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〜行程〜 8月28日(木) 京都駅 11:00 集合 北
山 → 京都美山(昼食)→ 土御門家墓所(大飯郡おおい町名田庄納田終) 8月28日(木)(第一日目) 京都11:00発
天気は小雨。今週は、予報では全国的に雨模様。ひどい降りにならないことを祈るだけ。 バスは地元のバス会社。京都若狭はお任せ。 京都市内から、花園を抜け、いわゆる周山街道を京都の出発点から 小浜の終点まで辿ることになる。 高尾、清滝を通って高山寺の下の茶店で小休止。 小雨模様の北山杉のスギ林は都会の喧騒を避けて正に森林浴。心も 洗われる。 最近京都市に編入された京北町や美山町を通り、堀越峠のトンネル を抜けると、福井県おおい町名田庄(なたしょう)に入る。 名田庄村は平成18年に大飯町と合併し、おおい町となった。 名田庄と言えば、我々世代にはフォークソングの先駆者高石友也が 移り住み、ナターシャセブンというフォークグループを結成した福井県の僻地の村として記憶に残っている。 その時の印象などから、随分山奥のようなところだと想像していた が、名田庄は、京都府の県境からかつての大飯町、小浜市まで随分広い範囲を占めており、大飯町に近づくにつれて新興住宅なども増えてくる。 名
田庄の陰陽道は、安倍清明の子孫で応仁の乱の戦火を蒙った安倍有宜が、知行地であったこの地に分霊を遷宮して祀ったのが始まりとされる。安倍有宜は、江戸
時代に神道の陰陽頭として幕府に重用され、その後、有春・有脩・久脩と、この地で陰陽道及び、天文・暦・易の三道をつかさどっていたと伝えられる。
名田庄の川沿いに暦会館の大きな看板を掲げた建物があり、安倍有宜か ら始まる安倍(土御門)氏の資料などが収蔵展示されている。 暦 会館の少し先の山裾に、土御門家の墓所と安倍清明が中国から勧請したという陰陽道の神、泰山府君を祀る加茂神社がある。神社の前には、四方に四神を表す四 色の鳥居を建てた土俵があり、ここで神事を行ったという。大相撲の土俵の上方四方に設けられる鳥居は、これが起源とされるという。 国道脇にたてられた天社土御門神社本庁の看板も倒れたまま放置さ れており、暦会館も訪れる人も少ない。 土御門家墓所 加茂神社 妙楽寺 ● 本堂 重文 寄棟造 桧皮葺 鎌倉時代
初期 お寺までの道路は少し変わっているが、境内に入ると、昔訪ねたままの風景が迎えてくれる。
本堂の屋根は最近葺き替えたそうで美しい。 ご住職のお話では夜にはむささびが木から屋根に飛び移り、自分の 巣の材料とするのか、葺替えたばかりの屋根のカヤをむしり、穴を開けるそうだ。 本堂内は外陣と内陣を仕切る格子戸が取り払われて、扉を開いた厨 子の本尊千手観音立像を拝観することができる。ご住職としては、地震等もあって本当は厨子の扉を閉めておきたいそうだが、県や市が公開の原則を盾に許して くれないそうだ。 本尊千手観音立像は、実際に千本の手を彫り出した像で、42臂の 本手に間に958本の小さな手を取り付けており、厨子一杯に安置されている。 上には沢山の化仏を付け、本面を含め、二十四面と言われる。 全身の金箔も良く残り、若狭地方の中でも一、二を争う優美な像で ある。 本像は昭和30年に解体修理されているが、美術院の西村公朝氏が 当地に来られ、本尊像を地蔵堂に移してそこで修理したそうだが、その際は本尊を仰向けにして背中に背負い、頭と足を他の人が支えて、厨子の背面から搬出し たという。 厨子の背後には、上部の棚に小さな二十八部衆像が並べられてい る。 本堂の左脇にある地蔵堂には、左足を垂下した延命地蔵像が安置さ れている。藤原時代の円満具足の優美な像で、背面には堂一杯に小さな地蔵菩薩像が千体仏のように並べられており、壮観である。 千手観音立像 地蔵菩薩坐 像
● 大日如来坐像 重文 像高
251.5cm 藤原時代後期 円照寺は全く佇まいを変えていない。
本堂前に咲く可憐な金杯草が残り花を咲かせている。 以前に訪ねた時も、境内一杯に咲いていたことを覚えているが、ご 住職のお話では、一時期全く咲かなくなったが、参道の脇に敷石を設置したところ、根に適度に水が浸透して咲くようになったという。これも水がまわり過ぎる とダメで、難しいものだそうだ。 ま た、境内にはたくさんの桶に植えられた蓮が、花がほぼ終わり、黒い大きな実をつけた蓮がいくつも並べられている。中に花が終わったばかりの緑色の実をつけ たものがあり、「蓮の実を食べたことがあるか」と、ご住職が蓮を割ってまだ青い蓮の実を下さった。やや厚めの皮を剥くとそのまま食べられるそうで、口に入 れるとやや甘い生の栗の実のような懐かしい味がする。 黒くなった実も炒ると香ばしく美味しいそうだ。 金杯草 蓮の実 本堂には、須弥壇の中央に丈六の大日如来坐像、左に不動明王立 像、右に観音立像が安置されている。地蔵菩薩立像は、現在は小浜市歴史資料館に寄託されている。資料館には不動明王立像のレプリカもあるそうだ。 大日如来坐像は、巨像ながら余り威圧感を感じさせない穏やかな像 で、藤原時代も盛期を過ぎた頃の像と思われる。 不動明王立像は、面相部の補修痕が白っぽく見えてやや迫力を減じ ているが、全体的なバランスもよく、中央風の像である。 今日は早めに宿に入り、夕食までゆったりと過ごす。 ホテルは、小浜駅から少し離れた小浜湾に面した比較的新しいホテ ルで、周りにはお店もあまりないが、隣に併設した結婚式場の7階に展望風呂があり、そこから夕焼けを眺めながら、温泉気分に浸れる。 岩牡蠣や若狭グジ(アマダイ)の塩焼き、といった、ここならでは の海産物がなかなか美味しい。 でもちょっと食べ過ぎだったかも。
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