| | 貞観の息吹き 高見 徹 12.
楽
法寺 聖
観音立像(茨城県真壁
郡大和村)
楽法寺は、筑波山の北に連なる加波山を中心とする山塊の最北端、雨引山の中腹にする位置する
古刹で、坂東観音霊場第二十四番札所である。
中国梁の国の法輪独守居士によって用明天皇2年(588)開かれたと伝える。
嵯峨天皇の弘仁12年(821)の大旱魃に際して、紺紙金泥の法華経を奉納し、祈祷されたところ大雨が降り五穀豊穣なったことから、勅願により雨引山楽法
寺の寺号を賜ったという。 徳川幕府からも朱印150石を与えられるなど保護され、多くの寺宝を有している。
開創の法輪独守居士が延命観世音菩薩を捧持して渡航中、嵐の中にが現れ摩多羅(マダラ)神が波を鎮めたという言い伝えなどから、
古代インド神である摩多羅神との関係も深い寺である。毎年11月に行われる摩多羅(マダラ)鬼神祭は、鬼の面を被って摩多羅神に扮した踊り手が福銭をまく
もので、三百年以上の歴史を持つ関東でも珍しい厄除けの奇祭として知られている。
本尊聖観音菩薩立像は、カヤ
材を用いた一木造で内刳りもない古様な像である。八臂を有しており、上膊部まで含めて頭体の根幹部を一材から彫出する。ほぼ直立した像で、腰部と足下を細
く絞り、天衣を左右に広げて安定感を持たせている。 尊名は、寺伝では延命観音像とされているが、宝冠などは後補であり、また印相も
ほとんどの手が人差し指と中指を伸ばし他は握った独特の印相を結んでおり(一
部後補)、もともと観音像として造られたものかどう
か不明である。 面相は巾広で大振りの目鼻立ちを配し、表情は穏やかで大人しい。しかしながら、特に下半身の衣文は彫法は特徴的で、
腹前の天衣の折返しの縁に反りをもうけたり、膝前に懸ける二条の天衣の一方を複雑に巻き付けるような表現は他に例を見ない。また膝下には翻波式衣文を表し
ているが、彫り口は硬直化しており、やや定型的になっている。 茫洋とした面相とこれらの特徴的な像容は一種の地方作的特徴ともいえ
る。 法輪独守居士の由緒を伝
える寺は、板東、秩父地方にみられ、多くが勅願寺として建立されたと伝えている。
当寺も多くの寺宝を残しており、古くから中央との関わりが深かったと考えられることから、何らかの像を参考にして、当地の仏師が、自由な解釈で造立したと
いうべき像である。
本尊とともに重要文化財に指定されているお前立ちの聖観音菩薩立像は、本尊に倣って鎌倉時代造られたと考えられる像で、八臂の腕や印相など本尊と同様に造られている。
楽法寺の摩多羅鬼神祭は、三百年以上の歴史を持つ関東でも珍しい厄除けの奇祭である。
文明
4年(1472)、楽法寺は戦火により本堂などを焼失したが、その時どこからともなく摩多羅鬼神が現れ、自ら馬にまたがって大勢の鬼たちを指揮し、七日七
夜にして立派な本堂を再建したと言い伝えられており、摩多羅鬼神の恩に報いるため、鬼面をつけ、鬼太鼓にあわせて鬼踊りを踊るという祭りを行うようになっ
たという。 この摩多羅鬼神祭は、京都太秦の広隆寺の摩多羅祭(牛祭り)と共に、日本二大鬼祭といわれ、広隆寺では摩多羅神が牛に
乗って練り歩くのに対し、楽法寺の摩多羅神は、言い伝え通り馬に乗って現れるのが面白い。 以前は、4月に行われていたが、天候の理
由から11月3日に行われるようになった。しかし残念なことに、今年は休止の予定でその再開が待たれている。
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