稲沢仏像旅行道中記
 (平成20年5月10日〜11日)

高見 徹

 〜行程〜

 5月10日(土):名古屋 10:00集合
         亀翁寺 → 長光寺 → 常楽寺 → 無量光院 → 安楽寺 →
名古屋泊

 
5月11日(日)清洲城 国分寺 → 法華寺 → 一宮市博物館 → 名古屋市博物館
         →
名古屋駅解散

5月10日(土)(第一日)

 名古屋集合。全員早めに到着。但し、会長だけはいつもの通り重役出勤。
 朝から空はどんより曇り空で、何時降ってもおかしくない天気だったが、駅で集合している間に、ぽつり、ぽつりと雨粒が・・・。
 まあ、ひどい降りにはならないという予想を信じてみよう。

 名古屋駅前からワールド交通のマイクロバスで出発。
 名古屋駅前は道路が狭いため、駅前には駐車が出来ず、やや離れたホテルの前に停車しているとのこと。そこまで移動しバスに乗る。
 最近は、バスを停車させるのにも事前の届出が必要だそうで、バスの横には交通課の職員が早く出せとばかりに睨みをきかせている。
 稲沢までは、高速道路を使わなくても30分位で着くそうで、高速道路沿いに国道22号線を北上する。

  稲沢は、今でこそ名古屋の衛星都市の一つで、郊外の町という佇まいだが、かつては大化の改新(645年)の後、尾張国の国府が置かれた場所で、奈良時代に は、聖武天皇の命により、国分寺・国分尼寺が建立された。尾張大国霊神社が尾張国の総社と定められるなど、古くから当地方の政治・経済・文化の中心であっ た。
 また、戦国時代には稲沢の南に位置する清洲城に織田信長が入城し、天下統一の舞台ともなった場所でもある。
 現在、稲沢市には重要文化財23件、県指定文化財34件、市指定文化財133件、計190件の指定文化財があるが、重要文化財の数は、県内では名古屋市、岡崎市に次いで3番目に多く、その中でも優れた仏教美術が多い。


亀翁寺 曹洞宗
 愛知県稲沢市北市場町873

 虚空蔵菩薩坐像 重要文化財 南北朝時代
 像高60.9cm、桧材、寄木造、彩色、玉眼嵌入

 街中の小社な尼寺だ。
 境内の裏手に収蔵庫が建つ。本堂でお経をあげて頂き、尼僧が好きだという本尊の横顔の写真を持って境内の裏手に収蔵庫に向かう。
 収蔵庫の鍵を開ける間、その写真をS氏がかかえ、収蔵庫の入口に立つとまるで遺影を持つ法事のようだと誰かが囁いた。
 虚空蔵菩薩坐像は、収蔵庫の中央に置かれた小さな厨子の中に安置されている。
 尼僧が厨子の裏の紐をひくと厨子の正面の緞帳が巻上げられ像が現れる。
 整った面相と複雑に表わされた衣文は、鎌倉時代の写実的な要素を多分に伝えている。
 頭上の宝冠は、側面まで覆う銅板製の大振りなもので、全面に細かく入念な文様を打ち抜いた透彫りが施されている。頭上の高い宝髻が隠れているのが残念だが、宝冠の見事さはそれを補って余りある。

 この手の宝冠や瓔珞などは、江戸時代に飾り職人が造り置きしたものを各地で売って歩いたため、像に相応しくないものが付けられている例が多いが、この宝冠は当初のものかもしれない。
 本像の実制作時代は、南北朝に入ると思われるが、鎌倉盛期の機運を十分に伝える像である。


長光寺
愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8

 鉄造地蔵菩薩立像 重要文化財 鎌倉時代
 像高160cm

 長光寺は、六角形の地蔵堂があることで知られ、お寺の地名もこの六角堂に由来している。

 地蔵菩薩立像は重文の地蔵堂の本尊である。地蔵堂は六角型の小振りなお堂で、露盤には永正7年(1510)の陽鋳銘があり、重要文化財に指定されている。
外廻りに吹き抜けの柱を設けて、堂の周囲には緑擬宝珠高欄をめぐらし、屋根を大きく張り出しているため、お堂自体は随分小さく見える。


