埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第三十三回)

  第八話 近代法隆寺の歴史とその周辺をたどる本

《その3》昭和の法隆寺の出来事をたどって(5/6)

【8-5】

【金堂炎上】

 昭和24年1月26日、早朝、法隆寺金堂は火災、炎上する。

 法隆寺金堂が燃えているのが、国宝保存工事事務所に知らされたのは午前7時20分頃、金堂から火の手が上がっていたという。
 内陣が火の海になって天井や軒がめらめらと燃え、煙を噴き上げた。
 火が出たのは内陣からだが、扉が閉まっているため消火の水が届かず、消防団員が、金堂南面の連子二本をへし折ってホースが差し込んだ。西側に回った団員は、壁に穴をあけ堂内に放水、火事は午前8時半頃ようやく鎮火した。

 千三百年余、伝えられてきた金堂内陣の十二面の壁画のいのちは、一瞬にして喪われた。
 あざやかだった彩色は、焼けただれて鉛色に変り、幾筋もの亀裂が走っていた。なかでも最高傑作といわれた六号壁・阿弥陀浄土は、本尊の顔から右肩にかけ、ぽっかりと大きな穴が空くなど無残な姿となった。

 

   金堂への放水(鎮火後)       大穴が空いた6号壁阿弥陀浄土図

 

 痛ましく焼損した壁画の前に佇み、足元に焼け落ちた木材が散乱するなか、唯ひたすら合掌する佐伯定胤管主の姿を写した当時の新聞掲載写真がある。これを見ると、その胸中、心情、言い尽くし難く、胸に迫るものがある。

 不幸中の幸いであったことは、金堂の上層部が、昭和20年疎開のため解体されており、他所に移されていた十二面の天人小壁画や、釈迦三尊像他の諸仏像が難を逃れたことであった。

 焼損した壁画と金堂下層の軸部の柱は、永久に保存するためアクリル樹脂によってその剥落を止め、昭和46年に抜き取り工事が行われた。大宝蔵殿の横に新設された専門の収蔵庫に、痛ましい姿で保存されている。
 毎年1月26日には、金堂と収蔵庫で、金堂壁画焼損自粛法要が営まれている。

  

焼け跡に立つ佐伯定胤          収蔵庫内の焼損壁画

 

 世界文化史上に輝く壁画が、烏有に帰した大損失は、日本はもちろん世界の人々に大きな衝撃を与えた。
 こうした大災害が起こると、日ごろは法隆寺や文化財の保存などに大きな関心を示さなかったマスコミや世間が、急にその取り組みに、異常な盛り上がりを示すのは世の常であるが、法隆寺火災の発生も、世界的文化財の焼失の責任問題、文化財保存対策のあり方について、大いなる注目、関心を呼んだ。
 責任問題では、法隆寺国宝保存工事事務所長・大岡実と同技師・浅野清(先に昭和大修理の貢献者として紹介した学者)が、懲戒免職となるなど、文部省関係者3名が処分されたが、時の文部大臣・下条康麿が記者会見で「責任は次官にある」とコメント、辞任しなかったことが、大きな批判の的となった。

 そして、昭和25年、「文化財保護法」が新たに制定される。

 金堂火災を契機に、急速に高まった文化財保護の世論に押され、従来の文化財保護の内容を大幅に拡充する「文化財保護法」が、参議院の議員立法によって成立したのである。
 この年は、文化財保護元年とも云うべき年となり、金堂炎上の日、1月26日は、「文化財防火デー」として、毎年、全国の古社寺で消火訓練などが行われている。

 火災発生後には、新聞、雑誌等も金堂炎上、壁画焼損の問題を大きく取り上げたものと思うが、当時の状況をうかがい知れるこんな出版物もある。

 「失われた金堂壁画特集」 仏教芸術第4号 (S24) 毎日新聞社刊

 本書は、火災発生後一ヶ月余の3月に発行されている。
 焼損状況の種々の写真・焼損状況の解説他、緊急対策協議会の記録、著名文化人十数名の「法隆寺壁画を惜しむ」と題する寄稿などが掲載されており、当時の有様や人々の驚愕失望を生々しくうかがうことが出来る。

