貞観の息吹き 
高見 徹

32.  西提寺 聖観音立像(広島県尾道市向東町) 


 尾道は、海のそばまで山が迫る地形から坂の街として知られ、浄土寺、西國寺、千光寺などの古刹が甍を並べる寺の街でもある。
 尾道市は島の多い瀬戸内海の中でも向島との間は200mしかなく、その狭さから尾道水道と呼ばれている。このため古くから海運によって栄え、かつては海産物の集散地として繁栄した。

 今では1999年5月に開通した、本州四国連絡道路尾道・今治ルート(西瀬戸自動車道しまなみ海道)によって四国の今治市と結ばれ、「瀬戸内の十字路」として交通の要衝としての地位を上げつつある。

 向島は、尾道市街から最初の尾道大橋を渡った最初の島で、南は布刈(めかり)瀬戸を挟んで因島(いんのしま)に対している。この島は、平安時代中期の辞書『和名類聚抄(和名抄)』に記載される歌島(うたしま)郷に比定される。
 西提寺は、尾道市街から最初のインターチェンジを下りたミカン畑を望む高台にある。現在は境内に真新しい本堂が建てられている。
  この寺の本尊・聖観音立像は、それまであった旧本堂を建てかえるために解体したところ、壁の中に隠し部屋があってその中に、もう一体の聖観音立像と共に安 置されていたのが発見されたという。発見から程無く、1977年に国の重要文化財に指定されている(一体は付−つけたり−として指定)。

 本尊像は右足を遊足とし、肩幅や両胸、腰回りなどに量感を持たせた像で、両肩に掛かる天衣や条帛の折り返しなどを複雑にかつ丁寧に彫りだしており、膝前には翻波式衣文を表すなど、平安初期の様式を示している。また頭上の宝髻も異常なほど大きく造りだしている。
 しかしながら全体的には衣文の彫りも穏やかで制作年代はやや下るものと思われる。

 もう一体の聖観音立像は衣文なども本尊像とほぼ同様の姿を持つが、ほぼ直立し肩幅や全体の厚みは平易で抑揚に欠け、地方色が強くなっている。

  文政8年(1825)に編纂された安芸国広島藩の地誌『芸藩通志』よれば、天暦5年(951)に制作された本尊が盗難に遭い四国伊予国に売られため、治安 2年(1022)に仏師定願があらたに像を制作しておさめたと伝える。地元では古くから田植観音として信仰を集めており、盗まれた先の伊予の国で不思議な 出来事が続いたことから調べてみると備後歌島の観音様とわかり、寺に返されたと言い伝えられている。

 『芸藩通志』に伝える制作年代通りかどうかは兎も角、尾道には平安中期にさかのぼる仏像が多く残されているが、西提寺の像はその中でも古様を示す像として注目される。

       

聖観音立像         (付)聖観音立像

 

聖観音立像          (付)聖観音立像


  



 


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