辺境の仏たち

高見 徹

 

第二話  鳥取・観音寺の平安仏

 鳥取県は伝説の国である。因幡の白兎や海彦・山彦の物語は、単なる地方伝説ではなく、朝鮮半島からの伝来を含めた、国造り、古代の出雲王国の存在を想像させる。近年、ワカタケル(雄略天皇)の銘が発見された稲荷山古墳の銅剣や三百本以上の銅剣が発掘された荒神谷遺跡などは、この地方の特殊性を示し、また、今年4月に発掘された出雲大社の巨大な柱の跡は、出雲大社が東大寺大仏殿より高い社殿を持つとの単なる言い伝えを見事に証明するなど、ますます、出雲王国の存在に現実味を与えるものとなった。

 伯耆大山は、中国地方の最高峰である。出雲の神々が国引きを行った際、周りの土地を網で引き寄せた時の杭であったと伝えられ、このため、大国主命に因んで大神山または大山と称し、古代から霊峰として崇められてきた。大山山麓には白鳳期の古廃寺跡も多く、鳥取県東伯町の斎尾廃寺からは、塑像の断片やせん(土偏に專)仏が出土し注目される。また、大神山神社の神宮寺である大山寺には、三体の白鳳時代の金銅仏が伝わる。

 観音寺は、大山の東麓、斎尾廃寺の南東5Kmに位置する。収蔵庫には、重文に指定された六体の仏像が安置されているが、本堂にはこの外数十体の破損仏が所狭しと並べられている。

 これらはいずれも平安時代初期の様式を示しており、特に千手観音立像は、山陰地方にあって注目される像である。背中に組み付けた脇手や頭頂の化仏を全て失うほか、合掌する両手先を欠き、彩色も失われて、木肌を表わしているが、細身ながら力強い体躯をもち、引き締まった面相や、軽快に表わされた裳の表現には生気がある。一木で彫られた垂髪や天衣、また膝前に彫られた深い翻波式衣文などに古様を色濃く残している。十一面観音立像も、遊離する天衣まで一木で彫り出されており古様を示すが、穏やかな面相や腹前の衣の折りたたみの造型など形式的である。その他重要文化財に指定されている六体を含め、野さらしにされていたためか摩滅、破損しているが、いずれも頭部・体部を一木から彫出し、蓮台まで一木のものや翻波式衣文を残すものもあり、平安時代初期から中期にかけて造立されたものと考えられる。

 これらの仏像の来歴は不明であるが、大日寺から移されたとの伝承もある。大日寺は、観音寺の南約1.5km、一山越えた倉吉市桜にある古刹で、中世には大山や熊野修験道の信仰の中心として栄えた寺である。鳥取県には、大山寺や三仏寺など、修験道と結びついた寺も多く、観音寺の諸像も修験道の信仰から造像された一連の仏達と考えられる。

 

 鳥取県東伯郡大栄町大字東高尾560 バス法万大栄線 東高尾入口下車南約2km

    

 

 観音寺・千手観音立像


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