 

 ところで、この痛恨の火事は、どうして起こってしまったのだろうか。
 出火原因については、即座に警察当局の捜査が行われたが、電気座布団の加熱や漏電という失火説と放火説が、当初入り乱れた。

 というのも、出火の10日前から、毒(ショウコウ)入りの饅頭が門前に置かれていたり、食卓のジャムに毒が入っていたりする事件〜いわゆる毒饅頭事件〜が起きていたからである。
 捜査当局は、2月3日(出火の8日後)、法隆寺の執事・吉田覚胤を殺人未遂容疑で逮捕したが、裁判で「証拠不十分で無罪」(同年7月)の判決となり、はっきりしない形で終わった。

 結局、出火原因は電気座布団のサーモスタット不良とスイッチの消し忘れによる失火と認定され、現場の管理責任と製造免許・形式承認のない電気座布団配備の責任を問う形で、業務上失火、電気事業法違反容疑で7月に、4人が起訴された。
 起訴されたのは、法隆寺国宝保存工事事務所長・大岡実と同技師・浅野清等と電気座布団メーカーの役員であった
 裁判は、高裁まで争われたが、昭和27年、業務上失火は証拠不十分で無罪、電気事業法違反は大岡・浅野は無罪、もう一人は罰金五百円という判決となった。(検察控訴せず。残りの一人は、地裁判決〜罰金千円〜に控訴せず、既に確定済)

 あれだけ、国家の至宝を失ったと、マスコミ・世間を騒がせた火災であったが、「電気座布団に出火の可能性は認められても・・・・・断じ難い」との判決で、その火災原因は【永遠の謎】ということとなった。

 

 ここで、金堂壁画の保存と模写、金堂の火災炎上について書かれた本を紹介したい。

 「法隆寺」 町田甲一著 (S62) 時事通信社刊

 金堂壁画について、昭和の模写のいきさつやエピソードなどが詳しく書かれている、また明治に桜井香雲が模写した話しも丁寧に語られている。
 町田甲一は、父君が日本画家であったからか、金堂壁画模写も話には、とりわけ思いが込められているようにも思える。
 本書は、学術レベルをしっかり保ちながら、法隆寺の歴史・文化財についての読み物として、興味深く読める好著。
 町田は、この【法隆寺の解説書】に長らく取り組んでおり、昭和42年に角川新書(217頁)で出版以来、昭和47年角川選書(260頁)、そして昭和62年実業之日本社(421頁)と増補・充実を図っている。
 法隆寺についての美術史的問題、論争など丁寧によく理解できる必読必携の書。

 「回顧・金堂罹災」 法隆寺発行 (H10) 小学館刊

 本書は、金堂壁画焼損50年を機に、企画発刊された本。
 金堂罹災から焼損壁画の抜き取り保存にいたる経緯を追って、折々の新聞記事、現場写真、解説、秘話が豊富に掲載されており、貴重な資料本。
 なかでも「法隆寺金堂壁画史〜高田良信〜」は、幕末の壁画模写から現在の再現模写に至るまでの模写・保存の歴史が、キッチリ著述されており興味深い。

 「法隆寺 金堂炎上」 遠山彰著 (H1) 朝日新聞社刊

 本書は、平成元年、朝日新聞夕刊に「空白への挑戦シリーズ・第一弾」と題して一ヶ月余連載されたものの単行本。著者は、当時、朝日新聞社編集委員。
 模写から金堂炎上、出火原因の追求捜査、裁判までを、ドキュメンタリータッチで綴るノンフィクション本。
 捜査・裁判などの有様など詳しく記述、裁判上「原因不明の謎」となった出火原因を、独自の取材で追求している。
 いわゆる「毒饅頭事件」についても、詳しい。

 

【再現壁画の制作】

未完の模写
 金堂火災によって、まさに完成間近であった壁画模写はその大半が被害を受けたり焼失した。金堂炎上の三日後から、画家たちは黒こげの堂内に入って、再び記憶の印象を頼りに模写を始めたが、結局、未完に終わってしまった。
 当時の模写作品は、完成したものや、未完のままのものが、今も残されている。

