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貞観の息吹き 高見 徹 29. 凌雲寺 十一面観音立像(岩手県花巻市東和町)
丹内山神社は、東和町の東部に位置し、空海の弟子日弘が平安時代に創建したと伝え、古くは大聖寺権現堂と呼ばれて坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に参籠するなど神仏習合の聖地として信仰を集め、平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたという。嘉保3(1096)頃には藤原清衡が耕地24町歩を神領として寄進、山内に御堂108ケ所を建立し、108体の仏像を安置したと伝えている。 本堂の脇室に安置される二体の十一面観音立像と薬師如来立像も同様に丹内山神社から移された像である。真ん中の十一面観音立像はほぼ等身大のカヤの一木造で、大まかながら丁寧な彫り口を見せ、はっきりした目鼻立ちや厳しい体躯の彫りに古様を示している。
もう一体の十一面観音立像は、右は手先まで、左は腕先まで一木造であるが、足指は彫らずに箱状に造りだされており、条帛が天衣と連続するなど細部の省略が
見られる。また、頂上に仏面をつけずに頂髻を低く彫り、頭部の化仏も目鼻立ちなどの細部を省略している。あるいは未完成像であるのかも知れない。 これらの諸像が伝えられた丹内山神社にもこれに似た十一面観音像が残されている。この像も頭頂の仏面を付けず、素朴な表現も共通していることから、同一仏師による制作と考えられる。
丹内山神社は私社殿の裏側の山腹に胎内石と呼ばれている巨石があって、古くからアラハバキ神の御神体と信じられている。アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛
巾)信仰は、東北地方一帯に見られる民俗信仰で、本来は蝦夷の神であったと見られ、高橋克彦氏の小説「火怨-北の燿星アテルイ」ではこの巨石を前に蝦夷の
首領である阿弖流為が巫女により祝詞をうけ、来る田村麻呂との戦いを予見する場面が描かれている。
十一面観音立像
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