[.9月9日(木)
1.観光最終日となるこの日はまず市内から南へ6〜7kmの地にある双林寺にタクシーで向う。
双林寺も鎮国寺と同様平遥古城とセットで世界遺産に指定されている寺である。
寺の規模はさほど大きくないが、まとまった伽藍配置をもつ。建物はほとんど明代以降に再建されたものだが、ここの特色は「東方彩塑芸術の宝庫」といわれる塑像群。
宋、元、明、清、各時代の2000体を超える彩色塑像が残されている。
双林寺天王殿と金剛力士像
アーチ状の山門をくぐるとまず天王殿があり、堂の正面に高さ3m位の四体の金剛力士像が横に並び、いきなり迫力ある憤怒の表情に圧倒される。元代の作という。
堂内に入ると冠を被った弥勒菩薩坐像と左右に梵天、帝釈天像が立つ。どういう訳か梵天は女官風に、帝釈天は宮廷の大臣風に作られている。
その後ろの釈迦殿に入ると、明代作という大きな釈迦が豪華な光背を背に坐す。
顔つきはクセのない穏やかな表情で、衣を肩にかける偏袒右肩。
腕と手首に釧をつけているところは珍しいが、なかなか立派な釈迦である。
脇侍として文殊と普賢がともに女性風の顔つきで立つ。
こちらは通肩だが胸前を大きく開けた造形である。
左右の壁面には沢山の塑像で仏伝故事が立体的に表現されている。
また、堂内背面に回ると渡海観音といわれる美女風の観音が小さな舟(蓮華?)に乗り渡海する様子があらわされ見どころの一つとなっている。
釈迦殿の奥は大雄宝殿で、清代に作り直された見るからに新しい三世仏が並んでいる。
左右の建物にも塑像の仏像が祀られている。大雄宝殿の左側は菩薩殿で、中に26手を持つ千手観音(准底観音?)が坐すが、何となくカニが足を広げたような格好にみえる。
ただ、右側の千仏殿と羅漢殿には出来のよい塑像があった。
千仏殿の本尊は右足を立て左足を踏み下げるゆったりした姿勢の自在観音(日本では水月観音とも)であるが、この前に立つ韋駄天像が素晴らしい。
明代の作らしいが、大きく胸を張った力感あふれる立姿で、沢山の塑像群の中では傑出した出来栄えといってもよい。
(参考図版)渡海観音 (参考図版)韋駄天像
更に羅漢殿には観音の両側に宋代の十八羅漢像が並んでおり、これが各々生き生きとして個性的な表情をみせている。
(他の像もそうだが)目に嵌められた黒いガラス玉のようなものが効いており、なかなか迫真の造形で見ごたえがある。
この他関心をひいたのが堂内に放置されている壊れかけの像で、腕のとれた像では肩の付け根から木芯と、ワラのような草を混ぜた土や、胴と腕を繋ぐのに使われたと思われる鉄片がみえ、図らずも制作過程を想像することができた。
一通り見終わってみると確かに彩色塑像のオンパレードであり、あまりの多さに飽きを感じないでもなかったが、歴代の塑像がこれほど継承されてきたところはないのかもしれない。
ただ、どの建物も塑像の前にすべて鉄格子がはめられており、信仰の雰囲気、仏像の有難味が全く感じられず残念なことであった。
写真を撮ろうとしてもフラッシュ感応センサーが設置されており直ちに警告アナウンスが流れるといった具合で、寺というよりまさに塑像の博物館というような印象を受けた。
2.その後、平遥城内へ戻りホテルで昼食。城内見学後次の目的地杏花村へ向う。
杜牧の詩でも有名な杏花村で酒造工場を見学した後、タクシーをチャーターし再び太原に戻る。
これで当初想定した観光ポイントはほぼ一巡。
翌日には太原を出発して北京経由帰国の途につくことになる。
\.最後に
1.とりとめもなく綴ってきたが、あまりにも見どころが多かったので最後に旅行の観光ポイントを時代順に整理してみる。
石窟
1雲岡石窟 北魏 460〜
2天龍山石窟 東魏 534以降〜
建造物・仏像
3南禅寺大殿 唐 782
4仏光寺東大殿 唐 857
5鎮国寺万仏殿 五代 963
6晋祠聖母殿 北宋 1023〜32
7応県木塔 遼 1056〜1200?
8善化寺三聖殿 金 1128
聞くところによれば、宋、金以前の木造建築物は中国全土で100ヶ所余り残っているそうだがその70%は山西省にあるとのこと。
山西省はまさに古寺、古建築の宝庫であった。
ただ、戦乱、王朝の交代等長い歴史の中で失われたものも数多く、特に仏教遺産については「三武一宗の法難」と呼ばれる4回の大弾圧でほとんどが破壊されてきた。
更に20Cに至っても、文化大革命であらゆる宗教を敵視し歴史的、文化的価値を一切認めない蛮行も各地で行われてきた。
今回訪れた山西省でも五台山諸寺は勿論、懸空寺、応県木塔(仏宮寺)、鎮国寺等の仏像も被害にあったようで、誠に痛恨の出来事であった。
2.旅行中の中国での印象であるが、大同市の再開発の過熱振りについては前記の通りだが、移動中の車窓から見る限りどこへいっても建設ラッシュで道行くトラックも建設資材満載の車が多く、経済発展が確実に内陸部にまで及んでいることを感じさせる。
観点は違うが、もう一つ感じたのはやはり日中の微妙な関係である。
今回の旅行でも、往きの北京から大同への長距離バス内のTVでも、帰りの太原空港待合ロビーのTVでも抗日戦争映画が放映されていた。
戦後60年以上経過した現在でもなお延々と引き摺られていることを実感する旅でもあった。
そういえば、(旅行中我々は全く知らぬことであったが)帰国前日の8日に尖閣沖で海上保安庁の船に追突を繰り返した中国人船長が逮捕され、後日その余波で日本の民間人が中国で拘束されるという事件も発生。
中国へ旅行する度に思うことだが、両国は同じ漢字を使い言葉を覚えなくても文字だけで意味が通じるという世界でも稀有な間柄でもあり、なんとか未来志向の関係が構築できないものかと思う。
3.ともあれ今回の旅行は、念願の雲岡石窟への訪問と期待を遥かに上回るその内容の素晴らしさで、これだけでも充分満足しうる旅であったが、加えて雲岡以外にも思いがけず貴重な古寺、古仏を拝することができ、これまでにも増して充実した中味の濃い旅行となった。
これもKさんの諸手配とスケジューリングの妙によるものであることはいうまでもない。
また、8日間を通し天候にも恵まれ、特に不安定な山岳気候で雨を覚悟していた五台山でも一日快晴となり、Kさん、Iさん(そして若干は小生も)の日頃の行いがなせる業か、といえば、これがほんとの“能”天気ということになろうか。
旅行から帰ればまた行きたくなるのは凡人の常であるが、やはり今回も火をつけられたようで、次は河西回廊の麦積山、炳霊寺へと夢は膨らむ。
また楽しい旅が実現できれば幸いである。
(了)
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