞穂区)、5月2日から7日まで小牧歴史資料館(愛知県小牧市堀の内)でそれぞれ特別公開される。
 公開と同時に、正眼寺に伝わる文書や仏画などと、尾張の寺院の仏像4点も展示されている。

● 滋賀県東近江市で百済寺毘沙門天立像など3件を文化財指定(2008年3月29日)
 東近江市教育委員会は28日、市文化財保護審議会の 答申を受け、新たに美術工芸品、史跡など3件を文化財に指定し、1件をすでに指定している同類の文化財に追加した。
 指定文化財
▽毘沙門天立像と造立願文 百済寺 室町時代
百 済寺の寺宝は信長の焼き打ちでほとんど焼失しており、同寺の数少ない文化財の一つ。像高92cm。像内の造立願文には、本像が永正9年(1512)年に坂 本(現大津市)で造立されたことや、文亀3年(1503)の戦乱で百済寺の曼荼羅院が焼失し多くの仏像が焼失したことが記されている。
▽百済寺懸仏 百済寺 室町時代
3年前に指定された百済寺懸仏に追加。室町時代の作で、木の円盤に銅板をかぶせて鏡板(直径37cm)を作り、表面に三尊を配置する。
▽行者塚古墳 同市勝堂町
▽梵鐘技術保持者 黄地耕造

● 静岡市が有形文化財に東雲寺の大日如来坐像など2件指定(2008年3月27日)
 静岡市は、東雲寺の大日如来坐像と、中野観音堂の鰐 口の2件を、新たに有形文化財に指定した。
▽ 大日如来坐像 東雲寺(葵区有東木)平安時代(10世紀)
 像高74.5cmの一木造で、全体の姿や構造、技法などから平安時代の10世紀に制作されたとみられる。
▽ 鰐口 中野観音堂 (葵区井川)室町時代前期
 直径22cm、厚さ9.5cm。銘文には「応永31年(1424)、下井河中野観音堂に施入」と記されている。

● 運慶作大日如来像落札は真如苑(2008年3月25日)
 運慶の作とみられる大日如来像を、ニューヨークの オークションで、約14億円、手数料込み)で落札、入手したのは、東京都立川市に総本部を置く宗教法人・真如苑(しんにょえん)だったことが分かった。
 真如苑は伊藤真乗(しんじょう)(1906〜1989)が開いた密教系の仏教教団で、信徒数は約85万人。2002年に立川市と武蔵村山市にまたがる 106万平方メートルの敷地を購入しており、大日如来像は約10年後に建設予定の新施設で公開する方針という。
 施設完成までの5〜10年間は東京国立博物館に寄託する方向で調整しているという。


● 島根の銅鐸、国宝に 重要文化財に31件(2008年3月21日)
 文化審議会は、島根県加茂岩倉遺跡出土の銅鐸を国宝 に、横浜市・光明院の運慶作大威徳明王像や、岡山市・明王寺の観音菩薩立像など31件を重要文化財に新たに指定するよう答申した。
 また、登録有形文化財として美術工芸品3件、建造物186件を加えることも答申された。
指定文化財は次の通り。
【国宝】
▽島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸(文化庁)

【重要文化財】
▽銅造如来立像(山形県鶴岡市・湯殿山総本寺大網大日坊)
銅 造如来立像は像高28.3cmの金銅仏。7世紀ごろに製作されたと推測され、飛鳥時代の仏像と共通する形式を示し、柔和な表情や起伏のある衣の表現に中 国・南北朝時代の梁、朝鮮・三国時代の百済の仏像との関連がうかがえる。飛鳥時代の仏像様式の広がりを考える上で重要として高く評価された。
▽了海坐像(東京都港区・善福寺)
▽大威徳明王像 運慶作、像内納入品(横浜市・光明院)
称 名寺の塔頭光明院に伝わる大威徳明王像で、像高さ19.8cm。解体修理中に像の胴体部分にはめ込まれていた文書末尾の奥書によって、建保四(1216) 年に運慶が造ったことが確認された。さらに像内部から発見されたハスの実の中には、仏舎利が納められており、像内納入品と合わせた指定される。
▽阿弥陀如来立像(津市・専修寺)
木造阿弥陀如来立像は、専修寺如来堂の本尊で像高約 80cm。鎌倉時代の制作で快慶の作風を濃厚に伝え、足の裏に仏足文を表し、手足の指のつめや蓮華座に金属を用いて、本体を銅柱で台座に固定するなど特色 ある造法を示す。
▽諸尊仏龕(三重県伊勢市・寂照寺)
諸尊仏龕は中国・唐時代の作で、高さ19cm。厨子と ともに諸尊を細やかに彫り出した龕像で、諸尊の姿に中央アジアの仏像と共通する要素が多く、類例の少ない作例として注目される。
▽釈迦如来及迦葉阿難立像(京都市・東福寺)
▽不動明王立像(同・三千院)
▽観音菩薩立像(岡山市・明王寺)
同 像は、平安時代前期の9世紀に制作された像高165.8cm一木彫像。菩薩の身部には豊かな量感があり、衣文や装身具も細やかに彫り出すなど堂々とした作 風を残す。また、同寺は奈良時代の僧・報恩大師が築造した「備前四十八ヶ寺」の一つで、平安時代前期の奈良と地方造像との関係を考える上で重要と評価され た。
▽紙本著色梓弓図 岩佐勝以筆(文化庁)
▽紙本著色布晒舞図 英一蝶筆(埼玉県川島町・遠山記念館)
▽紙本墨画淡彩官女観菊図 岩佐勝以筆(東京都千代田区・山種美術館)
▽絹本著色釈迦霊鷲山説法図(奈良国立博物館)
▽蔦細道蒔絵文台硯箱(東京国立博物館)
▽絵唐津芦文壺(東京都千代田区・出光美術館)
▽金銅蓮華唐草文透彫華鬘(滋賀県愛荘町・金剛輪寺)
▽銹絵水仙文茶碗 仁清作(京都市・天寧寺)
▽明官服類(同・妙法院)
▽九条殿御集(文化庁)
▽専修寺聖教(専修寺)
▽俊頼髄脳(京都市・冷泉家時雨亭文庫)
▽黄帝内経太素 巻第21、第27(大阪市・武田科学振興財団)
▽平等院経蔵目録(奈良県吉野町・阪本龍門文庫)
▽比志島家文書(東京都文京区・東京大学)
▽専修寺文書(専修寺)
▽兵庫北関入船納帳(京都市)
▽後法成寺関白記(京都市・陽明文庫)
▽北海道上之国勝山館跡出土品(北海道上ノ国町)
▽石川県雨の宮1号墳出土品(同県中能登町)
▽長崎県双六古墳出土品(同県壱岐市)
▽対馬宗家関係資料(東京都港区・慶応義塾)
▽松浦武四郎関係資料(三重県松阪市)

