埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第六十二回)
第十四話 地方佛〜その魅力に ふれる本〜
《その6》各地の地方佛
ガイドあれこれ 【中国・四国・九州地方編】
【13−5】 3.九州地方の仏像
九州地方は、中国、四国地方にくらべて、これといった平安木彫の優作が少ないように思うが、そのなかで私の好きな仏像を選んでみると、
観世音寺の諸像は、別格番外として、
NO1は、福岡鞍手郡、長谷寺の十一面観音像
NO2は、福岡糸島郡、浮嶽神社の薬師如来ほか諸像 NO3は、大分豊後高田市、国東半島の熊野磨崖仏
この仏像たちがBEST3になったが、いかがだろうか?
鞍手町長谷にある長谷寺は、福岡
と小倉の中間辺り、遠賀川沿いの炭鉱の街・筑豊直方からそう遠くない所にある。 私が、同好の人たちとこの長谷寺を訪れたのは、今か
ら2年ほど前、H16年の秋のことであった。 長谷寺・十一面観音像については、これまで写真では知っていたが、さほど大きな期待を
していない仏像であった。 「まあこの像も、平安中期仏のひとつとして観ておくか」 こんな気持ちで長谷寺を訪
ねたのだが、ご住職に案内され、お堂で十一面観音像を拝し、その堂々たる力強い姿を眼の当たりにした途端、「私の好きな九州の仏像NO1」に、一気にラン
クアップしてしまった。 「ドーンと腹に応えるように、迫ってくる。それも、鋭利な刃物で切り込んでくるといったものではなく、鉈で
ドスンと打ち下ろしてくるような重厚なパワーを感じる。」 そんな魅力を訴えてくる仏像であった。 びっくりす
るほどに太く造られた腕、グリッと抉られ粘るようにうねる衣文、引き締まってはいるが何処か固い感じのするモデリング、そのそれぞれがこの仏像の力強さを
誇示しているようで、その迫力に引き込まれてしまう。
じっくりと拝していると、 「この
十一面観音は、古代の金銅仏を手本にしたりイメージしながら、貞観仏の手法、形式で造った仏像なのじゃないだろうか?」 あり得ない
こととは思いつつ、そんな気持ちになって来る。
それは、この像がクスノキという堅材で造られていること、顔面
や肌の表現がなにか金属質な感じをさせること、両眉を連続させた表情や姿態に異国的・外来的要素を意識させることなどが、そんな気分に誘い込むのかもしれ
ない。
単なる貞観彫刻が地方化した仏像という概念では捉えきれない、不思議な魅力を発散する仏像である。
長谷寺・十一面観音像
NO2
は、浮嶽神社の仏像。
浮嶽神社は、筑後富士と呼ばれる「浮嶽」の中腹にある。頂上には、浮嶽神社上宮という社
があり、航海の神として祀られている。 浮嶽からは、すばらしい眺望が開け、眼下に唐津湾や虹の松原を望み、はるかに玄界灘を見晴る
かすことが出来る。 そしてまた、浮嶽神社では、この美しい景色にふさわしいような、伸びやかな古佛たちに出会うことが出来る。
地蔵菩薩立像、如来立像、仏坐像の3体が、重要文化財に指定されているが、まさに、オーソドックスな平安前期仏。ゆったりと落ち着いた気分で、そのすばら
しさに触れることが出来る。 それぞれの造像時期には違いがありそうだが、奈良・中央の優作である元興寺薬師像や橘寺日羅像、融念寺
地蔵菩薩像といった、いわゆる典型的貞観木彫の系譜の延長線上にある像だ。 伸びやかで堂々たる量感、厚い肉取り、力強い彫りや衣文
の処理など、しっかりバランスよくまとまった造形の像で、「ああ、九州にも中央の貞観の息吹が、そのまま伝わったのだなー」と、素直に好きになれる仏像た
ちだ。
浮嶽から望む玄海灘 浮嶽神社・如来立像 浮嶽神社・収蔵庫
NO3
は、国東半島の熊野磨崖仏。
熊野磨崖仏・大日如来は、峻厳ともいえる厳しい眼で、はるか遠くをキリッと見つめ
ていた。 そして「強面」の圧倒的な迫力をもって、私の前に迫ってきた。 「厳しく深い精神性」というのは、こ
んな表情のことを云うのだろうか? この巨大な石仏の前に立ち、有終の彼方を見つめるような厳しい眼つきを、じっと見ていると、なに
やらこの大日如来の「気」に吸い込まれ、魅入られてしまいそうな気がした。 平安期の造像といわれ、彫刻造型的には、それ程までに優
れているとう訳ではないのかも知れないが、厳しい気迫がこもった磨崖仏像だ。
熊野磨崖仏を訪れたのは、私がま
だ学生の頃であった。 国東半島のど真ん中、六郷満山の本山本寺、真木大堂の平安仏を拝し、その夜は真木大堂の傍で泊まった。
炎暑という言葉が、そのままあてはまるような真夏、8月であった。 翌朝、暑くならぬうちにと、朝6時過ぎから皆で熊野磨崖仏まで出
かけた。 真木大堂から30〜40分歩くと、六郷満山の拠点のひとつであった胎蔵寺にたどり着く。 そこから山
道を抜け、鬼が一夜で築いたとの伝説をもつ乱石階段の急坂を、汗を拭き々々10分ほど上りつめると、左側に大きく視界が開け、巨大な岩壁に刻まれた二体の
磨崖仏が姿を現した。 不動明王は8メートル、大日如来は7メートル程の巨像。 大日如来像の前に立ち厳しい表
情の姿を見上げると、その威圧感に、朝一番から強烈なストレートパンチを喰らったような衝撃を感じた。 当時は柵も無く、すぐ傍まで近
寄れた。 出会いのインパクトが、余りに大きかっただけに、その時の感動の記憶が、今に至るまで心の中で増幅しているのかもしれな
