辺境の仏たち

高見 徹

 

第四話  伊豆・南禅寺の平安仏

 南伊豆は、古代の祭祀遺跡を多く残している。祭祀遺跡は、高杯や壷、鏡などの祭具を用いて神を祭った跡で、下田付近に、三穂ヶ崎遺跡をはじめとして、現在迄に9つの遺跡が知られている。

 これらの遺跡は、祭祀を司るという性格上、丘陵上や半島の突端など、生活の場から離れた場所に設けられるのが通例であるが、これらの祭祀遺跡のうち河津町の姫宮遺跡は、集落内にある遺跡として注目される。これは、古くから神が人々の生活の中に根付いていたことを想像させる。

 姫宮遺跡に程近い南禅寺は、平安時代の彫像を多く伝えることで知られているが、破損仏ながら数体の神像も残されている。町道から急なつづら坂を登ったところにあり、現在は無住で部落管理となっている。

 この寺は、かつては平安時代創建の那蘭陀寺といい、谷を隔てた山麓にあったが、山崩れにあい、土の中に埋もれていた仏像を、地元の人が掘り出してここに移したという。

  堂内には薬師如来坐像、地蔵菩薩立像ほか、九体の県重文を含む、二十数体の像が安置されている。また、本堂内の両脇の格子の中には像容も判然としない十数体の破損仏像が積み上げられている。天部像に混じって男神像や女神像と思われる像も多く、鎮守社あるいは付近の神社に伝わったものと思われる。

 薬師如来坐像は、地方作ながら、腹前、膝前に深い翻波式衣文を刻み、重厚な側面観をもつ、関東では数少ない平安初期の像である。大振りな彫りを見せる体躯に比して面相が平面的でおとなしいのは、あるいは後生の彫直しによるもであろう。

 地蔵菩薩立像は、膝前のY字形衣文など古様を示すものの、衣文線は平面的で硬く、より地方色が濃い。

 この二像以外の諸像は、手足先を失ったり、干割れを生じるなど、言い伝えの通り土の中に埋もれていたものと思われるが、いずれも一木造の平安仏である。

 特に、二天像は、手足先を失うもののバランスのよい動的な姿勢をもち、憤怒の表情はどこかユーモラスでもある。

 付近には仇討ちで有名な曽我兄弟と父河津三郎を祭る河津八幡神社がある。河津三郎はすもうの名手で河津掛けの考案者と云われ、境内には、三郎が力だめしに使っていたと伝える手玉石がある。

 

 静岡県賀茂郡河津町谷津 伊豆急行河津駅からバス谷津下車 徒歩10分

    

薬師如来坐像                    天部像


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