【登録有形文化財】
《美術工芸品》
▽並河靖之七宝資料(京都市・並河靖之有線七宝記念財団)
▽越中地域考古資料(富山県)
▽工藤利三郎撮影写真ガラス原板(奈良市)
仏像や寺院などを撮影した工藤利三郎(1848〜 1929)のガラス原板(乾板)は1025点に上り、「明治の大修理」のころの東大寺大仏殿や、明治35年に修理される前の腕が破損したままの興福寺・阿 修羅像などが含まれており、文化財記録写真として資料的価値が高い。
《建造物(主なもの)》
▽旧佐々木家住宅主屋(岩手県遠野市)
▽青山学院ベリーホール(東京都渋谷区)
▽明治四十四年館(長野県軽井沢町)

● 京都、醍醐寺で国宝・五重塔の板絵公開(2008年3月21日)
 京都市伏見区の醍醐寺は、平安時代に制作された国宝 「五重塔初重壁画」の一部などを春季特別展「やすらかな白描の世界と醍醐の春」で公開する。
 951年建立の国宝五重塔内部にある壁画のうち、胎蔵界曼荼羅に描かれた大日如来を囲む天部像の板絵や、初公開の重要文化財「妙見菩薩図像」など、筆の 線の美しさを強調した白描画が多数展示される。
 会期は3月22日から5月11日まで。

● 運慶作大日如来坐像、文化庁の購入断念・競売見送り経緯(2008年3月20日)
  ニューヨークのオークションで競売にかけられ、三越が落札した運慶作とみられる大日如来坐像について、文化庁が競売出品が明らかになった時点で、持ち主と 重要文化財指定を視野に買い取り交渉に入ったが、想定していた3億〜4億円に対し提示額は8億円で購入は断念せざるを得なかったという。
 その後、文化庁は競売参加の可能性を探ったが、前例がなく、また情報が漏れれば投機筋の参入を招きかねないことや、国内の私立美術館が応札するとの情報 が入ってきたことから参加は見送られたという。
 読売新聞によれば、競売に出品した男性は40代前半の外資系会社員で、8年ほど前、古美術商から「会社員が給料で支払える程度の金額で譲ってもらった」 という。
 しかし、運慶作の可能性が判明したことから、「個人で所有するには荷が重すぎた。日本に残したいと文化庁とも連絡を取ったが、現行の規則では希望に添え ないなどと言うばかりで交渉にならなかった。(落札の結果、)東京に戻ってくるので安心した」と語ったという。

● 兵庫県加古川市文化財に鶴林寺文書と長楽寺の六尊石仏(2008年3月20日) 
    加古川市教委は十九日、新たな市指定文化財に鶴林寺(加古川町)の文書十通と、長楽寺(平荘町)の六尊石仏一基を指定した。すでに指定されている聖徳太子 坐像は、脇侍二体が確認されたため「聖徳太子坐像及び二王子立像」と名称変更して指定し直した。
 鶴林寺文書は、戦国時代の書状などで、出雲の戦国大名・尼子氏が播磨を攻めた際、鶴林寺の僧兵が勝利した「播州刀田太子堂合戦」について記したとみられ る十六世紀中ごろの三通と、織田信長の播磨攻めから豊臣秀吉による平定までの様子が分かる同世紀後半の七通。
 六尊石仏は、南北朝時代の作。高さ183cm、幅121cm、厚さ29cmの古墳時代の家形石棺のふた石に、阿弥陀如来坐像や地蔵菩薩立像など六体の仏 像が浮き彫りにされている。
 聖徳太子坐像の脇侍二体は、太子の子どもの山背大兄王と、弟の殖栗王(えぐりのおう)の木造立像で、いずれも像高さ38.9cm。坐像とは別に保管され ていたが、一組であることが確認された。平安時代の制作。

● 京都・蟹満寺の釈迦如来坐像1300年不変説揺らぐ(2008年3月19日)
 京都府木津川市山城町の蟹満寺の本尊、釈迦如来坐像 (国宝)の台座は、創建された白鳳時代ではなく江戸時代のものであったことが分かった。
 今年1月から旧境内約150平方mを調査した結果、台座下に江戸時代の地層が入り込み、台座も近世の墓石を転用していたのが判明した。
 2005年の調査では、地層の状態から台座は創建当初のものと判断、坐像の位置は創建以来約1300年間不変だったとの見解が出されていたが、この見解 が揺らぐ調査結果となった。
 ほかに地層下部から、本尊の据え付け穴(直径1.3m)と儀式の跡とみられる8つの穴(直径35〜70cm)を発掘し、出土土器から、中世以前の遺構と 分かったが、白鳳時代との確証は得られなかった。

● 秩父札所観音霊場総開帳(2008年3月19日)
 秩父地方のある秩父札所34ヶ所観音霊場で3月18 日、子年(ねどし)総開帳が始まった。
 秩父札所が室町時代末期に坂東、西国のそれぞれ33札所とともに日本百観音霊場に数えられたことに報いる総開帳で、開帳期間は7月18日まで。

● 知恩院・御廟堂本尊法然上人坐像を初確認(2008年3月19日)
 京都市東山区の知恩院で、宗祖・法然の遺骨を納めた とされる御廟(ごびょう)堂の本尊・法然上人座像の存在が初めて確認され、坐像を安置する金色の多宝塔とともに公開されている。
 2007年11月、御廟堂の修理に伴い勢至堂への遷座に先立って多宝塔を開帳したところ、法然上人座像が見つかった。多宝塔は高さ約1.1m、法然上人 坐像は木製で黒い衣をまとい、前には緑色の蓮台がある。
 御廟堂の修復の完了後は再び御廟堂へ戻されるが、御廟堂は非公開のため、多宝塔を見学できるのは御廟堂の落慶法要前日の3月30日までで、法然上人坐像 の開帳は25日までとなっている。

● 東寺で国宝「女神坐像」13年ぶり公開(2008年3月19日)
 京都市南区の東寺宝物館で20日、春期特別公開「東 寺鎮守八幡宮と足利尊氏」が始まる。
 境内の鎮守八幡宮を初めてテーマに選び、本尊の国宝「女神坐像」や脇士の国宝「武内宿禰坐像」など65点を紹介する。
 南大門の西側にある鎮守八幡宮は弘仁元年(810)、空海が八幡神をまつって建立した。南北朝時代、足利尊氏が新田義貞と戦った際には八幡宮から神矢が 飛んで尊氏が勝ち、以降、足利幕府は東寺を保護した。
 女神坐像は本尊八幡三神像のうちの一体で9世紀後半の作とされる。霊木であったと考えられる木材の腐った部分を前面にして全体を形取り、顔や胸は別の木 材を張り付ける珍しい構造をもつ。髻(もとどり)を結い、髪を両肩にたらした平安時代初期の女性の姿をしている。

