埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二百二十回)

   第三十一話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その9>明治の仏像模造と修理 【修理編】

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【目次】


1.はじめに

2.近代仏像修理の歴史〜明治から今日まで

(1)近代仏像修理の始まるまで
(2)近代仏像修理のスタートと日本美術院
(3)美術院への改称(日本美術院からの独立)
(4)美術院〜戦中戦後の苦境
(5)財団法人・美術院の発足から今日まで

3.明治大正期における、新納忠之介と美術院を振り返る

(1)新納忠之介の生い立ちと、仏像修理の途に至るまで
(2)日本美術院による仏像修理のスタートと、東京美術学校との競合
(3)奈良の地における日本美術院と新納忠之介

4.明治・大正の、奈良の国宝仏像修理を振り返る

(1)奈良の地での仏像修理と「普通修理法」の確立
(2)東大寺法華堂諸仏の修理
(3)興福寺諸仏像の修理
(4)法隆寺諸仏像の修理
(5)明治のその他の主な仏像修理
(6)唐招提寺の仏像修理

5.新納忠之介にまつわる話、あれこれ

(1)新納家に滞在したウォーナー
(2)新納の仏像模造〜百済観音模造を中心に〜
(3)新納の残した仏像修理記録について

6.近代仏像修理について書かれた本

(1)近代仏像修理と美術院の歴史について書かれた本
(2)新納忠之介について書かれた本
(3)仏像修理にたずさわった人たちの本



(3)新納の残した仏像修理記録について


新納は、携わった仏像修理の記録を、大変克明に残していました。

修理設計書、解説書、修理図解、銘文等の文書資料と、修理前後の姿を写した写真資料(ガラス乾板)などです。

その資料の量は膨大なもので、簿冊が400冊余り、ガラス乾板が7000枚にも及びます。
新納家に保存されていたもので、その中には、国宝修理の起案書、契約書、見積書、請求書、受領書なども含まれていました。
驚くべき量の、修理資料、調査資料が作成されていたのです。

岡倉天心が、東大寺法華堂諸仏修理を新納に命ずるにあたって、

「古社寺保存の仕事は、研究を眼目としてやらねばならない、職人になってはだめだ、随って君等にやって貫ふ仕事は、研究的なものでなくてはならないのだ」

と語った話を先に紹介しましたが、
新納は、まさにこの天心の言葉通り、研究に役立つ修理記録、調査記録を克明、丹念に残し続けてきたのでした。


新納家に保存されていたこの仏像修理記録資料は、新納の亡くなった昭和29年(1954)に、奈良国立文化財研究所が受け継ぎ、その後、奈文研美術工芸研究室と奈良国立博物館との合併にともなって奈良博に移管されました。

これらの修理記録関係資料は、今後の仏像修理の大いなる参考になることはもとより、仏像彫刻の研究を進めるうえで誠に貴重な資料といえるものです。

ちょっと余談ですが、この貴重な仏像修理記録資料、何故、美術院に引き継がれずに、新納家に保管されていたのでしょうか。

菅原安男氏(菅原大三郎氏の子息)は、これに関連して、

「驚いたことに、明珍氏(2代目の美術院主事)が新納氏から引き継いだ美術院は、日本美術院第二部時代以来の資料がすべて新納氏によって封印されていた。
これは円満な引き渡しではなかったように思われる。
それでも明珍氏は努力に努力を重ねて、明珍時代を築くのであるが、惜しいかな昭和15年病に倒れ、私(菅原安男氏)も亦ここを辞した。」
(日本美術院第2部のこと(菅原安男)岡倉天心全集8巻月報1981.4所収)

と、意味深長な回想をしています。

いずれにせよ、これらの貴重な修理記録資料が、無事に公的機関に保管されていることは、喜ぶべきことだと思います。

さて、これらの修理記録は、出版、公刊されているのでしょうか?