 今日はスタートが早かったため、午後訪ねる予定の長光寺に11時すぎに到着してしまった。午前中は法事と六角堂の見学者が重なっていたらしく、我々を入れて、トリプルブッキングとなってしまったようだ。

 御住職は我々と見学者を六角堂に招き入れると、「丁度良い。専門家が来ているから、一緒に拝観して下さい。」と、見学者を我々に押しつけて、法事の方に行ってしまわれた。
 地蔵菩薩立像は、台座に文暦2年(1235)の 造立銘を陽鋳するというが、祭壇に隠れて足下がよく見えない。
 地蔵菩薩像は、鉄仏特有のバリが像の表側には全くなく、両腕の背面当りに型のつなぎ目が表れている程度で、鉄仏としては考えられない程度に美しく仕上がっている。また、光背や台座なども大きな損傷なく残されているのは驚くばかりだ。

 

  鉄は、融点が、銅に比べて高くて扱いにくく、細い造作が苦手であり、また鋳物の表面が硬く、型の間からはみだしたバリ(鋳張り)を取るのも困難であるた め、仕上がりも余り美しくない。しかし、この像の鋳肌は鋳銅製のそれに近く、全国の鉄仏中これ程鋳上りがよく保存の完好なものは他に見当らない。
 面相や衣文も柔らかく穏やかで、鋳肌の仕上がりから見ても、原型は木型を使用したものと思われる。
  鉄仏の鋳造方法として、原型を土で造る場合と、木で造る場合がある。原型が塑像の場合は、その上に粘土砂等をつけて外型を造る。外型を乾燥後一旦取外し て、次に原型の塑像の表面を削り(削った厚み分が鋳造後の鋳物の肉厚となる)、これを内型として、再び外型を元に戻して中子との間に溶解した鉄を流し込み 鋳造する。
 原型が木型の場合は、外型を造った後、
外型の内側に粘土砂等をつけて内型を造る。次に内型の表面を削りこれを中子として鋳造を行う。

 一般的に原型を塑像としたものは、細かい造作ができないため造型も大雑把あり、木型を原型にしたものは、比較的造作が明瞭で銅造に近い仕上がりになるといわれている。

 拝観を終わる頃、雨が強くなってくる。近くの麺類のレストランで昼食とする。


常楽寺
 稲沢市日下部東町三丁目

 如来坐像 県文
 像高138.2cm、桧材、寄木造、螺髪彫出、彫眼

 長光寺が午前中に拝観出来たため、予定にはなかった常楽寺如来坐像を拝観することになった。
 直前にお願いしたにもかかわらず、快く拝観を承諾頂いた。

 如来坐像は、両手先が後補のものに替わっているため、尊名が特定できず、如来坐像として県の文化財に指定されている。
 コンクリート造りの堂に安置されるが、正面にはガラス張りになっており、光が反射して見え難い。幸い両脇にはガラスがなく、像の奥行は良く判る。

 稲沢市には、定朝様を伝える如来像が多く残されているが、本像はその中にあっても藤原時代も早い頃の様式を示す先駆的な像である。面相も正面はやや平面的で衣文なども浅く穏やかであるが、面奥や体部の側面観はかなりの奥行きを持つ。

 お寺で頂いた稲沢市史の解説によれば、頭、胴部は一材を大きく四つに割矧いで造られており、一木造を意識した構造になっているという。
 同じく稲沢市史の解説には、定朝様の型通りの様式的特徴を示しているが、像の側面は面奥、体奥がすこぶる分厚いのも地方作をあらわす、と解説されているが、時代的にも遡るものと考えても良いように思われる。