● 藤原京から出土の富本銭は新タイプ(2008年3月17日)
  藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した、最古の貨幣「富本(ふほん)銭」が、当時の鋳銭司であったとされる飛鳥池遺跡の貨幣と字体が異なる新タイプ だったことがわかった。
 藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した富本銭は、水晶9個とともに、地鎮具とみられるつぼの中に9枚入っていた。
 その後の調査で、貨幣の「富」の文字が「冨」で「ワかんむり」の下の「一」も省略されており、「富」の文字が鋳込まれた飛鳥池遺跡出土とは字体が異なっ ていた。また、重さも飛鳥池の富本銭の約1.5倍で、平均6.77gだったことが分かった。
 さらに、飛鳥池遺跡の富本銭に含まれていた、金色が増す効果のあるアンチモンが、9枚中4枚には含まれていないなど、今回の富本銭は飛鳥池遺跡以外で製 作されたとみられる。
 日本書紀には、藤原京遷都直前の694年3月に現在の造幣局に当たる鋳銭司(じゅせんし)を任命したという記事があり、今回の富本銭は、その際に新たに 設けられた鋳銭司で鋳造された可能性が高まった。

● 京都・常楽寺で親鸞像胎内から遺骨発見(2008年03月14日)
 京都市下京区の常楽寺で、が所蔵する親鸞坐像の中か ら親鸞(1173〜1262)のものとみられる遺骨が見つかった。
 常楽寺は、親鸞の玄孫の存覚(ぞんかく)(1290〜1373)が開いた寺で、存覚は父の本願寺第3世・覚如(かくにょ)から親鸞の遺骨を受け継いだと の記録が残り、寺には骨片を納めた宝塔というが伝わる。
 親鸞上人像は、像高24.2cmの寄木造の像で江戸中期の作とみられるが、親鸞上人像の胎内にも遺骨を納めたと言い伝えられてきたといい、胎内を調べた ところ、胸付近に和紙にくるんだ骨粉があった。
 親鸞像は、4月18日から5月25日まで、広島県立美術館(広島市中区)で開かれる「本願寺展」で初公開される。

● 福島県指定文化財に7件答申(2008年3月11日)
 福島県文化財保護審議会は、会津美里町の「法用寺観 音堂」などを重要文化財に指定するように答申した。
指定文化財
【重要文化財】
▽法用寺観音堂(会津美里町雀林字三番)
▽大般若経・経櫃(きょうひつ)・附経帙(きょうちつ)(棚倉町の八槻都々古別神社)
▽稲古舘古墳出土銅漆作大刀・附墳丘および石室内出土品(須賀川市立博物館)
▽法正尻遺跡出土品(白河市の県文化財センター白河館)
【重要無形民俗文化財】
▽磐城大国魂神社のお潮採り神事(いわき市の大国魂神社)
▽南郷の早乙女踊(南会津町の鴇巣、界、和泉田、下山地区)
【天然記念物】
▽無能寺の笠マツ

● 京都府文化財に亀岡市の十一面観音坐像など(2008年3月15日)
 京都府教育委員会は府文化財保護審議会からの答申を 受け、亀岡市の十一面観音坐像など、13件を府指定文化財に決めた。
【建造物・美術工芸品】
▽智恩寺(宮津市)
▽府立医科大旧付属図書館(上京区)
▽無動寺観音堂(京丹波町)
▽絹本著色日吉山王垂迹神曼茶羅図(上京区)
▽絹本著色日吉山王本地仏曼茶羅図(同)
▽十一面観音坐像(亀岡市)
▽東福寺永明門派歴代文書墨跡(東山区)
▽長阿含経巻第十(東山区)
【無形民俗文化財】
▽宇治茶手もみ製茶技術(宇治市)、
【文化財環境保全地区】
▽生身天満宮文化財環境保全地区(南丹市)、
【文化的景観】
▽福知山市毛原の棚田景観
▽京丹後市久美浜湾カキの養殖景観(京丹後市)
▽和束町の宇治茶の茶畑景観(和束町)

● 長野・無量寺の跡から出土仏像は平安末期作(2008年3月15日)
 長野県上伊那郡箕輪町無量寺から出土し、東中平地区 で管理されている仏像が、年輪年代法により、平安末期の制作であることが分かった。
 仏像は、差し込み式の首と胴体からなる像高約60cmの像で、江戸時代末の火災で焼失した無量寺の跡から出土したものといわれる。
 仏像から採取した木片を調査を依頼した結果、首部分の木材が1034〜1160年、胴体部分が1045〜1216年の数値が示され、仏像の制作年代はお よそ1050〜1270年の間と推定できるという。

● 奈良・下田東遺跡で、カメラマンが木棺破損(2008年3月14日)
 奈良県香芝市の下田東遺跡で、発掘調査で出土した古 墳時代の木棺を撮影していた新聞社カメラマンが、足を滑らせて木棺に接触し一部が破損した。
 木棺の底板は古墳の周濠にあり、カメラマンは周濠内に入って20〜30cm離れた場所から撮影していたところ、ぬかるみに足を滑らせ木棺に接触し、隅の 表面部分が3〜4cm大にはがれ一部が破損したという。

● 富山県文化財に東善院絵馬など(2008年3月14日)
 富山県文化財保護審議会は、富山馬頭観音堂奉納絵馬 などを県文化財に指定するよう県教委に答申した。
 東善院の富山馬頭観音堂奉納絵馬は、馬の産地として知られた最上町で、江戸中期から現在まで奉納され続け、212面が収められている。馬の歴史や住民の 信仰に関する貴重な資料と認められた。

指定文化財・無形文化財
▽保定記・続保定記及び印旛沼日記(酒田市)
▽富山馬頭観音堂奉納絵馬 東善院(最上町富沢)
▽刀匠・上林恒平さん(山形市長谷堂)

● 長野県県宝に無量寺の観音菩薩・地蔵菩薩など(2008年3月14日)
 長野県教育委員会は箕輪町東箕輪の無量寺が所蔵する 観音菩薩立像と地蔵菩薩立像などを県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問する。


 両菩薩像は像高約1.3mのヒノキ材で、彩色が施されている。本尊阿弥陀如来坐像(重文)の脇侍として安置されており、三尊ともに同寺の阿弥陀堂(町指 定有形文化財)に伝わった。平安後期の典型的な作風を示しており、平安後期の12世紀後半の作とみられる。
 福徳寺の薬師如来像、阿弥陀如来像の二体は、温和な作風や一木造りの簡素な構造が共通しており、やはり平安後期の作とみられる。背後の飾りや台座などの 残片も併せて指定される。

