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7月19日

◆恵庭・カリンバ3遺跡で出土の漆製品、20日から郷土資料館で公開 (北海道新聞:札幌市)

http://search.hokkaido-np.co.jp/News/20010719/0021.200107187710.html

 一九九九年秋に札幌市内黄金町のカリンバ3遺跡で出土した縄文時代後期末(約三千年前)の髪飾りや腰帯など漆塗りの装身具が、二十日から市内南島松の市郷土資料館で展示される。発掘後に調査や全国巡回展などのため地元を離れていたもので、恵庭市民には初のお披露目となる。
 同資料館が四月から行っている同遺跡の企画展の第二弾。今回展示される装身具は、123号、119号、118号の三つの土こう墓から大量に出土したうちの二十五点。内訳は輪型の髪飾り四点、くし飾り十六点、腰帯一点、腕輪二点、耳飾り二点で、いずれも朱色の漆が鮮やかに残っている。
 このうち輪型の髪飾りと腰帯は、同時代のものとして発掘されたのはカリンバ3遺跡のみで、全国的にも貴重な資料という。同資料館は「今回の展示終了後、装身具は再度詳細な調査を行うために市外に移される。この機会にぜひ見てほしい」と呼び掛けている。
 展示は九月二日までで、月曜休館。問い合わせは同資料館(電)37・1288へ。

 

◆真偽をどう判断〜袖原3遺跡再調査 (山形新聞:山形市)

http://www.yamagata-np.co.jp/kiji/20010719/0000007575.html

 尾花沢市議会全員協議会が18日に開かれ、市教委が袖原3遺跡再調査の経過を報告した。遺跡の真偽をどのように判断するのかについて意見が集中した。
 調査団事務局長を務める森山実社会教育課長が再調査でねつ造が確認されたことや新たな調査区域から石器が出土していない状況、21日で調査を終結することなどを説明。議員からは「遺跡としての可能性はまったくゼロなのか」「(騒動に)どう区切りをつけるのか」といった質問が出された。
 これに対して市教委側は「210点の石器がすべて人為的に埋められたものかどうかは現時点では判断しかねる。24日に、袖原3遺跡発掘調査検討委員会を招集しており、その場で協議されるものと思う」と回答。「その結果によっては遺跡としての登録から抹消される可能性がまったくないわけではない」と説明した。

 

◆国内最古級の落とし穴 横須賀・打木原遺跡から出土 (神奈川新聞:横浜市)

http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw01071974.html

 神奈川県横須賀市長井四丁目の打木原(うつぎばら)遺跡から、後期旧石器時代前半のものと考えられる九基の穴が見つかった。発掘調査した同市教育委員会は大型動物捕獲用に作られた落とし穴とみており、国内最古級に属するという。
 旧米軍長井住宅地区の跡地に計画されている「長井海の手公園」敷地内で見つかった。市緑政部の依頼で昨年十月から同市教委が調べていた。
 発見された穴は、いずれも円形で直径一・二〜一・五メートル、深さは一・五メートル以上あり、人がすっぽり入る大きさ。ほぼ直線状に六〜二十四メートルの間隔で並んでおり「けもの道に沿って配列されたのではないか」と想像している。
 穴の中にあった植物性炭化物の測定結果から、二万四千〜五千年前に作られたと推測される。同時期の穴は静岡県三島市の初音ケ原遺跡で見つかっているだけで、国内最古級とみられるという。近くからはナイフ型の石器なども出土した。
 同市教委によると、当時の長井周辺は海からかなり遠く、ナウマンゾウやオオツノシカなどの大型動物が生息していたらしい。人類の祖先は移住生活が中心だったと考えられているが「獲物が掛かるまで、ある程度は近くにとどまって生活していたのではないか」と太古の狩猟手法に思いをはせている。
 現場はすでに埋め戻されたが、一基は断面をはぎ取って保存しており、市博物館などでの展示を検討するという。

 

◆湖底遺跡で須恵器発見 滋賀 あす一般公開 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/19/07.html

 滋賀県湖北町教委は十八日、琵琶湖の葛篭尾崎湖底遺跡(同町)で、七世紀前半の須恵(すえ)器二点が完全な形で新たに見つかった、と発表した。現状保存しており、二十日に町教委が行う船上見学会(有料)で一般公開する。
 発見地点は、葛篭尾崎の半島先端から沖合約二百メートルで、水深二十四メートルの湖底。大きさはともに高さ約二十センチ、幅十五〜二十センチほど。十六日に見学会の準備で付近を調査した際に見つけた。同町教委によると、同時代の須恵器はこれまでに十数点発見されている。
 同遺跡は水深十〜七十メートルの湖底に、南北一・六キロメートル、東西二キロメートルにわたって広がっている。九千年前の縄文時代早期から十二世紀末の平安時代後期までの土器などが散在しており、なぜ湖底に土器があるかがナゾになっている。
 見学会では、水中カメラを通じて同遺跡の様子を船上で上映するほか、田辺昭三神戸山手大教授が「琵琶湖と日本の水中考古学」について講演する。参加費三千五百円。定員は百十人。同町教委 電話0749(78)1001へ。

 

◆川西市が勝福寺古墳を調査 (神戸新聞:神戸市)

http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/hanshin/010719jl2160.html

 六世紀前半、兵庫県川西市南部地域を支配していた豪族の墓とみられている「勝福寺古墳」(同市火打)で、大阪大の福永伸哉助教授の研究チームと川西市教委が二十一日から発掘調査を行う。同古墳は従来二つの円墳とされてきたが、最近の調査で一つの前方後円墳である可能性が高まっているため、調査によって古墳の形や埋葬品の存在を確認するのが狙い。当時の畿内の勢力図を考察する重要な資料になる可能性があるという。
 この古墳は直径約二十メートル、高さ四―五メートルの南北二基の円墳から形成されているとみられてきた。このうち北墳からは一八九一年、全長約九メートルの横穴式石室が発見された。これは畿内でも六世紀前半と築造時期が古く、中国から渡来したとみられる銀象嵌竜文刀(ぎんぞうがんりゅうもんとう)など埋葬者の権力の大きさをうかがわせる副葬品も出土した。
 しかし、古墳の一部が大きく崩れており、その後も古墳の形については研究者の間で論議になっていた。
 同市教委によると、六世紀前半、天皇の系譜をめぐり畿内では諸豪族を巻き込んだ争いがあったとされる。古墳が前方後円墳だとすれば、全長約四十メートル級。埋葬された人間が中央との太いつながりを持っていたことが推察されることになるといい、調査では、この争乱で活躍した豪族の姿や当時の勢力図を考察する基礎資料とする考えだ。
 発掘調査は八月半ばごろまでに成果をまとめる予定で、市教委では、阪神・淡路大震災の被害による石室などの損壊状態を調べ、保存方法を検討するという。

 

7月18日

◆隠れた祇園祭 東山で「よろい」展示

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/18/02.html

 かつて祇園祭の神幸祭の際、神輿(みこし)の先導に当たった武者行列に使われたよろいが、京都市東山区弓矢町の民家や商店で展示され、市民の目を引いている。
 同町は八坂神社とゆかりが深く、明治初期から住民が武者行列を担ってきた。しかし、よろいの痛みが激しいのと人手不足などで一九七三年を最後に行列は中止され、それ以降は神幸祭に合わせてよろいを数日間、飾っている。
 明治初期に三十領あったよろいは現在、十四領が残っている。町内の松原通沿い約二百メートルにわたり、軒先や店頭の十二カ所で厄よけのちまきと一緒に飾られている。
 氏子でつくる同神社清々講社六原の山中亮二副社長は「隠れた祇園祭として楽しんでもらえたら」と話している。十八日まで。

 

◆津名・東山寺 震災被害の仏像など修復完了

http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/awaji/010718js6240.html

