埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第五十二回)

  第十三話 地方佛〜その魅力にふれる本〜

    《その5》各地の地方佛ガイドあれこれ 【近畿 編】

 【13-1】
 「近畿地方の地方佛」
 奈良京都ならずとも、素 晴らしき中央佛が勢揃いするこの近畿地方。
 「近畿地方の地方佛」なんて言葉、そもそもあるのだろうか?

  奈良・京都をはずして、周辺の府県の古寺古佛を採り上げていくことにしても、
滋 賀県には、延暦寺、園城寺、石山寺などの日本を代表する古寺があるし、大阪府には、それぞれ国宝の優作仏像を有する、葛井寺、観心寺、道明寺がある。和歌 山県には、金剛峯寺、紀三井寺、道成寺などがある、といった具合で、日本仏教美術史の代表作ガイドのようになってしまう。

  なんとも困ってしまうが、著名な古寺古佛をなるべく避けながら、奈良県・京都府以外の「近畿各地の古寺古佛ガイドとなる本を紹介する」ということにして、 「地方佛ガイドあれこれ」の話を進めていくこととしたい。


 【滋賀県の仏像】

  近江は、古佛の宝庫、とりわけ平安佛の宝庫だ。

 滋賀県には、国指定の国宝、重要文化財の仏像彫刻が約4百件も あり、彫刻の多さでは奈良県、京都府についで全国第三位だそうだ。
 そして、そのおよそ70%が平安時代の古佛である。県・市町村指 定仏像も国指定とほぼ同数あるのだが、これまた平安時代の作例が圧倒的に多くレベルも高い。
他の地方なら、当然に重要文化財指定とい うような仏像が、県市町村指定の仏像の中にゴロゴロある、という気がする。近江の古佛たちは、文化財指定ではずいぶん割を喰っているじゃないかと思うほど に、その裾野が広く、層も厚い。

 地方佛の愛好者は、この近江の古佛をまた、こよなく愛する人が多い。

  近江の仏像は、中央佛そのものや、その系譜にある仏像が多く、素朴で地方色豊かな土地の風土をあらわす仏像という訳ではない。
しか し、近江の仏たちを訪ねると、その土地々々の人々の信仰を集め、お寺ともども、村人たちがお守りしてきた「ほとけさま」ばかりで、近江の自然と生活と、そ して集落の人々とともに生き、ともに在るという思いがする。

 あの、国宝・渡岸寺十一面観音なども、都の大寺院 の観音堂の本尊であっても、おかしくはない、堂々たる中央優作だ。
 しかし、この秀麗な仏像が、都の大寺院にではなく湖北の田舎の地 に、人々に守られて祀られていることがまた、人々の心を捉える。
この仏像に逢うためには、米原から北陸線に乗って高月という寂しい駅 で降り、湖北の地を訪ねていかねばならない。
  そして、天正元年(1573)の信長の小谷城攻めの際、村人たちが、この観音様を土中に埋めて戦火をまぬがれたとの言い伝えがあるほどに、この地の村人た ちの篤い信仰と、素朴な敬愛の心により長きに亘って守られてきた。今も、向源寺飛び地境内の観音堂の収蔵庫に安置されており、地元の人々による「保存協賛 会」により管理されている。
 渡岸寺だけでなく、湖北の多くの古佛は、無住のお堂に祀られ、地元の人々の管理で、守られてきている。

  そんなところが、古佛を愛好する人々を、巡礼する人々を、強く惹きつけ、「近江のほとけたち」に誘うのである。
  
渡岸寺・十一面観音         渡岸寺観音堂        

  〈観音の里・近江〉

 近江はまた、「観音の里」とも称せられる。
日本全国に、国宝・重要文 化財となっている観音像は、彫像・画像合わせて456件ある。(S57現在)
 そのうち、近江滋賀県には、85の寺院・お堂に103 体の観音像が安置されており、この数は、全国都道府県中随一だそうだ。
 この「かんのんさま」を慕い巡礼している人も多いが、とりわ け「湖国の十一面観音」は、その人気が高く、最近はバスツァーなども組まれている。

 「湖国の十一面観音」

  この言葉の響きは、なんとも抒情を誘う。
昔は、ひっそりと、愛好者や巡礼者の中で知られていただけであったが、井上靖の小説「星と 祭」が、この「湖国の十一面観音」たちを、一躍世に知らしめた。