指定文化財
▽観音菩薩立像、地蔵菩薩立像 無量寺(箕輪町東箕輪)
▽薬師如来像、阿弥陀如来像 福徳寺(下伊那郡大鹿村)
▽御陵山(おみはかやま)附山の神奉斎品 935点 (南佐久郡南相木村)


● 埼玉県指定文化財に4件を登録(2008年3月13日)
 埼玉県教育委員会は、葛飾北斎筆鯉亀図など4件を県 指定文化財に登録した。
(絵画)
▽紙本着色 鯉亀図 葛飾北斎筆 県立歴史と民俗の博物館収蔵(さいたま市大宮区)
(考古資料)
▽黒浜貝塚群出土品 蓮田市
(有形民俗文化財)
▽秩父地方の養蚕用具及び関係資料 皆野町
(無形民俗文化財)
▽北川崎の虫追い 越谷市

● 年輪年代法のパイオニア奈良文化財研究所光谷拓実さんが退官(2008年3月13日)
 奈良文化財研究所の年代学研究室長、光谷拓実さんが 今年3月末で定年退官する。
 日本の年輪年代法一筋に28年間続けてきた研究成果は、考古学や古代史のこれまでの定説を何度も塗り替え、学会にインパクトを与えてきた。
 年輪年代法は、過去の自然環境により異なる木の年輪の成長パターンを基準に、木の伐採年を判定する方法で、遺跡だけではなく建築や美術工芸品、自然災害 の年代測定にも用いられるようになった。法隆寺五重塔の柱の測定では同寺の再建論争に一石を投じた。
 現在はスギで紀元前1313年、ヒノキで紀元前912年までの成長パターンを表す物差しが完成している。
 後継者もでき、退官後も当分は年輪年代の研究に携わるという。

● 三重県文化財に地蔵十王図など6件(2008年3月12日)
 三重県文化財保護審議会は、伊賀市・西蓮寺の仏画 「絹本著色地蔵十王図」など6件を県文化財に指定するよう県教育委員会に答申した。
建造物
▽俳聖殿 伊賀市
美術工芸品
▽絹本著色(ちゃくしょく)地蔵十王図 西蓮寺(伊賀市)
▽脇差 銘 伊賀国宗近 伊賀文化産業協会 伊賀市
典籍
▽永保記事略並びに同拾遺 藤堂采女家旧蔵本 伊賀市
▽永保記事略附録 藤堂采女家旧蔵本 名張市
史跡
▽諸戸水道貯水池遺構 桑名市

● 板に墨書きされた平安末の阿弥陀如来像発見(2008年3月8日)
 奈良県橿原市の東坊城遺跡で、平安時代末ごろとみら れる、阿弥陀如来を墨書きした板が見つかった。
 板は縦9.3cm、横25.5cm、厚さ6mmで、頭部と下半身が欠けているが、阿弥陀如来の来迎印や、口元や衣の襞が柔らかなタッチで描かれている。 板に直接墨書きされているが、彩色していた可能性もあり分析を進めている。

● 姫路市・円教寺の性空上人坐像など県重要有形文化財指定(2008年3月6日)
 兵庫県教育委員会は姫路市・円教寺の性空(しょうく う)上人坐像及び如意輪観音坐像など四件を指定することを決めた。
 性空上人坐像は、1998年に発見されたもので、円教寺の開山である平安時代の僧侶、性空上人の像で、像高75cm、上人の没後間もなく制作された像と 見られる。
 また、如意輪観音坐像は2006年に発見された像で、像高約20cm、サクラ材の一木造。台座の裏側に延應元年(1239)に書写山の僧侶・妙覚が父母 の供養のため制作を依頼した旨の墨書があり、この年に造立されたとみられる。

指定文化財
▽性空上人坐像 円教寺 姫路市
▽如意輪観音坐像 円教寺 姫路市
▽宿南家住宅主屋(しゅくなみけしゅおく) 養父市
▽達徳(たっとく)会館(旧県豊岡尋常中学校本館) 豊岡市

● 山形市宝光院不動明王立像など市文化財指定(2008年3月6日)
 山形市文化財保護委員会は、市内の寺院が所有する3 体の仏像を新たに市の有形文化財(彫刻の部)に指定するよう同市教委に答申した。

新指定品
▽不動明王立像 宝光院(八日町)
▽観音菩薩立像 梵行寺(三日町)
▽勢至菩薩立像 梵行寺(三日町)

● 新潟県指定文化財に大泉寺の銅造千手観音菩薩坐像など(2008年3月5日)
 新潟県文化財保護審議会は、大泉寺の銅造千手観音菩 薩坐像など6点を県文化財に指定することを県教育委員会に答申した。

答申文化財
▽銅造千手観音菩薩坐像 (大泉寺柏崎市)
▽伝元三大師坐像 雙璧寺(加茂市)
▽阿弥陀如来立像 西光寺(加茂市)
▽伊達八幡館跡出土品 十日町市博物館
▽上野林J遺跡出土品 阿賀野市水原ふるさと農業歴史資料館
▽巫女爺(みこじい)人形操り 小千谷、長岡両市

● 奈良市指定文化財井上町十一面観音立像(2008年3月5日)
 奈良市教委は4日、旧市街地・奈良町に残る十一面観 音立像と、民俗芸能・題目立(国の重要無形民俗文化財)のせりふを記録した詞章本81冊の2件を市指定文化財に指定した。
 十一面観音立像は、像高44.8cm、総高73.4cmで鎌倉時代後半の制作と見られ、ほほの張りや腰の引き締まりなど肉付きの抑揚が巧みに表現されて おり保存状態も良い。現在は奈良市井上町の会議所に安置されている。

●    法隆寺・玉虫厨子を複製(2008年3月2日)
  奈良県斑鳩町の法隆寺に伝わる国宝「玉虫厨子」の複製品二基を、岐阜県高山市の男性が私費を投じて制作し、同寺に奉納した。
 玉虫厨子は仏像などを安置する仏具で、金銅製の透かし彫り金具の下に玉虫の羽をちりばめた豪華なもので、飛鳥時代の工芸の最高傑作とされる。高さ約 2.3m。台座部分には「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」など釈迦にまつわる仏画が描かれている。
 実物は羽がほとんど失われているが、制作に当たっては約6600枚の玉虫の羽を使い、絵は漆絵で表したという。
 実物をほぼ忠実に再現した複製品とは別に、もう一基は「平成版」として、金具の下だけでなく仏画にも約36,000枚の羽を使って豪華に仕立てたもの で、絵には現代の蒔絵の技を取り入れたという。
 二基の厨子は、3月20日〜6月末まで法隆寺で開かれる秘宝展に展示される。