 阪神・淡路大震災で本堂の仏像などが壊れた津名町長沢、「東山寺」の修復作業が完了。十七日、落慶法要が行われ、西日本各地から約百人の信者らが集まって修復を祝った。
 同寺は八一九年、真言宗の開祖である弘法大師が建立したとされる。一八六九年には、のちに国宝となる薬師如来像と十二神将を、京都石清水八幡宮別当護国寺から奉迎。さらに、同宗の淡路中央本山と位置付けられるなど、由緒ただしい寺。
 震災では、本堂にある千手観音、毘沙門天、不動明王の仏像三体の手が取れたり、足が折れるなどの被害を受けた。また、傷みの激しかった本堂や庫裏(くり)などは老朽化が進んだ。
 このため、一九九八年から県の震災復興基金や津名、一宮両町から財政的な支援を受け、修復を開始。大阪から仏師を招き丸三年の歳月をかけ、三体を再生させたほか、本堂などの屋根を銅板からかわらにふき替えた。
 かかった費用は約一億円。うち、約六千五百万円は、島内外からの浄財で賄ったという。
 この日は、同宗の信者らが見守るなか、約二十人の僧が読経し、落成を祝った。「やっと肩の荷が下りた気がする。今後も地域に親しまれる寺として発展させたい」と竹内住職。修復された仏像は、毎月十七日開帳される予定。

 

7月17日

◆「狩猟文」付き大型土器を復元 (東奥日報:青森市)

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0716/nto0716_13.html

 青森市史編さん室は一六日、同市久栗坂にある山野峠遺跡(縄文後期初頭・約四千年前)から採集した「狩猟文」付きの土器棺の破片を復元し、報道陣に公開した。土器片と石こうで仮復元した土器棺を解体、石こう部分を湿気などに強いアクリル樹脂でふさぎ、色を塗って当時に限りなく近い状態に仕上げた。同市は狩猟文のある土器棺を二十日から、市歴史民俗展示館「稽古館で一般公開する。
 復元した土器棺は高さ六一・一センチ、胴部最大経四〇・四センチ、厚さ一・四センチの大型壷(つぼ)形土器。特殊な身分の者を土葬した後、納骨する際に使われたと見られており、当時の葬法を知る貴重な資料として注目されている。
 土器棺の口部分には四つの取っ手が等間隔に付いており、表面は隆帯と呼ばれるひも状の粘土で四面に縦割りし、さらに上下二面に区分。
 下面部に大の字に手足を伸ばす動物らしき模様を、両側から二つの弓矢で狙っている構図が四面にわたって施してある。土器棺全体に朱を塗っていたのか、一部に赤味が残っている。
 青森市史編さん考古部会員の葛西勵・青森短大助教授は「上面部の模様については、まだ分かっていない。復元した土器棺を見た方々の意見や感想を参考に今後の研究に役立てたい」と話している。

 

◆夕焼けに鉾浮かぶ宵山 祇園祭に31万人の人出 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/17/01.htm

 祇園祭は十六日、「宵山」を迎えた。京都市内中心部の四条通界わいは、続々と人々が繰り出し、人出は三十一万人(午後十一時現在、京都府警最終調べ)に達した。前夜からの雨も上がり、夕涼みにもってこいの気温となり、深夜まで宵祭りの名残を惜しむ人の波が続いた。
 この日の京都市内の最高気温は二七・三度までしか上がらず、十日ぶりに三〇度を下回った。昼過ぎまで残った雨も、夕方には上がった。
 京都地方気象台の予報では、巡行が行われる十七日は全般に曇りで、所により一時雨になるという。

 

◆火祭り勇壮に 熊野那智大社 9000人を魅了

http://www.agara.co.jp/DAILY/20010717/20010717-4.html

 夏本番を告げる「那智の火祭り」が14日、熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の那智の滝前で勇壮に繰り広げられ、約9000人の観光客らが幻想的な炎の乱舞に酔いしれた。
 同大社にまつられている12体の熊野権現が年に1度、扇みこしに乗って本殿から那智の滝へ里帰りするという神事。参道横の斜面では、早い時間から見物場所を確保する写真愛好家の姿も見られた。
 午後2時ごろになると、滝前で大たいまつ(重さ約50キロ、直径約50センチ)が点火され、白装束に烏帽子(えぼし)姿の氏子たちが「ハーリャ、ハーリャ」と掛け声も勇ましく火の粉と汗を飛ばし、たいまつを担いで石段を駆け上がり、扇みこしを出迎えた。

 

◆広島・山口・島根で古美術連続窃盗 4人逮捕 (中國新聞:広島市)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn01071709.html

 山口県警と萩署などは十六日までに、山口県中西部を中心に広島、島根の三県で仏像や骨とう品を狙った連続盗難事件で、防府市岸津二丁目の住宅リフォーム業中本智範ら四人を窃盗の容疑で逮捕。仏像を買い取った同市牟礼今宿二丁目の古物商、吉田政彦を盗品等有償譲り受けの疑いで逮捕した。
 調べでは、中本被告らは昨年十一月十五日、美祢市の西円寺に侵入し、同市登録文化財の聖徳太子立像一体(五百万円相当)を、同十二月二十七日には徳山市湯野、常照院観音堂内で観音像一体(六十五万円相当)を盗んだ疑い。
 吉田容疑者は、今年一月二十三日、山口県豊田町の神上寺の愛染明王像一体(時価約五千万円相当)を盗品であると知りながら、百万円で買い取った疑い。
 これまでの調べで、中本被告らは、昨年八月から今年一月にかけて、山口県内八市五町一村と島根県日原町や広島県西城町の神社や寺院、民家で約二百点、総額約七千百万円相当の仏像や皿などの骨とう品を盗んだと供述。盗品は京都市などの古物商に売却していたという。二百点のうち、百三十点(総額約二千万円相当)を自宅や車、投棄現場から押収した。
 県警が盗品のリストを全国に手配。今年一月、京都市内の古物商が西円寺の聖徳太子立像を見付け、「手配の仏像と似ている」と京都府警に届け出た。

 

◆高鍋町の下耳切第3遺跡一般公開 (宮崎日日新聞:宮崎市)

http://www.the-miyanichi.co.jp/news/index.php3?PT=2&DT=20010717

 東九州自動車道(都農―西都間)建設に伴い、発掘調査が進む宮崎県高鍋町上江の下耳切第三遺跡が十四日、一般公開された。昨年九月から約七千平方メートルにわたる調査を行った結果、同遺跡の特徴として古墳と集落が近接していることや、古墳の周りの溝とその近辺に地下式横穴墓が八基あることなど、徐々にその姿が明らかになりつつある。しかし、円墳の埋葬者とその周囲の横穴墓の埋葬者との関係や、六十七軒見つかっている古墳時代の竪穴住居跡の時期的な分類などこれからの調査課題も多い。

 

7月16日

◆丹後平古墳の出土品韓国でも発見 (東奥日報:青森市)

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0715/nto0715_11.html

 青森県八戸市の丹後平古墳で出土し、国内外を通じて類例が知られていなかった「獅噛式三累環頭大刀把頭」(しがみしきさんるいかんとうたちつかがしら)と同様の遺物が韓国で見つかった。このほど同国で刊行された調査報告書で正式報告された。丹後平古墳の出土品は市の各種パンフレットや職員の名刺にも使われ、市民に親しまれているが、朝鮮半島で製作された−という従来の推測を裏付ける発見となった。
 獅噛式三累環頭大刀は一九九六年から九八年まで発掘が行われた全羅南道・羅州市の「伏岩里(ボクアンリ)三号墳」で出土した。丹後平古墳では把頭だけが古墳の周溝から見つかったが、伏岩里三号墳では第七号石室と呼ばれる横穴式石室から、大刀についた状態で出土。全体の長さは八四センチあった。
 出土自体は昨年までに日本国内の一部研究者に知られていたが、正式な調査報告書が今年に入って刊行され、詳細な状況が明らかになった。
 公州国立博物館に展示中の大刀をこのほど見学し、報告書を持ち帰った村木淳・八戸市教委文化課主任主査は「丹後平古墳のものに極めてよく似ているが、細部が微妙に違っていた」と話す。
 獅噛式環頭大刀に詳しく昨年、ソウルの国立文化財研究所で、調査中の大刀を見学した小谷地肇・下田町教委社会教育課主査は「三累環の獅噛式環頭大刀が、韓国でも見つかるべくして見つかったと言える。鋳型一つから一点しか作れないため、全く同一の物はないはず」と指摘する。
 ただし伏岩里三号墳は六世紀後半から七世紀初めに造られたとみられるのに対し、丹後平古墳は七世紀後半から八世紀にかけて造られ、両者には百年ほどの開きがある。

 

