埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百七十八回)
第二十八話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その5>仏像の戦争疎開とウォーナー伝説
(12/12)
【目次】
1.仏像・文化財の戦争疎開
(1)東京帝室博物館の文化財疎開
(2)正倉院と奈良帝室博物館の宝物疎開
(3)博物館と正倉院の宝物疎開・移送について書かれた本
(4)奈良の仏像疎開
・興福寺の仏像疎開
・東大寺の仏像疎開
・法隆寺の仏像疎開
(5)奈良の仏像疎開について書かれた本
2. ウォーナー伝説をめぐって
(1)ウォーナー伝説の始まりと、その拡がり
(2)ラングトン・ウォーナーという人
(3)「ウォーナー伝説」真実の解明
Cそれでは、どうして「ウォーナー伝説」が生まれ、世に喧伝されていったのであろうか。
吉田氏によると、これもアメリカの日本占領政策の円滑遂行に、深いかかわりがあるという。
「ウォーナー伝説」は、誰かの誤解にもとづくものであったのか?
それとも、単なる推測の産物なのであろうか?
だれが、何のためにこの伝説を創作したのであろうか?
このように問いかけ、その真実に迫ろうとしている。
吉田氏は、「ウォーナー伝説」が生み出されたのは、
GHQが、「アメリカの良いイメージ」を占領下の日本に植え付けようとする、宣撫政策によるものであった
と主張している。
「ウォーナー伝説」が流布していくいきさつを振り返ってみたい。
「ウォーナー伝説」を、情報として初めて語ったのは、GHQのヘンダーソン中佐であった。
このヘンダーソン中佐の話について、もう少し詳しく見てみたい。
昭和20年9月、文部省国宝保存課の田中一松氏(後の東京国立文化財研究所長)が、ヘンダーソン中佐に呼び出された時の話がある。
田中は、戦前に青年ヘンダーソンが日本美術研究のために来日した時、面識があった。
ヘンダーソンは、こう尋ねたという。
「法隆寺は大丈夫だったか?」
「アメリカは、日本の古美術類を保護するために、極力都市爆撃を回避していた。
とくに古い時代の奈良とそれに次ぐ藤原期の京都、中世の鎌倉とを絶対に爆撃しない方針を立てたが、・・・・・・」
田中は、この話を聞いて、
「アメリカ軍の戦争に対する心構えが、こうした文化財にまで及んでいたことを思うと、軍隊内の統制がとれていたことに感心した」
と記している。
この後、山中商会の宮又一が、同主旨の話をヘンダーソンから聞いて、矢代幸雄に伝えた。
この時には、すでに「ウォーナー博士が、その恩人」という話もくっついていたようだ。
話を聞いた矢代幸雄は、それは日本のために実に有難いことであると思い、その真相を日本の社会に公表したいと考えたのであった。
そして、ヘンダーソンとその部下たちに、間違いのない事実であるとの事実確認をした矢代が、朝日新聞にこの「ウォーナー伝説」を発表することに至ったのだった。
矢代氏が、この美談を新聞記事にするいきさつ、新聞記事内容については、【第175回】で紹介した、矢代の著書「日本美術の恩人たち」の処で記したとおり。
吉田氏は、ヘンダーソン中佐が、何ゆえにこのような情報を発信したのかということについて、このような考え方を示している。
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ヘンダーソンの日本人記者による インタビュー記事(1946.7)
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ヘンダーソン中佐は、GHQの民間情報教育局(CIE)に所属していた。
CIEには、教育、宗教、新聞、放送、映画などの部門があったが、その任務は「宣伝」によって、日本軍国主義の批判や、アメリカの良いイメージの普及を図ることにあった。
