埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二百一回)

   第三十話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その7>奈良の宿あれこれ

最終回(13/13)


【目次】

はじめに

1. 奈良の宿「日吉館」

(1) 日吉館の思い出
(2) 単行本「奈良の宿・日吉館」
(3) 日吉館の歴史と、ゆかりの人々
・日吉館、その生い立ち
・日吉館を愛し、育てた会津八一
・日吉館のオバサン・田村きよのさんと、夫・寅造さん
・日吉館を愛した学者、文化人たち
・日吉館を愛した若者たち
・日吉館の廃業と、その後
(4)日吉館について書かれた本

2.奈良随一の老舗料亭旅館「菊水楼」

(1)菊水楼の思い出
(2)明治時代の奈良の名旅館
(3)菊水楼の歴史と現在
(4)菊水楼、対山楼について書かれた本

3.奈良の迎賓館「奈良ホテル」

(1)随筆・小説のなかの「奈良ホテル」
(2)奈良ホテルを訪れた賓客
(3)奈良ホテルの歴史をたどる
(4)奈良ホテルについて書かれた本




【鉄道院・鉄道省時代】


ここから、太平洋戦争の敗戦まで(大正4年〜昭和20年)は、鉄道院・鉄道省の直営時代になります。

この時が、奈良ホテルの一番華やかであった時期と云えるのでしょう。

鉄道院の手厚い庇護の下、利潤追求に追われることなく、内外の賓客用の一流ホテルとして運営したのです。
一種の国家政策による運営、国の威信をかけた迎賓館ホテル経営とも云えるのかもしれません。

宿泊客の選別も行われていたようで、
「高等官以上、又は資本金一定額以上の会社の重役」
を宿泊客とするという原則が、かなり厳格に守られていました。

これに該当しない客には、
「あいにく満室でございます」
と、断っていたと云います。

また、当時の収容能力は、120名程度でしたが、余程の時以外は、宿泊客の満足を得るために70名程度までしか受け入れない運営とされていました。

高浜虚子が、国民新聞に「奈良ホテル」という滞在記を連載したのが、大正5年(1916)ですから、ちょうど、鉄道院直営がスタートした頃のことです。
高浜虚子が、
庶民には場違いな迎賓館ホテルで、ちょっと腰が引けながら、おっかなびっくり宿泊した
ように書いていますが、さもありなんという処です。

昭和10年頃の従業員の写真(女子従業員は和服)
従業員の待遇も大変よく、女子の従業員は、いわゆる良家の子女が行儀見習いとして勤めるといった場合が多かったそうです。
当時18歳の女子の客室係の給与が、32歳の大手一流会社に勤める兄の給与と同額だった、といったエピソードも残されています。

太平洋戦争に敗戦するまで、奈良ホテルは鉄道院・鉄道省直営の

「貴賓客のための迎賓館ホテル」

としての役割を担ってきました。

採算を度外視して、贅沢に、優雅に経営された時代と云えるのでしょう。



【接収・(財)日本交通公社時代】


敗戦後の昭和20年(1945)12月、奈良ホテルは米軍に接収されます。

接収時代の奈良ホテル
米軍のレクリエーション施設となりますが、その運営は(財)日本交通公社に委託されました。

米軍から
「ホテルの建物全体に白いペンキを塗れ!」
との指示が出て、
日本人支配人が必死に奈良ホテルの由来などを説明し、従業員スペースのみにペンキを塗ることで収まった、という話もあるそうです。

昭和27年6月に、奈良ホテルの接収は解除となります。

接収解除後の営業状態は、極めて厳しいものとなりました。
朝鮮動乱終結により外国人客は激減し、日本人客もまだ生活水準が低くて期待できず、ホテルには閑古鳥が泣いている状態となりました。

余剰人員の切り捨て、給与の切り下げなどを行いましたが累積赤字に追いつけず、日本交通公社は、奈良ホテル経営に音を上げてしまいます。

日本交通公社は、昭和29年4月、国鉄にホテル営業の返還を申し出ることになりました。



【(株)都ホテル時代から、(株)奈良ホテル時代へ】


日本交通公社の後を受けては、(株)奈良ホテルが営業受託することとなります。

当時、国鉄はホテル事業等の関連事業を行うことを禁止されていました。
国鉄は、ホテル営業返還の申し出への対処に困っていた処、奈良ホテル創設に際して縁の深かった(株)都ホテルから、経営を引き受けようとの申し出があり、営業を委託することになったのでした。

昭和30年代に入ると、神武景気、岩戸景気と呼ばれる高度成長の時代を迎えます。
ホテルの日本人客もめきめき増え、東京オリンピック開催で外国人客も増えるなど、奈良ホテルの営業も、時代の流れに乗って上昇していきました。

この頃から、奈良ホテルは、貴賓客中心のホテルから一般客にも目を向けたホテルに脱皮を図っていきます。
格式のある迎賓館的方式から、合理的民営ホテル方式へと変身していったのです。

昭和45年には、大阪で万国博覧会が開かれます。
万博開催に備え、新館建築などの大改造、大増築を計画します。
ところが、古都保存法の番人である「風致審議会」から待ったがかかってしまいます。
新館に客室を設ける等の大増築計画は中止になり、宴会場2室の増床などに留めざるを得なかったという話もありました。


営業面では順調であったものの、経営形態については、問題がありました。

ホテル経営を担う都ホテルは、国鉄の持ち物である奈良ホテルの建物設備の「使用承認」という特殊なものになっていました。
都ホテルにとってみれば、賃料は格安なのですが、国鉄の都合で「出ていけ」と云われれば、何の権利も主張できないというものです。