 「星と祭」井上靖著  (S47) 朝日新聞社刊 【340P】 

 この小 説は、朝日新聞の朝刊に、S46/5〜47/4まで333回にわたって連載され、多くの読者に愛読された。
 この物語の中で、渡岸 寺、石道寺、赤後寺、医王寺、蓮長寺をはじめ、十数ヶ寺の十一面観音と主人公との出会いが、丁寧に描かれている。

  本書のストーリーは、
 「主人公・架山は、別れた妻のもとにいた17歳の娘を、琵琶湖でのボート転覆事故で喪う。遺体は上がってこ ず、主人公は、この哀しみをどう受け止めたらよいのか戸惑いながら、湖国の十一面観音に出会う。
 ボートに同乗していた大学生の父・ 大三浦が、息子を亡くした追悼のため十一面観音巡礼していた縁が、そのはじまり。
 主人公は、数々の湖国の十一面観音を訪ね、その姿 を拝しながら、またヒマラヤへの観月への旅の中で、亡き愛娘への想いを募らせる。
 そして、観音様に出会うことで、哀しみを昇華させ ていく」
 という、若くして亡くなった愛娘への哀惜、鎮魂の物語である。

 この小説を読ん で、十一面観音を拝しに、近江に訪ねた人は数多い。

 

  文中では、これらの十一面観音像の多くが秘仏で、33年とか25年に一回の開扉佛として地元の人々に守られており、伝手を辿ってやっとのことで拝観が叶っ た、ということが綴られている。
 井上靖が「村の少女の顔にそっくりだ」と記した、あの石道寺の十一面観音も、
  「・・・・・・どうしても見せてもらえませんでした。一度は、よしそれではというところまで漕ぎ付けたのではございますが、やはりだめでございまし た。・・・・それが、こんど仲に立つ人がありまして、どうにかきょう拝ませて頂く段取りになりました」
 といった様子だったらしい。
  今では、時代も変わったのか、いずれの十一面観音も、事前連絡などをしておけば拝観可能となっている。
 
 しば らく前に、蓮長寺を訪れたら、寺の奥様が
 「井上さんの〈星と祭〉に書かれてから、急に拝観にみえる方が増えました、それまでは、ま ず来られる人もおられなかったのですが」
と話していたし、
 今年訪れた医王寺には、いまでも「星と祭」の本が、 しっかりと置かれていた。

 
石道寺・十一面観音像       蓮長寺・十一面観音像  

 その後、「湖国の十一面観音」というタイトル、その ものの本も出版された。

 「湖国の十一面観音」石本泰博 撮影 佐和隆研・宮本忠雄解説(S57)岩波書店刊 【176P】 

 湖国31ヶ寺の国宝・重文指定の十一面観音像、37躯と、とりまく自然・風景の大型写真集。
  「湖国の十一面観音」の美しき魅力を、石本泰博の写真が十二分に引き出しており、この写真集を座右において「星と祭」を読むと、その味わいもひとしおかと 思う。

 石本は、この撮影の思い出を、〈あとがき〉でこのように綴っている。
 「近江で は、今も観音様が人々と共に生きておられる。
 町のお寺で、草深い山里の御堂で信仰深い人の手に守られ、厨子の扉の向うにいらっしゃ るというだけで、それは人の心を和ませる。だから本当は誰も写真など撮ってもらいたくないのかもしれない。
 大切なお方を写真機の ファインダーからジロジロ眺めるなんてとんでもない・・・・と。
 事実、三々五々お参りに立ち寄る人たちが静かにお経を唱える前で は、シャッターは切れなかった。
 初めは全く困惑した。しかし困惑した私を穏やかに眺めておられる観音様、それは美術館に飾られ照明 をあびている観音様とは全く違った存在であることに、私はようやく気付いた。
 そしてあきれたことに、どうしても撮ろうという願望は ますます強くなっていったのである。」
 この言葉が、近江路の古佛たちの魅力を、語りつくしているような気がする。


  ここではまず、「近江路の観音像」について語った本を紹介していきたい。

 「かんのんみち」田中真知郎写 真・上原昭一文(S51)朝日新聞社刊【186P】 

 奈良京都・近江・若狭小浜の観音像の優作、103躯の写真集。
 お水取り行事の、若 狭から奈良に至る「お水」の通路の周辺に祀られる観音像・かんのんみちを辿ったもので、滋賀近江の観音像は30躯が掲載されている。