戦後すぐにNHKによって「真相箱」という番組が放送され、日本軍国主義の批判や軍の暴虐ぶりを暴露する内容が、当時の日本人に大きな衝撃を与えたが、これもCIEの統制・指導によって制作されたものであった。
CIEは、各方面に対して、こうした宣伝・啓蒙活動を展開していた。
CIEにとってみれば、「ウォーナー伝説」は、その使命を果たすための即効薬としての意味合いを持っていたものだと云える。
田中一松を呼び出して、文化財保護というアメリカ政府(軍)の政策宣伝を行ったのも、「ウォーナー伝説」という美談を創造し、矢代幸雄を通して新聞紙上に紹介するように仕向けたのも、CIEの日本国民への宣撫工作の一環であった。
この工作は、見事に成功した。
矢代幸雄、田中一松はもとより、新聞の採り上げ対応などすべてが、アメリカ軍を誉め、アメリカという国(の政策)を讃えていたことが、この狙いが功を奏したことを示している。
これが、「ウォーナー伝説」の真実であり真相であった。
吉田氏のこの本を読んだとき、私は、本当に「ウーン」と唸ってしまった。
吉田氏の、調査解明は、間違いなく真実に違いない。
だとすれば、ウォーナー博士自身が「ウォーナー伝説」を、頑なまでに否定し続けていたのも納得できる。
ウォーナー博士が、このGHQにより創られた美談ストーリーに、うまく乗っかっていこうとせずこれを否定した。
ある意味、「立派」であったということであろうか?
そして私が、それまで、
「ウォーナーという人物は、立派な人物であったに違いないが、それにしてもアメリカという国は、なかなか大した国だ。」
「アメリカという国は、戦争下でも文化財を守る大した国だ」
と考え、少々畏敬の念を抱いたのは、何だったのだろうか?
私も、見事に宣撫されていたということか?
そんな思いが、強くこみあげてきたのであった。
確かに冷静に考えれば、
アメリカ軍も大変な数の戦争犠牲者を出しながら、日本と戦っていたのだから、そんな文化的配慮ゆとりもないのは当然であろう。
また、戦勝後の、占領統治や宣撫政策として、このような「伝説」を創造し、利用していったというのも、政治的、戦略的に考えれば、もっともな話だ。
ここで、「ウォーナー伝説」真実の解明についての、関連本を紹介しておきたい。
「京都に原爆を投下せよ〜ウォーナー伝説の真実」 吉田守男著 (H7) 角川書店刊 【238P】 1300円
この章の初めに紹介したように、「ウォーナー伝説」と云われるものが、また「アメリカ政府(軍)の奈良・京都など歴史的古都の爆撃回避」という話が、本当に真実であるのか、徹底的な調査解明に取り組んだ成果をまとめた本。
大変きっちりした調査と論証により、
「ウォーナー伝説は真実ではなく、米軍は日本の歴史的古都保存の観点から奈良・京都の爆撃回避を行ったという事実は、全く無い。」
ということを解明しており、大変説得力がある。
本章の〈「ウォーナー伝説」真実の解明〉は、この吉田氏の解明内容のエッセンスを、まとめさせてもらった。
本書を読めば、「ウォーナー伝説」が生まれた経緯から、その真実の解明まで、また「ウォーナー伝説」と「奈良・京都の爆撃回避の真相」について、全てのことを詳細に知ることができる。
大変わかりやすく、読みやすくまとめられており、面白いノンフィクション・ドキュメントやミステリーを読んでいるような気分で、惹き込まれるように読ませてくれる本。
是非とも、一読をお薦め。
この本は、その後、文庫版が同内容で出版されている。
「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」 吉田守男著 (H14) 朝日出版社刊 【248P】 640円
吉田氏は、文庫本のあとがきで、
平成14年(2002)、NHKアーカイブス「現代の映像」で、「ウォーナー・リストの戦後」という番組がリバイバル放映され、その内容が「ウォーナー伝説」を啓蒙・喧伝するものであったことに触れている。