新納が携わった仏像の修理記録関係で、一番早く出版されたのは、

  「国宝神仏像等修理目録」
 
という冊子です。 「自明治30年 至昭和10年 宝物修理物件目録」という副題が付されています。
昭和14年(1929)、新納の古稀記念として出版されました。

この「国宝神仏像等修理目録」は、平成15年(2003)に刊行された
「新納忠之介50回忌記念 仏像修理50年」(H15) 美術院刊 
に、全部収録されています。


国宝神仏像等修理目録(新納忠之介50回忌記念 仏像修理50年収録)


この目録をみれば、明治以来の仏像修理について、何時どの社寺のどの仏像が修理されたのかを、克明詳細に知ることが出来ます。


昭和50〜55年(1975〜80)には、紹介した元新納家保存の仏像修理記録資料の一部が、奈良国立文化財研究所の編集により、出版されました。

  「日本美術院彫刻等修理記録T〜Z・全14分冊」 奈良国立文化財研究所編集発行 (S50〜55) 
 
この本は、保存された修理記録資料のなかから、奈良県、京都府の仏像をピックアップして、「奈良編・京都編」として出版されたものです。








同時に、

「奈良国立文化財研究所所蔵 旧日本美術院仏像修理記録 目録編」

という冊子も刊行されました。

内容をみると、修理解説文、修理前修理後の写真、修理図解から構成されています。







これをみると、仏像の材質構造や、どのような修理を施したのかが、解説文と修理図解で克明に判ります。
また修理前と修理後の写真が対比して掲載されていますので、仏像の修理当時の様子を知ることが出来ます。
大変貴重な出版物といって良いと思います。
ただ、
「すでに公刊(上記の出版物のこと)された修理図は、縮小かつ簡略図で紹介されており、必ずしも修理技術者の線描を正しく伝えていない。」
といった面もあったようです。

この「日本美術院彫刻等修理記録」出版事業は、「奈良編・京都編」は出版されましたが、残念ながら、その後、継続されませんでした。


昨年(2014)7月、ついに奈良博に保管されていた、膨大な「日本美術院彫刻等修理記録」が、すべてデータベース化されました。

手続きすれば、誰でも閲覧可能となったのです。


データベース化された新納資料「日本美術院彫刻等修理記録」


奈良国立博物館HPでは、資料公開について、このように記しています。

 「『新納資料』と通称されるこの資料の重要性は、はやくから注目を集め、奈文研時代に奈良・京都所在の仏像についての内容が整理翻刻されて全14冊の報告書にまとめられた。

しかしながら、東北から九州におよぶ大半の地域についてはこれまで公表されることはなかった。

当館では平成21年(2009)より資料の保存と公開をめざして整理に着手し、簿冊・零葉(一枚ものの資料)とガラス乾板のすべてをデジタル化するとともに、その目録情報を作成し、これらをもとにデータベースを構築した。

データベースでは、紙資料については一冊あるいは一箱ごと、ガラス乾板は文化財ごとのフォルダ構成として、全体を通覧できるほか、キーワード検索も可能である。
・・・・・・・・・・・・・・
これらはおよそ百年前にはじまる近代の文化財修理の歩みを跡付ける貴重な歴史遺産であり、また現代の修理や美術史研究にも学術的な観点から寄与するところが大きいものと考え、そのすべてをデジタルデータで公開する。

多くの方々の利用に供することができれば幸いである。」

これらの資料をスキャニングしてデジタルデータにするのは、大変な作業であったようです。
ガラス乾板約7000枚、簿冊の総ページ数8万枚以上というスケールです。
5年がかりの作業で、やっと公開にこぎつけたということです。

データの目録情報は、奈良博HP(日本美術院彫刻等修理記録データベース)からNET検索可能となっています。
残念ながら、画像や資料そのものは、奈良博の近くに在る「仏教美術資料研究センター」まで出向かないと閲覧できません。


仏教美術資料研究センターでの新納資料データベース閲覧イメージ




明治大正期の近代仏像修理の歴史と、その父とも云ってよい新納忠之介の業績、足跡を、たどってきましたが、そろそろその幕を閉じたいと思います。

随分長々と綴ってしまいました。

書いている方も、実は疲れてきたので、読まれている皆さんも、読み疲れて飽き飽きしてしまったのではないかと思います。


昭和、平成期の仏像修理や美術院国宝修理所の話となると、まだまだあるのですが、もう仏像修理の話は、この辺でやめておきたいと思います。


 


       

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