◆よみがえる江戸文化の粋−砺波・千光寺で十六羅漢の補修完了 (北國新聞:金沢市)

http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20010716003.htm

 石川県砺波市芹谷の古刹(こさつ)、真言宗千光寺の市指定文化財の山門に安置されている十六羅漢の補修が十五日、滋賀県大津市の尊像修理専門技師の手で完了した。十六羅漢は一七九八(寛政十)年、同寺方丈の弟子が江戸で勧進し、製作されたヒノキの寄せ木作りで玉眼も入っており、江戸文化を伝える傑作がよみがえった。
 十六羅漢は像高六十五センチ前後で、山門が建立された二年後に製作され、二階重層構造の山門の二階に安置されている。真言宗の寺院だが、山門の造りとともに禅宗の影響を示す貴重な尊像である。
 補修は二〇〇七(平成十九)年に計画されている三十三年に一度の本尊ご開扉を前に、寺院の施設整備の一環として大津市の園城(おんじょう)寺仏教尊像修理院の技師三人に依頼し今月二日から進められた。
 大日如来像など三尊仏を含めた羅漢十九体は明治時代初期に修理されたと伝えられているが、彩色や漆のはく落が激しく、これ以上の劣化を防ぐため、同修理院独自の技法を駆使し、布(ふ)のりではく落止めを施すとともに表面のはく落部分の段差を滑らかに改善した。
 尾田武雄県文化財保護指導委員(砺波市)が最近、解読した同寺の木版刷り「十六大羅漢造立寄進帳」によると寛政十年、当時の方丈行遍の弟子の自證(じしょう)比丘尼と即明比丘尼が江戸へ出掛けて浄財を集め、羅漢は現地の工房で作られた。特に玉眼をはめ込むには手間とお金がかかり、信仰の厚さを示している。

 

◆芦屋廃寺出土品を公開 市民センター (神戸新聞:神戸市)

http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/hanshin/010716jl2110.html

 兵庫県内最古級の寺院とされる芦屋市西山町の「芦屋廃寺」遺跡から、全国で初めて見つかった「寺」一字の刻印入りの土器片などが十五日、同市業平町の市民センターで公開された。愛好家ら約七十人がカメラを手に訪れ、学芸員による発掘の意義や経緯の説明に、熱心に聞き入った。
 同遺跡では今年五月、住宅建設に伴う調査で、地表下二・四メートルの地層から約五千二百点の土器片などが出土。鑑定で奈良時代中期(七五〇年前後)の土器群であることが判明し、そのうち九点の土器片に、生産地を類推できる「寺」(縦二・四センチ、横一・九センチ)の刻印が認められた。
 同市教委によると、文字が刻印された土器の発見例は珍しく、中でも「寺」一文字の刻印例は、全国で初めてという。
 この日は、「寺」の字の土器片を須恵器(すえき)に復元したものや、ほぼ原形に近いまま出土した丸瓦(かわら)や平瓦など、約三百点を初公開。調査の詳細を記した資料や、過去の発掘調査時の写真なども展示された。
 また、同市教委の森岡秀人学芸員が「須恵器の生産、供給状況を知る上で、貴重な資料となる」などと、発掘の意義を説明した。同市教委は、ほかの土器片などについても細かい調査を進め、今年末、全出土品の展示を行う予定。

 

◆厳かに田楽奉納 熊野那智大社例大祭 (紀伊民報:田辺市)

http://www.agara.co.jp/DAILY/20010715/20010715-4.html

 日本三大火祭りの一つとして知られる和歌山県那智勝浦町、熊野那智大社の例大祭「那智の火祭り」が14日あり、国の重要文化財に指定されている那智田楽などが奉納された。火祭りは、同大社にまつられている12体の熊野の神々が年に一度、扇みこしに乗って那智の滝へ里帰りする神事。
 この日は、朝から晴れ間が広がる蒸し暑い天候。午前10時から、本殿神前で神事の後、境内の特設舞台で狩衣(かりぎぬ)にはかま姿の稚児の大和舞や那智田楽が厳かに奉納された。
 祭りは午後、扇みこしと炎に包まれたたいまつを持つ白装束に烏帽子(えぼし)姿の氏子たちが「おりゃあ」という威勢の良い掛け声とともに参道をかけ、祭りは最高潮を迎えた。

 

7月13日

◆オホーツク文化解明に期待−枝幸・目梨泊遺跡で学術調査 (北海道新聞:札幌市)

http://www.hokkaido-np.co.jp/News/Stock/20010713/0021.200107122124.html

 出土品三百十九点が国の重要文化財に指定されたオホーツク文化後半期の目梨泊遺跡で十一日、筑波大とオホーツクミュージアムえさしの共同学術調査が始まった。調査は二十日までの予定。初日は同文化の特徴を示す「ソーメン文土器」の破片や骨角器、海獣の骨など約三百点が出土した。同遺跡は八世紀以降の集落跡。過去の調査でアムール川流域との交流を示す青銅製帯金具などが出土している。今回の調査は、筑波大歴史・人類学系の前田潮助教授が団長となり、筑波大や北大などで考古学を専攻する大学院生や、同ミュージアムの高畠孝宗学芸員ら約十五人が参加した。調査場所は国道沿いの段丘地にある竪穴住居の跡地周辺。筑波大と町教委は昨年七月に同じ地点で学術調査をしており、今回は昨年に発掘できなかった部分を調査する。
 昨年の調査では、サケに似た魚の線画が描かれた骨角器や、スタンプの形をした土製品など、学術的価値の高い遺物が出土しており、今回も期待がかかる。
 前田助教授は「調査地点は竪穴住居の近くなので、魚骨層の下から墓が見つかることを期待したい。墓が出て人骨や副葬品が出土すれば、オホーツク文化の解明に貴重な手がかりとなる」と話している。

 

◆「朝鮮王朝の美展」開会式で南北交流へ (北海道新聞:札幌市)

http://search.hokkaido-np.co.jp/News/20010714/0025.200107143562.html

 韓国内の主要博物館・美術館が所蔵する美術工芸品を集めた特別展「朝鮮王朝の美」(北海道立近代美術館、国際芸術文化振興会、韓国・国立民俗博物館、北海道新聞社、同展実行委主催)が十四日、札幌市の道立近代美術館で開幕した。
 朝鮮王朝時代(一三九二―一九一○年)の絵画、書、陶磁器、木工、服飾など約二百六十点を展示。この時代の代表的な美術工芸品を網羅する形で韓国外で公開されるのは初めてとあって、初日から高校生や年配の美術ファンが会場に足を運んだ。
 八月二十六日まで(月曜休館)の午前十時―午後五時(入館は同四時半まで)。毎週金曜日は午後七時半(入館は午後七時)まで延長する。また、一部展示を入れ替え、九月十九日から十一月十一日まで道立函館美術館でも開催される。観覧料は両会場とも一般千円(前売り・十人以上の団体八百円)、高校・大学生六百円(同五百円)、小・中学生四百円(同三百円)。

 

◆虚構の証明−尾花沢袖原3遺跡(上) (山形新聞:山形市)

