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埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第九十五回)
第十九話 仏像を科学する本、技法についての本
〈その2〉 仏像の素材と技法〜金属・土で造られた仏像編〜
【19−7】
(3)金仏・銀仏
古代の「純金の仏像」というのは、遺品が大変少なく、我が国では3体で、いずれも3〜4cmの掌中に納まる程度の小さな像である。
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大峯山寺 金造阿弥陀仏 |
ひとつは「大峯山頂遺跡」から発掘された金製阿弥陀如来坐像・金製菩薩坐像の2体。昭和58年〜61年に大峯山寺本堂解体修理に際しての発掘調査で、鏡
像、懸仏などと一緒に見つかった、平安時代10世紀のものである。
もうひとつは、山口・楞厳寺に伝わる菩薩坐像で、これも平安時代のものだ。
韓国でも、新羅時代のものとしては、小仏像2体(皇福寺址出土)があるだけで、金色の金銅仏が盛んに作られていた時代、純金の仏像はあまり造られなかっ
たのかもしれない。
一方、銀仏は、金の対となる銀ということであったのか、金より廉価であったためか、我が国でも数多く造られたようで、平安時代には、記録上は金銅仏より
銀仏制作の記事が多いそうだ。
銀の鋳造は、スが出来やすく、難しいといわれる。
また、銀仏は、そのままではなく鍍金を施して、金銀像として安置されることが多かったともいわれる。
銀仏遺品で最も有名な名品は、東大寺法華堂の不空羂索観音像の宝冠化仏。
統一新羅の金銅仏に近似する8世紀の名作だ。
因みに、この銀仏と宝冠は、昭和12年2月盗難に遭い、6年後の18年9月漸く犯人を捕まえて、無事寺に戻ってきたという因縁の仏像。
ほかには、昭和12年、興福寺東金堂床下から発見された、銀製仏手が知られる。あの有名な白鳳の名品、興福寺(旧山田寺)仏頭と、一緒に見つかったもの
で奈良時代の作。
仏手だけで51.4cmもあり、等身に近い像であったと想像され、大きな銀仏も造られたことがわかる。
また、滋賀浄厳院には、阿弥陀如立像(鎌倉・15cm)が遺されている。
三月堂 不空羂索観音像宝冠と銀像化仏
(4)押出し仏
押出し仏は、打ち出し仏とも呼ばれ、銅板に仏菩薩の像を半肉彫り浮き出された銅像で、飛鳥・白鳳・天平時代を通じて、民間の人々の礼拝の対象や念持仏と
して、制作されたようだ。
最も有名な押出し仏は、法隆寺の厨子入り阿弥陀三尊及び二比丘像(白鳳・38cm›)。厨子の中に貼り付けられて信心されたと思われる。
押出し仏は、こうした信仰のされ方のほかに、厨子の内壁を飾る装飾や、寺の堂塔の内壁を荘厳するものとしても制作された、
法隆寺・玉虫厨子宮殿部の内部の一面に打ち付けられた千体仏は、こうした用途の遺品の最古のものである。
押出し仏の技法について、簡単に見てみよう。
雄型の上に銅の薄板を置いて、その上から木槌で叩き浮き出し、さらに表から木鏨などを用いて、細かな形を打ち出す。他に、雄型から鉛や錫で簡単な雌型を
取り、雄型と雌型との間に薄板を入れて、大きい金槌で雄型を叩いて打ち出して制作する。
押出し仏の原型と考えられるものが、法隆寺や正倉院などに数点残されており、いずれも雄型である。
押出し仏の遺品は、数十点しか残されていないが、同じ型から制作されたと推定される遺品が多く、一つの型からかなりの数が量産され、安価に人々に別けら
れたのではないかと考えられている。
先に記した、法隆寺の厨子入り阿弥陀三尊及び二比丘像も、同型からの打ち出し仏と推定されるものが、東京国立博物館にあり、博物館像のほうが、法隆寺像
に比べて、影像が鮮明の浮き出ており、先に制作されたものとみられている。
押出仏 阿弥陀三尊及び二比丘像 【法隆寺 厨子入り像】 【東京国立博物館 同】 押出仏 仏像型 【法隆寺三尊像】
押出し仏についての本としては、
先に紹介した、
「至文堂 日本の美術」シリーズの「押出仏と仏 日本の美術118」久野
健編(S51)
が、単行本としては唯一で、最も詳しい。
そのほかには、
「押出仏と仏像型」 (S58) 奈良国立博物館刊 【44P】
本書は、奈良国立博物館で開催された同名の特別陳列展の解説図録。
三森正士による「押出仏と仏像型」と題する解説論考が所載されているとともに、約40点の押出仏、仏像型の写真・解説が掲載されている。
「仏教美術論考」 三森正士著 (H10) 法蔵館刊 【337P】 22000円
「仏と押出仏」という論考が46ページに亘り収録されており、
仏像型や製作技法等について述べられている。
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