埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百一回)

  第二十話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その3〉  仏像の素材と技法〜漆で造られた仏像編〜


 【20−3】

【乾漆仏の技法】

 「乾漆」という言葉は、「塑像」と同様に、明治時代になってから使われるようになった用語である。
 天平時代の古文書では、「塞(そく)あるいは土偏に塞」または「即」の字が当てられている。
 中国では、夾紵(きょうちょ)と称され、漢代ごろから盛んになった麻布を貼って造型する技法である。
 「塞」は、「ふさぐ」という意だが、麻布を張り合わせて仏像を造ることを意味した。
 夾紵の技法が仏像に利用され始められたのは、中国ではないかと推測され、我が国では大唐の技術を積極導入したからか、天平時代に入ってから、急に乾漆の造像が盛んになる。

 ご存知のとおり、乾漆仏の技法には脱乾漆像と木心乾漆像がある。
 遺品から見ると、脱乾漆像のほうが古く8世紀末ごろまで、木心乾漆像は8世紀後半から9世紀に造られたようだ。


【脱乾漆像の技法】

 脱乾漆像は、麻布と漆で造られており、内部が空洞、即ち張り子のようになっている。
その造り方の概略は、つぎのとおり。
 まず、籾殻入りの塑土で大まかな形を作り、この塑像が十分乾燥してから、像の表面に漆で麻布を貼り付けていく。漆の乾燥を待って再び漆を貼り付け、これを繰り返して適当な厚さの張り子の像を造る。
 その後、像底から、あるいは像の一部を切り開いて内部の塑土を取り出す。
 このままでは、漆・麻布が乾燥するにつれて像が収縮して歪んでしまうので、像の形がきちんと保持できるように像の内部に木を組んだ心木をいれる。
 切開部を縫い合わせた後、目鼻立ちや衣文、瓔珞などの細部を木屎漆で盛り上げ竹べらで押さえて仕上げる。
 手先や足先、天衣など本体から遊離した細かい部分などは、木や鉄線を芯にして、直接木屑漆で盛り上げることが多い。
 精密な造型が整ったあとは、錆漆を塗り、さらに黒漆を塗って、最後に金箔を押したり、彩色を施したりして、仕上げとなる。


【脱乾漆像の製作工程】

 本間紀夫は自著「天平彫刻の技法」で、この製作工程を14工程に分けて詳しく解説している。(遺品から見た脱乾漆の技法)
 脱乾漆の技法の工程が大変わかりやすいので、その14工程を、ここで紹介しておきたい。

(1)桧の割材を手斧や鉇(やりがんな)で荒削りし、心棒を作る。
(2)心棒に塑度が食いつきやすくするため、縄などを巻きつける。
(3)塑土でおよその形をつくる。
(4)塑土に苧布【(ちょふ)〜麻布のこと〜】を貼り付ける。
 私は、「苧布」という耳慣れない言葉にはじめて出合った。
 「苧布」とは「麻布」のことを言うそうだ、
 私は、麻の布は、たまに露地植えなどで見かける、葉っぱに特徴のある植物の「麻」からとった繊維で作られるものだと思っていたのだが、そうではなかった。
 この稿を書いていて、初めて知ったのだが、麻布というときの「麻」とは、植物の茎などから採取される繊維の総称で、アサ科の大麻草からとる繊維のことを云うのではないのだそうだ。
 麻繊維をとる植物には、大麻草のほか、アマ科の亜麻(リネン)、イラクサ科の苧麻(からむし)、シナノキ科の黄麻(ジュート)、バショウ科のマニラ麻などがある。
 また現在、我が国で麻の名前を使用してよい繊維は、亜麻と苧麻のみで、一般に流通しているのは、亜麻(リネン)がほとんどだそうだ。
 天平時代の脱乾漆像には、「苧」即ち「からむし」を使った麻布が使われているので「苧布」という言葉をここでは使っている。

  
アサ科 大麻草       イラクサ科 からむし(苧)と 苧で作った繊維

(5)麦漆で苧布を必要な枚数貼り付ける。
 貼り付けた苧布の大きさは、さまざまのようだが、三月堂の金剛力士像の場合は、頭部7.5×15cm、15×22cm、躰部19×35cm、25×40cmぐらいの各種サイズが使われている。
 この布を、生漆に小麦粉を入れて練った則漆(現在の麦漆)で貼り重ねる。
 貼り重ねた苧布の枚数は、5、6枚〜10数枚で、興福寺阿修羅像では5枚程度、法隆寺西円堂薬師像では10枚以上といわれている。