http://www.yamagata-np.co.jp/kiji/20010713/0000007481.html

 東北旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長(51)による発掘ねつ造問題を受けた尾花沢市教委の袖原3遺跡再調査で、同遺跡発掘直後からねつ造が行われていたことが確認された。過去の出土品の大半が疑わしい石器であることも判明。加えて、新たな区域から石器が1点も出土せず、遺跡そのものが虚構であった可能性が高まった。市教委は再調査の打ち切りを決定。袖原3遺跡は限りなく“黒”に近い存在として記録をとどめることになった。地元や関係者の苦悩を追う。
 1992年6月14日、4人の考古学研究者が尾花沢市の徳良湖南東に広がる丘陵地帯を歩いていた。むき出しの斜面を見つめていた1人の男が突然声を上げた。「あったぞ」。離れていた3人が駆け寄る。男は斜面から石器を引き抜いた。後に宮城県上高森遺跡などで発掘ねつ造を行う藤村氏。袖原3遺跡の不幸はここから始まっていた。
 同研究所を中心とする調査団が袖原3遺跡の発掘を行ったのは翌93年から。94年までの1次、2次調査で約10万年以上前の地層から100点余りの石器が出土。県内最古の旧石器時代の遺跡であることが確認された。
 96年の3次調査では30万年前より古いと考えられる地層で石器を発見。県内での「原人」の存在を示す証拠として話題になった。99年の5次調査では50万年前ごろの地層からも石器を見つけ出している。
 また、同遺跡から出土した石器の断面と、約30キロ離れた宮城県色麻町の中島山遺跡で見つかった石器の断面がぴたりと一致することを藤村氏が発見。10万年前の移動生活を実証する貴重な資料が出土した遺跡として一躍全国から注目される存在となった。
 従来の学説を覆す“大発見”の連続に地元は沸き、現地説明会には県内外から多くの人が押し寄せた。市内で農業を営む男性(64)は語る。「何次調査かは忘れたが、見学を終えて駐車場に戻ろうとした時、藤村さんが“出た、出た”と叫んだ。皆が慌てて駆け付けると土に埋まった石器を取り出して見せた。さすが藤村さんだと思った」。スターのような扱い。色紙にサインをもらった人さえいた。
 県内最古とされた人類の生活痕跡を、にわかに暗雲が覆ったのは去年11月。藤村氏による旧石器遺跡発掘ねつ造が明らかになる。同5日の記者会見で藤村氏は、上高森(宮城)と総進不動坂(北海道)以外でのねつ造を強く否定。藤村氏とともに調査を行ってきた梶原洋・東北福祉大教授は翌日、市を訪れ「袖原については一点の疑いもない。石器接合も真実と確信している」と説明した。
 市教委は素早く反応、疑いをもたれた全国の遺跡に先駆けて袖原3遺跡の再調査に乗り出した。「疑念を払しょくし、袖原は“シロ”であることを証明したい」。市教委の担当者の言葉には力がこもっていた。

 

◆立山曼荼羅の新映像が完成 立山博物館 (北日本新聞:富山市)

http://www.kitanippon.co.jp/backno/200107/13sports.html

 立山町芦峅寺の立山博物館(米原寛館長)の開館十周年を記念して同博物館・遙望館で上映する新しい映像「新立山曼荼羅(まんだら)?」が完成、十二日に試写会が行われた。十三日から一般公開される。
 「新立山曼荼羅?」は修験者が立山登山中に意識を失い、夢の中で人間世界に起きる地獄を見るという内容で、上映時間は二十二分。戦争や天災、公害を取り上げ「地獄を克服するため人間は知恵を使うべき」とのメッセージを込めた。
 コマーシャル映像などを手がける会社、白組の島村達雄さんが監督と脚本を担当し、コンピューターグラフィックスを駆使して仕上げた。
 試写会には、博物館を運営する県文化振興財団や立山町の関係者ら三十人が出席。三面マルチスクリーンの映像に見入り、上映が終わると大きな拍手を送っていた。
 「新立山曼荼羅?」は十三日から、立山の自然を解説した「風・立山1995」と二本立てで上映される。

 

◆新たに仏像8体奉納 盗難被害の御室八十八カ所 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/13/06.html

 仁和寺・御室八十八カ所霊場(京都市右京区)から本尊四十六体が盗まれた事件で、本尊不在に心を痛めた市民八人が最後まで戻らなかった仏像八体を新造し、十二日、開眼法要で奉納した。
 同霊場には八十八の札所があるが、昨年十一月から今年一月までの間に、各札所の本尊が次々と盗まれた。太秦署が二月に盗んだ男を逮捕。古物商などから三十八体を回収したが、八体が行方不明のままとなっている。
 盗難が報道された一月下旬、市民から「新しい本尊を納めたい」との声が寄せられ、市民ら八人が一体ずつ奉納することにした。
 奉納された八体は薬師如来四体のほか、馬頭観音、釈迦如来、虚空菩薩、地蔵菩薩各一体。高さ約六十センチで、色鮮やかな彩色、彩金を施した像もある。
 仁和寺金堂で営まれた開眼法要では、同寺の堀智範門跡が「八体の仏様が人々に喜びを与え、苦しみを除くことを祈念します」と奉納者らに感謝の言葉を述べた。

 

◆管理予算不足で荒廃 橿原市の新沢千塚古墳 (奈良新聞:奈良市)

http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0040.html

 奈良県橿原市の国史跡「新沢千塚古墳群」の整備について話し合うため、県文化財保存課は、学識経験者などでつくる委員会を16日に発足させる。遊歩道などが整備された県有地(約6.3ヘクタール)は管理予算の不足から荒廃が進み、「整備した意味がない」と指摘する関係者もいた。
 委員会の構成は、県立橿原考古学研究所と市教育委員会、自治会、大学の研究者など7人を予定。16日は現地を視察するほか、基本的な方向性について協議する。
 新沢千塚古墳群(5世紀後半〜6世紀前半)は、約600基の古墳が集中する全国有数の古墳群。昭和38年に行われた126号墳の発掘調査では、金製の装飾品やガラス製品が出土している。
 史跡面積は約12.5ヘクタールで、県と市がほぼ半分ずつ所有。県は昭和62年に「史跡新沢千塚古墳群環境整備基本計画」を策定し、遺構の全体模型や復元古墳を結んで遊歩道を整備した。
 今では雑草が茂るなど、元の状態が分からないほど荒廃した部分もある。市有地は草刈りなどの管理が行き届いている。
 委員会では、未整備部分(東側地区)への対応と、すでに整備した部分の再整備について話し合う。来年3月まで新たな整備方針をまとめる予定。

 

7月12日

◆「朝鮮王朝の美展」開会式で南北交流へ (北海道新聞:札幌市)

http://search.hokkaido-np.co.jp/News/20010712/0025.200107121556.html

 十四日から北海道立近代美術館で始まる「朝鮮王朝の美」展(同美術館、韓国国立民俗博物館、国際芸術文化振興会、北海道新聞社主催)の開会式に、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の在日本朝鮮民主女性同盟幹部が出席することが十一日までに決まった。韓国所蔵の美術品の展覧会に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)関係者が出席するのは異例で、主催者らは札幌で南北交流の小さな芽が生まれることを願っている。
 十三日午後、同美術館で行われる開会式に出席するのは同同盟の金貞花顧問と趙英淑国際部長。朝鮮総連道本部からも幹部が出席する予定だ。
 韓国側は李鍾哲・国立民俗博物館長、在日本大韓民国民団北海道地方本部の朴平造団長らが出席し、会場に南北関係者がそろうことになる。
 在日朝鮮人代表の出席は、昨年六月に平壌で開かれた南北首脳会談以来の南北融和ムードのほか、日朝友好に尽力している三木睦子・国際芸術文化振興会副会長(三木武夫元首相夫人)の働きかけもあって実現した。

 

◆設計で配慮、地下保存へ 遺物の展示スペースも (奈良新聞:奈良市)

http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0039.html

 奈良市大安寺西の新県立図書館予定地で見つかった奈良時代の大型建物跡について、県生涯学習課は11日までに、地下に保存する方向で検討を始めた。図書館と建物跡が重ならないよう、設計を工夫する。予定通り建設すると建物跡の大半が破壊されてしまうため、県立橿原考古学研究所が対応を求めていた。図書館内には遺物の展示スペースも設けたい考え。
 建設予定地は「平城京左京五条二坊15.16坪」にあたり、同研究所が昨年8月から約6900平方メートルを発掘調査している。今年2月までに、大型建物跡(東西18.9メートル、南北5.4メートル)や複数の井戸跡が見つかった。
 京内の一区画(一町)を丸ごと使用するなど、高級貴族の邸宅跡とみられ、四条大路をはさんで北側には、太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)の邸宅推定地がある。
 新県立図書館は昨年度中に基本設計が終了。北側に図書館の本館、南側に緑地空間や駐車場を予定していた。
 ところが、本館北西隅の約10メートルが大型建物跡と重なることが判明。同研究所は「少しずらせば保存できる」と県文化財保存課を通じて対応を要望し、遺構の重要性を説明するなどしてきた。
 担当の県生涯学習課は「遺構への配慮は設計の重要な要素。基本設計は大まかな位置を決めただけで、要望を尊重して実施設計に反映させられるようにしたい」と話している。
 駐車場の確保など、全体的な利用計画に影響が出ることも考えられ、技術的な問題についても担当部と協議を進める。
 建物の細部を含む実施設計は今年度中に終える予定で、設計業者への発注までに結論を出す。
 新県立図書館は地上3階建て、延べ床面積1万1500平方メートル。開館時期などは決まっていない。