い。
熊野磨崖仏への乱石階段
熊野磨崖仏大日如来 熊野磨崖仏
さて、九州の仏像について、纏まっているのは次の2冊。
「仏像を旅する〜九州・沖
縄〜」 八尋和泉編 (H4) 至文堂刊 【320P】
九州・沖縄8県の仏像に
ついて、県別に当地の博物館学芸員などの執筆により、解説されている。
「九州仏教美術百選」西日本新
聞社編集発行 (S54) 【216P】
本書は、西日本新聞文化欄に100回に
わたり連載されたものを単行本化した本。 題名のとおり、九州の仏教美術の名品100件をセレクトして、写真図版に判りやすい解説を付
したもの。 仏像、仏教絵画、経典、金工品等が採り上げられており、仏像は40余件が収録されており、九州の仏像の名品は、おおよそ
知ることができる。 執筆は、八尋和泉ほか九州大学美術史研究室の関係者15名。
この秋(H18)、福岡市立博物館で、弘法大師帰朝1200年記念特別展ということで、充実した仏像展が開催された。
私がBSET3に挙げた、長谷寺の十一面観音、浮嶽神社の地蔵菩薩像をはじめ、九州最古の木彫像と云われる福岡・若杉観音堂千手観音像や、佐賀・常福寺帝
釈天像、福岡・八所神社十一面観音像などの平安前中期仏が出展された。 また、近年注目されている福岡・小田観音堂の大型像、十一
面・千手・不空羂索の三観音像など、福岡県・佐賀県を中心とした主だった古佛が80余躯出陳され、大変見ごたえのある展覧会であった。
「空海と九州のみほとけ」空海
と九州のみほとけ展実行委員会編集発行 (H18) 【240P】
本書は、この企
画展の図録。 この図録は、各仏像の正面写真に加えて、左右後ろなど4つの角度からの写真が掲載され、丁寧な解説文が付されている。
大変に嬉しい、充実した図録で必携。
【福岡県の仏像】
福岡県では、先にあげた長谷寺、浮嶽神社をはじめとする諸仏像のほかには、観世音寺の諸像、
豊前市狭間千手観音堂の千手観音像、福岡市東長寺の千手観音あたりが平安仏として注目される像だろう。
「福岡県の文化財」
福岡県教育委員会編集発行 (S43) 【503P】
明治百年記念事業として出
版、県内国指定重文、県指定文化財のすべてを掲載した図録・解説。 仏像は、65ページを使って、重要文化財48件、県指定文化財
30件が収録されている。
福岡市東長寺・千手観音立像
「観世音寺」谷口鉄雄著
(S39)中央公論美術出版社刊 【40P】 「観世音寺重要文化財仏像修
理報告書」 (S35) 筑紫観世音寺重要文化財保存会刊 【202P】
鎮西の名
刹・観世音寺、その建立発願は天智天皇の時代に遡るという。 それを物語るが如く、観世音寺には日本最古・文武2年(698)の紀年銘
を持つ妙心寺梵鐘と、同型で鋳造された梵鐘が遺されている。 また、天平宝字5年(761)には、戒壇院が設けられ、大和・東大寺、
下野・薬師寺と並び、日本三戒壇のひとつに数えられている。 このように大宰府に隣接する観世音寺は、九州にあるとは雖も、当時第一
級の寺院として建立されたに違いないが、仏像については、当時を偲べるものは無く、わずかに塑像の断片と心木などを遺しているにすぎない。
しかし、その寺格を物語るかのように、収蔵庫には平安以降の巨大な仏像が何体も並び立ち、重要文化財の仏像だけでも19躯が遺されている。
馬頭観音を真ん中に、左右に不空羂索観音・十一面観音と5メートル級の巨像が並ぶ様は、なんとも壮観だ。 浮嶽神社の如来立像との衣
文表現の類似が指摘される阿弥陀如来像や、古様を伝える平安中期の大黒天像などの仏像も興味深い。
谷口鉄雄著
「観世音寺」は、観世音寺の歴史と仏像について、コンパクトにまとめられたハンディーな良書。 「観世音寺仏像修理報告書」は、
T2〜4年、S32年に行われた観世音寺仏像修理についての学術報告書。 倉田文作、西川杏太郎をはじめ第一線の研究者が、諸像の構
造や考察を詳しく論じている。観世音寺の仏像研究の定本といえる本。 観世音寺・馬頭観音立像 不空羂索観音立像 観世音寺・十一面観音立像 「東光院の仏教美術」福岡市美
術館編集 (S60) 福岡市美術館協会刊 【116P】
東光院は、福岡市博多区
にあって、平安後期の薬師如来像をはじめ25体の国指定重要文化財が安置されていた。現在、これらの仏像は福岡市立美術館にあり、「東光院仏教美術室」と
いう展示室で展示されている。
この東光院の諸仏像について、写真図版に詳細な解説論考を付して刊行されたのが
本書。
これらの仏像が、福岡市立美術館に収蔵展示されるに至ったいきさつは、次のようなことだそうだ。
東光院は、大同元年(806)に伝教大師が開基したと伝えられる古刹。 本尊薬師如来は50年に一度開帳の秘仏として守られてきた
が、先の大戦後、御室仁和寺の末寺から独立、初代管長は清藤泰順尼となった。 いろいろな事情があったのか判らないが、この泰順尼は
89歳に至り、東光院のすべてを公的機関に寄付し後は廃寺とすることを決意、福岡市はその申し出を受け入れ、仏像については市立美術館に収蔵することに
なったそうだ。
福岡市美術館東光院仏教美術室
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