辺境の仏たち

高見 徹

 

第一話  大分・天福寺の天平仏

  国東半島は、地形的には、両子山(ふたごやま)を中心とした鐘状火山で、両子山から放射状にのびる深い谷は海岸までのび、「豊後国風土記」に景行天皇の言葉として、「此の国は道路遥かに遠く、山と谷とは阻深にして往還疎稀なり」と記されるように、わずかな平地に点在する村の相互の交通も容易ではなかった。今でこそ、新空港もでき、半島外周を巡る道路は整備されてはいるが、中腹をつなぐ道路は未だ少なく、史跡を訪ねるにも、その都度海岸沿いに戻らねばならない。このような地形も手伝って、国東半島は、独特の文化を造り上げてきた。
この地は古くから、全国の八幡神社の総本社である宇佐神宮(宇佐八幡)の勢力下にあり、古代から中世にかけて半島全体が宇佐八幡の神宮寺としての役割を果たしてきた。半島全体に28ヶ寺を置き、宇佐八幡に近い側から本山、中山、末山と分け、それぞれに本寺、末寺が設けられた、六郷満山(ろくごうまんざん)と称する組織である。これらは、密教の山岳寺院組織として、修験道とも結びつき、国東半島特有の発展をとげた。熊野磨崖仏から六郷全山185ヶ所の霊場を巡り両子山を結縁とする六郷満山峰入りの荒行も江戸時代末まで行われていたという。(近年、この峰入りを復活させている)。

 六郷満山の寺院の多くは仁聞菩薩により奈良時代に開かれたと伝え、実際に奈良時代に遡る伽藍趾や瓦、せん(土偏に專)仏などが出土している。しかし彫像としては、国東半島から大分、臼杵にかけて磨崖仏及び石仏をはじめとして多くの文化財が残されているものの、これらのほとんどが、平安時代後期から鎌倉時代にかけてのもので、六郷満山文化の発祥を物語る奈良時代の遺品は、わずかに、豊後一宮祚原八幡宮に伝わる金銅如来立像だけでほとんど伝えられていない。
今回訪れた天福寺は、宇佐八幡の南西約10kmの宇佐市黒にあり、近年、奈良時代の塑像が発見されたことで知られる。伊呂波川の右岸の小高い山のふもとに、奥の院への入り口を示す小さな木柱が立てられており、一段上がった所に里坊であろうか、荒れ果てて床も抜け屋根もくずれかかった建物がある。奥の院へは、ここから苔むした石段を登る。石段に続く急な山道を20分程度登ると右手の視界が急に開け、伊呂波川と広々とした田んぼが目の前が広がる。目指す仏像群は、左側に大きく迫り出した岩窟の中に安置されている。岩窟には格子戸がはめられ、手前は板張りの舞台がせり出している。仏像群は、この吹きさらしの状態で幾年にも渡って放置されたらしく、表面は摩滅し、顔や手足も欠けた像も多い。

 奈良時代の塑像とされる三体の像は、現在は平成10年に新装なった県立歴史博物館(旧歴史民俗資料館)に保存されている。如来坐像を中尊とする三尊像であるが、中尊は体部と右膝部を残すのみで摩滅が激しく、尊名はもとより像容も判然としない。しかし、構造は、木心を十字にしてこれに紵麻の縄を巻き、この上に藁を混ぜた粗土で形を造り、表面を雲母を混ぜた目の細かい精土で仕上げるという、奈良地方で造られた塑像とほぼ同じ造像法であることが分かる。また、脇待の二体は同様に頭部、手足を欠くが、胸部から下半身にかけては摩滅も少なく、天平の造形美が伺える。腰をひねり片足を遊足とする肉付きのよい体躯や、胸前の条帛や腹前、両腰脇の柔らかな衣文線、膝前の折り返しなども破錠なく写実的に表わされており、頭部や手足が残されていればどんなに優美な像であったろうと思う。

 塑像は、全国的に見ても、奈良地方以外にはほとんど遺品が無く、この時代の塑像としては、東大寺戒壇院の四天王像、三月堂の執金剛神像、伝日光・月光菩薩像などが著名であるが、これらと比較しても、技法、像容とも遜色なく、奈良の仏師による造像であることが推測される。当時宇佐八幡は東大寺の大仏建立に深く関わっており、朝廷との間で人的、物的交流も盛んであったことが記録に見える。また、福岡・観世音寺の木造不空羂索観音像の胎内から塑像の断片が発見されているが、胎内銘から、本来奈良時代の塑像でありこれが倒壊したために鎌倉時代に木造で作り直されたことが分かり、当時、この地に仏師集団が訪れ、造像に携わったことが想像できる。

国東半島の先端にある姫島は古代より黒曜石の産地として知られており、あるいは、この像にも戒壇院の四天王像に見られるように、黒曜石の瞳が埋め込まれていたのであろうか。

これら三体以外の像は、現在も岩窟の中に安置されている。これらはほとんどが平安時代の一木造の木彫像であり、全部で七十数体を数える。塑像同様摩滅が激しいが、両腿を隆起させ衣文をY字型に表わす平安時代に特徴的な様式を示している。尊像の種類は一般的に観音や武人天部像(四天王等)が多いのが通例であるが、ここでは、五穀豊穣の仏である吉祥天像と見られるものが十数体を数え、視界に広がる青々とした田んぼとの取り合わせに納得できるものがある。

 

            

      右脇侍像              左脇侍像     

 

宇佐市黒 バス宇佐本耶馬線 岩鼻橋下車北500m
 


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