● 高松塚壁画5月末に一般公開(2008年2月25日)
 奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳の国宝壁画 が、5月末から初めて一般公開されることが決まった。
 昨年4〜8月に解体された石室の16枚の石材は現在、高松塚古墳から北西に約500m離れた国営飛鳥歴史公園内施設内の作業室に置かれている。
  施設には見学者用の通路が設けられており、東西両壁の男女群像や西壁の白虎、北壁の玄武、東壁の青竜など、作業室内に上向きに置かれた壁画を、縦 1.5m、横2mの3枚のガラス窓ごしに眺めることになるが、通路が約15m程度と狭いため、希望者を募集し、応募多数の場合は抽選とする方針。具体的な 日程や定員など詳細は決まっていないが、期間は1週間から10日程度を予定しており、今後も年2回程度は公開の機会を設けるという。

● 陵墓に初の学会立ち入り調査(2008年2月23日)
 奈良市山陵町の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳) で、日本考古学協会など考古・歴史学16学会の研究者代表16名が墳丘の立ち入り調査を行った。
 天皇・皇族クラスの墓と同庁が定める「陵墓」に学会側の立ち入りが認められたのは初めて。立ち入りは墳丘最下段の平坦面だけだったが、前方部東側の農業 用水池の縁で円筒埴輪4基の列が発見されるなど、宮内庁側の調査にはない新たな埴輪列が見つかった。
 また、墳丘の状態から西側部分は東側に比べて後世の改修の影響が少なく、築造当初の姿を残している可能性が高いこともわかった。
 16学会は4月5日、奈良市の奈良県文化会館で市民向けシンポジウムを開き今回の成果を報告する。

● 運慶作大日如来像の海外流出防止に対する署名始まる(2008年2月23日)
 米ニューヨークで来月18日に競売にかけられる予定 の、鎌倉時代の仏師・運慶作とみられる「大日如来坐像」(個人蔵)が国外に流出するのを食い止めようと署名活動が始まった。
 東京国立博物館などの調査では、坐像は栃木県足利市樺崎町の樺崎(かばさき)廃寺の本尊だったとみられ、足利市教育委員会が2004年に本像の購入を検 討した事もあり、署名は足利市が取りまとめ、文部科学省に提出して大日如来坐像の購入を要望するという。

● 運慶作と見られる大日如来坐像、銀座で下見(2008年2月20日)
 運慶の作と見られる大日如来坐像(個人蔵)が米国で 競売にかけられる問題で、オークション会社のクリスティーズは20日、東京・銀座で国内の顧客向けの下見会を開催した。
 競売は3月18日、ニューヨークで行われるが、落札予想価格は約1億6000万〜2億1000万円で、日本美術品としては史上最高額という。

● 県指定文化財に2件答申(2008年2月20日)
 高知県文化財保護審議会は、中土佐町大野見竹原の熊 野神社が所蔵する室町時代の「熊野三山本地仏懸仏(かけぼとけ)」(町指定文化財)など2件を県指定有形文化財にするよう県教委に答申した。
 懸仏は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、千手観音坐像の3点。永享2年(1430)、永享4年などの文字が読み取れる。いずれも直径31.5cm円盤状 で、杉板を薄い銅板で覆い、立体的に仏像や飾りを打ち出している。
指定文化財
▽懸仏 3面 室町時代 熊野神社
▽旧致道館表門 江戸時代末期 高知市丸ノ内

● 高松塚の「切石取り出し 墨書き確認できず(2008年2月20日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、壁画発見のきっかけ になった切石を保存施設から取り出し修理施設へ運んだ。
 切石は縦横約60cm、厚さ36cmで、石室と同じ凝灰岩製。石室入り口正面に置かれており、被葬者名を記した墓碑石や追悼場所の礼拝石、供物台などの 説があったが、用途は不明。
 石の用途解明のため、表と裏面に墨書きの文字などが残っていないか、赤外線などを使って調べたが、これまでのところ確認できなかった。傷みが激しいこと から、今後強化処理を進めながら調査を続けるという。

● 京都直下地震で国宝55件が被災の恐れ(2008年2月18日)
 地震による文化財への別の被害について検討していた 国の中央防災会議は、京都で直下地震が起きた場合、国指定重要文化財(重文)の建造物255件が損壊する恐れがあると発表した。
 奈良の直下地震でも重文の建造物222件が被災する恐れがある。国宝の被害はそれぞれの地震で51件、55件で、全国の約4分の1に当たる。国による文 化財の地震被害想定は初めてで、所有者や地方自治体に、耐震化や延焼防止策の推進を求める。
 人口密集地にある近畿5、中部1の計6断層を対象に調査した結果、
最も被害予想が大きいのは、京都市中心部の直下を通り滋賀県まで走る花折断層帯で、マグニチュード7.4の地震が予想され、京都、滋賀、大阪3府県で全国 の重文の11%に当たる重文建造物255件が損壊する可能性がある。
 うち京都府内は清水寺本堂、東寺五重塔、平等院鳳凰堂など国宝51件を含む199件で、府内全重文の70%。
 次に被災予想が大きいのは、奈良・大阪府県境近くを走る生駒断層帯で、法隆寺や東大寺、春日大社、薬師寺など、奈良県を中心に国宝は5件を含む重文 222件(全国の10%)が損壊する危険性があった。

  文化庁は平成17年度から、国宝と重要文化財に指定した建造物を対象に耐震診断費の原則5割を補助しているが、制度創設からこれまで3年間の補助実績は東 大寺金堂(奈良市)や銀閣寺(京都市)などわずか7件。補強が必要とされた場合の費用負担を嫌って診断をためらう所有者も多と見られ、利用が低調なため、 平成20年度予算では1000万円に半減される見通しだ。そのため、中央防災会議では早期の耐震診断実施と耐震化を急ぐよう呼びかけている。

● 敦煌莫高窟で補修プロジェクト始まる(2008年2月14日)
 中国甘粛省敦煌市の石窟寺院群「莫高窟」で、2億 6100万元(約39億円)をかけた補修プロジェクトが始まった。
  莫高窟は敦煌市街地の南西約25kmにあり、西暦355年ごろから14世紀ごろにかけて築かれた。20世紀初頭に、11世紀から14世紀の間に石室に封印 されたとみられる、仏教、道教、儒教の経典や史書、帳簿、暦書、契約書、楽譜など大量の文書が発見され、敦煌文書として世界的に有名になった。1987年 には、ユネスコの世界遺産(文化)に登録された。

● 日本一高い五重塔、勝山市が再び公売(2008年2月13日)
 福井県勝山市で、大師山清大寺の五重塔などの公売を 公告した。
 清大寺は大阪のタクシー会社の創業者が昭和62年に建立したが、経営悪化で寺の管理会社が市税を滞納したため、差し押さえられていた。
 五重塔は高さ75mで日本一高い塔として知られていた。昨年11月に公売されたが買い手が付かなかった。

