平成18年度愛知・ 静岡仏像旅行道中記

(平成15年10月25日〜26日)

高 見 徹

 〜行程〜

5月20日(土):JR東京駅 → 財賀寺(豊川市)→ 長興寺(田原市)
→ 東観音寺(豊橋市)→ 浜松(泊)

5月21日(日):浜松 → 応賀寺(新居町)→ 海福寺(御前崎市)→ 西楽寺(袋井市)

→ 静岡 → 東京

 

 5月21日(日)(第二日目)    (第 1日目)←
 
 ホテルは、町の中心部浜松城に程近い真新しいホ テル。朝は少々早起きして、朝食前にお城を一巡り。
  浜松城は、永正年間に今川貞相が築いた曳馬城が前身で、桶狭間の戦いの後、元亀元年(1570)に徳川家康が入城して大々的に改修を加え浜松城と改名した のが始まりという。以後、天正十四年(1586)に家康が駿府に移るまで徳川家の本拠地となる。
 家康飛躍の城という意味から「出世城」とも呼ばれている。

 野面積みの石垣は近年修復されたが、その多くは元亀元年の築城 当時のままで、曲輪・出丸なども複雑に組み合わされており、武田信玄がその堅牢さに一目置いたというのもうなずける。
 現在は天守閣も再建され、芝生大広場を中心に、浜松市立美術 館、日本庭園などを含めた一大公園となっている。
 芝生大広場では100人以上の市民がラジオ体操に集まり、沢山 の朝の散歩の方々とすれちがった。

 ホテルの朝食はバイキング形式。浜松らしく、ミニうなぎコー ナーがあり、いつもは洋食オンリーの私も思わず和洋折衷となってしまった。M氏などはお替りをして、二杯目はお茶漬けとし、朝から「ひつまぶし」を味わっ ていた。

 昨日の潮見バイパスを、渥美方面に逆戻りし、浜名大橋を渡った ところが新居町。
 朝早いにもかかわらず、広い遠州灘海岸は、サーフィンをする若 者でいっぱい。


応賀寺 鏡光山応賀寺
 静岡県浜名郡新居町中之郷68−1

 応賀寺は神亀年間(724〜)聖武天皇の勅願時として、行基菩 薩により開基・草創されたと伝える古刹である。
  弘仁年間(810〜)弘法大師諸国巡錫のおり、浜名湖上で強風のため漂流し、そのとき遠く対岸に当山の本尊、薬師如来の光背が放つ一条の光を目標に無事漕 ぎ着くことができたことから、この寺の山号を光る鏡の山、鏡光山と呼び、喜びに応ずる寺すなわち応賀寺と名付け、海上安全と息災安穏を祈願されたと伝え る。
 盛期には、寺領はなお80余石、塔頭8坊を有したが、現在は応 賀寺と杉本坊を残すのみとなった。

 薬師堂 県文 桁行五間、梁間五間 宝形造 室町時代
 薬師如来坐像 県文 像高89.6cm ヒノキ 一木割矧造  素地 鎌倉時代
 四天王立像 町文 像高100cm ヒノキ 寄木造 玉眼 彩 色 鎌倉時代
 十二神将像

宝物館収蔵品
 阿弥陀如来坐像 県文 平安時代
 毘沙門天立像 県文 鎌倉−室町時代
 不動明王立像 町文
 弘法大師坐像 町文
 絹本着色 文殊菩薩像 町文
 絹本着色 不動明王像 町文
 大般若波羅蜜多経全600巻(一部)


 整備された境内には、立派な薬師堂と、山門の入口脇に宝物館が ある。
 街中にある応賀寺は、今日は御祈祷があるらしく、朝早くから近 所の人々が続々と集まって来ていた。

