埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百二十六回)

  第二十三話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その6〉 〜仏像の素材と技法〜石で造られた仏像編〜


(2)磨崖仏の時代の到来

 第2期は、藤原時代後期。
 臼杵石仏を代表格に、各地に大きな磨崖仏が数多く遺されている。
第1期の末、狛坂磨崖仏制作の平安時代初期から、約200年の空白期間があり、この間にはめぼしい石仏遺品を見ることはない。
 そして、磨崖仏の全盛時代ともいえる、第2期を迎える。
 「磨崖仏の時代」と、呼んでよいのかもしれない。
 その代表格は、西から大分県の臼杵石仏群、熊野石仏、富山県の日石寺磨崖仏、栃木県の大谷石仏、福島県の泉沢石仏あたりになるだろう。
 奈良・京都といった中央ではなく、全国各地に作善のための大規模な磨崖仏が造営されことが、大きな特徴といえる。

 なぜ、12世紀前半ごろから、申し合わせたように、各地で大規模な磨崖石仏が制作されだしたのであろうか。
 この問題は、十分には解明されていないようだ。
 宗教文化的背景については、久野健が、
「初期の臼杵石仏群は、浄土欣求のこころや、末法思想などから、永遠性のある石仏に願いを込めて造り始められ、その風が各地に伝わり、より変化のあるさまざまな尊様が岩に刻まれたのではないだろうか。」(日本の石仏)
と述べている。

 また、中央に大規模磨崖仏が造営されず、九州、東北などの地方に造営された事由については、谷口鉄雄が、このように述べている。
 「ひとつには、帝都を中心に伽藍仏教が栄え、日本的素材ともいうべき木彫像が非常に発達した為に、多少とも処理に困難を伴う石仏の造顕を必ずしも必要としなかったからであろう。
(石仏の造顕が東北・九州といった)地方の特殊な地域に限られているのは、社会的宗教的背景もさることながら、やはり磨崖仏を彫るための適当な石材が、その地方にあるか否かということに密接に関係しているのであろう。・・・・・・・・
 花崗岩のような硬質の石材に厚肉の像を刻みだすことは当時として困難であり、軟質の岩層を求めて凝灰岩などのある地方に行なわれるようになった。
 九州の大分県地方に多数の磨崖仏が造られたのも、この地方に阿蘇火山の噴火による溶岩や凝灰岩の層が広く分布していたからであろう。」

 この、制作地と凝灰岩層との関連の話は、当たり前の話とは言いながら、「なるほど、なるほど」と、素直に納得してしまう。
 確かに平安時代、硬質花崗岩への彫刻は、当時の技術レベルでは至難の業であったろう。
 軟質凝灰岩であれば、彫刻刀で木材を削るのと同様の手法で、石材彫刻をすることが可能となる。
 従って、石仏の石材には、主に軟質の凝灰岩が用いられることになったし、凝灰岩層の在る場所に、大規模な磨崖仏が造立されていったのであろう。

 この期の磨崖仏の多くは、浮彫り的表現ではなく、丸彫りに近いような姿で作られており、丸彫的木彫的磨崖仏とも称されている。
 彫刻刀や平ノミを用い、木彫を刻するのと同じ技法で石彫を行なったようだ。
 その製作者は、石工ではなく、木仏師(木彫を彫る仏師)の手で制作されたものと推定されている。


 代表作を、西から個別に見てみよう。

 大分の臼杵磨崖仏は、溶結凝灰岩の丘の麓に刻まれたもの。
 六十数体の石仏が立ち並ぶ姿は、壮観だ。
 それぞれの石仏は丸彫的木彫的で、頭部は後頭部近くまで彫り出されおり、菩薩形の中には頭部が岩壁から全く遊離したものもある。
 そのため、古園石仏本尊大日如来などは、頭部が割れ落ちてしまった。(昔は地面に落ちたままであったが、現在は復元されている)
 この像は、膝の部分を別の石材で刻んで矧ぎ寄せていたらしいなど、木彫の技法をそのまま見ているようだ。
  【臼杵ホキ磨崖仏】厚肉彫り・凝灰岩         【臼杵古園磨崖仏】厚肉彫り・凝灰岩 

 同じく大分の熊野磨崖仏は、柔らかい凝灰岩の中に硬い石塊が混じる岩肌に刻まれている。
 この像は、半肉浮彫で、浮彫的石彫的磨崖仏として十分な量感を持った表現が行なわれており、石工が制作したのではないかとも見られている。

 
【熊野磨崖仏】半肉彫り・凝灰岩

 富山の日石寺磨崖仏の本尊は、迫力満点の不動明王像。
 凝灰岩の自然の岩山を抱きこむように本堂が建てられ、本尊不動明王は半肉彫りの浮彫、二童子像は丸彫に近い厚肉彫りで造られている。

 
【日石寺磨崖仏不動明王像】半肉彫り・凝灰岩

 栃木の大谷寺磨崖仏は、「大谷石」で知られる採石場の真っ只中にあり、大谷石と称される凝灰岩の石窟に、高肉浮彫で石仏がいくつも刻まれている。
 今は剥落してしまっているが、石彫面に塑土をかけ、表面を漆箔仕上げにしていたようで、いわば石心塑像とでも呼ばれるような造りとなっている。

 
      大谷寺           【大谷寺磨崖仏】厚肉彫り・凝灰岩(大谷石)



 福島の泉沢磨崖仏は東北地方を代表する磨崖仏で、砂岩質の湾曲した窟内に仏菩薩が丸彫に近い高肉彫りで刻まれている。
 岩質が軟弱であるため、どの石仏も、顔部等が崩れ落ちてしまい両手も失われてしまっている。


 磨崖仏以外の、この時期の代表的遺品を見てみよう。
 金屋石仏は、石棺の板を利用した薄肉浮彫で、泥板岩製。
 最御崎寺如意輪観音像は、完全な丸彫で、蝋石質の柔らかい石材製(大理石)となっている。

 
金屋石仏】薄肉彫り・泥板岩     【最御崎寺如意輪観音石像】丸彫り・大理石

 


       

inserted by FC2 system