 

◆祭祀用?の円筒形土製品 海老名の古墳群から出土 (神奈川新聞:横浜市)

http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw01071213.html

 東日本最古級の古墳群、秋葉山古墳群(神奈川県海老名市上今泉)の発掘調査を進めている海老名市は十一日、古墳群の中の第二号墳から全国的にも非常に珍しい円筒形土製品が出土したと発表した。四世紀初頭に造られたとみられる円筒形土製品は他に類例がなく、何らかの祭祀(さいし)に使われていたと推測されるが、大和政権の中心地である西日本の古墳の出土品と比べ、独自色が強いのが特徴という。東日本の初期の古墳を考える上で、非常に注目される発見としている。
 円筒形土製品は、昨年七月から十月の市遺跡調査会の学術調査で発見された。前方後円墳である第二号墳のくびれ部分からバラバラの破片の状態で見つかり、四カ月かかって復元した。復元された大きさは直径約二十一センチ、現存の高さ約三十九・五センチの筒で、胴の部分に赤い彩色がほどこされているのが見つかった。
 形状は、大和政権の中心地である奈良県などの前期古墳にみられるつぼを乗せた「特殊器台」と呼ばれる土器と、四世紀後半の東日本の古墳でみられる「円筒埴輪(はにわ)」の中間の位置するとみられる。
 しかし、西日本で出土する「特殊器台」に特徴的な文様もなく、「円筒埴輪」に特徴的な透かし穴やひも状の帯などがない独特の形態で、関東地方に例はなく、全国的にも非常に珍しい。
 同市は「今後、放射性年代測定を行い科学分析から年代に迫りたい」としているが、今回の円筒形土製品は他の出土品などから四世紀初頭とみられ、出土したくびれ部は一般に特殊な祭祀を行う遺物の出土がしばしば出ることから、今回の出土品もなんらかの祭祀に使われていた可能性が高いとしている。
 円筒形土製品については十二日から二十九日まで海老名市国分南の市郷土資料館海老名市恩故館で展示。八月一日から三十一日まで平塚市博物館の企画展「相武国の古墳」で展示される。

 

◆若者の練り激しく 厄除け、豊漁を祈願 「やぶねり神事」 (伊勢新聞:津市)

http://www.isenp.co.jp/news/_2001/0712/newsD.htm

 三重県津市白塚町の祭礼委員と青年団は十一日夜、ヤマタノオロチに見立てた「やぶ」を抱えて町内を練り回る恒例の「やぶねり神事」をした。
 若者らは竹を束ねて作った「やぶ」を右へ左へくねらせながら荒々しく練り、町内に「エンヤナッチャ」という掛け声が響き渡った。
 津市商工労政課などによると、漁師町の白塚に伝わる「やぶねり神事」は約四百年の歴史があり、疫病から免れ、豊漁を祈るための神事として行われるという。
 六本の「やぶ」を担いだ約百人の若者らは八雲神社を出発し、見物人の目の前で体をぶつかり合わせながら、細い路地を激しく練ったあと、最後に「やぶ」を海に流した。

 

◆つがいアワビの初採り競う大漁祈願 「しろんご祭り」 (伊勢新聞:津市)

http://www.isenp.co.jp/news/_2001/0712/newsJ.htm

 鳥羽市の離島・菅島の氏神・白髭神社に、海上の安全と大漁を祈願する海女の祭典「しろんご祭り」は十一日、神域で禁漁区の白浜(しろんごはま)海岸で開き、白いいそ着を身にまとった七十五人の海女が、ホラガイを合図に、つがいのアワビの初採りを競った。

 

◆キトラ古墳など報告 京都橘女子大で講演会 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/12/10.html

 京都橘女子大(京都市山科区)の「飛鳥学講演会」が十一日、同大学で開かれ、文化財学科の教授四人が朱雀の壁画が発見されたキトラ古墳など、最新の調査の成果を報告した。詰めかけた考古学ファンや文化財を学ぶ学生らが古代飛鳥へ思いをはせた。
 同大学開学三十五周年記念行事の一つ。「宮殿・寺院・庭園−いま、また飛鳥がおもしろい」をテーマに、近年重要な発見が相次ぐ飛鳥の歴史について講演が行われた。
 四神の朱雀の壁画が発見されたキトラ古墳について、調査を担当した猪熊兼勝教授は「四神や星座、日月像は、天子のデザインだ。被葬者も天皇に連なる人物であろう」と指摘した。門脇禎二客員教授は「飛鳥文化の指導層と技術者群」と題して、飛鳥寺や百済大寺の造営、キトラ古墳の壁画制作にかかわった人々の系譜を解説した。
 牛川喜幸教授は「七、八世紀の園池と流れ」、狩野久教授は「吉備池廃寺の語るもの」と題して講演し、訪れた約四百人の学生や市民らは熱心に耳を傾けていた。

 

◆県内最古の竹バーキ出土 北谷町伊礼原C遺跡 (琉球新報:那覇市)

http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2001/2001_07/010712n.html

 沖縄県北谷町の米軍キャンプ桑江内の伊礼原C遺跡から、縄文時代前期(約5000年前)のものとみられる県内最古の竹製バーキ(かご)が出土した。発掘したバーキ内には当時の食物が貯蔵されている可能性があり、町教育委員会文化課は「当時の食生活が分かる貴重な資料」と期待している。
 バーキは四方約1メートル、深さ2・7メートルの層から出土した。この層からは縄文前期に作られた曽畑式土器が見つかっていることから、バーキの年代を推定。バーキは二本一組の竹で編まれ、ドングリなどを中に入れて、水にさらしてあく抜きをするのに利用していたと推測されている。
 町教委文化課は「今後、バーキ内に積もっている土砂を慎重に取り除き、ドングリや木の実などの食物が含まれているかどうか調査する」と述べた。宜野座村の前原遺跡からも縄文後期(約3500年前)のバーキが発掘されており、今回で県内二回目の出土。

 

7月11日

◆荒川ICに古墳時代の遺跡 (新潟日報:新潟市)

http://www.niigata-nippo.co.jp/cgi-bin/k_news/old_search.asp

 新潟県岩船荒川町南新保の日本海沿岸東北自動車道(日沿道)荒川IC予定地で、縄文と古墳時代の遺跡の発掘調査が始まった。
 遺跡名は「道端遺跡」。昨年事前調査を行った結果、両時代のものとみられる土器が見つかった。調査対象は約5万平方メートルと大規模で、縄文時代の遺跡の上に古墳時代の遺跡が重なっている。

 

◆「細工所」の技術確認−県内の古仏壇調査−高度な蒔絵や彫刻 (北國新聞:金沢市)

http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20010711002.htm

 金沢仏壇商工業協同組合が昨年から石川県内で行っていた古仏壇の調査が終了し、三代加賀藩主前田利常によって整備された「細工所」の流れをくむ高度な技術による蒔(まき)絵、彫刻や、享保年間(一七一六―一七三六)の仏壇が現存することなどが確認された。仏壇、仏具の枠を超えた伝統工芸の技法が見られ、明治期の前半に現在の金沢仏壇の形式が整ったことも分かった。同組合では十二日に意見交換会を開き、職人技を新しい仏壇づくりに生かしていく。
 調査は、組合に加盟する彫りや金具などのベテラン職人と仏壇店主ら九人で構成する「細工所の流れをくむ仏壇」調査委員会が昨夏から続けてきた。鳥屋町から小松市まで県内に残る江戸中期から大正末期までの二十五本を調べ歩き、制作年代、寸法、産地、特徴などをまとめた。
 結果、デザインとしては帯戸、唐戸、肘(ひじ)胴など現在、見られるすべての様式が確認されたが、一八八四(明治十七)年に制作された仏壇から現在の形に落ち着いていることから、現在のデザインの原点がこの時代に築かれたことが分かった。また、松任市内の民家に保管されている仏壇が、この家の古文書などから享保年間に制作されたものであることが判明した。

 