 宝物館の中には、定朝様の阿弥陀如来坐像、鎌倉−室町時代の制 作と思われる小さな毘沙門天像のほか、多くの古文書が展示されており、往時の隆盛を偲ばせる。

 もうすぐ御祈祷が始まるというのを無理をいって、薬師堂に入 れて頂く。
 本堂薬師堂は、室町後期に着工されたものの、戦国時代に入り骨 組のまま放置され、その後、江戸時代になってようやく完成したという。茅葺の上に銅板で葺いた棟の高い屋根は重厚な建物である。また、内陣の床板もチョウ ナで仕上げたような丁寧な仕上げを行っている。

 本尊の薬師如来坐像は秘仏で11月3日のみ開帳される像であ る。写真で拝見する限り、鎌倉中期の慶派の流れをくむ堂々たる像で、鎌倉時代には珍しく彩色を施さない素木であるが、保存状態も良く、鑿の冴えを感じさせ る。
 厨子の左右には日光・月光菩薩像(修理中)、等身大の四天王像 とともに、像高30cm程の十二神将像が安置されている。十二神将像は昨年まで、さいたま市の吉備文化財修復所で修理が行われていたもので、現在は日光月 光両脇侍像が修理中であるという。

 このお寺では、若いご住職らしくインターネットで、秘仏のご本 尊や宝物館の諸像、経典、古文書などを、鮮明な写真付で紹介されている。
 最近、仏像の写真撮影も厳しく制限されるお寺もあるが、当寺の ように、ホームページの中で寺宝を写真付きで公開して頂けるのは誠に有り難いことである。
 以下の写真も、ホームページから拝借させて頂いた。

 「折角ですから、もし宜しければご祈祷をご一緒に」とお誘いを 受けたが、煩悩と不信心の固まりである我々は、心を痛めつつお寺を後にした。

   
薬師如来坐像              阿弥陀如来坐像

 
毘沙門天立像

 再び、潮見バイパス経由で、遠州灘海岸沿いに御前崎に向かう。県道は海岸線とほぼ平行して走っているのだが、海岸はほとんど見えない。車はそれほど込ん ではいないが、地元の軽トラックが入れ替わり立ち代り入ってきては、結構のんびり走るので、その都度精神的に少々ストレスが溜まる。

 渥美半島から、遠州灘海岸沿いは、メロンの名産地らしく、大が かりなビニールハウスや集荷市場、直売所などが点在している。

  道路の所々に、「太平洋岸自転車道」なる看板があちこちに見られ、何だろうと思っていると、千葉県銚子市と和歌山県和歌山市を結ぶ太平洋岸自転車道という ものがあって、浜松から御前崎までは、なんと、「県道浜松御前崎自転車道線」という、完全な自転車専用道路が遠州灘海岸沿いに設けられているようだ。
 途中の菊川を渡る際、海岸線にコンクリートの真 新しいユニークなデザインの橋が架かっているのが見える。カーナビには出ていないし、まして、そのあたりに道路はないので、どうやら自転車専用の橋らし い・・・。

 帰ってインターネットで調べてみると、この橋は潮騒橋といい、 1995年に完成した橋長232m、日本最大の吊床版橋で、世界にも例を見ない4径間連続上路式PC吊床版橋(?!)だそうだ。
(なんかだかよく判らないが、自動車税を払っている立場から見る と自転車のためだけにあんな立派な橋を造るなんて、税金の無駄遣い!、と言いたくなるような豪華な橋、といったところ)

 もっと調べていると、こんな情報もあった。
 この太平洋岸自転車道、余りにも風が強いので、砂浜の砂で埋もれ てしまうことが多く、かつ自転車専用ということで路面の清掃等の管理も不十分なため、砂の路面を自転車を押して歩かなければならないことも度々だとか。
 これで少しは留飲を下げた?