1990年代には、「ウォーナー伝説」が誤りであるという吉田氏の説が、随分マスコミに採り上げられたのだが、一度定着したこの「常識」は、なかなか変えることができないようだ。
文庫版再版の事由の一つに、このことがある。
という主旨のことを、記している。
一度、国民に定着した「伝説」「常識」を正すのは、なかなかに難しいということを、物語っているようだ。
「資料集〜原爆投下と京都の文化財」 立命館大学産業社会学部鈴木良ゼミナール編 (S63) 文理閣刊 【62P】 600円
小冊子ではあるが、「ウォーナー伝説」や「京都爆撃回避」について考えるうえでの、大変興味深い資料集。
第1部は「原爆投下と京都」、第2部は「戦時下京都の文化財」、第3部は「アメリカ占領政策と京都の文化財〜ウォーナー伝説をめぐって」の3部からなり、それぞれの関係資料が掲載されている。
とりわけ興味深いのは、第1部「原爆投下と京都」。
アメリカの原爆投下目標地選定から、グローブス少将の京都投下意見とスティムソン陸軍長官の京都回避意見との意見対立、スティムソンの回顧録、日記等、アメリカ政府関係の京都原爆投下に関する原資料が収録されている。
古都爆撃回避の恩人はウォーナーではなくスティムソンであるという、「スティムソン恩人説」の検証資料として興味深い。
「スティムソン恩人説」とは、同志社大学のオーティス・ケリー氏が1970年代に主張した説で、「京都に原爆を落とすな」というという題名で、文藝春秋・昭和54年(1979)5月号に掲載された。
この説が、町田甲一著「古寺辿歴」の中で採り上げられていることは、【173回】で、ごく簡単に紹介させていただいた。
ケリー氏は、スティムソンの戦後回顧録に、
「その計画中に提案された爆撃目標都市のリストから京都の名前を抹殺した。
京都は軍事的重要性を持つ目標であるが、日本の古都であり、日本の芸術文化の殿堂であった。」
と記されていることに注目し、
スティムソンが、古都の文化財保護のため京都爆撃を回避したという「スティムソン恩人説」を主張した。
これに対し、吉田守男氏は、スティムソンの戦中日記に、
「もし(京都の)抹消がなされないなら、そんな無謀な行為によって惹き起こされる深刻な事態のために、戦後長期にわたってその地域で日本人を我々に和解させることを不可能にし、むしろロシアに近づけてしまうだろう・・・・・」
と書かれていることに着目、
スティムソンは、政治的戦略、占領政策上、京都爆撃を回避したのが事実であって、戦後に書かれた回顧録の記述は、政治的意図で脚色されたもので信用できない、と主張している。
本冊子は、これらの日記や回顧録の当該部分も収録されており、参考資料としてまことに興味深い。
6回にわたって、「ウォーナー伝説」とその真実をたどる話をたどってきたが、振り返ってみると、なかなか考えさせられるところが多かった。
この話は、「文化財の保護や保存という世界」と云えども、政治的、政策的には打算的に利用され、美談が創造されていくものだということを思い知らされた。
ところが、こうして「ウォーナー伝説の真実」が明らかにされても、未だに、そうあって欲しくないと思う気持ちがよぎってしまう。
戦時とはいえ、国家にも、心ある人々にも、
「文化財や美術品を保存したい、戦争から守りたいという高邁な精神」
が、矜持の如く存したのではないか、そうあって欲しい、という願望のようなものが、気持ちの中からは消えない。
「ウォーナー伝説」というのは、きっとそうした「崇高な精神への願望」のようなものから、信じられていったに違いない。
「冷徹な現実」という真実は、解明されすぎると、ちょっと哀しいような気持になってしまう。
「知らなかった方が良かったのでは」という気持ちがよぎる、複雑な気分という処であろうか?