● 佐賀妙福寺・大日如来坐像など5件を県重文に答申(2008年2月16日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市・妙福寺の大日如 来坐像など計5件を県重要文化財に指定するように答申した。
 大日如来坐像は像高164cmで、平安時代後期(12世紀)の制作とみられるが像容や省略された衣文などから当地での制作と考えられる。
指定品は下記の通り
▽大日如来坐像 平安時代後期 妙福寺(佐賀市)
▽並木式土器 平原遺跡出土 縄文時代中期 県教育委員会
▽神像 室町時代 彦嶋神社(白石町)
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館
▽四葉座連弧文鏡 藤木遺跡出土 鳥栖市教育委員会

● 神功皇后陵で初の陵墓立ち入り調査(2008年2月15日)
 奈良県奈良市山陵町の五社神古墳で、2月22日に歴 史研究のための立ち入り調査が行われることになった。
 五社神古墳は4世紀後半から5世紀初めに造られたと考えられる、全長約275mの前方後円墳で、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后である神功皇后陵 の陵とされている。
  今まで天皇・皇后陵など陵墓は、宮内庁が管理しており、陵墓への立ち入り調査は、宮内庁が補修工事を行う際の見学以外は、「御霊(みたま)の安寧と静謐 (せいひつ)を守るため」いう理由で調査を認めていなかった。これに対し、歴史・考古学系の16の学会側が2005年7月、仁徳天皇陵(大山古墳、大阪 府)など11の陵墓について、立ち入り調査を認めるよう要望書を提出していた。宮内庁は昨年1月、従来の立ち入り規制を緩和し研究テーマを問わず申請があ れば審査の上、階段状に築かれている墳丘のうち最下段までの調査を受け入れるよう規定を見直しなった。
 今回の調査は、これに基づくもので、学会側要望を受けて天皇・皇后陵など陵墓への立ち入りを認めた初めてのケースとなる。
 宮内庁によると、立ち入りを認めるのは1段目の平らな部分までで、撮影は可能だが、発掘はできない。
 今後、他の陵墓の立ち入り調査についても申請があれば検討し認めていく方針という。

▽陵墓 宮内庁は歴代の天皇、皇后、皇太后らを埋葬した場所を「陵」、それ以外の皇族は「墓」としている。近畿地方を中心に、1都2府30県に陵188 基、墓552基がある。陵墓の可能性がある「陵墓参考地」を合わせると、全国で458カ所、計896基になる。

● 富山・黒部堀切遺跡「こけら経」100点展示(2008年2月15日)
 富山県黒部市の堀切遺跡で県内で初めて出土した「こ けら経」約100点が、黒部市宇奈月町下立の市歴史民俗資料館で一般に公開されている
 こけら経は、死後の安楽を願うため、細長く薄い木の板に法華経を写したもので、平安時代末期から江戸時代にかけて多く作られた。
 堀切遺跡では2005年、15世紀後半から16世紀のものとみられる2万点が出土。1つの長さは25〜30cm、幅1.3cm、厚さ約0.3mmで、法 華経が1行ずつ書かれている。遺跡の溝の跡から発見された事から、法要が終わった後に溝の中に置かれたと考えられる。

● 佐渡で平安後期の仏像発見(2008年2月14日)
 新潟県佐渡市長谷の長谷寺で平安時代仏像2体が見つ かった。
仏像は十一面観音坐像(像高約26cm)と地蔵菩薩立像(像高約35cm)の2体でヒノキ製、観音堂の厨子の下から見つかった。
 面相や衣文の特徴などから、平安時代後期の制作と推定され、かなり痛んでいるが、修復が行われ、4月にも特別展示をする予定という。

● 前漢時代の銅鏡鋳型は純粘土製(2008年2月13日)
 中国・山東省で見つかった前漢時代(紀元前二世紀後 半)の土製の銅鏡鋳型のほとんどが現代の工法とは異なり、材質強化用の砂粒を含んでいないことが、奈良県立橿原考古学研究所と中国の山東省文物考古研究所 の合同調査で分かった。
  粘土だけで作った鋳型は乾燥したり、溶けた青銅を流し込んだ時にひび割れるため、通常、直径0.3mmほどの砂粒を混ぜて強化するが、前漢時代の土製の銅 鏡鋳型七十八点を調べたところ、材質強化用の砂粒が含まれいなかった。砂粒が混じると、文様を彫る際に邪魔になり、精巧な文様が彫れないためとみられる。 その代わりもみ殻の灰が混ぜられ、内部に多くの気泡があったことがわかった。これにより気泡が急激な熱伝導を妨げ、鋳型のひび割れを防いだと考えられると いう。
 日本でも古墳時代を中心に銅鏡が出土しているが、土製鋳型の出土例はほとんどなく、日本の銅鏡の製作方法を解明するための参考となりそうだ。

● 運慶作大日如来坐像が米競売に出品(2008年2月11日)
 運慶作と見られる個人蔵の大日如来坐像が米ニュー ヨークで3月18日に開かれるクリスティーズ社の競売に出品される分かった。
  この像は、像高は66.1cmのヒノキ材で、2003年に所有者の依頼で東京国立博物館でエックス線撮影した結果、像内に他の運慶一派の作に共通する木札 や水晶塔などが納められていることが分かった。作風からも1190年代の運慶作品の可能性が高いと分かり、2004年、寄託作品として同博物館が一般公開 した。
 指定文化財については売買する場合、国に優先権があり、国外持ち出しには許可が必要となるが、この像は文化財指定されておらず、国外への持ち出しが可能 な状態となっていた。また、文化財指定については所有者の同意が必要とされている。
 文化庁によると、一昨年ごろこの像が指定文化財ではないとの証明を求める書類申請があったことから売買の動きを把握し、所有者に事前に買い取り及び文化 財指定を打診したが、折り合いがつかなかったという。

● 奈良・鑵子塚古墳は「石舞台」上回る最大級の石室(2008年2月8日)
 奈良県明日香村の真弓鑵子(かんす)塚古墳の横穴式 石室は、石舞台を上回る国内最大規模だったことが分かった。
 古墳は直径約40m高さ約8mの円墳で、棺を納める玄室(げんしつ)は長さ6.5m、幅4.4m、高さ4.7m。床面積は約28平方メートルで、石舞台 (約26平方メートル)を上回る。
 石室は、壁面は1個2〜3トンの巨石約400個を6〜7段に積み上げ、3段目から天井がドーム状になるよう石を積み上げ、上部に最大で約30トンの天井 石3個を載せる高度な技術で築造されていた。
 石室完成時は南北に入り口があったが、棺を納めた後に北側がふさがれ、南側だけが通路の役割を果たしていた。
 築造年代は土器などから6世紀中ごろと推定され、床面から家型石棺の欠片や鉄クギ、金銅製馬具やベルトのバックルなどのほか、渡来系を示すミニチュア炊 飯具が見つかり、石室には2個以上の石棺と1個以上の木棺が納められていたと見られる。
 渡来系豪族の墓の特徴とされる副葬品などから、渡来氏族東漢(やまとのあや)氏の首長クラスだった一族の墓と見られるという。