(6)乾固した苧布に窓を開け塑土(および心棒)を除去する。
 出来上がった像から内部の塑土を抜かないと重たくて困るので、背中とか後頭部、腰の部分の苧布を大きく切り取って、切り開けた窓から中の土と心木を皆一回出してしまう。

(7)裏打ちの化粧布を貼る。
 像の形の保持のための心木を入れる前に、裏貼りする場合がある。
 三月堂金剛力士像は修理の際、裏打ち布の存在が確認されたが、芸大蔵の秋篠寺の袖断片には裏貼りがなく、両方のケースがあるようだ。

(8)中に棚板を入れ心棒を立てる。坐像の場合は格子状の木組みをする。
 像内の心木の組み方、構造については、さまざまなものがあり、その実例については、あとで詳しく触れたい。
 坐像の場合は、像底から塑土を取り除き木組みをするので、苧布を切り取り、窓を開けることはしない。
 立像の場合は、肩や腰などに像の内法(うちのり)に合わせて切った棚板のようなものと、棒状の材を組み合わせて木組みをし、像の収縮を防ぐ工夫をしている。

(9)窓に蓋をして麻紐で縫合する。
 心木を組み入れたら、切り取った窓を元に戻して蓋をして、麻紐で縫合する。
 三月堂金剛力士像の場合、縫合の穴は直径5o、間隔は3.0cm〜4.5cmとなっており、壺錐のようなもので穴を開け、靴の紐を結ぶような具合に麻紐を編み合わせてとめている。
 間隔は像の大きさによって違ってくる。

(10)合せ目に苧布を貼る。
(11 木屎漆を盛り付け、表面のモデリングを行う。
 木屎漆は、麦漆に植物性粉末(木屎)を混入して練り上げ、耳朶くらいの柔らかさにしたもので、これを竹箆で盛り付けてモデリングを行う。
 木屎漆は、あまり厚く盛り付けると表面ばかりが乾固して、内部が膿んでしまい固まらない。粗い木屎でもせいぜい1cmぐらいが限度といわれている。
 乾漆像の大きな魅力の一つは、ふっくらとした柔らかい肉付きや衣文の表現にある。この表現は、木屎漆という材料と竹箆で盛り付ける技法ならではのものである。
 木屎漆は、塑土とは違い大変弾力のある可塑材である。たとえば衣文の襞の凹凸をつくる場合、塑土の場合は凸の部分に多く盛り付けて造型する。
 これに対し、木屎漆の場合は全体に必要量を盛り付け、竹箆で凹部にしたい場所を押さえると、凸部にしたいところに木屎漆が移動して盛り上がる。
 盛り付けるのではなく、中からふくらむ造型が、ふっくらと柔らかいモデリングに見せる秘密となっているのである。

(12)土漆の塗り付けと研ぎを繰り返し、平滑な下地をつくる。
 木屎漆が乾固したら土漆で下地塗りを行う。
 土漆とは現在の錆漆のこと。漆に砥粉または地の粉を練り合せたもので、2〜3度塗り、研ぎを繰り返し平滑に仕上げる。

(13)掃墨漆を塗る。
 掃墨漆とは、現在の黒漆のことで、生漆に種油などを燃やして採った煤(すす)を入れてつくったもの。

(14)金箔を押す(漆箔像の完成)
 黒漆で黒色になった像に、金箔を押して金色に仕上げる。
 彩色像の場合は、土漆の研ぎ出しの後、掃墨漆を塗らないで、表面に白土を塗り下地とし、彩色を施すのがい一般的だが、部分的には黒漆や金箔の上に彩色をするケースもある。

 脱乾漆像の製作工程は以上のとおり。

 この工程を写真図版等で見るには、「日本の美術〜乾漆仏〜」(至文堂刊)に所載の、対談「阿修羅像を造る」小野寺久幸・久野健に載っている図版が大変わかりやすいので、ここに掲載しておきたい。
 この対談は、美術院で古来の乾漆技法に則って興福寺阿修羅像の模作を制作することになり、脱乾漆像の技法等を研究し、その制作に当たったときの苦労話や、脱乾漆技法や制作工程などについて、興味深い話が述べられている。
         
  芯塑を荒土で造る 中土で盛り付け  仕上土で塑像芯塑を  麦漆で苧布を貼り  
              成型する       付ける


  
乾固した苧布に窓を開け    中に心木・棚板を入れる    木屎漆でモデリングを
塑土・心棒を除去する     
(収縮を防ぐ)        おこなう      

  
木屎漆で詳細な造型の     漆を塗り平滑に仕上げる      彩色を行い脱乾漆像
仕上げを行なう                        の完成    



       

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