埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第四回)
古佛に魅入られた写真作家達の本〜その足跡や生涯〜 (1/3)
一昔前、『読んでから観るか? 観てから読むか?』というキャッチがはやったような気がする。角川文庫、映画の金田一シリーズのセット宣伝だったろうか。
映像の威力とは大変なもので、本の方を完全読破した人でも、存外その後のイメージとして残っているのは、主演女優や映画のクライマックスシーンの方だったりする。
私だって、古くて恐縮だが、「ローマの休日」のオードリーヘップバーンの清楚可憐な美しき魅力は、その実像がどうであろうと、誰になんと言われても、いつになっても、譲れるものではあり得ない。
「仏像の美」に心を惹かれ、仏教美術愛好の途に脚を踏み入れてしまった人の多くは、仏像写真家達の撮った「傑作写真」の美しさや、抒情、漲る迫力に心をうたれ、感動したことが、その途への始まりだったのではないだろうか。
小川晴暘「黒バックの新薬師寺伐折羅大将」、入江泰吉「内なる静けさ、三月堂日光月光菩薩」「抒情あふれる秋篠寺伎芸天」、土門拳「烈しき気迫の美、神護寺薬師如来」等々。
こんな写真(集)で観た仏像へのイメージを心に抱きつつ、古寺を訪れ、実際に生の仏像を見て、写真で受けた感動を改めて追体験する。
現実の仏像に「写真家の眼で捉えた、フィルムの創造美」を探し追い求めている自分に、ふと、気がついたりするのである。
我々を、「仏像の美しさ・魅力」の世界にいざなってくれた写真家達。
彼等の感性や個性を育んだ、生い立ち、足跡を知ることができる本を紐解くと、改めて写真集を開いて、「また一度あの仏像を見に行ってみようか」という想いに駆られる。
平成12年11月東京都写真美術館で、誠に興味深い展覧会が開催された。
「写された国宝〜日本における文化財写真の系譜〜」展
何としてでも観に行かねばと出かけたら、果たして、期待に倍する高品質の写真展であった。
明治以来の仏像写真家たちの代表的作品を、時系列に展示したもので、「本展覧会は、それぞれの時代の写真家がどのような視点で文化財をとらえ、表現してきたかを検証し・・・・・・・・・・・・文化財を美術品として鑑賞する視点=日本人の美意識がどのようにして生み出されたかを探ろうとするものです。」と、「ごあいさつ」に記してある。
展覧会図録『写された国宝』岡塚昭子著(H12)東京都写真美術館
は、図録ながら充実した内容で、小論『日本における文化財写真の系譜』のほか、展示作家21人の『作家解説』も載っている、必携本。
今ではまずお目にかかれない、時代物の古写真や、修復前の姿も豊富。
仏像写真の歴史、作家の技術、足跡などを総合的に丁寧に記述した本は、この本を置いてほかはない。
この本では、仏像写真の歴史を6つのパートに区分、そのエッセンスは以下のとおり。
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区分
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主な写真作家
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1
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明治期の文化財調査
(古美術調査、記録としての文化財写真)
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横山松三郎、小川一真
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2
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商品化された古美術写真
(鑑賞写真として一般に広めた人)
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工藤利三郎、小川晴暘
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3
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職人の眼と技術
(学術資料としての高技術文化財写真)
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便利堂〜佐藤浜次郎、佐藤辰三、辻本米三郎、
大八木威男〜米田太三郎
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4
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作家性の芽生え
(自己表現のモチーフとしての文化財写真)
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梅阪鴬里、佐保山尭海、玉井瑞夫、
長谷川伝次郎
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5
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報道写真としての文化財写真
(日本の伝統美の世界への紹介)
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小川晴暘、土門拳、藤本四八
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6
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個性的な作家たち
(美の写真表現としての多様な展開)
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坂本万七、藤本四八、渡辺義男、入江泰吉、
土門拳、石本泰博、杉本博
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〜田枝幹広は本展覧会では取り上げられていない〜
なるほどと膝を打つほどわかりやすい区分。
このあと紹介するのは、足跡・エピソードを書いた本が手元にある、太字の人々について。(写真作品の掲載本は多数あるので、ここでは写真作家についての読み物となっている本だけを採り上げる事としたい)
もう一つの仏像写真作家をたどる読み物は、
『古代彫刻の写真作家たち』安藤更正著「奈良美術研究」(S37)校倉書房所収、『仏像写真の今昔と坂本万七氏の仏像写真』町田甲一著「仏像の美しさに憑かれて」(S61)保育社所収
工藤精華、小川晴暘等を中心に、記録写真から美術鑑賞写真への発展、黒バック写真の誕生とその後の仏像写真家などを、二人それぞれの視点から語っており、いずれも味のある小文。
工藤利三郎を知る本
日本の古美術、仏像写真の専門家の草分けは、工藤利三郎精華に始まるとわれる。
阿波の人。古美術品が外国人に買い叩かれるのに義憤を覚え、日本の文化財を記録にとどめたいと写真家の道を選んだという。
明治26年猿沢池池畔に写真館「工藤精華苑」を開業。
明治41年からコロタイプ写真集「日本精華」を11輯にわたり出版する偉業を成した。〜刊行当時一冊二十円という超高価写真集であった〜(私は7〜8年前古書展で端本を一冊手に入れたのみ、その後も見かけない)
私は、この工藤という親父に何ともいえぬ親しみを感じる。
「大変な酒飲みで貧乏しながら平然として学者先生を呼び捨てにして面白い爺さんだったが、偏狭な奈良の町びとには評判はよくなかった。中風を病みその功業の割に晩年は淋しかった。昭和4年7月11日、72歳で卒した。」(前出古代彫刻の写真作家たち)
「そのころ道人(会津八一)と仲がよくなり、『君、是非うちの養女の婿になれ、うちの娘は美人やでえ』と勧めるので閉口した」(工藤精華〜南都逍遥所収〜)
などの話を読むと、この変わった、呑んべえのオッサンに益々興味が沸いてくるのである。
「酔夢現影〜工藤利三郎写真集〜」写真が語る近代奈良の歴史研究会編(H4)奈良市教育委員会
この本が、工藤精華のことを単体で一冊にした唯一の本。
こんな大判のしっかりした写真集・解説評伝が、売れもしないのによく出版できたものと感心。奈良市が「同氏の美術写真の草分けとしての足跡を顕彰するとともに、・・・・・・・・・・・より多くの人に関心を持ってもらおうと製作」したそうだ。
工藤の写真は自然光、正面全身写真がほとんどだが、手先まで備わっている腕は一本だけという興福寺阿修羅像をはじめ、修復前の今では貴重な仏像写真が多数掲載されている。
工藤利三郎評伝、同関係年表、日本精華総目録など収録されている。
この本は非売品で、古書店でもめったに見かけないが、(私もH11にやっと手に入れた)手元に置いておきたい一冊。
余談ながら、工藤家蔵の仏像写真原版一括を、養女琴女が昭和30年代に売却しようと便利堂にあたったが不調、昭和39年琴女も逝去。すんでのところで屑屋に売られる処の膨大な量のコロタイプ写真と写真原版を、市に寄託しその名を残すことを主張、実現を見たのは、今も奈良博前で開業している鹿鳴荘主の永野太造(故人)の提唱であったそうだ。
(『工藤精華堂』「奈良いまは昔」(S58)奈良新聞社所収)
このことが本書出版に繋がったのだと思う。
酔夢現影〜工藤利三郎写真集〜奈良市教育委員会
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