 海福寺の拝観は午後からの約束であったが、場所を確認するため お寺の前を通る細い道を入る。しかし、入口がわからず、通り過ぎてしまったらしい。気が付くと後続車も来ない。あれ!入る道を見落したと少々あせりなが ら、携帯で連絡を取ると今境内にいるとのこと。
 平静をよそおいながら「拝観は午後からだから、取り敢えず港の 市場に行って食事にします」と、海鮮なぶら市場へ向かうことにする。

  海鮮なぶら市場は、御前崎港の中央に位置し、生鮮市場と土産物屋、レストランを併せた施設。「なぶら」とは、この地方の方言でカツオの群れのことだそう だ。入口には全長6mはあろうかという大きな魚の模型がかざってある。マグロかと思ったら、この港で揚がった一番大きな力ツオの実物大の模型だそうだ。
 生鮮市場には、色とりどりの魚や貝、イカなどが並んでおり、どれ も新鮮で安い!イカは、20匹以上入った箱で700円、カレイは、一箱400円と、車だったら全部買って帰りたい位。
  昼食は、カツオ尽くしのなぶら定食。油がのって美味。なぶら定食には、珍味「カツオのへそ」の佃煮がつけ出しにつく。「カツオのへそ」は長さ5cm位で、 ヤキトリのハツのような歯ごたえがある。カツオは出べそなのか!と思ったら、やはりカツオの心臓だそうだ(カツオはほ乳類ではないので「へそ」はありませ ん。念の為)。
 しかし、時速40kmで大海原を疾走するというカツオの心臓な らではの美味であった。


海福寺
 静岡県御前崎市

十一面観音立像 重文 像高142cm クスノキ 一木造 平安 時代

 事前に拝観をお願いした際、以前に勝手に経台や 幕を取り外して写真撮影した人がいたとのことで、相当神経質になっておられ、写真はダメとの条件付であった。
 観音像は、平安時代に御前崎にあった乾長寺の本尊として祀られ ていたが、後に遍照院に移され、いつの時代からか、駒形神社内の観音堂に安置されるようになったという。
 近年、観音堂が老朽化したため、現在は近くの海福寺に移され、 本堂の裏の位牌堂につながる廊下に客仏として安置されている。

 本像は、桓武天皇の時代に弘法大師が唐の国へ渡るとき航海の安 全を祈願して刻んだと伝えられている。
 両肩を含めて頭体部をクスノキの一材から彫出する一木造で、背 面から内刳を施しているという。
 しかしながら、像を納める厨子の正面は、厚いビニールで囲われ ており、乱反射して像の様子がよく伺えない。部分的にライトを当てて拝見する。

 崎の先端の小堂に長い間安置されていたことから、風雨に晒され ていたものと思われるが、その割には、傷みもそれ程ではなく、後補の部分も少ないように見える。

  写真で見た通り面相は目鼻立ちも大振りで彫りも深く、深遠な表情をもち、平安時代も早い頃の様式を伝えている。右腕から膝前に懸かる天衣も当初のものと見 られ、肘先も当初のものかも知れない。これに対し、特に下半身はいかにも華奢で弱々しい。朽損で痩せていることもあろうが、衣文も浅く平坦である。
 これ程面相と全体像の印象が異なる像も珍しい。

 いずれにしろ、平安初期様式を伝える貴重な像であり、出来れば 独立したお堂なり厨子に安置してもらいたいものだ。また、拝観者の良識ない行動に対する手段とは言え、ビニール張りではなくせめてガラスケースにしてもら いたいと思う。

 海福寺の本堂の前には樹齢約700年、高さ14m、幹周り約 4mのいちょうの大木がある。

 カツオの郷、御前崎を後に、最後の訪問地西楽寺に向かう。


西楽寺 安養山西楽寺 真言宗智山派
 静岡県袋井市春岡384

 西楽寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が 開いたと伝え、平安時代の寛治年間には六条右大臣源顕房公、堀川天皇の援助を受け、真言霊場として大いに栄えた。
 また、永正3年(1506)には足利11代将軍義澄公より寺領 6町が安堵され、その後も今川義元・氏真公、足利13代将軍義輝公、豊臣秀吉公、徳川家代々の将軍から寺領を安堵された。

 本堂(附本堂内厨子) 県文 享保年間(1716〜1736)
 阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像 県文 ヒノキ 一木割矧造 平 安時代後期
 薬師如来坐像 県文 像高84cm ヒノキ 一木割矧造 平安 時代後期
 