◆水神祭る「天王祭」 14日に神事  伊勢新聞(津市)

http://www.isenp.co.jp/news/_2001/0711/newsF.htm

 昔ながらの蔵のある町並みが残る三重県伊勢市河崎の河邊七種神社で十四日、天王祭神事が開かれる。同祭に合わせ、翌十五日に地元有志でつくる「河有会」(藤村昌弘実行委員長)が、神輿(みこし)やメロディ鼓隊、勢田川での水中金魚花火、夜店など盛りだくさんのイベントを予定しており、大勢の参加を呼び掛けている。
 天王祭は、もともと水神を祭る同神社の神事だが、昔から地区の有志が奉納行事や関連イベントをする地区を挙げたお祭りになっている。今回は町内外の青年ら約六十人でつくる河有会が主催している。
 十五日は、朝から町内の神輿や子ども神輿が練り歩くほか、有緝幼稚園児のメロディ鼓隊演奏(午後三時半から五時)、有緝小鼓笛隊の演奏(午後四時二十分から六時)、伊勢河崎まちづくり衆による模擬店、福引(午後五時から七時半)、河崎音頭(午後六時から九時)、金魚のように勢田川の中を泳ぐ水中金魚花火の披露(午後九時から十時)などを予定している。
 会場になるのは、「中橋通り」と呼ばれる中橋から八間通りまでのおよそ百五十?。十五日は午後三時から十時まで、車両通行止めになる。
 問い合わせは、藤村さん=電話0596(28)4753=まで。

 

◆水しぶきに人波揺れ 祇園祭 四条大橋で「神輿洗い」 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/11/01.html

 祇園祭で練る神輿(みこし)を清める「神輿洗い」が十日夜、京都市の鴨川にかかる四条大橋で営まれた。
 神輿洗いは、十七日の神幸祭、二十四日の還幸祭で京都市内を練る三基の神輿のうち、「中御座」を清める神事。
 長さ約五メートルの大松明(たいまつ)が八坂神社から四条大橋までを往復して神輿の通る道を清めた後、約百五十人が「ほいと、ほいと」という威勢のいい掛け声とともに飛び跳ねるように神輿を担ぎ、四条大橋に到着した。
 神職たちが鴨川からくみ上げた水に榊(さかき)の枝を浸し、神輿に向かって大きく振ると、水しぶきが夜空に飛び散った。しぶきを浴びると厄よけになるとされ、神輿の周囲では榊が振られるたびに人波が揺れ、熱気に包まれた。

 

 ◆国宝・飛雲閣 清巧な模型に 70年前の図面で再現 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/11/09.html

 浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺(京都市下京区)の国宝・飛雲閣の模型を、北区紫野石龍町、山田政博さんが製作している。同寺から図面を取り寄せ、建材や内装も再現した精巧な模型で、完成後は西本願寺に贈る。
 飛雲閣は、西本願寺境内の滴翠園に立つ三層の楼閣。豊臣秀吉の聚楽第の遺構を、江戸時代初期に移築したとされる。宗祖・親鸞の誕生日を祝う降誕会(ごうたんえ)などで招待客に公開することはあるが、原則的に非公開となっている。
 元京都市職員の山田さんは「京都には、立派な伝統的建造物があることを市民に知ってもらいたい」と、飛雲閣の模型作りを思い立った。約七十年前の飛雲閣の図面の写しを取り寄せ、一九九七年に宗派の許可を得て製作を始めた。
 模型は約八〇センチ四方、高さ約三十センチの総ヒノキ造り。実物に近づけようと、内装まできめ細かに再現している。二階の「歌仙の間」には、三十六歌仙の写真を縮小して張り付けた。糸で百五十畳分の畳も作る予定だ。
 今後は、屋根の取り付け、庭園の製作などをして、完成は一年後になる。山田さんは「完成したら西本願寺に贈る。飛雲閣は非公開だから、参拝客に喜んでもらえるはず」と張り切っている。

 

◆重文の歴史資料も公開 京大総合博物館 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/11/11.html

 京都大総合博物館(京都市左京区)は十一日から、博物館が所蔵する貴重な歴史史料の公開を始める。初回は国の重要文化財に指定されている平安時代の日記「大御(だいぎょ)記」など二点を展示、「来月以降も中世の史料など月替わりで公開したい」(同博物館)としている。
 理系資料を集めた総合博物館新館が六月一日にオープンしたのを機に、これまで展示される機会が少なかった旧文学部博物館所蔵の史料も公開することにした。
 今回展示するのは、勧修寺(かじゅうじ)家旧蔵の文書約五千点の中から、藤原為房(一〇四九〜一一一五)の日記「大御記」と為房の子、藤原為隆(一〇七〇〜一一三〇)の日記「永昌(えいしょう)記」の二点で、いずれも当時の政治状況が詳細に記されている。
 また、「永昌記」は訴状などの書状の裏に書かれており、「日記の裏側の『紙背文書』を表にして展示する、これまでに例がない試み」(総合博物館)という。
 また、総合博物館で先月に一部が公開され好評だった「大塚京都図コレクション」から、日本最古とされる京都市街図「都記(みやこのき)(寛永平安町古図)」(十七世紀初期)など江戸時代の古地図レプリカも新たに展示する。
 「大御記」などの展示は八月五日まで。

 

◆栄華の夢 公園に 方広寺大仏殿跡 (京都新聞:京都市)

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2001jul/11/16.html

 日本史上最大級の建造物と発掘調査で確認された方広寺大仏殿跡(京都市東山区正面通大和大路東入ル)に十日、遺跡を活用した公園「大仏殿跡緑地」がオープンした。直径一・六メートルもある建物の柱跡を円柱状のベンチで再現するなど、豊臣秀吉が築いた巨大な建物をしのぶ工夫がされ、新たな観光スポットになりそうだ。
 昨夏の発掘調査で大仏殿の基壇を発見した。巨大な柱跡五カ所や大仏が安置されていた八角形の台座の一部を確認。建物の大きさは南北約九十メートル、東西約五十五メートル、高さ約五十メートルと東大寺大仏殿を上回る大きさだったことが裏付けられた。
 公園は面積約二千三百四十平方メートル。遺跡を地中に埋め戻して保存した上に、市が昨年末から約七億九千万円をかけて整備を進めていた。
 見つかった柱穴の位置に、柱と同じ太さの円柱状の花こう岩製のベンチを置いたほか、八角形の台座部分は縁石で再現した。大仏があった位置には高さ二十メートル前後のケヤキの巨木があり、約十九メートルあったとされる大仏の大きさも想像できる。
 市は「近くに、大阪冬の陣のきっかけとなった方広寺の『国家安康』の鐘などもある。史跡巡りのコースとして親しんでもらえれば」と話している。

 

◆卑弥呼の鏡レプリカ14日から販売 橿考研付属博物館で (奈良新聞:奈良市)

http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0038.html

 奈良県桜井市のホケノ山古墳で出土した画文帯神獣鏡のレプリカが完成、14日から、橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所付属博物館のミュージアムショップで販売される。
 同研究所の「友史会」が、東京の専門業者に依頼して作製。直径は実物の2分の1で、浮き彫りにされた神仙像や銘文まできっちり再現した。
 銅製で重量感があり、文様のない面には顔がくっきり映る。30枚準備しており、1枚6000円(税込み)で販売。
 画文帯神獣鏡は天理市の黒塚古墳にも埋納されており、卑弥呼が魏からもらった「銅鏡百枚」ではないかという説がある。
 ホケノ山古墳(3世紀中ごろ)は大和古墳群調査委員会(委員長・樋口隆康橿考研所長)が発掘調査。石囲い木槨(もっかく)と呼ばれる埋葬施設から、完形の画文帯神獣鏡(直径19.1センチ)が1枚見つかった。

 

◆夏の間の健康祈る土用護摩祈とう 那智勝浦町補陀洛山寺 (紀伊民報:田辺市)

http://www.agara.co.jp/DAILY/20010711/20010711-6.html

 補陀洛(ふだらく)渡海で知られる和歌山県那智勝浦町浜の宮、補陀洛山寺で10日、土用護摩祈とうと先祖供養の法要が営まれ、蒸し暑い夏の間の健康などを祈った。
 この日は4万6000の御利益があるといわれる縁日。国の重要文化財指定を受けている本尊の十一面千手千眼観世音菩薩(ぼさつ)が開帳され、高木亮享住職が読経をした後、護摩壇で護摩札をたいた。
 参列した約100人の信者らは、無病息災や家内安全、商売繁盛などの願いを書き込んだ護摩木を燃やしながら祈っていた。
 セミの鳴き声がする境内では、暑気払いのごま豆腐と、飲み物が振る舞われた。