無量光院
 稲沢市中之庄町辻畑101

 阿弥陀如来及び両脇侍坐像 重要文化財
  像高中尊140.2cm、観音97.6cm、勢至98.5cm、三尊とも桧材、寄木造、彫眼 鎌倉時代
 
 毘沙門天立像 市指定文化財
  像高137.5cm 桧材 寄木造 玉眼 鎌倉末期
 不動明王立像 市指定文化財 鎌倉時代
  像高130cm 桧材 寄木造 玉眼 鎌倉時代末頃

 ご高齢の先代のご住職が応対下さる。
 今は息子さんに住職を継がれ、悠々自的の生活だとか。
 拝観をお願いした時は、市の方に話を通すようにと言われ、気難しい方かと心配したが、中々気さくな方で、濃美地震後、稲沢で最初に収蔵庫を造った時の苦労話や、当時の仏像の有り様がひどい状態であったことなどを、延々とお話頂く。

 阿弥陀如来三尊像は、中尊と勢至菩薩像内に墨書銘があって、鎌倉期初頭の建仁2年(1202)に仏師僧寛慶が造立したことが分かる。この三尊像は次に訪ねる奥田安楽寺の三尊によく似た像であるが、本像の制作にあたっては安楽寺像に倣ったことが想像される。
 毘沙門天立像と不動明王立像は、三尊の背後に安置されており、後補の彩色が見苦しいが、全体的にはバランスもよく鎌倉時代初めの制作であることを物語っている。
 この不動明王像は、稲沢市内最古のものという。


阿弥陀三尊像

 
   本尊阿弥陀如来坐像       毘沙門天立像

安楽寺 真言宗豊山派 奥田山
 愛知県稲沢市奥田町5584

 阿弥陀如来及び両脇侍坐像 重要文化財 藤原時代
 像高中尊168.3cm、観音110.5cm、勢至112.3cm 桧材 寄木造 彫眼 漆箔

 阿弥陀如来坐像 県指定文化財 鎌倉時代
 像高70cm 桧材 寄木造 玉眼

 稲沢には二つの安楽寺があり、共に古からの歴史を持つ寺で、多くの仏像を有している。通常、奥田の安楽寺、船橋の安楽寺と呼ばれている。
  奥田の安楽寺の本尊である阿弥陀三尊像は、無量光院の三尊像と、像高や像容、漆箔の色合いなど、一見すると見紛う程よく似ている。特に脇侍の面相や姿は そっくりで、この地方の好みがあったのかもしれない。しかし、安楽寺像の方が正統の定朝様式に忠実に倣っており、時代的にも先行する像であることが分か る。
 特に、本尊像は細粒の螺髪や穏やかで円満具足の面相、膝前の流れるような衣文のすべてが平安末の定朝様の特色を示している。特に本尊阿弥陀如来坐像は平安時代の如来像の多く残されている稲沢の中でも出色の像といえる。

 

  収蔵庫に県文の阿弥陀如来坐像が見当たらないため、お伺いすると本堂脇のお堂に安置されているとのこと。バスの方に引き揚げた一行も呼び戻して拝観させて 頂く。阿弥陀如来座像は、定印を結ぶ蔵で、引き締って形のよい両頬のアウトラインといい、目鼻だちの俊敏なさま、衣文のそつのない意匠と彫り口、内刳りの 無駄のないのみさばきは、中央の仏師の作例で洗練された技法を示している。

 本堂には、元収蔵庫に収められている阿弥陀三尊像が安置されていたが、現在は現代作の不動明王や真言八祖像(龍猛菩薩、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、善無畏三蔵、一行禅師、恵果阿闍梨、弘法大師)を祀るほか、天井には花をあしらった天井画が描かれている。
 大黒さんにほとんどの拝観の方は収蔵庫をご覧になるだけで帰られるが、ここまでご覧になる方はほとんど居ませんと、変に妙に感心されてしまった。
 帰りに、ご住職が境内の木から摘み取られたというハッサクをお土産に頂いた。

第二日目→

 

 


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