「奈良の仏像の戦争疎開」と「ウォーナー伝説の真実」をテーマに綴ってきたが、些か、冗長で、長々としたものになってしまった。
その分、隘路のような細かい話、間延びしたようなくどい話になってしまい、反省しきりといった処。
とはいえ、奈良・京都などの太平洋戦争下の文化財、仏像にかかわる様々な話、とりわけ「仏像疎開の有様」や「ウォーナー伝説の真実」といった話を、様々な角度から、ひととおり纏めておくことも、意味のあることのようにも思い、書き綴った次第。
長らくのお付き合いに深謝して、この稿を終えることとしたい。
了
参 考
第
二十八話近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その5〉 仏像の戦争疎開とウォーナー伝説
〜関連本リスト〜
書名
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著者名
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出版社
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発行年
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定価(円)
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「日本の宝物疎開〜東京帝室博物館の苦心」 歴史と人物137号所収 |
辻本直男
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S57
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ー
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東京国立博物館百年史 本編・資料編
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東京国立博物館編集
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東京国立博物館
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S48
|
ー
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奈良国立博物館百年の歩み
|
奈良東京国立博物館編集
|
奈良東京国立博物館
|
H7
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ー
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近代日本と博物館〜戦争と文化財保護〜
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椎名仙卓
|
雄山閣
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H24
|
4410円
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博物館の思い出
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東京国立博物館編集
|
東京国立博物館
|
S47
|
ー
|
正倉院よもやま話
|
松島順正
|
学生社
|
H1
|
1730円
|
正倉院展60回のあゆみ
|
奈良東京国立博物館編集
|
奈良東京国立博物館
|
H20
|
ー
|
「太平洋戦争と奈良の国宝疎開」 歴史地理451号所収
|
竹末勤
|
|
H1
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ー
|
奈良市史 通史編第4巻
|
奈良市史編集審議会編
|
奈良市
|
S45
|
1200円
|
焔髪 「脱出」所収
|
吉村昭
|
新潮文庫
|
S63
|
360円
|
東大寺史へのいざない
|
堀池春峰
|
昭和堂
|
H16
|
2000円
|
誰も知らない東大寺
|
筒井寛秀
|
小学館
|
H18
|
1800円
|
法隆寺日記を開く
|
高田良信 |
日本放送協会
|
S61
|
750円
|
まほろばの僧〜法隆寺佐伯定胤〜
|
太田信隆
|
春秋社
|
S51
|
1300円
|
古寺解体
|
浅野清
|
学生社
|
S44
|
580円
|
春の鐘
|
立原正秋
|
新潮社
|
S53
|
|
古寺辿歴
|
町田甲一
|
保育社
|
S57
|
3800円
|
日本美術の恩人たち
|
矢代幸雄
|
文芸春秋新社
|
S36
|
850円
|
私の美術遍歴
|
矢代幸雄
|
岩波書店
|
S47
|
2000円
|
忘れ得ぬ人々〜矢代幸雄美術論集T
|
矢代幸雄
|
岩波書店
|
S59
|
3000円
|
「〈特集〉文化財は日本爆撃からいかに守られたか〜ウォーナーリストをめぐって〜」芸術新潮・昭和25年12月号
|
|
新潮社
|
S25
|
190円
|
太平洋戦争中における日本文化財の救済とウォーナー博士
|
|
奈良ロータリークラブ
|
S37
|
非売品
|
不滅の日本芸術
|
ウォーナー著・寿岳文章訳
|
朝日新聞社
|
S29
|
550円
|
日本彫刻史
|
ウォーナー著・宇佐見英治訳
|
みすず書房
|
S31
|
480円
|
推古彫刻
|
ウォーナー著・寿岳文章訳
|
みすず書房
|
S33
|
900円
|
奈良登大路町
|
島村利正
|
新潮社
|
S47
|
700円
|
師弟愛で護った古代文化〜新納忠之介とラングトン・ウォーナー
|
宇宿捷編著
|
宇宿歴史研究所
|
S46
|
自費出版
|
京都に原爆を投下せよ〜ウォーナー伝説の真実
|
吉田守男
|
角川書店
|
H7
|
1300円
|
日本の古都はなぜ空襲を免れたか
|
吉田守男
|
朝日文庫
|
H14
|
640円
|
資料集〜原爆投下と京都の文化財
|
立命館大学産業社会学部鈴木良ゼミナール編
|
文理閣
|
S63
|
600円
|
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