 

◆厳かに「滝まつり」 護摩をたき祈願 上斎原 200人が涼満喫 (山陽新聞:岡山市)

http://www.sanyo.oni.co.jp/2001/07/11/22.html

 滝の裏側からも滝が見える「裏見の滝」として知られる岡山県上斎原村の岩井滝(高さ約十三メートル、幅約八メートル)で十日、恒例の「岩井滝まつり」があり、村内外から約二百人が訪れ、涼を満喫した。
 滝つぼの周りで法印(山伏)が東西南北に矢を放って清めた後、護摩をたいて無病息災、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願。周囲はうっそうと木々が茂り、滝音が響き渡る中、護摩の煙が立ち上り、厳かな雰囲気に包まれた。

 

◆都城市で六月灯「おかげ祭り」 (宮崎日日新聞:宮崎市)

http://www.the-miyanichi.co.jp/news/index.php3?PT=2&DT=20010711

 夏の訪れを告げる風物詩・六月灯の中でも規模の大きい宮崎県都城市・神柱宮の六月灯に合わせ、おかげ祭り(同祭り振興会主催)が九日夜あった。おはやしを先頭に編成したみこし連には約四百人が参加。今年は高さ約四メートルの大灯ろうが初登場し、祭りを盛り上げた。
 みこし連はJR都城駅前広場を出発。けやき通りなどを通り、神柱宮までの約一キロを練り歩いた。法被姿の参加者は「どっこい、どっこい」と威勢のいいかけ声を響かせ、みこしを担いだ。
 平日にもかかわらず、浴衣姿の女性や家族連れが沿道を埋め、迫力ある行列を見守った。中にはカメラやビデオで撮影する市民の姿も見られた。また境内の仮設舞台では太鼓の演奏を披露。最後に花火が夜空を彩った。
 おかげ祭りは、地域おこしを目的に一九九三年から実施。実行委の増田裕三委員長(45)は「灯ろうは都城らしさを出すために作った。毎年新しいものが加わり、確実に成長している」と話していた。

 

◆「のべおか七夕まつり」始まる (宮崎日日新聞:宮崎市)

http://www.the-miyanichi.co.jp/news/index.php3?PT=2&DT=20010711

 延岡に夏を告げるのべおか七夕まつりは七日、宮崎県延岡市の山下銀天街で始まった。アーケードに華やかな七夕飾りや見立細工約七十点が並び、訪れた人の目を楽しませている。十五日まで。
 見立細工は商店街各店や保育所、デーサービスセンターも出品。ドラえもんやトトロなど、アニメの人気キャラクターのほか、童話、映画の一場面を再現した動く見立細工も登場。子どもたちが歓声を上げながら見入っている。
 七日は茶道裏千家淡交会宮崎支部ひむか青年部によるチャリティー茶会もあった。また、期間中はごもくろ広場で、二二・七センチ×一五・八センチ以下のサムホールサイズの絵画を集めた展示即売会も開かれる。

 

7月10日

◆尾花沢・袖原3遺跡再調査 石器3点ねつ造の疑い (河北新報:仙台市)

http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2001/07/20010710J_12.HTM

 東北旧石器文化研究所(多賀城市)の藤村新一前副理事長(51)による石器発掘ねつ造問題で、宮城県尾花沢市の袖原3遺跡を再調査していた同市教委は9日、1993、94年に発掘、旧石器が見つかったとされた区域から新たに出土した石器3点すべてにねつ造の疑いがあると発表した。
 石器は5日に1点、6日に2点、いずれも藤村氏らが調査した第一・第2次調査区域から出土した。3点は一辺3−5センチのほぼ直方体で、頁(けつ)岩製などのはく片とへら状石器。それぞれに石器特有の加工跡が見られた。
 これらの石器の出土に際し、出土位置に接して移植ゴテを使ったような半円すい形のくぼみが明りょうに残っていたり、石器が埋まった時代とは明らかに異質の軟らかい土が周囲から見つかったりした。
 同遺跡発掘調査検討委員会の戸沢充則委員長(明治大教授)は「極めて不自然で、人の手によって埋められた疑惑がある」と説明した。袖原3遺跡では97年、藤村氏らの調査で約10万年前の石器が出土し、約30キロ離れた宮城県色麻町の中島山遺跡の石器と切断面が一致する「接合石器」であると報告された。今回、人為的痕跡のある石器が見つかった地点とは約30メートル離れた場所ではあるものの、戸沢委員長は「未調査なのではっきり言えないが、(ねつ造の)疑いは濃い」と語った。
 藤村氏は昨年11月、2000年に調査した上高森遺跡(宮城県築館町)と総進不動坂遺跡(北海道新十津川町)の2件でねつ造を認めた。しかし、福島県安達町の一斗内松葉山遺跡で5月、ねつ造の疑いのある石器2点が見つかったことから、ねつ造工作は他の遺跡でも広く行われていた可能性が指摘されていた。
<袖原3遺跡>尾花沢市役所から東に約6.5キロの丘陵地にある50万−10万年前とされる前期、中期旧石器時代の遺跡で、東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長らが発見した。93−99年まで同研究所と東北福祉大考古学研究会の調査団が発掘していた。97年に出土した約10万年前の石器が、奥羽山脈を越えて約30キロ離れた中島山遺跡(宮城県色麻町)で見つかった石器の断面と一致。離れて出土したケースとして世界最古、最長距離で、中期旧石器時代の人類の移動生活を裏付ける資料と注目された。

 

◆袖原3遺跡再調査 8年以上前からねつ造か (河北新報:仙台市)

http://www.kahoku.co.jp/NEWS/2001/07/20010710J_11.HTM

 旧石器の発掘ねつ造問題で、今年5月の一斗内松葉山遺跡(福島県安達町)に続き、尾花沢市の袖原3遺跡でも9日、出土した石器に人為的な痕跡が確認された。再調査によって相次いで疑惑が裏付けられたことに、関係者は「前期旧石器遺跡のほとんどで学問的価値がなくなるのでは」とショックを隠し切れない。袖原3遺跡の再調査では、ねつ造が少なくとも8年前までさかのぼることを示しており、ねつ造疑惑がさらに広がる可能性がある。
 尾花沢市延沢の発掘現場であった記者会見で、同遺跡の発掘調査検討委員会の戸沢充則委員長(明治大教授)は「甚だ残念で、悲しい結果となった。発見された石器3点はいずれも明らかにねつ造されていた」と切り出した。
 再調査は、東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長らが1993、94年に石器100点余りを発掘した第1次・2次調査区域とは別の隣接区域で、旧石器を見つけて「ねつ造疑惑」を晴らすのが目的だった。だが、再調査区域で石器は一つも見つからず、第1次・2次調査区域から人為的痕跡のある石器が偶然見つかる皮肉な結果となった。
 共立女子大の竹岡俊樹講師(先史考古学)は「軟らかい地質に等間隔に埋まっているなど、(藤村氏の発掘した石器は)全遺跡で同じ特徴がある」と指摘。戸沢委員長も「石器に土が付着していない状況などは、一斗内松葉山遺跡と同様。ねつ造の手法としては同じで、疑惑がある点がはっきりした」と肩を落とした。
 藤村氏がねつ造を認めたのは、上高森遺跡(宮城県築館町)など2000年に調査した二遺跡だけだった。99年調査の一斗内松葉山遺跡に続き、93年の袖原3遺跡で人為的痕跡が見つかったことから、ねつ造工作は早い時期から行われた可能性も出てきた。
 上高森遺跡などの再検証を目的に、宮城県考古学会が5月に設置したねつ造問題特別委員会の辻秀人委員長(東北学院大教授)は「何年にもわたり、藤村氏がねつ造をしていた疑いが濃くなった。今後の検証作業は厳しさを増すだろう。これでは前期旧石器時代の存在自体が揺らぎかねない」と頭を抱えている。
<驚くと同時に落胆 東北旧石器文化研究所の鎌田俊昭理事長の話>
 8年も前の調査区域で石器が不自然に出土したとは、ショックで言葉にならない。驚くと同時にがっかりした。再調査は日本考古学協会という第三者にゆだねた。われわれは何もできず歯がゆいが、指示を待っている状態だ。

