埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二十四回)

  第七話 近代法隆寺の歴史とその周辺をたどる本

《その2》 再建非再建論争をめぐって(1/5)

 「法隆寺再建非再建論争史」
 このタイトルをはじめて目にしたのは、神田神保町の古書店・一誠堂の書棚だった。

 昭和45〜6年の夏の頃。
 東京へ行ったとき、神保町古書街というところに、初めて足を踏み入れた。右を見ても左を見ても街中全部古書店、どの店に入っても見たこともない専門的な本ばかり。
 関西の古本屋を、少しばかり覗いたことがあるだけの私には、「東京というところは、凄いところだ」と、驚きたまげたのでありました。
 なかでも、【一誠堂】は、石造りの堂々としたビルで周囲を睥睨するという感じ。貧乏学生など出入りするところではないような威圧感。

 恐る恐る店に入ると、仏教美術史などの本は、丁度帳場の真向いの棚。
 並べられた多くの仏教美術書を眺めていると、帳場の店員から「場違いな学生が、どうせ買えもしないのに」と背中を睨まれているようで、大変な気後れがした。

 「法隆寺再建非再建論争史 工学博士・足立康編」、白い函の背に黒々とした背文字の本を見つけた。「こんな本があるんだ」と手にとって函から取り出し、裏表紙の値付けに目をやる。一誠堂のシールには《8,500円》と書かれていた。
 「エエッ、こんな高い本、ボクには到底無理!」
 学生社の歴史考古シリーズ、「久野健・仏像」「杉山二郎・大仏以後」が、定価480円、大卒初任給が50,000円の頃である。

 あきらめて他の本に眼を移す。
 「法隆寺の研究史 村田治郎」という本があった。「これはなかなか面白そうだ。函入りでは無くカバー装だから、そんなに高い本ではないんじゃないか。2,000円ぐらいかな?」期待を抱いて手にとると、シールには、なんと《20,000円》。
 恐ろしげな、ぶったまげる値段が書かれていて、慌てて棚に返したのでありました。

 その頃私は、「法隆寺が再建か非再建か?」という論争があったという話は、おぼろげながら聞いたことがあるという程度。
 本は買えなかったけれど、図書館のお世話になったりして、法隆寺再建非再建論争についての本がいくつもあることを知るようになった。
 私が仏教美術を好きになっていったのも、素人ながら、「論争史、研究史というものの、サスペンス・ミステリーを読むような面白さや魅力」を知るようになったからかもしれない。

 ご存知の通り、法隆寺再建非再建論争は建築史学・仏教美術史学の世界で、明治・大正・昭和の三代に亘って行われ、ヒートアップした世紀の大論争。

 町田甲一は、自著「法隆寺」のなかで、
「法隆寺論争がなかったら、若草寺塔心礎の寺への返還はなかったろうし、伽藍址の発掘も行われたとしてもかなり遅れたことだろうが、それにもまして、思うべきことは、その後の『法隆寺学』、さらには上代美術史の今日のような成果が殆んど期待できなかっただろう」
 と、述べている。

 小杉一雄は「寧楽美術の争点」の序文に、
 「思えば日本美術史学史が法隆寺再建非再建論争で幕を開けたことは、誠に倖せであった。もしあれが法隆寺でなく、室町の仏像とか江戸の文人画をめぐる論争であったなら、我々の先輩達は恐らくあのように白熱した論争を展開しなかったにちがいない。・・・・・・
 ・・・・・以来三代にわたるあの大論争に投ぜられた幾多の俊敏にして透徹した頭脳によって、今日の日本美術史学が築き上げられたのである。」
 と、語っている
 小杉一雄は、日本画家小杉放庵の子息で、美術史学者。

 近代法隆寺の歴史、またその時代の仏教美術史学・建築史学の発展を語るに、欠くべからざる「法隆寺再建非再建論争」。
 そのいきさつ、周辺をたどりながら、再建非再建論争に関わる本を紹介してみたい。

 ところで、この「埃まみれの書棚から」の書き始めに、
 「紹介本は、研究書、論集・論文の類を避け、仏像好きの人が気軽に読め(古)書店で手に入れることが出来る本」
 としたいと書いたが、ここ暫らくは、ちょっとオーバーランして研究書・論集の紹介が多くなってしまいそうなのを、お赦し願いたい。

  

法隆寺西院伽藍                 金堂

      

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