また、国鉄側にとってみれば、格安の賃料となっている問題を何とか解決したいということがありました。
それまで制約されていた国鉄の他事業進出の規制が緩和され、ホテル事業に積極的に取り組んでいこうという方針も出されました。

そこで、国鉄と都ホテルとが協議を重ねた結果、奈良ホテルを独立させ国鉄と都ホテルが共同出資する会社とすることで合意しました。
昭和58年(1983)1月、国鉄、都ホテル折半出資の会社、「株式会社奈良ホテル」が設立され、奈良ホテルの経営を担うことになりました。

以降、現在に至るまで、(株)奈良ホテルが奈良ホテルを経営する形が続いています。


奈良ホテル新館
昭和59年(1984)8月には、新館が開業します。
今度は、古都奈良の景観を維持できるよう、半地下方式で建設されました。
新館は、本館と違い鉄筋コンクリートの近代的な造りになっています。
本館のクラシックな部屋も良いのですが、私には、新館の方が快適に過ごせて気に入っています。


そしてご存じのとおり、奈良ホテルは、今も、奈良の迎賓館ホテルとしての格式を守ると共に、一度は泊まってみたいクラシックホテルとして、大人気のホテルとなっています。



(4)奈良ホテルについて書かれた本


それでは、最後に、奈良ホテルについて書かれた本をご紹介しておきます。


「奈良ホテル物語〜その90余年の歩み」 奈良ホテル編 (H13) 【30P】

「百年のホテル〜奈良ホテル物語100周年記念特別号」 奈良ホテル編 (H21) 【83P】

共に、奈良ホテルが発刊した、奈良ホテルの歴史を綴った本です。

「奈良ホテル物語〜その90余年の歩み」 は、奈良ホテルの開業から現在に至るまでの経営の変遷や、折々の賓客のエピソードが書かれています。

「百年のホテル〜奈良ホテル物語100周年記念特別号」の方は、奈良ホテルの歴史物語に加えて、奈良ホテルにふれた文学作品、収蔵美術品等なども加えた、百年史になっています。
この本は、販売用ではないのですが、奈良ホテルのショップで、今でも買うことが出来ます。

この「奈良の宿あれこれ」で紹介した、奈良ホテルの歴史の話のほとんどは、この2冊の本の内容を要約したものです。


 




「奈良の老舗物語」 三島康雄著 (H11) 奈良新聞社刊 【303P】 1500円

先に、菊水楼の話しの処で、ご紹介した本です。

「奈良ホテル」という項立てがあり、奈良の迎賓館ホテル・奈良ホテルの開業から現在までの歴史がコンパクトにまとめられています。





「奈良の宿あれこれ」と題して、「日吉館」「菊水楼」「奈良ホテル」について、振り返ってきましたが、そろそろ、結びとしたいと思います。

いずれの宿も、明治以来の奈良の歴史、文化と共に在った「奈良を象徴する宿」であったと云えるのでしょう。


・学者や文化人、学徒にこよなく愛された、貧相な旅館「日吉館」

・奈良随一の料亭旅館「菊水楼」

・皇室御用達の迎賓館ホテル「奈良ホテル」




在りし日のの日吉館




料亭旅館・菊水楼




奈良ホテル



いずれも、近代奈良を語る時、外すことが出来ない「奈良の宿」でしょう。

今では、泊まることの出来るのは「奈良ホテル」だけです。

「日吉館」は廃業してしまい、「菊水楼」は結婚式場・レストランに変身ということになってしまいました。


大変寂しい気がしますが、これも時の流れで、致し方ないことなのでしょう。






 

参  考
  第 三十話近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その7〉奈良の宿あれこれ 

〜関連本リスト〜


書名
著者名
出版社
発行年
定価(円)
奈良の宿・日吉館 太田博太郎編
講談社
S55
1500円
南都逍遥
安藤更生
中央公論美術出版社
S45
1200円
自註鹿鳴集
会津八一
中央公論美術出版社
S40
1200円
真珠の小箱B奈良の秋
角川書店編
角川書店
S55
950円
あおによし(上・下)
北村篤子
日本放送出版協会
S47・48
各500円
平城山を越えた女
内田康夫
講談社
H2
1300円
「奈良・日吉館の客」
芸術新潮S38・7月号

新潮社
S38
200円
大和寸感
青山茂
青垣出版
H17
2100円
「仏像梱包の日本一〜田村寅造」
自然22巻11号
大野力
中央公論社
S42

奈良閑話
喜多野徳俊
近代文芸社
H1
1500円
奈良の平日〜誰も知らない深いまち
浅野詠子
講談社
H13
1500円
奈良の老舗物語
三島康雄
奈良新聞社
H11
1500円
奈良百題
高田十郎
青山出版社
S18
5.1円
奈良市史 通史編第4巻
奈良市史編集審議会編
奈良市
H7

奈良の昔話・第4巻
増尾正子
ブレーンセンター
H21
1000円
古寺巡礼
和辻哲郎
岩波書店
T8

林芙美子紀行集〜下駄で歩いた巴里
林芙美子
岩波文庫
H11
700円
林芙美子全集 第10巻
林芙美子
文泉堂
S55

炎昼
山口誓子
三省堂
S13
1.5円
豊年虫
志賀直哉
座右宝刊行会

55円
大和路・信濃路
堀辰雄
人文書院
S29
550円
細雪(上・中・下巻)
谷崎潤一郎
中央公論社
S21〜23

奈良ホテル物語〜その90余年の歩み
奈良ホテル編

H13

百年のホテル〜奈良ホテル物語100周年記念特別号
奈良ホテル編

H21



 


       

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