● 佐賀妙福寺大日如来坐像など県重文に(2008年2月7日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市久保泉町の妙福寺 大日如来坐像など5件を県重要文化財に指定するよう県教委に答申した。
 指定文化財
▽大日如来坐像 妙福寺(佐賀市久保泉町) 像高127cm 平安時代後期
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館 江戸時代前期
▽木造神像3体 彦嶋神社 (杵島郡白石町)
▽藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡 鳥栖市教委
▽並木式土器3点 県教委 (平原遺跡出土)


● 名勝・旧大乗院庭園の復元事業が本格化(2008年1月31日)
 奈良市高畑町にある国の名勝・旧大乗院庭園で新年度 から未整備の西小池の復元事業が本格化する。
 大乗院は一乗院と並ぶ興福寺の門跡寺院で、平安時代に興福寺の北方、現在の県庁付近に建てられたが、治承4年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで消失 し、翌年、元興寺別院の禅定寺があった現在の場所で再興された。
 復元計画は興福寺所蔵の絵図などをもとに、江戸末期の姿に庭園を甦らせ、平城遷都1300年にあたる平成22年度完成し、一般公開するという。

● キトラ古墳十二支像壁画5月に公開(2008年1月30日)
 奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳の石室からはぎ 取った十二支像壁画のうち、「子」「丑」「寅」を5月9日から25日まで奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)で特別公開する。
  十二支は全高約15cmで、これまでに「子」「丑」「寅」のほか、西壁の「戌」と北壁の「亥」がはぎ取られ、南壁では壁を覆った泥に転写された「午」が発 見された。しかし、戌は頭や持ち物が残っておらず、亥も部分的に赤い顔料が残っているだけ。また、「午」は赤い着物で矛を持つ姿が鮮明に残っていたが、泥 がもろく公開は困難だという。
 キトラ古墳の壁画は、2006年の「白虎」、2007年の「玄武」に続いての公開となる。

● 法隆寺金堂の再現壁画堂外へ搬出(2008年1月30日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂にある壁画12面が、釈迦 三尊像など全12体の仏像搬出を前に13年ぶりに取り外され、堂外へ運び出された。
 法隆寺金堂壁画は、昭和24年(1949)の火災で焼失したが、1966年に再現事業が始まり、元の壁画を安田靫彦、前田青邨、平山郁夫氏ら、日本画の 大家が再現し2年後に完成した。
 安田氏らが描いた六号壁の阿弥陀浄土図(縦約3.1m、横約2.6m)など大型4面と、平山氏による三号壁の観音菩薩像(縦約3.1m、横約1.5m) など小型8面で、6、7月に奈良国立博物館で開かれる「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。


● 熊本・青蓮寺の阿弥陀三尊像修理へ(2008年1月27日)

 熊本県球磨郡多良木町黒肥地の青蓮寺で、阿弥陀三尊 像(重文)が九州国立博物館で修理、調査するため搬出された。
 青蓮寺は人吉球磨地方を統治した相良家の菩提寺で、三体はいずれもヒノキの寄木造で、本尊の阿弥陀如来立像は像高約1m、脇侍の観音・勢至菩薩は約 0.6m。鎌倉時代の永仁3年(1295)、京都の仏師法印院玄の作とされる。
 三尊は一部の金箔がはがれたり、指先が損傷したりしており、勢至菩薩は1975年に盗難に遭った際、光背の支柱が折れたままだった。
 仏像は補修のほか、CTを使った内部調査などを行い、2月26日から4月13日まで同館で特別展示する。

●  キトラ古墳で太陽表す「日像」をはぎ取り(2008年1月25日)

  奈良県明日香村の特別史跡「キトラ古墳で、天井に描かれた天文図のうち太陽を表す「日像」などをはぎ取った。
 日像は天井東にあり、直径4.5cmの金箔を張り付けて太陽を表している。金箔の中には鳥の足と尾羽とみられる墨の線があり、太陽を象徴する3本足のカ ラスが中に描かれているという。
 この他、日像の西側の心宿(しんしゅく)、尾宿(びしゅく)、天江(てんこう)など3つの星座もはぎ取られ、今後、2月中旬には天井西に銀箔で月を表し た月像(げつぞう)をはぎ取るという。


● 尾道市の浄土寺で遷座法要(2008年1月25日)

 広島県尾道市東久保町の浄土寺で、解体修理をする国 の重要文化財「方丈」に安置された仏像を移す遷座法要が営まれた。
 法要の後、方丈の本尊である釈迦如来坐像(像高約1.2m 鎌倉末期)など3体は国重文の阿弥陀堂へ、如意輪観音菩薩坐像(約2m 江戸後期)は国宝の 本堂へ仮安置した。
 方丈の修理は2009年度中の完成を目指す。


● 京丹後・俵野廃寺蓮華文軒丸瓦が出土(2008年1月24日)

  京都府京丹後市網野町俵野の俵野廃寺で、飛鳥時代後期(7世紀後半)の文様の異なる2種類の蓮華文(れんげもん)軒丸瓦が見つかった。
 調査したのは大正時代に塔の心礎が出土した地点の東側で、出土した瓦は収納箱で80箱を超える量に上り、蓮華文軒丸瓦(直径16.2cm)は、上方部分 が少し欠けたほぼ完形で計8点を確認した。
 軒丸瓦の文様は以前に見つかっていた、ハスの花弁が二重の複弁蓮華文と花弁が一重の単弁蓮華文で、2種類とも丹後独自の文様という。
 朝鮮半島から伝わった瓦製造の技術と比べると左右対称の精巧さなどが劣り、現地で製造された可能性が高いという。


● バーミヤンは世界最古の油絵(2008年1月23日)

 アフガニスタンの世界遺産バーミヤン遺跡の壁画が7 世紀後半の世界最古の油絵であることが、東京文化財研究所の調査で分かった。
 2001年にタリバンによって爆破された二つの大仏のある多数の石窟の天井や壁には極彩色の仏教絵画が描かれていたことが知られているが、50か所の石 窟の破片を分析したところ、そのうち12の壁画が7世紀後半から10世紀にかけて描かれた油絵であることが判明した。
 奈良時代に「密陀僧(みつだそう)」(一酸化鉛)を使った一種の油絵があったことや、古代のエジプトやローマにも工芸品の塗料として油が使われたことは 文献にあるが、科学分析で油絵と確定したものとしてはバーミヤンの壁画が世界最古となる。
 シルクロードの拠点での油絵技法の存在が確実になったことで、油絵の可能性が指摘されている法隆寺の玉虫厨子(ずし)や正倉院宝物との関係についても注 目される。

