〈その7−9〉



【2017年10月11日〜10月20日】




〔四川省 古仏探訪の旅〜旅程地図〕


【目 次】

T.はじめに

U.古仏探訪の日々

10/11(水) : 成田⇒上海⇒広元
10/12(木) : 広元     皇澤寺 千仏崖  (広元造像概観)
10/13(金) : 広元→巴中  南龕・西龕    (巴中造像概観)
10/14(土) : 巴中→中  中大仏 中故城
10/15(日) : 中→綿陽  碧水寺 綿陽博物館
10/16(月) : 綿陽→梓潼臥龍山千仏崖→綿陽
10/17(火) : 綿陽→成都  四川博物院
10/18(水) : 成都→蒲江飛仙閣・龍湾→成都
10/19(木) : 成都     四川大学博物館 成都市博物館
10/20(金) : 成都⇒成田

V.四川の仏教造像について

1.ロケーションと文化の伝播ルート
2.造像の変遷について

W.旅行を終えて




≪ 10月18日 ≫


@天候は曇り。

この日は日帰りで成都郊外にある「蒲江(ほこう)飛仙閣摩崖造像群」の見学を予定。

蒲江県は成都から西南方向へ直線距離で約70q、成都市周辺では最も多くの摩崖造像が残されている地域。
なかでも飛仙閣地区は、唐代に開鑿された数多くの、また保存状態のよい摩崖造像があることで知られている。


A朝の成都市内は道路も混雑。
出発がやや遅れたが、バスターミナルから高速道路を経由して約1時間強、蒲江には11時頃の到着となる。

地図で見ると飛仙閣地区は市街地から西南へ10qほど行った朝陽湖鎮の川の北岸にある。
乗ったタクシーが道路わきで停車するので降りてみると、道路のすぐ北側と、細い水路を挟んだ南側に多くの窟龕がみえる。

どうやらここが目的地の「大仏坪区」(北側)と「飛仙閣区」(南側)のようである。



【 蒲江飛仙閣 (ほこうひせんかく) 】


・蒲江飛仙閣造像群は現存92龕、うち唐代のものが64龕を占める。

年代で最も古いのが60号龕で初唐代永昌元年(689)の造像とのこと。
まず、道路脇の「大仏坪区」からみていくことにするが、車道に接した岩壁に並んでいるので道路上から見学する形とならざるを得ない。




蒲江飛仙閣 大仏坪区


すぐ横を車が猛スピードで走るのでなんとも危なっかしい。
写真を撮るのも一苦労である。


[bW号龕]

崩れかかり支柱で支える龕内に倚坐大仏。

像高5mと大きい像だが体の抑揚に乏しくやや平板な造り。
面部は後補か。


[bX号龕]


9号龕
鉄格子がはめられ一見地味な龕だが中味は出色。

縦、横約3mの龕内に1仏4弟子2菩薩2天2力士の11尊像、更に後壁に天龍八部衆をレリーフであらわす豪華な造り。

中尊は頭部を欠き右手も明らかに後捕だが胸には飾りが残っている。

聞くところによれば、頭部は2003年に向って左の菩薩頭部とともに盗難に遭ったとのことで、以後格子が付けられたらしい。
盗難前の写真では頭に宝冠を乗せており、おそらく右手は触地印であったかと思われるので、これまで広元千仏崖や巴中南龕、西龕でもみてきた宝冠触地印形式のいわゆる菩提瑞像であろう。


左右の菩薩は倚坐形式で珍しいが、像の出来が素晴らしい。

特に残りのよい向って右の菩薩は豪華な宝冠を頭に載せ、面長で端正な顔立ち、胸飾をつけ、X字状瓔珞が倚坐する両足にかかってゆったりと腰掛ける様は秀逸。







9号龕・菩薩倚像


都ぶりの美菩薩といったところ。
左側の菩薩も同様だが頭部を欠くのが惜しまれる。

向って左の天王像も特徴的で、耳下から顎にかかる巻き髭や上腕部の獅噛みなど、見るからに西域胡人風の天王像である。
内壁に浅くレリーフされた八部衆のうち阿修羅は三面四臂、日・月と、もう二本の手で曲尺(右手)と何か鐸状のもの?(左手)を持つ。