 

◆伊能忠敬の地図確認−石川県内初、小松の那谷寺に写し (北國新聞:金沢市)

http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20010710001.htm

 日本で最初の実測日本地図を作成した江戸時代後期の測量家伊能忠敬の「伊能図」の写しが石川県小松市の那谷寺で確認された。伊能忠敬研究会(東京)によると、写図が県内で確認されたのは初めて。写図は十年前まで大聖寺藩士の末えい宅に保管されていたことから、同会は同藩が日本地図に興味を寄せていたことを示す貴重な資料としている。
 写図は縦二一五センチ、横二五四センチ。「日本東部沿海地図小図」と呼ばれ、蝦夷地南岸から琵琶湖東岸までの範囲で、海岸線や街道、宿場町の名前、各地の距離、緯度や経度などが記されている。大聖寺藩士の子孫である加賀市大聖寺敷地、造園業敷村友行さん方の土蔵で十年前まで保存されていたが、土蔵の解体の際に那谷寺に寄進された。
 調査に当たった伊能忠敬研究会員で金沢学院大図書館職員の河崎倫代さんと同会代表理事の渡辺一郎さんによると、地図のコンパス部分の形が以前に確認された伊能図の写図と一致し、隅に「文化元年甲子八月伊能勘解由謹図」と記されていることから、写図と分かった。
 渡辺さんによると、原図は焼失したが、同図の写図は一九九九(平成十一)年に加賀藩五代藩主前田綱紀の蔵書保管所である尊経閣文庫(東京)や神戸市立博物館など全国でも十枚前後しか見つかっていないという。
 河崎さんは写図には未解明の部分が多いとしながらも「大聖寺藩に先見の明があったかのかもしれないが、幕末に海防のために加賀藩と同時期に写図を入手した可能性もある」と推測している。
【伊能図】伊能忠敬は一八〇〇(寛政十二)年から十六年間、十回にわたり全国四万キロの測量調査を行った。加賀・能登を測量したのは一八〇三(享和三)年の第四次測量。伊能図は、縮尺別に三種があり、今回確認されたのは小図の写図。

 

◆万灯祭とほおずき市 厄よけ観音・法多山 (静岡新聞:静岡市)

http://www.sbs-np.co.jp/shimbun/topicsbkn/20010710tpc.html

 厄よけ観音で知られる静岡県袋井市豊沢の法多山尊永寺で九日、縁日「万灯祭」が始まった。恒例のほおずき市も併せて始まり、境内は暑さが緩んだ夕刻から、多くの参拝者でにぎわいを見せた。
 「万灯祭」は、一日お参りするだけで四万六千日参拝したと同じ御利益があるとされる特別な縁日。宵祭りの九日は午後五時すぎに法要が営まれた。本堂前に設置した約千三百基の灯ろうに明かりが入り、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。

◆大しめ縄張り替え 那智の滝 落差133メートル、スリル満点(紀伊民報:田辺市)

http://www.agara.co.jp/DAILY/20010710/20010710-4.html

 和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社で9日、14日に開かれる「那智の火祭り」を前に、落差133メートルを誇る那智の滝、滝口にあるしめ縄が張り替えられた。
 本殿での神事の後、白装束に烏帽子(えぼし)姿の神職5人が、白木綿で編み上げた大しめ縄(長さ26メートル、重さ4キロ)を担ぎ、約2キロの急な山道を登って滝口へ。水ごけを踏んで滑らないよう足場を慎重に確かめながら、命綱もつけずに身軽に作業を展開。約30分かけて、古いしめ縄を真新しいしめ縄に張り替えた。

 

◆伝統の行事、7年間休止状態 石井町・曽我氏神社の神踊り (徳島新聞:徳島市)

http://www.topics.or.jp/Old_news/n010710.html#news07

 徳島県石井町石井の曽我氏神社に伝わる町無形文化財の神踊りが、一九九四年を最後に行われなくなっている。少子化で踊り子の小学生が減り、指導者も高齢化したのが主な理由。復活の見通しは立っておらず、伝統の行事がこのまま消えていってしまうのではと関係者を心配させている。
 神踊りは、同神社のある城ノ内地区の氏子が無病息災と豊作を祈る行事で、八月に行われる。音頭司役や大人の歌に合わせて、十数人の子供が小太鼓を打ちながら舞う踊りで、一八〇四(享和四)年が起源とされている。日本各地の風物を取り入れた歌詞と複雑な太鼓の拍子が全国でも珍しく、一九六一(昭和三十六)年に町無形文化財に指定された。
 踊り子役を務めてきた城ノ内地区の子供が通う石井小学校の児童数は最も多かった四六年には千百二十一人だった。しかし、その後減少して現在は五百八十七人。その上、塾通いやクラブ活動に忙しい児童が増え、練習に時間のかかる神踊りは敬遠されがちになった。
 その一方で、指導者も高齢化。病気になったり、亡くなったりしている。神踊りを指導してきた元教員の田村正明さん(79)は「指導できるのは、私のほかに一人いるかいないかだろう」と話す。その田村さんも九三年に心筋こうそくを患い、今も通院している。指導者を志す若い世代も育っていない。
 神踊り復活への氏子の熱意も減退気味になっている。踊り子の確保や食事の接待などに手間が掛かるためだ。また、神踊りを実質的に運営していたのが、氏子の中でも「当組」と呼ばれる組織に入っていた家に限られていたのも、機運が盛り上がらない一因になっている。当組はわずか四十四戸しかなく、当組以外の人たちと神踊りに対する思い入れに温度差があるという。
 神踊りが催されなくなって既に七年が経過、この状態が長く続くようだと、やがて文化財指定も解除せざるをえなくなる。平尾亮同町教育長は「休止状態になっているのは非常に残念。再開に前向きな方向で地元と協議をしたい」といっている。

 

7月8日

◆日本庭園の源流に興味津々 飛鳥京跡苑池で現地説明会 (奈良新聞:奈良市)

http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0037.html

 日本庭園の源流を示す中島が見つかった奈良県明日香村岡の飛鳥京跡苑池で7日、現地説明会があり、考古学ファンら約1000人が訪れた。
 斉明天皇の時代に築かれたとされる庭園跡で、県立橿原考古学研究所が調査を続けている。周囲を石で護岸し、松を植えた中島が新たに見つかった。
 この日は、調査を担当した卜部行弘主任研究員が1時間おきに遺構の概要を説明。参加者は中島に残る大きな松の根を熱心に眺めていた。

7月7日

◆キトラ 秋にも予備調査 保存・活用へ調査研究委発足 (奈良新聞:奈良市)

http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0036.html

 国内で初めて朱雀の壁画が見つかったキトラ古墳(奈良県明日香村阿部山)の保存と活用について話し合う「特別史跡キトラ古墳の保存・活用等に関する調査研究委員会」が発足。6日、東京で第1回委員会が開かれた。委員会ではキトラ古墳の調査について、壁面の保存処理や発掘を行う本調査に向けて、この秋にも小型デジタルカメラを用いた内部の壁画の予備調査を実施することを確認した。
 文化庁長官の私的諮問機関で、考古学者や保存科学の専門家ら21人で構成。県内の研究機関からは、町田章奈良文化財研究所長や河上邦彦県立橿原考古学研究所副所長らが参加している。
 この日の委員会には佐々木正峰文化庁長官も出席。漆喰(しっくい)のはく落が進む石室の現状について同庁の職員が説明した後、委員らが自由に意見を交換した。座長には藤本強・新潟大教授を選出。
 委員からは、保存対策の緊急性を指摘する意見が相次ぎ、保存科学の専門委員でワーキンググループをつくって具体策を話し合うことになった。同庁記念物課は「保存に影響を与えない範囲で公開も必要」と話しており、壁画の保存と公開を両立させたい考え。
 キトラ古墳は7世紀末−8世紀初めごろの円墳で、平成10年と今年3月に行われた石室内のカメラ調査で、四方の守護神「四神」の壁画がすべて確認された。
 壁画の下地に塗られた漆喰は、はがれ落ちたり浮き上がるなどしており、早急な保存対策が必要とされている。この日の委員会でも、オブザーバーで出席した明日香村の関義清村長が「壁面の保存処理が一番大切で、一日も早く保存を進めてもらいたい」と訴えた。

 

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