  この中では、眼を惹くのは、なんと言っても平安初期の名作、国宝・渡岸寺十一面観音像。
 この秋(H18)、この像が、初めて寺を出 て、東京国立博物館「一木彫展」に出陳される。
 きっと、数多くの人がこの観音像の秀麗、蠱惑的な美しさ、魅力の虜になり、近江路の 観音めぐりの人気が一段と高まることは、間違いない。
  ほかには、湖北木ノ本の鶏足寺十一面観音、野洲の来迎寺・聖観音、S61に惜しくも消失した東門院・十一面観音などの特異な魅力ある観音像や、天台系の秀 作、延暦寺・檀像千手観音、常教寺・聖観音、さらには天平の余風を残す湖北高月の日吉神社・千手観音、堂々たる巨像、信楽櫟野寺・十一面観音あたりが、と りわけ印象深い。

 こうしてみると、本当に秀作、優品のオンパレード。
 あの密教彫刻の傑 作、湖北木ノ本、黒田観音寺・伝千手観音でも、収録されていないのだから、近江の観音像は豊富で奥深い。

  
  東門院・十一面観音          延暦寺・檀像千手観音


 「湖北観音巡礼 観音の里」椙 村睦親著(S54)睦画会刊【189P】 
 「己高山・石道寺・高尾寺 石 道の里」椙村睦親著(S55)睦画会刊【126P】
 「湖東湖南観音巡礼 観音の寺  その1・2」椙村睦親著(S57)睦画会刊 【232・271P】 

  著者、椙 村睦親は、近江在住の美術教師で日本画家。
 昭和20年代から近江の観音像の写生をはじめるなど、観音巡礼に傾倒し、これらの著作を 出版。
 巡礼記と、わかりやすい仏像解説となっており、諸学者・出版物の見解・解説のポイントなども簡潔に紹介されている。
  近江の指定文化財になっている観音像を、ほぼ網羅しているといってよい。
 続編、「湖西観音巡礼」の出版をもって完結としたいと、著 者は述べているが、未刊のようだ。


 「近江観音の道」淡海文化を育 てる会編(H11)サンライズ出版刊【239P】 

 本書は、近江の諸歴博・資料館 の学芸員など10名の共著で、「湖南観音の道」と 「湖北観音の道」の探訪ガイド兼歴史文化の解説本。
 コンパクト、平易で読みやす く、しっかりしたレベルの解説本。


 「十一面観音の旅」「続十一面 観音の旅」丸山尚一著(H4・6)新潮社刊 

 丸山尚一が、日本全国の十一面観音の 古佛を、地域的な風景風土のなかに追った「十一面観音の旅」の本。
 近江の十一面観音については、「湖北の風土と観音たち、比叡・比 良山の十一面観音像、地琵琶湖東の観音たち、甲賀の里に十一面観音像を追って」という項立てで、49ヶ寺の十一面観音紀行が掲載されている。

 

 「近江路の観音さま」  (H10) 滋賀県立近代美術館刊 【175P】

 H10年10月、まことに興味深 い展覧会が開催された。
 近江の観音像49躯が「近江路の観音さま」という企画展に出陳された。
 重要文化財は 15体だけで、後は市町村指定・無指定の仏像だが、注目すべき古佛が選定され、誠に充実した展覧会であった。
  来迎寺・来現寺の聖観音像、金剛定寺・蓮長寺・盛安寺の十一面観音像、西教寺・聖観音像といった、重文のなかなか渋く良いところの像のほか、時代判定の難 しい草津・川原観音堂・十一面観音像や、彦根・江国寺、草津・集堂・橘堂、長浜・北門前観音堂などをはじめとする、知られざる平安中期観音像が多数出陳さ れ、訪れた甲斐があった必見の展覧会であった。

 本書は、この展覧会図録。
 近江の古彫刻 研究では、著名な第一人者、高梨純次の執筆。
 掲載仏像の興味深さもさることながら、解説内容の充実度は図録とはいえない密度の濃い もの。
 一躯1ページを丸々使って、「計測値・形状・構造・保存・銘記・解説・調査・文献」という項立てで、記述されている。
  必見、必携の図録。

 



 


       

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