爆破以前に前田耕作氏によって撮影された写真

●  銀閣寺の境内で創建時の石垣遺構発見(2008年1月18日)

 京都市左京区の慈照寺(通称・銀閣寺)の境内で、室 町時代後期に足利義政が創建した当時の石垣や、石組みの溝、盛り土した堤の遺構が見つかった。
 石垣は観音殿(銀閣)北60mの山すそで出土し、花こう岩を積んだ東西5m、南北6mのL字形で、上部が崩れ、最下部の1列だけが残っていた。外側には 排水用の石組みの溝(幅0.8m、深さ1m)も見つかった。
 同寺は1482年、将軍職を辞した足利義政が隠居所として造営したもので、石垣で築かれた北側の高台には、義政が持仏堂として建立し、暮らしていた「西 指庵(さいしあん)」があったとみられ建物の美観を保つための石垣の可能性があるという。
 さらに、南側には東西方向に高さ0.8〜1mに土を盛った3か所の堤状遺構が発見され、山から流入する土砂や水をせき止め、建物を守る役割を果たしたら しい。


●  辰野町十一面観音像を一般公開(2008年1月15日)

 長野県辰野町上島の観音堂で、厄除け祈願祭が行わ れ、十一面観音像(重文)が公開された。
 十一面観音像は、像高89.4cmのカヤの一木造りで、鎌倉末期の元亨3年(1323)善光寺住僧の妙海の作とされる。かつては秘仏としてご開帳は60 年に一度だったが、現在は、毎年1月14日と5月3日の例祭に開扉される。

●  山形県で文化財防災ネットワーク発足(2008年1月15日)

 東北芸術工科大文化財保存修復研究センターと大学や 行政の関係者が協力して、「山形文化遺産防災ネットワーク」が発足する。
  同センターは、文化財保護に取り組む人材の育成や地域貢献を目的に2001年に開設され、2007年の新潟県中越沖地震の際、被災地に出向いて文化財の保 全活動に協力したほか、有識者を招いた学習会を企画したり、朝日町や遊佐町で文化財に関する防災マップを作製したりするなどの活動を展開してきた。
  しかし、被災地では人命救助やライフライン復旧が優先され、文化財の保全や復旧は遅くなり、放置されてしまうケースもある。センターでは人間の精神を支え る文化財を地域全体で守り、伝承する責任があるとして、県内の地域別に文化財の位置や状態を調査してデータベース化を進めるほか、消防車の経路や臨時に移 設することが可能な場所を確保するなどの活動を行っていくという。

●  文化財防災ネットを整備(2008年1月13日)

 大地震などの災害発生時に仏像や古文書などを守る 「文化財防災ネットワーク」の全国組織を整備する構想が京都造形芸術大学を中心に計画されている。
 災害時は被災者の救援やライフラインの復旧が最優先にされるため、文化財保護は後回しされ、阪神大震災などでは多くの文化財が失われたと見られるが、い まだに把握できない被害もある。
 この教訓から災害時に専門知識を持つボランティアを被災地に急行させ、文化財を安全な場所に搬出する「文化財レスキュー」組織を構築するのが目的で、美 術工芸を専門とする大学研究者や自治体職員、文化財保護に関心を寄せる一般人らがメンバーになる予定。
 また、個人が所有する未指定の文化財を含めて所在地を事前に把握する調査を実施して被害を未然に防ぐ対策にも取り組み、最終的にはNPO法人の認証を受 けるという。
 文化財ボランティアを養成するために、京都造形芸術大学では来年度から通信教育の講座をスタートさせ、仏像の搬出方法や掛け軸の扱い方、襖絵を切って取 り出す作業など実践的な技術指導を行う。


● 九州の遺跡の装身具は7割が雲母(2008年1月12日)

 九州の遺跡で出土した、縄文時代後期から晩期の緑色 の勾玉や管玉などの石製装身具のうち約7割は、クロムを含んで緑色に見える白雲母岩で作られていたことが分かった。
  鹿児島県・上加世田遺跡など九州7県の約160の遺跡から出土した装身具約670点について、蛍光エックス線分析装置で成分を調査した結果、過去の発掘調 査報告で緑色片岩とされていた約270点と、蛇紋岩とされていた約90点は、ほぼすべて白雲母岩だった。また、ヒスイとされていた約140点も、約8割が 白雲母岩と判明し、全体では白雲母岩が約7割に上り、残りは滑石などだった。


● 京都・平等寺の薬師如来像、千年ぶりに鳥取へ里帰り(2008年01月11日)

 京都市下京区の平等寺の薬師如来像(重文)が、今年 10月に鳥取県立博物館で開かれる企画展に出展されるため、約千年ぶりに鳥取へ里帰りすることになった。
 薬師如来像は像高約162cmの一木造で、10世紀後半の制作。
  平等寺縁起などによると、村上天皇の名代で因幡国にある宇倍神社へ参拝するため現地へ赴いた橘行平が、夢に現れた僧侶の言葉に従って海中から如来像を引き 揚げてお堂に安置したが、行平が帰京した後この如来像が屋敷へ雲に乗って来たため、お堂を建ててまつったのが平等寺の始まりという。
 一方、如来像が去った後のお堂は後光と台座だけが残ったことから座光寺(鳥取市菖蒲)と名付けられたという。
 企画展では鳥取とゆかりのある寺社などの歴史をテーマに、数十カ所の絵巻や仏像などを展示する。

●  法隆寺金堂修理で釈迦三尊像など上御堂で公開(2008年1月5日)

 奈良市の法隆寺で金堂修理に伴う仏像の移動スケ ジュールが決まった。
 金堂の基壇と壁のしっくいの修復工事は3〜12月に行われるが、これに先立ち、現在12体ある仏像のうち、本尊の釈迦三尊像と薬師如来坐像は、2月18 日から金堂の約100m北の上御堂(かみのみどう)に移され、作業終了次第公開される。
 また、阿弥陀如来坐像や四天王立像、毘沙門天像、吉祥天像などその他の仏像と、焼損前の状態を模写した壁画12面は、奈良国立博物館で6月14日〜7月 21日に開催される「国宝 法隆寺金堂展」で公開される。(広目天、多聞天は全期間、持国天、増長天は7月1日から)。
 四天王立像が4体そろって寺外で公開されるのは初めてという。
 金堂は、2月18日から工事終了まで内部の拝観はできない。



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