 その後、金堂修理工事は昭和29年に完了したが、外陣の壁は白壁のままの状態であった。
 昭和40年に至り、朝日新聞社は文化財保護委員会の支援のもとに、金堂壁画の再現をはかる計画を法隆寺に提示、法隆寺でも、熟慮の結果、その再現事業に積極的に取り組むことを決断した。
 再現方法としては、白壁に直接描くことが困難なことから、和紙に壁画を描き、これを枠組みの板面に貼付け、土壁の前面に取り付けることとなった。

 昭和42年から一ヵ年で再現模写を完成させることとなり、中心的画家として、安田靭彦、前田青邨、橋本明治、吉岡健二の4名が選ばれ、模写員14名のほか最盛期には助手30名が加わった。メンバーには、橋本、吉岡はじめ焼失壁画模写に携わった画家が、7名含まれていた。
 この模写制作は、今は無き壁画焼損直前時の状況を、模写再現するのもで、原寸大コロタイプ印刷した和紙に、便利堂が昭和10年に撮影したカラー写真などを参考に、描写するのである。
 安田靭彦は、【「再現壁画」画家の報告】という一文のなかで、再現模写方針を次のようにしたと語っている

 *焼失前の壁画に無いものを描き加えない。
 *但し赤外線写真を参考にするのは差し支えない
 *壁画の汚れ、亀裂、剥落などは状況によっては色を薄くするなどの方法によって、壁画の美しさを出すことにする。
 *壁の部分はその感じを出すように努める。    など

 昭和44年2月、丁度一年間で再現模写は、見事に完成した。

 

再現壁画6号壁阿弥陀浄土図

 

 同年、全国4ヶ所で「金堂壁画再現記念・法隆寺展」が開催された後、法隆寺の金堂壁面に収められ、11月「金堂壁画落成法要」が厳修された。

 再現壁画についての本は、完成記念展図録など色々出ているのではと思うが、私の手元にある本は次の2冊。

 「法隆寺 壁画と金堂」 石田茂作・亀田孜監修 (S43) 朝日新聞社刊

 本書は、金堂壁画再現事業の完成を機に刊行されたもので、再現壁画、昭和模写、焼失前壁画の全カラー写真を掲載、諸家の研究解説を併載した豪華本。
 金堂壁画のすべてを、比較鑑賞することが出来る。

 「法隆寺再現壁画」 法隆寺監修 (H7) 朝日新聞社刊

 本書は、法隆寺が世界文化遺産に登録されたのを記念して、再現壁画を金堂壁面から取り外し、東京都美術館他で展覧会が開催された時の記念図録出版。
 再現・昭和模写写真のほか、模写に携わった画家達の「再現壁画」画家の報告、「旧壁画模写」画家の思い出、という文章が豊富に掲載されており、興味深い。

 

 長かった、金堂壁画の保存、焼失、模写の話も、ここらでおしまいにしたいが、最後にもう少しだけ話を付け加えたい。

愛知芸大金堂壁画模写展示館
 この再現模写と、同様の企画を実施実現した大学がある。
 昭和41年創立の新しい芸大、愛知県立芸術大学では、絵画専攻学生の美術教育と古典的日本名画研究を目的に、昭和49年から壁画十二面の原寸大模写にとりかかった。
 片岡球子教授を中心に再現模写経験画家も加わり、延べ7300人の労作により、昭和63年に模写は完成。
 平成元年に同大学に金堂壁画模写展示館が竣工、春秋公開されているという。

 また、コンピュータ・グラフィックで、金堂壁画の製作当初の姿と原色の再現へ取り組んだ本がある。

 「再現・法隆寺壁画 まぼろしの至宝が甦った」 坂田俊文監修・NHK取材班編 (H4)日本放送協会刊

 本書は、NHKが平成3年「再現・法隆寺金堂壁画〜よみがえる白鳳の美」という特番を放送した成果を、出版物にしたもの。
 コンピュータ・グラフィックによる、再現図板が掲載されているが、やはりCGでは、線や色は再現出来ても、芸術的美しさの再現は無理なようだ。

 

CGによる壁画再現

 


      

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