 広い境内に、正面に唐破風をつけた檜皮葺きの重厚な本堂が建 つ。
 切妻部に施された彫刻や、堂の周囲に巡らされた床の柱部に設け られた組物など、装飾過多とも見える豪華な造りである。

 本堂内の中央の厨子に、本尊阿弥陀如来三尊像を安置する。両脇 の脇侍は跪座する来迎形式の観音・勢至像である。本尊は衣文など穏やかで平安時代後期の特徴を持つが、眼が玉眼に直されるなど後補の手が加わっている。
 像内には二十五菩薩像や梵字の種子が墨書されているといい、平 成8年に県の文化財に指定された。

 薬師如来坐像は、薬師堂から少し下った庫裏につながる小堂の厨 子の中に安置されている。
薬師如来坐像は、長い間風雨にさらされた時期があるらしく、頭 部、体部がまだらに黒くなっているのが痛々しい。穏やかな面相と浅く流麗な衣文は平安時代後期の様式を示すが、やや窮屈そうな肩幅や膝張りは古様を残して いる。
 薬師如来像の両脇には二体の菩薩像が並んでいる。両観音立像 は、制作年代はほぼ同時期と思われるが、像高から本尊と一具ではなく、他から流入した像であろう。様式的にも当地で制作された像と考えられる。



薬師如来坐像


 袋井ICから一路、 静岡に向かい、東名バスで東京へ。

 JRバスの切符を購入し、一旦解散して、各自17:20のバス に乗ることにする。
 バスに乗る際、「今日は、首都高の集中工事と途中の渋滞で2時 間ほど遅れる予定だがよいか?」と確認されるが、今更変更するわけにもいかない。
 「切符を買う時に言えよ!」と思わず突っ込みを入れたくなる。
 JRは、民営化されても未だサービス業の意識がない。
 切符を買う時もこんな具合。
 JR高速バスは、4枚綴りの回数券があり、割引料金で4名が利 用出来るが、12人分申し込んでも平気で正規分でカウントする。回数券でと言うと、「回数券ですか〜」と、迷惑そうな顔をされる。
「本来なら、回数券がお得ですと、そっちから言うべきだろ」と、 これも突っ込みたくなる。

 松田バス停までは渋滞の予感もなく順調。しかし、ここからが正 念場。松田のバス停で会長以下数人が小田急を利用して帰るとのことで下車する(結果的にはこれが大正解だった)。
 秦野中井の恒例の渋滞は一時間弱で通過したものの、東京料金所 の手前でピタッと止まってしまった。確かに、道路のあちこちに、今週一杯集中工事の案内板が。用賀から一車線を塞いで大掛かりな路面の改修工事が行われて いた。
 結局、東京駅に着いたのは、運転手の言うとおり約二時間遅れの 22:40だった。
 長旅お疲れさまでした。
 東名バスも安くてよいが、高い新幹線の価値を再認識した次第で あった。


 今回訪ねたお寺は、ほとんどが広い境内と立派な堂宇を持った、 大寺であった。このようなお寺の場合、仏像だけの拝観をお願いする我々のような輩は敬遠されるケースが多いが、どのお寺も非常に丁寧にもてなして頂いた。
 昨年の静岡旅行でも感じたが、当地には八部衆や十二神将を祀る 寺が多く、しかもそれらが欠けることなく丁寧に祀られている。お寺や檀家、信者さんのご尽力もさることながら、長い間の文化に対する見識やそれを育む地域 の環境があってのことと思う。

 今回は、財賀寺の仁王像から始まって、藤末鎌初の宝冠阿弥陀 像、長興寺・東観音寺の特異な鉈彫像、平安初期の息吹きを感じさせる海福寺・十一面観音像など、バライティーに富んだ仏像を拝観することが出来、三遠地方 の仏教文化の拡がりの一端を垣間見ることが出来た。

(2006年6月8日) 


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