貞観の息吹き 
高見 徹

62.  大谷寺 不動明王立像福井県丹生郡越前町大谷寺

 越知山大谷寺(おおたんじ)は、越の大徳と呼ばれた泰澄大師が越知山三所大権現の御本地佛・地主大聖不動明王を自ら彫んで安置し開創したと伝えられ、白山を中心とする越前天台信仰の一大拠点として栄えた古刹である。
 泰澄大師は、その後西の越知山・日野山・文殊山・吉野岳・白山等々に登頂し、諸国を巡錫した。

天平宝宇2年(758)77才の時大谷寺に戻り、神護景雲元年(767)86才の時大谷寺で遷化したという。


 泰澄大師の御廟所を中心に一山の盛時は実に一千坊と言われて、大谷寺の本坊は大長院と呼ばれてきた。

 泰澄大師はその超人的な行動から、伝説の人という説もあったが、近年の調査により、裏山から基壇状遺跡・塔跡遺跡等や、「神」「大」などが墨書された平 安時代の須恵器、土師器などが発見され、9世紀中葉以降から13世紀頃まで寺院が存続していたことが明らかになり、泰澄の実在性と伝記の信憑性が再認識さ れるようになった。
 福井県越前地域は、戦国時代の一向一揆の乱でほとんどの寺が焼き払われており、平安時代まで遡る古像は少ないが、大谷寺の所蔵の寺宝は、泰澄及二行者坐 像など、重文2件5点、県文1件8点、町指定文化財8件23点を数え、特に仏像は優品が多く県内屈指の文化財の宝庫となっている。
 中でも越知山三所権現像(十一面観音、阿弥陀如来、聖観音)は、平安時代後期の作ながら白山信仰における三尊一具の本地仏としては最古の例である。

 現在、重文の像は、文化庁に寄託されており、それ以外の像は土蔵を改造した小さな収蔵庫に所狭しと安置されている。

 泰澄大師が不動明王を安置して創建したという故事から、現存する像も不動明王像が多いが、この中で注目されるのは、鉈彫不動明王立像である。
 本像は左手を下に垂らして羂索を持ち、右手を腰に当てて宝剣を持って岩座に立つ。総髪で左に弁髪を垂れ、両目を大きく見開き、上の歯で下唇を噛む、古い形式を持つ像である。
 右肘から先を矧ぎ付ける他はカツラ材と思われる一木から彫り出されており、内刳は施されていない。
 全身に粗い鑿跡を残しており、いわゆる鉈彫像である。

 鉈彫像としては、北陸地方では、富山・射水神社の男神像が知られているが、本像は男神像の威圧的な表現に較べると彫りも簡素で素朴な像で、平安時代も後期の制作と思われる。
 収蔵庫には先年山頂の権現堂から発見されたという、平安時代の蔵王権現の破損仏も納められており修験道の修験道の開祖役小角に次ぐ「日本第二の行者」とも呼ばれた泰澄大師の信仰の一部を垣間見ることが出来る。



越知山三所権現像(十一面観音、阿弥陀如来、聖観音)

  
        不動明王立像                蔵王権現像






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