9号龕・阿修羅像


全体に唐代を代表する華麗な窟のひとつで、おそらくは初唐末期、遅くても盛唐期も早い頃の制作かと思われる。


・「大仏坪区」を一通り見た後は蒲江メインの「飛仙閣区」である。

ただ、「飛仙閣区」を見学するためには水路の対岸に渡る必要がある。
少し離れたところに管理事務所に繋がる橋があったが、入口の門は閉まっており人の気配がない。




飛仙閣 入口の門


何度も大声で呼び出しようやく管理人が現れたが、「修理のため閉鎖中」とのことで入場を断られる。
Cさんが念のため地元の文物管理所へ電話を入れるが同様の回答で上司も離席中で相談できないと。
(実は、この日は第19回中国共産党大会の初日に当たり上層部はこぞって習主席のTV演説に釘付けであったらしい。)

内部での見学は無理なようなので、少し距離はあるが対岸から水路越しの見学とせざるをえない。




飛仙閣区



・紅砂岩質の崖には中小の龕が所狭しと彫られているが、見たところ全般に保存状態良好で頭部が残る像も多い。
窟龕は上下二段に並んでいるようで、上段に比較的大きめの龕がみられる。

幸い窟龕は水路沿いに横長に展開しているので、木々の枝葉越しではあるが双眼鏡を使い向って右側から大きめの龕を中心にみていく。


[51号龕]

1仏2弟子2菩薩2力士の7尊像龕。




51号龕


中央に通肩、説法印の如来坐像。蓮華座の下に小さく化生童子もみえ、中尊は阿弥陀であろう。


[55号龕]

中央に二菩薩、その間に1体の弟子(比丘)が立つ。


[60号龕]

飛仙閣で最も古い永昌元年(689)銘をもつ。

中尊は偏袒右肩の宝冠触地印如来坐像で、銘文には「為天皇天后敬造瑞像一龕」と記されているとのこと。




60号龕



・向って左側の大きめの龕は


[67号龕]

如来立像を中尊とする5尊像。


[69号龕]

禅定印の如来坐像を中尊とする5尊像。


[68号龕]

通肩の弥勒倚像を中尊とする7尊像?などで、「1仏2弟子2菩薩」形式を基本とする龕が多い。

遠くからの見学で細かくは見えないがいずれも体のバランスがよく、上段の龕の多くは初唐後期、則天期の造像のように思われる。


・なお、向って右側面にも大きい龕がみえるが、造形的にはややおとなしく唐代も遅れての造像か。



B飛仙閣を一通り見た後、蒲江県市街地から南の山中にある龍(りゅうしわん)地区へ向う。

事前の情報でここにも唐代の摩崖造像があることを聞いていたからである。
山の中腹に寺があり石刻の仏像が並んでいるが唐代の像とはみえない。
聞けば更に奥に入ったところという。

寺で工事をしていた業者が案内してくれるというので、雨上がりで泥だらけの細い山道を登っていく。
滑らぬよう足元を気にしながらの山登りで難渋したがなんとか到着。



【 蒲江龍 (ほこうりゅうしわん) 】








蒲江龍


・格子戸の鍵をあけてもらい中へ入ると、山の岩壁に10内外の比較的小ぶりの龕が残されている。

ほとんどが「1仏2弟子2菩薩」を基本とした造像で唐代の造像が主体と思われるが、風化、損壊もあり保存状態は必ずしも良くない。




蒲江龍湾 仏龕


もともと公開されている窟龕でもなく足場も悪い。
奥まったところにある龕に近づこうと進んだ際に水溜りに足を突っ込んだり見学も一苦労。
飛仙閣の出来のよい像をみてきた後だけに特段目につく像もなく、早めに引き上げる。


・寺まで戻るが、足元は泥だらけで靴にも水が入り苦難の行軍?となった。
とはいえ、ほとんど知られていない山奥の石窟にまでよく来ることができたものである。

想い出に残る見学で、案内してくれた業者やタクシー運転手にも感謝する。



                



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