埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百二十七回)

  第二十三話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その6〉 〜仏像の素材と技法〜石で造られた仏像編〜


(3)花崗岩の石彫による新時代
 第3期は、鎌倉時代以降。
 第2期藤原時代後期が、「磨崖仏の時代」と呼べるとすれば、
 第3期の鎌倉時代は、「石仏(単独の石像)の時代」と、云ってよい時代となる。
 石仏制作、造営が一般化庶民化し、多数の単独の石像が大量に造られるようになったのである。
 わが国の石彫史上、画期的な時代といってよいのであろう。
 大型大規模な石仏(磨崖仏)は、大野弥勒磨崖仏(奈良)、富川阿弥陀磨崖仏(滋賀)などの例外はあるものの、ほとんど無くなり、小型小規模化するとともに、群像形式のものは減って単独仏へシフトしていく。
 このように、鎌倉時代に石仏制作が普遍化し庶民化していったということは、石仏に刻まれた銘の数を見ても、それを物語っている。
 平安時代の刻銘像はわずか5例に過ぎないが、鎌倉時代の紀年銘像は70例以上も遺されている。

 鎌倉時代に入って、大量の石仏が造られたこと、また小型小規模化してきたことは、石仏造営方式の大転換といえるものであろう。
 石彫技術面から見ると、これらの転換を生み出した画期的要因は、「花崗岩の克服と駆使」という技術革新であるといって過言ではない。
 平安時代まで、軟質凝灰岩を中心とした石彫で、硬質花崗岩石彫は技術的の困難であったとされていたのが、鎌倉時代に入り、一般的に駆使可能な技術となるのである。
 この新しい技術の展開には、伊行末(いのゆきすえ)一派といわれる宋渡来工人の系統の石工の活躍が、大きな要因となったものであるといわれている。
 伊行末一派の活躍については、後でもう少し詳しく採り上げて見たい。

 平安期の磨崖仏造営に使用された凝灰岩などの軟質石材は、それを見出せる地方が限られていたのだが、花崗岩などの硬質石材は、我が国どこにでも豊富に広く分布している。
 鎌倉時代に入り、花崗岩などの硬質石材の石彫技術が確立されたことが、石仏制作を全国的に行なうことを可能としたのである。
 また、凝灰岩などの軟質石材は、彫刻は容易だが、その反面崩壊する危険を常にはらんでおり、石造美術の素材としては本質的には適当なものではない。
 花崗岩など硬質石材駆使の新技術を得たことによって、石造美術は普遍化、庶民化、大量化へ大きく転換したのである。

 一方、花崗岩の石材施工は、従来に比べて技術的に困難を伴う。
 そのため、大規模な磨崖仏はその数も減少し小規模化していったし、さほど大きくない単独石仏が、数多く製作されるようになって来る。

 そして、単独像から始まったものか、磨崖仏から始まったものかはわからないが、花崗岩の石仏彫法として、「鎌倉式磨崖仏」ともいうべき表現形式を生み出している。
 「鎌倉式磨崖仏」とは、従来のように岩壁を深く窟龕風に掘り込んで、その中に仏像を彫り出すのではなく、岩面をただ仏像の周囲だけ光背の形に彫り凹めて、その彫り凹めた厚さだけ凸出させて掘り出すという彫刻方式である。
 藤尾磨崖仏(延応2年1240)、サンタイ阿弥陀三尊磨崖仏(永仁7年1299)などの磨崖仏が、その代表的な例といえる。

 
 【藤尾磨崖仏】鎌倉式磨崖仏・花崗岩    【サンタイ阿弥陀三尊磨崖仏】鎌倉式磨崖仏・花崗岩

 それでは、この時代の代表作例を、簡単に見てみよう。

 奈良室生川岸の大野寺磨崖仏は、13.6mの巨大な線刻像。石英粗面岩の大岩壁に壷型の挙身光を彫りくぼめ、弥勒の巨像を線刻している。
 白鳳時代の笠置山線刻弥勒像を写したと伝えられ、承元3年(1209)の制作。宋渡来の工人の作とされている。

 京都市内にある石像寺阿弥陀三尊像は、約1mの像高、一石一尊で独立した三尊を組み合わせたもので、花崗岩を丸彫に近く彫り上げている。
 鎌倉前期の都風を示す石仏の代表作で、元仁元年(1224)の制作。

 
【大野寺磨崖仏】線刻・石英粗面岩    【石像寺阿弥陀三尊石像】厚肉彫り・花崗岩

 滋賀大津の藤尾観音堂磨崖仏は、山腹に露出した花崗岩に光背形の龕を彫り窪め、その厚みの中に大小14の仏菩薩を彫出している。
 いわゆる鎌倉式磨崖仏で、延応2年(1240)の制作。

 京都相楽郡のサンタイ阿弥陀像は、露呈した巨大な花崗岩に彫り込まれた浮彫像。
 これも鎌倉式磨崖仏。
 永仁7年の造立で、「大工末行」制作の刻銘があり、伊行末の一派により彫られた石仏。


【箱根石仏群二十五菩薩】半肉彫り・安山岩
 箱根石仏群は、芦の湯から元箱根に通ずる道路の両側に点在する石仏群の総称で、石塔などもある。もっとも大規模なのは二十五菩薩石仏群で安山岩の巨岩に刻まれている。
 鎌倉時代中期のもので、二十五菩薩石仏は永仁年間(1293〜1299)の造立。

 奈良市内の十輪院の石仏龕は、作品としても優れているが、種々の意匠、技法を結合させた特異な存在で見逃すことが出来ない。
 鎌倉時代の本堂の奥に石龕が祀られており、多くの花崗岩の切石を積んで石窟風に築いている。
 本尊地蔵菩薩は挙身光を背負った厚肉浮彫像、仏龕は高さ2.4m奥行き3m、その壁面に浮彫、平彫、線刻で諸尊、五輪塔、種字を刻している。
 本尊は13世紀前半、龕は13世紀後半と考えられている。

 
【十輪院石仏龕】厚肉彫り・花崗岩             【十輪院 本堂】   


 群馬赤城村の宮田不動は、自然の洞窟を利用し、その中に不動明王の丸彫石像を本尊として安置している。
 赤みを帯びた軟質の凝灰岩を全く丸彫式に彫ったもので、なんと木彫の寄木造りのように、台座、下半身、上半身を別々の石材で造り、寄せ合わせて一体としている。
 胴部の矧ぎ面に長文の墨書銘があり、定朝派の仏師による制作であることが知られている。




【宮田不動石像】丸彫・凝灰岩

 


       

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